こんにちは、SKOOTAGAMESのネゴラブチームに所属しております、モブです。キーボードを叩いたり、たまに代表のコーヒーを淹れたりしながら、日々ゲーム開発という大海を漂っております。 さて、先日5月4日、ゴールデンウィークの真っ只中に開催されたインディーゲームの祭典「東京ゲームダンジョン8」に、何を隠そうこの私、そして我らがSKOOTAGAMESが、なんと初めて「出展者」として参加してまいりました。これまで二度ほど、いち来場者としてレポートを書かせていただいたこのイベントに、まさか自分たちのブースを構える側になるとは…。正直なところ、カレンダーの赤い日に会場へ向かう自分の背中を見ながら、「なぜ私は連休に働いているのだろう…」という哲学的な問いが、ほんの少し、ほんの少しだけ頭をよぎらなかったと言えば嘘になります(苦笑)。 しかし、ご安心ください。結論から申し上げますと、そんな些細な心の声などあっという間に吹き飛んでしまうほど、今回の東京ゲームダンジョン8は、熱気に満ち溢れた素晴らしい一日でした。3100人もの方が来場されたという会場は、連休中ということもあってか、ユーザーの方々はもちろん、開発者同士の交流もかつてなく活発だったように感じます。まあ、私たちが初出展だったから、そう見えただけかもしれませんが…。それでも、普段とは違う「作り手」としての視点でイベントの空気に触れ、たくさんの刺激的なゲームやクリエイターの方々と出会えたのは、本当に貴重な体験でした。 というわけで、今回のレポート【前編】では、そんな初出展のドタバタ 속(?)で、私モブのアンテナに特に強く引っかかった、独特の雰囲気を纏う三つの作品をご紹介したいと思います。ジメジメとした梅雨、そしてその先に待つ蒸し暑い夏を前に、ちょっと背筋が涼しくなるような、あるいは心がザワつくような、そんな個性的なゲームたちです。 Machico:モノクロ洋館で出会った、奇妙な“強烈さ” さて、今回の東京ゲームダンジョン8で、私が最初に足を踏み入れたのは、どこか懐かしい雰囲気と強烈な個性が共存するブースでした。スタジオジョニーさんが制作中という、『Machico』。ジャンルとしては2Dのホラー探索アドベンチャーゲームとのことですが、試遊台で体験できたのは、そのほんの入り口、ほんの10分にも満たない短い時間でした。 物語は、急に姿を消した友人を探し、古びた洋館へと足を踏み入れた主人公が、そこで不可解な出来事に巻き込まれていく…という、ホラーゲームの王道とも言える導入部から始まります。薄暗い洋館の中を一人、手探りで進んでいく感覚は、かつて夢中になった『青鬼』のような、あの頃のヒリヒリとした緊張感を思い出させてくれましたね。 しかし、この『Machico』が単なる懐古趣味に留まらないのは、その独特なアートスタイルと雰囲気作りにあると感じました。画面全体を覆うのは、 まるで古いモノクロ映画か、あるいは往年の恐怖マンガの一場面を切り取ったかのような、ざらついた質感の白と黒の世界。キャラクターも背景も、そのほとんどが陰影と黒い線で描かれており、見慣れない洋館の不気味さを一層際立たせています。このビジュアルが、探索という行為そのものに言いようのない不安感を付与し、「何かが出てくるんじゃないか」という原始的なホラー感をじわじわと煽ってくるんです。 そして、その予感は的中し、探索を進めるうち、突如として現れる異形の追跡者…。動物のような頭部を持ち、車椅子に乗りながら、その車輪にはなんとチェーンソーが取り付けられているという、一度見たら忘れられない強烈なデザインの“何か”が、こちらを執拗に追いかけてくるのです。その姿を目撃した瞬間、かつてインディーゲームシーンで話題を呼んだ『Year of the Ladybug』の、あのコンセプトアート群が脳裏をよぎりました。生理的な違和感と、どこか目を離せないような倒錯的な魅力が混じり合った、あの衝撃に近いものを感じたのです。 実はこの『Machico』、今回ご紹介する中でも特に、私自身が今後の展開に大きな期待を寄せている一本でもあります。というのも、制作されているスタジオジョニーさん、実は普段アニメーションを手掛けていらっしゃるチームだそうです。公式サイトで拝見した彼らの他のアートワークは、本作とはまた趣の異なる、温かみのある繊細なタッチで描かれたものが多かったのですが、その中にもどこか共通する“寂しさ”や“切なさ”のようなものが感じられ、それがこの『Machico』のミステリアスな雰囲気と不思議と響き合っているように思えたのです。 