こんにちは、SKOOTAGAMESのネゴラブチームに所属しております、モブです。 さて今回も、8月3日(日)に東京・浜松町で開催された「東京ゲームダンジョン9」へ、足を運んでまいりました。3~4か月という短いスパンで開催されるこのイベントは、もはや私にとっても馴染み深いものとなりつつあり、会場の扉をくぐると、どこか「帰ってきた」ような感覚さえ覚えてしまうほど。夏の盛り、外の暑さに負けないほどの熱気をそこで感じてきました。 同じくゲームを作る一人の人間として、こうしたイベントに参加するたびに、いつも一つの問いが頭に浮かびます。「一体、何がこれほど多くの作り手を、この場所へと駆り立てるのだろうか」と。そこで今回は、その問いの先に続く、もう少しだけ踏み込んだ質問を、各開発者の方々に投げかけてみることにしたのです。 一つは、「今回、東京ゲームダンジョンに参加された理由は?」。 そしてもう一つは、「ご自身が考える“良いゲーム”とは何ですか?」という、少し踏み込んだ質問です。 興味深いことに、いただいたお答えは、奇しくも彼らが展示しているゲームそのものに、深く結びついているように感じられました。まるで、一つ一つのゲームが、作り手自身が導き出した「良いゲームとは何か?」という問いに対する、それぞれの“答え”であるかのように。 今回のレポートでは、そんな熱気に満たた空間で私が出会った、四つの個性的な“問い”と“答え”の記録を、お届けしたいと思います。 レイチェルの思い出:キーワードで紡ぐ、記憶と時間のミステリー 今回の東京ゲームダンジョン9で、私が最初に足を運んだのは、以前から何度もブースを通りかかり、ずっと気になっていた作品、『レイチェルの思い出』でした。イベントに出展する開発者の方々の声を聞く、という今回のレポートの趣旨にも、まさにぴったりのタイトルだと思ったのです。 本作は、タイトルにもなっている少女「レイチェル」が、主人公「鹿島かをり」の目の前で命を落とすという、多少ショッキングなシーンから幕を開けます。(血の表現が苦手な方は、少し注意が必要かもしれません。)偶然手に入れたタイムマシンでレイチェルが死ぬ前の時間に戻った鹿島を通して、プレイヤーは二人の関係、そして事件の真相を、記憶の断片を辿りながら解き明かしていくことになります。 このゲームで特に印象的だったのは、そのゲームシステムでした。プレイヤーは過去の出来事を追体験する中で、物語の鍵となる「キーワード」を自ら抽出します。そして、そのキーワードが、次の展開へ進むための「正解」となっていく。何より驚かされたのは、この一連の流れが、プレイヤーにストレスを感じさせることなく、非常に自然な形でデザインされたという点です。物語の謎を解けたいという純粋な好奇心が、キーワードを探すというゲームプレイのモチベーションへと直結し、気づけばぐっと物語の世界に引き込まれている。そんな絶妙なバランス感覚に、私は感心させられました。 短い試遊時間ではありましたが、物語の導入部が持つインパクトと、ノベルゲームとしての完成度の高さは、特筆すべきものがあったように思います。そして、誰でもすっと世界に入ってこれる本作の親切な設計は、まさしく開発者の方が考える「良いゲーム」の定義そのものにありました。 開発者への二つの質問 さて、今回私は各ブースで、開発者の方に二つの同じ質問をさせていただきました。『レイチェルの思い出』の開発者の方は、次のように答えてくださいました。 ――今回、東京ゲームダンジョンに参加された理由は? 誰でもプレイしやすい環境ですし、開発者にとってもユーザーにとっても、とても親切なイベントだと思います。机も大きくて使いやすいですし。また、短いスパンで開催されるので、開発の進捗を出す上でのモチベーションにもなっています。 ――ご自身が考える「良いゲーム」とは? 誰でも簡単に入れて、プレイができるゲームです。個人的に、複雑なルールや操作性のゲームは苦手だと感じてしまうので…。だからこそ、このゲームでも、誰もがすっと世界に入ってきて、自然にルールを理解して遊べるようなゲーム性を目指しました。 _turing:AIとの対話が生む、心地よい“時間” 次に足を運んだのは、ブースで配布されていた一枚のステッカーがきっかけだったノベルゲーム『_turing』でした。メインキャラクター「アイリス」ちゃんの横顔が描かれた、美しいピクセルアートのステッカー。ちょうど開催日が重なり、視察を断念した「Pixel Art Park 8」への心残りを、少しだけ癒してくれるような出会いでしたね。 『_turing』は、AIとのチャットを通じて物語を進めていく、インタラクティブ・ノベルゲームです。PCゲームとしては珍しい縦長のディスプレイもさることながら、やはり目を引いたのはその独特の雰囲気でした。