『Year of the Ladybug』が、いくつかのコンセプトアートだけで多くのゲーマーの想像力を掻き立てたように、現在進行形で制作が進んでいるこの『Machico』が、一体どんな完成形となって私たちの前に姿を現すのか…それを考えると、今から楽しみで仕方ありません。短い試遊時間ではありましたが、そんな未来への期待を抱かせるには十分すぎるほどの、“何か”を感じさせてくれる作品でした。 The Doppel:二色の悪夢で響く、己と向き合う“逃走劇” 『Machico』のブースを後にして、次に向かったのは、どこかミニマルながらも強烈な個性を放つ一角でした。こちらの作品は『The Doppel』。白と黒、わずか二色だけで構成された悪夢の世界を舞台に、自分自身を模した存在「ドッペル」からひたすら逃げ続けるという、シンプルなルールの2Dアクションゲームです。 主人公は、締め切りとプレッシャーに追われる小説家。そんな彼が、けたたましく鳴り響く出版社からの電話を取った瞬間、悪夢の世界へと引きずり込まれるところから物語は始まります。この導入だけでも、なんだかこう…記事を書いている人間にとっては、他人事とは思えないような妙な感覚を覚えましたね(苦笑)。 悪夢の中の主人公は、その名の通り自らの動きを忠実に模倣して追いかけてくる「ドッペル」から逃れるため、前へ前へと進まなければなりません。面白いのは、このゲームにおける光と闇の扱いです。暗闇の中にいる間は「ドッペル」もプレイヤーの前に出てこず、プレイヤーは完全にセーフ状態。しかし、一歩でも明るい場所へ踏み出せば、どこからともなく「ドッペル」が現れ、執拗な追跡が始まるです。そして、「ドッペル」との距離が縮まるにつれて、まるで主人公の気力そのものが吸い取られていくかのように、じわじわと体力が削られていくのです。 マップには様々なギミックも配置されており、ただ闇雲に突っ走るだけではすぐに「ドッペル」の餌食。試遊では、まず暗闇で安全を確保しつつマップの構造やギミックの動きを観察し、タイミングを見計らって一気に駆け抜ける…という、さながら往年の『バーガータイム』や『ロードランナー』のような、古き良きアーケードゲームを彷彿とさせる歯ごたえのあるアクションを体験できました。このシンプルながらも奥深いゲーム性には、思わず唸らされましたね。 しかし、この『The Doppel』が私の心に深く刻まれたのは、単にゲームとしての面白さだけではありませんでした。むしろ、プレイを終えて会場を後にした後に、じわじわとそのテーマ性が反芻された、とでも言うべきでしょうか。考えてみれば、このゲーム、別に無理して光の中へ進む必要はないんです。暗闇にさえいれば、少なくとも「ドッペル」に襲われる心配はなく、安全は保障されている。それでも、物語を進めるためには、光の中へ飛び出し、自分自身の影とも言える「ドッペル」と対峙しなくてはならない…。 この構造が、締め切りというプレッシャー、そしてそこから逃れたいという小説家の心理状況と、あまりにも見事にリンクしているように感じられたのです。すべてが二色だけで表現された世界もまた、安全な暗闇に留まるか、それとも困難に満ちた光の中へ進むかという、二者択一の厳しい現実を象徴しているかのようでした。逃げているようでいて、実は自分自身の内面と向き合わされているような、そんな不思議な感覚。短い試遊時間でしたが、このゲームが投げかける問いは、私の心に深い余韻を残してくれました。 新宿異変:夜の街角、一枚の写真に刻まれる複数の“結末” さて、今回のレポート【前編】でご紹介する最後の作品は、その強烈なキービジュアルに吸い寄せられるように足を運んだ『新宿異変』です。こちらは、夜の新宿を舞台に、街に潜む様々な怪異現象を写真に収めていくという、ホラーテイストの短編ビジュアルノベルといった趣の作品でした。試遊時間はわずか5分から10分ほど。しかし、その短い時間の中に、このゲームならではの個性がギュッと凝縮されていましたね。 ゲームが始まると、プレイヤーは簡単な状況説明と共に、どこか静かな夜の新宿の街へと放り出されます。そこで遭遇する、人ならざる“何か”の気配…。プレイヤーの目的は、これらの怪異現象をカメラで撮影すること。ただし、ここがこのゲームのキモでして、「適切な距離を保って」シャッターを切らなければなりません。対象に近づきすぎれば、正体不明の恐怖に呑み込まれてゲームオーバー。かといって、遠すぎれば何も写せず、成果もなし。まさに一瞬の判断と度胸が試される、緊張感あふれるシステムです。 私がこのゲームに強く惹かれたのは、何を隠そう、ブースで目にした一枚のキービジュアルでした。人型ではあるものの、明らかに“こちら側”の存在ではない、形容しがたい違和感を纏ったその姿…。どこかで見たような…そう、昨年デモが公開され、大きな注目を集めた『No, I’m not a Human』の、あの不気味ながらもどこか目を離せない魅力を持ったビジュアルに通じるものを感じたのです。こういう、一目見ただけで「何かヤバそうだ」と思わせるセンス、個人的にとても好みです。 そして、この『新宿異変』を語る上で外せないのが、「マルチエンディング」という要素でしょう。驚いたことに、この短い試遊版ですら、その片鱗を十分に味わうことができたのです。実は私、自分のプレイ前に、偶然お二方ほど他の方のプレイを後ろから拝見する機会があったのですが、なんと私を含めた三人の結末が、それぞれ全く異なっていたんですよ。もちろん、先ほども触れたように、このゲームは一歩間違えれば即ゲームオーバーという、いわゆる「死にゲー」的な側面も持っているので、それも多様な結末に繋がりやすい一因だとは思います。ですが、それにしたって、この短時間でこれだけ体験の幅を持たせているのは、単純にすごいな、と。 イベント会場で気になるゲームの試遊待ちをしていると、前の人のプレイで内容が分かってしまって、自分の番が来た時には少し興味が薄れてしまった…なんて経験、ありませんか? 特にストーリー重視のノベルゲームでは、それが致命的になることも少なくないと思うんです。その点、この『新宿異変』は、短い試遊の中に多様なエンディングを用意することで、何度見ても新しい発見があり、むしろ「他のエンディングも見てみたい」と思わせる。これは非常にクレバーな作りだと感じましたし、実を言うと、我々ネゴラブチームのゲーム制作においても、大いに参考にすべき点ではないかと、一人静かにメモを取った次第です。 日常の裂け目から垣間見た、三者三様の“気配”と次なる予感 というわけで、ゴールデンウィークの中、初めての出展という慣れない体験の合間を縫って巡り合った、私モブの心を特に強く捉えた三つのゲーム、『Machico』、『The Doppel』、そして『新宿異変』をご紹介してまいりました。 モノクロームの悪夢の中でアニメーションスタジオの新たな挑戦と未来への期待を感じさせてくれた『Machico』。二色だけで描かれた世界で、自分自身の影と向き合う逃走劇を強いた『The Doppel』。そして、夜の新宿という日常のすぐ隣で、無数の怪異と幾通りもの結末を突きつけてきた『新宿異変』。 どれも、日常に潜む「裂け目」から、得体の知れない「何か」が顔を覗かせているような、そんなヒリヒリとした感覚を呼び覚ます、個性的な作品たちでしたね。もちろん、初出展の身としては自分のブースのことで手一杯だったため、全てのゲームをじっくり堪能できたわけではありませんが、それでも作り手として参加したからこそ得られた刺激は、確かにあったように思います。 まあ、お世辞にも「最高な休日」とは言えませんでしたが、それでもこうして心に残る作品たちと出会えたのですから、結果オーライ、ということにしておきましょう。きっとそうです。 さて、この東京ゲームダンジョン8のレポートは、まだまだ終わりません。【後編】では、また少し毛色の異なる、しかしながら同様に強烈な個性を放つゲームたちをご紹介する予定です。果たして、次にお届けするのはどんな“裂け目”からの誘いなのか…。 ラブコメ X
出会いは終わらない!雨の川越インディー探訪~ぶらり川越 GAME DIGGレポート【後編】
こんにちは、モブです。SKOOTAGAMESのネゴラブチームに所属しています。雨の中お届けした川越 GAME DIGGレポート、今回はその【後編】となります。 【前編】では、一杯のうどんに地域コミュニティの熱い想いが込められていた『湯斬忍者』、そして「コエトコ」という特別な空間で、プレイヤー自身が旋律を奏でるという忘れられない音響体験をさせてくれた『MeloMisterio -play your melody-』という、雨の中でも際立つ個性を持った二つの作品をご紹介しました。どちらも、単にゲームシステムが面白いという評価だけでは語り尽くせない、深い余韻を私の中に残してくれましたね。 さて、この【後編】で焦点を当てるのは、もう少し個人的な感覚や記憶、あるいは遊びの本質といった部分に、より深い印象を受けた二つの作品です。それは、画面を通して作り手の優しい眼差しそのものに触れるような感覚であったり、あるいは、すっかり忘れていた「みんなで集まって遊ぶ」ことの原風景を、鮮やかに思い出させてくれるような体験であったり。 一つは、まるで会場となった川越の、あの日の雨上がりの空気までも丁寧に描き出しているかのような、温かく優しい雰囲気のゲーム。そしてもう一つは、難しい理屈は抜きにして童心に返り、思わず声を上げてしまうほど、協力して遊ぶことのプリミティブな熱狂と楽しさを、改めて実感させてくれたゲームです。 どちらの作品も、あの日の雨の中で、そしてぶらり川越 GAME DIGGという少し変わったイベントだからこそ出会えたからこそ、より強く私の記憶に刻まれているのかもしれません。では、【後編】最初の作品となる、心温まる里山の冒険から、じっくりと見ていくことにしましょう。 里山のおと 春さんぽ:雨音に溶け込むタヌキの小さな冒険と、忘れかけた視点 『MeloMisterio』の美しい音色の余韻に浸りながら会場を歩いていると、まるで導かれるように次なる素敵な作品、『里山のおと 春さんぽ』と出会いました。プレイしてまず強く感じたのは、「もしかして、この川越 GAME DIGGというイベントのために作られたのでは?」と思えるほど、会場の雰囲気、そして当日のしっとりとした雨模様に、驚くほど自然に溶け込んでいたことです。大げさではなく、周りのブースからも「このゲーム、すごく雰囲気に合ってるよね」という会話が聞こえてきたほどだったので。 ジャンルはポイント&クリック形式のアドベンチャー。友達キツネくんからの「桜の下でお弁当を食べよう」という心温まる手紙を受け取ったタヌキくんが、目的の桜の木を探して冒険に出かけます。道中で出会う動物たちの助言や、道端で見かける植物を注意深く調べて得られる手がかりを頼りに、正しい道を探し当てて進んでいく…という内容です。どこか遠い昔の記憶を呼び覚ますようなストーリー展開と、水彩の筆遣いを思わせる温かみのあるアートデザイン。外は冷たい雨が降りしきっていましたが、ゲームの中だけは満開の桜がプレイヤーを優しく迎えてくれました。 絵本のような雰囲気ですが、抱いたのは「意外なほど、しっかり”ゲーム”としての手触りがある」という感想でした。私たちが普段想像する壮大な大冒険ではなくても、「友達に会いに行く」という、ささやかでミクロな冒険の中にだって、プレイヤーがゲームに期待する「試行錯誤する面白さ」や「発見の喜び」は十分に詰め込めるのだ、と深く感銘を受けただけです。 プレイヤーは手に持っている図鑑や、動物たちのアドバイスを元に、周囲の植物を注意深く観察することになります。そして、特定の植物の特徴を手がかりにして、目の前に現れる分かれ道のどちらがゴールの桜の木へと続いているのかを推理していく…。まるで小学生の頃の自由研究の課題のような、微笑ましくもちゃんと頭を使う探索体験に、気づけば短いプレイ時間ながらすっかり没頭していました。 こうした体験がなぜこれほど心に残るのか。それは、作り込まれた壮大な物語に没入する楽しさとは別に、こうしたミクロな視点から描かれる世界に触れることで、作り手が普段どんな眼差しで身の回りの自然や世界に触れているのか。その温かい視点の一部を追体験できるからではないでしょうか。正直、子供時代には持っていた、けれど知らず知らずのうちに失ってしまう感性や視点というものは、きっと少なくないはずです。このゲームは、そんな忘れかけていた何か…小さな発見に喜ぶ気持ちを、そっと掬い上げてくれるような、プレイヤーとしてはただただ有り難い時間を提供してくれました。 ところで、この素敵なゲームに私がたどり着いた経緯においても、少し面白いエピソードがあります。実は、『MeloMisterio』と同じ会場「コエトコ」の片隅、テーブルの上にふと置かれていた一枚のポストカードが、全ての始まりでした。白い紙に描かれた美しい桜の木のイラストに心が惹かれ、何気なく手に取ってみると、裏面には可愛らしい四コマ漫画が描かれていました。ゲームの大まかな導入部分がそこで紹介されており、「なんだこの可愛いゲームは」と感嘆し、そのままブースへと足を運んでしまったのです。この一枚は今後も特に大切にしまっておくつもりです。 そのポストカード同様、関連グッズも繊細で魅力的でした。特にブースで配布されていた栞のデザインはどれも秀逸で、思わず全種類を手に取ってしまったほど。ちなみにこの栞、投げ銭50円から、と案内がありましたが、とてもそんな価値ではいただけないと思い、勝手ながら一枚50円計算で4種類分、200円をお支払いさせていただきました。…と、ここまでは良かったのですが、なんとその際にお財布をブースに置き忘れるという大失態をやらかしちゃいました。もし、私の顔を制作者さんが覚えていなかったら、あの土砂降りの雨の中、東京から再び川越まで財布を取りに戻るという悲劇に見舞われるところでしたね。その節は本当にありがとうございました… インディーゲームには制作者さんの「好き」が色濃く反映されますが、時にプレイヤーを選ぶことも。本作も植物や動物への深い愛情を感じますが、その表現がユニークで温かいためか、普段馴染みのない人でも自然と惹きつけられる魅力があります。それはまるで、自分の専門分野について誰よりも楽しそうに、そして熱っぽく語る人の話に、テーマ自体への興味はそこそこでも、その熱意や人柄に惹かれて思わず聞き入ってしまう時の感覚に近いのかと。このゲームは、もしかしたら自分の中にも眠っているかもしれない、「道端の草花や小さな生き物を愛でる心」と久しぶりに再会させてくれた、貴重な体験となりました。 PONKOTS:予測不能な”ポンコツ”が生む、最高のカオスと協力の熱狂 さて、今回のレポートで紹介する最後のゲームであり、そしてこの雨の川越 GAME DIGGで、個人的に一番「面白い!」と感じ、そして一番大声で叫びながらプレイしたのが、この『PONKOTS』です。もう名前からして、ただならぬ「何か」が起こりそうな予感がしますね。 このゲームのコンセプトはすなわち、「互いに弱点をフォローし合う」ということ。3人から最大8人でプレイ可能な、協力型の2Dカジュアルアクションなのだそうです。世界観としては、プレイヤーは小さなオモチャたちを操作し、互いに助け合いながら、悪いブリキの王様たちから逃げて生き延びる…という、可愛らしい見た目とは裏腹に、どこか闇っぽさも感じさせるストーリーが背景にある様子。基本的なルールは意外とシンプルで、プレイヤーたちに向かって飛んでくる砲弾(ホウダン)に当たらないよう、ひたすら逃げ回るのが大前提です。 ただしここで強烈なひねりが。特定時間毎にランダムで一人、「ポンコツ」なり操作不能状態に陥ってしまうのです。他のプレイヤーは動けなくなった仲間がホウダンに当たらないよう、必死で押し出して位置をずらしたり、時には自らが盾になったりして守らなければなりません。刻一刻と状況が変わる中で、瞬時の判断力と仲間との呼吸が試されるのです。 説明だけではピンと来ないかもしれませんが、このゲームの面白さは体験しないと100%伝わらないタイプかなと。ただし私の体験では、イベント試遊で間違いなく一番声をあげていたゲームでした。もちろん、雨が降る屋外に近い会場で、多少大声を出しても大丈夫だったという前提条件が付きますが。 最低3人から、というのが少しネックで、一人参加の私は諦めかけましたが、制作者の方二人が快く加わってくださり即席プレイがスタート。初対面なのに、まるで旧知の友人の家に集まってスマブラでも始めるかのような、和気あいあいとした雰囲気の中で、簡単なゲーム説明を受け、気づけばオモチャたちを必死に操作していました。実際のプレイには更に多くの要素がありますが、確かなのは「息つく暇もないカオス」を連続的に演出し、皆が「うわー!」「そっち行った!」「助けてくれー!」と悲鳴にも似た歓声を上げながら、それでも笑いが止まらない、最高のパーティーゲーム体験だということ。もちろん、制作者さんの盛り上げも素晴らしかったです。 この面白みを例えると、常に「時限爆弾のタイマーが残り1秒で、赤か青か、正しい色のコードを切らなきゃ」的な状況が続いていることかなと。ポンコツ化、砲弾、ギミック等全てが予測不能な「ワチャワチャ感」のために計算されています。90年代風レトロアートやガチャガチャと鳴る金属質な効果音、焦燥感を煽るアップテンポなBGMも、切迫感を増幅させていました。そして体験の核が「ランダム性」の絶妙な使い方。多くの要素がランダムに決まることで、プレイヤーは常に不安定さと不確実性の中に置かれます。予期せぬ脅威にアドリブで対応するしかない。この「不安」が協力しなければという一体感を生み、最終的に「爆笑」へ昇華されるのです。このゲームをプレイして、「ああ、本当に面白い協力ゲームって、こういう熱狂を生み出すものだよな」と、改めてその理想形の一つに触れたような気がしました。 …と熱く語りましたが、少し個人的で突飛かもしれない考察を一つ(私の勝手な解釈です)。本作は、ある意味で現代における”アンチ・テーゼ”としてのゲームなのかも、と感じました。というのも、昨今のゲームは洗練されたソロ体験や個人のスキル重視が主流に感じますが、『PONKOTS』の協力はもっとプリミティブ。「ポンコツ」になった仲間を周りが文字通り体を張って必死で助ける、相互扶助そのものに重きを置いています。「個」の熟練度よりも「場」の一体感や、「みんな」でいることの偶発的な楽しさ、友達の家で騒ぐあの原風景こそが本作の核ではないか、と。 「ランダム性」の扱いも同様です。多くのゲームでランダム性は「便利な万能調味料」的に使われがちですが、『PONKOTS』では違う。プレイヤーを助けるのではなく、むしろ脅かし、カオスと協力せざるを得ない切迫感を生む「揺らぎ」として機能しているのです。だから悲鳴を上げつつ笑ってしまう。それは、子供の頃、友達みんなでトランポリンに乗って、不安定な足場にまともに立っていられずに転げ回りながらも、なぜかみんなで大笑いしていた、あの時の感覚にとても近いのかもしれません。 制作者さんとは深い話はできませんでしたが、何よりも、初対面の私に対して、あれほど熱心に、そしてご自身も最高に楽しんでプレイに付き合ってくださったことに、心から感謝の気持ちを伝えたいです。普通、協力プレイが前提のゲームを一人で試遊するのは物理的にも心理的にもハードルが高いことが多いですが、『PONKOTS』に関しては、「このゲーム、絶対に誰かと一緒に遊びたい!」という気持ちが、プレイ後、非常に強く込み上げてきました。これは本当に久しぶりの感覚です。まだ制作中のゲームとのことですが、「このゲームがリリースされる日までに、一緒に腹を抱えて笑い転げられる友達を、ちゃんと作っておかないと」 そんな、未来への妙な決意(?)と期待感まで抱かせてくれた、素晴らしい作品との最高の出会いでした。 雨の川越、ゲームとの一期一会 さて、ここまで雨天の中開催された川越 GAME DIGGで出会い、心を掴まれた4つの個性的なインディーゲーム、『湯斬忍者』、『MeloMisterio -play your melody-』、『里山のおと 春さんぽ』、そして『PONKOTS』について語ってきました。どれも、あの日の天気、あの場所でなければ、また少し違った印象を受けたかもしれない…そんな、まさに一期一会と呼ぶにふさわしい出会いだったように思います。 正直なところを言えば、イベントの大きな特徴であったはずの「オープンタウン型」というコンセプトは、残念ながら降り続いた雨によって、そのポテンシャルを最大限に体験するには少し難しい状況だったかもしれません。パンフレットを片手に、歴史ある川越の街並みを散策しながら点在するブースを巡る…という、当初思い描いていた理想的な楽しみ方は、叶わなかった部分も確かにあるでしょう。 しかし、だからといって、このイベントでの体験が無意味だったかと問われれば、答えは断じて「否」です。『湯斬忍者』が教えてくれた、ゲームを通じた地域コミュニティの熱意と新たな交流の可能性。『MeloMisterio』が響かせた、歴史的建造物というリアルな空間とデジタルアートが融合する、不思議なな音響体験。『里山のおと』がそっと気づかせてくれた、日常のすぐそばに潜む小さな冒険と、忘れかけていた優しい視点。そして『PONKOTS』が叩きつけてきた、協力プレイというものの原初的な熱狂と、笑いの絶えない最高のカオス。 これら一つ一つの強烈なゲーム体験は、たとえ悪天候という逆風の中であっても、いや、むしろそんな状況だったからこそ、より一層その輝きを増し、私の記憶に深く、そして鮮やかに刻まれたのかもしれません。それぞれのブースで、雨にも負けず、自らの「好き」と「作りたいもの」を形にし、訪れる私たちと情熱的に繋がろうとしていた開発者の方々の真摯な姿も、間違いなくその輝きを後押ししていました。結局のところ、どんな状況であろうとも、面白いゲーム、心を動かすゲームというのは、その本質的な魅力を決して失わないものなのだな、と改めて実感した次第です。 今回の川越
雨にも負けず!ゲームの街になった川越~ぶらり川越 GAME DIGGレポート【前編】
こんにちは、モブです。SKOOTAGAMESのネゴラブチームで、日々キーボードを叩いたり、たまにコーヒーを淹れたりしている者です。 先日、埼玉県の川越市で第一回目が開催されたオフラインゲームイベント、ぶらり川越 GAME DIGGに参加してきました。 ちなみにこのイベント、ちょっとユニークなんです。特定の会場をドーンと構えるのではなく「オープンタウン型」として、歴史ある川越の街全体を舞台にする、という試みが目立っていました。事前にこの話を聞いた時は、街の中でゲームと出会うってどんな体験になるだろう?と個人的な疑問と興味を抱きつつありました。 ただ、当日はあいにくのお天気…。イベント開催中、一日を通してしっかり雨が降り続くという、オープンタウン型イベントにとっては、少し厳しいコンディションでありました。それでも傘を片手に、雨にも負けず元気に展示されていたブースを巡ってみると、やはり面白いゲームとの出会いはちゃんとありました。 むしろ、こういう天気だったからこそ、かえって強く印象に残ったというか、記憶に残る出会いになれた気がします。そこで今回のレポートでは、この雨の川越 GAME DIGGで、私モブが特に「おっ」と感じ入った4つのインディーゲームを中心に、当日の様子と合わせてお届けします。 湯斬忍者:一杯のうどんに込めた地域愛と、湯切りされた固定観念 雨の川越 GAME DIGGで最初に足を止めたのが、この『湯斬忍者』のブースでした。まずはキャッチコピーをご紹介します。「香川のうどんがお客様に届くまでの、バックヤードの死闘をノンフィクションでゲーム化しました(嘘)」…この一文だけで、なんだか面白いことが起こりそうな予感が湧いてきますよね。 ゲームの内容でいうと、プレイヤーがうどんを作る忍者となり、迫りくる敵(うどん作りの秘密を狙う刺客らしいです)を倒しつつ、カウンターの向こうで待つお客さんに出来立てのうどんを提供する、というシンプルなアクション。操作も直感的で、矢印キーで移動しながらうどんの「湯切り」を行うのが基本。移動しながらシャッシャッと湯切りして敵を倒し、お客さんの前ではZキーでうどんを提供していくわけです。 ただ、このゲームで心に刻むべきは、あくまで「お客さんへのサービス」が最終目的という点。攻撃手段の「湯切り」にも肝心の「うどん」が必要不可欠で、手持ちがなければ戦闘も提供もままなりません。なので、単に敵をバシバシ倒す爽快感だけでなく、うどんというリソースを管理しつつ「お客さんへのサービス」をどう全うするかへのバランス感覚が問われるのです。このユニークな切り口には「なるほど」と感心させられました。 実際にプレイしてみると、シンプルな操作性と軽快なアクションで、誰でもすぐに楽しめる、いわゆるミニゲームらしい魅力がしっかり詰まっています。キャラクターのコミカルな動きや、うどんというテーマ自体が持つネタっぽい面白さも素晴らしい。まさに「小さくて、しっかり面白い」という評価に相応しいミニゲームでした。 実はこのゲーム、Unityroomで2018年から公開されているため、「なぜ今更?」という声もあるかもしれません。ですが、この「誰でも気軽にすぐ遊べる」というとっつきやすさこそが、今回のイベントの文脈で非常に重要。というのも、このゲームがここに出展した背景にその理由があります。 ブースで制作者の方に直接お話を伺いしたところ、この『湯斬忍者』、なんと香川県のゲームクリエイターたちが集うコミュニティから生まれた作品だそうです。単なるゲームジャムの成果物というだけでなく、そこには「香川」という地域性や、そこに根差すクリエイターたちの想いが込められている。うどんがテーマだった理由もそこで納得できました。 実際、このゲームは香川県で開催されている地域密着型ゲームイベント「SANUKI X GAME」にも出展経験があり、今回はその主催側でもある「讃岐GameN」さんが出展されていたということ。本作を入口にして少しでも香川県のことや、地域のクリエイターたちの活動に興味を持ってもらえたら、とのお話もお聞きできました。「これを機に香川に遊びに来てくれたら最高ですね!」…そんな熱い想いを語られた制作者さんに、思わず頷いてしまいました。 この制作者さんの想いを聞けただけでも、「川越まで来て本当によかった」と、心から思えたほどです。 振り返ってみると、最近いくつかのゲームイベントに参加する中で、自分のゲームを見る視点が、どうしてもゲーマー寄りに偏ってしまっていたように感じます。でも、本作とその背景にあるストーリーに触れて、自分の中にあった「インディーゲームとはこうあるべき」みたいな小難しい理屈や固定観念が、出来立てのうどんのようにスッキリと「湯切り」された気分になりました。「こういうアプローチこそが、インディーらしい一面なのかもしれない」と。そんな、忘れかけていた大切な視点を思い出させてくれた作品でした。 そして何より、ゲームの話から香川への愛まで、本当に楽しそうに、そして熱心に語ってくださった制作者さんの姿が、とても印象的でした。『湯斬忍者』の根底にある「お客さんに最高のうどん(=ゲーム体験)を届けたい」というサービス精神の源流を、垣間見たような気もします。「自分もブースに立つときは、これくらいの熱量と誠意を持たないとだな」なんて、帰り道にちょっとした宿題をもらったような、そんな気持ちで次のブースへと足を運びました。 MeloMisterio -play your melody-:静かに響く旋律と誰でもできる即興演奏 『湯斬忍者』のブースで香川への想いを馳せた後、次に向かったのは『MeloMisterio -play your melody-』。こちらはジャンプとダッシュというシンプルな操作だけで、なんと即興演奏(!)ができてしまうという、新感覚の3Dプラットフォームゲームでした。この紹介文だけでも、ゲームのユニークさが十分に伝わるでしょう。 ただ、操作には面白い工夫が凝らされています。ジャンプとダッシュが各々「二つのボタン」に割り当てられており、ボタンを押すたびに特定の音(綺麗なシロフォンのような)が鳴る仕組み。ボタン毎に音の高低差が設定されていて、プレイヤーは移動アクションを行うたびに、自分だけのメロディーを即興で奏でることができるのです。 もちろん、この音の高低差は単なる雰囲気作りだけではありません。ゲームのコアである3Dプラットフォームパズルとも密接に繋がっているのです。目の前の障害物を越えるために、音の高さに応じて位置が変わるブロックを操作することも可能。一度システムを理解すれば直感的に応用できるので、これを活かしたパズル性はなかなか歯ごたえ十分。ゲームコンセプトの斬新さだけでなく、プラットフォームパズルとしての面白さも両立させています、と。まずはそう評価できるゲームでした。 実際にプレイしてみると、正直なところ、難易度は思ったよりもわりと高めだったかなと。この音階ギミックに慣れる必要もありますし、単純に足場から落ちないように気を遣う3Dプラットフォーマー特有のシビアさもあって、最初は少し戸惑ったのも事実です。それでも、自分がなにかのアクションを取るたびに音楽が生まれ、それがゲーム攻略に直結しているというインタラクティブ性が「もう一回だけ!」という挑戦意欲を自然と掻き立てていました。画面もキラキラしたデジタル空間といった趣でしたが、目が痛くなるくらいの過度な派手さではなく、心地よいバランスが保たれていたので好印象。 しかし、本作を語る上で外せないのが、「コエトコ(旧川越織物市場)」という歴史ある建物の中に展示されていたこと。 この趣深い場所でプレイできたのは川越 GAME DIGGならではの贅沢であり、特別な体験でもありました。雨音と建物の静けさの中、プレイヤーのアクションに応じて響き渡る透明な綺麗な音。しかもプレイヤー毎にメロディーが違うので、横で聞いていると何らかの「エモさ」を覚えるほどでした。会場で常に新しい生演奏が流れるのは実にクレバーで、飽きずにずっと聞いていられる点は大きいメリットでしたね。 実に、「主催者は意図的にここに配置したのでは?」と感じるほどかと。 単純な感想ですが、ゲーム自体の面白さもさることながら、私のように楽器経験が皆無(カスタネットができるくらい)の人間が「即興演奏」できるなんて、想像もできない貴重な体験でした。音楽大学出身という制作者さんが、「好きな即興演奏の楽しさを、誰もがゲームで体験できるようにしたかった」と語る純粋な想いにはリスペクトしか感じられませんでした。普段このジャンルはあまり遊ばない印象ですが、リリースされたら自分だけのメロディーを奏でてみたい…そう感じさせた一作でした。 まだ:川越で出会ったゲームと、これからのこと というわけで、雨の中の川越 GAME DIGGレポート、前編として『湯斬忍者』と『MeloMisterio -play your melody-』の二作品をご紹介しました。 正直なところ、一日中降り続いた雨は、「オープンタウン型」というユニークな試みを存分に味わう上では、やはり少し厳しい条件だったかもしれません。しかし、だからこそ、屋根の下や特定の会場で出会った一つ一つのゲーム体験が当時の風景と一緒に、より深く、そして鮮明に記憶に残れたと思います。 『湯斬忍者』では、開発者の方との温かい対話を通じて、うどん一杯に込められた地域コミュニティの熱意や、ゲームが持つ繋がりの可能性に触れることができました。そして『MeloMisterio』では、文化財「コエトコ」という特別な空間と雨音が奇跡的にシンクロし、他では決して味わえないであろう、深く心に響く即興演奏の「エモさ」を体験することができたのです。