色数を抑えたように見えるゲーム画面、静かにかつ少し動いたりするアイリスの様子。その全てが、プレイヤーを急かすことなく、ただそこにいることを許してくれるような、不思議な心地よさを生み出してくれていました。「ただ、この子と雑談をしているだけでも、きっと楽しいだろうな」と、プレイしながらもそんなことを考えてしまうほどです。 もちろん、ゲームとしての作り込みも丁寧だと思います。AIを活用したゲームらしく、プレイヤーの入力によって多くの物語の分岐が用意されているとのこと。試遊中、名前を尋ねられて答えると、その名前がきちんとUIに反映されるといった細やかな配慮にも、開発者の方の誠実な姿勢が感じられました。 本作は現在Steamで配信中とのことですが、個人的には、いつかストーリーの攻略とはまた別に、ただアイリスちゃんとのんびり会話を楽しむだけのモードが追加されたら嬉しいな、なんてことを夢想しているひと時でした。 開発者への二つの質問 『_turing』の開発者の方は、私の二つの質問に、次のように答えてくださいました。 ――今回、東京ゲームダンジョンに参加された理由は? ユーザーの方に直接会って、こうやって話ながらその体験や感想に触れることができるイベントだからです。 ――ご自身が考える「良いゲーム」とは? ユーザーが、自らの手で物語を書き換えていくような体験ができることだと思います。『_turing』もその思いを込めて作った作品です。 ∀stround:イベントと共に“成長”する、無重力シューティング 『∀stround』は、私にとって旧知の仲、とでも言うべき作品です。というのも、過去の東京ゲームダンジョンで、既に何度かその姿を見かけていたからです。無重力空間を回転しながら敵を撃ち落とす、というコンセプトのカジュアルなシューティングゲーム。数ヶ月前に一度プレイしたことがありました。 正直に言うと、その時の私の感想は「惜しい」そのものでした。グラフィックもゲームのコンセプトも素晴らしい。しかし、キャラクターの移動とエイムを別々に操作する独特のシステムに、なかなか慣れることができなかったのです。ゲームの面白さを理解する前に、次々と現れる敵に襲われ、悔しい思いでブースを後にした記憶があります。 しかし、今回改めてプレイした『∀stround』は、あの頃とは全く違う手触りでした。エイムを補助してくれる機能や、体力を回復できるアイテムがたくさん追加されたことなど、プレイヤーを配慮してくれる要素が随所に足され、以前感じたとんでもない難しさが、見事に「歯ごたえのある面白さ」へと昇華されていたのです。プレイ後に残る後味の良さが、以前とは全く違うものでした。 これはきっと、開発者の方が何度もイベントに出展し、多くのプレイヤーの声に耳を傾け、試行錯誤を繰り返してきた努力の賜物なのでしょう。東京ゲームダンジョンに通うたびに思うのは、新しいゲームとの出会いと同じくらい、こうした「再会」が増えていくということです。そして、その再会のたびに、ゲームが少しずつ、しかし確実に成長していく姿を目の当たりにできる。それはまるで、経験を積んでレベルアップしていくRPGのキャラクターを見守るような、不思議な喜びがあります。これこそが、このイベントの持つ大きな意義の一つなのかもしれませんね。 開発者への二つの質問 『∀stround』の開発者の方の答えは、私が感じたゲームの「成長」の理由を、裏付けてくれるものでした。 ――今回、東京ゲームダンジョンに参加された理由は? ユーザーと頻繁に、しかもたくさん会えるイベントだからです。プレイヤーがどんな画面と向き合って、どんな反応をするのかを直接目で見れること、そして実際に感想を聞くことを通して、より良いゲームバランスを見つけ出していくことを目指しています。 ――ご自身が考える「良いゲーム」とは? プレイヤーが常に判断しなきゃいけないゲームです。例えばこのゲームなら、回転という要素の中で、目の前の敵を撃つべきか、それとも敵がいない安全な場所へダッシュして逃げるべきか。そういった判断を、常にプレイヤーにせめることを意識しています。 黒くないカギで開かないドアはない:言葉の“ルール”で世界を書き換える遊び 最後に紹介するのは、Studio ZeFさんが手掛けるパズルプラットフォーマー、『黒くないカギで開かないドアはない』です。以前、別のレポートでZeFさんの『Tournamentris』を紹介したことがありますが、それからまだ5ヶ月も経っていないという事実に、時の流れの速さよりも「もう新作を?」という驚きが先立ちました。こんな短いスパンで、全く異なる、それでいて確かな面白さを持つ作品を生み出し続ける。その創作の速度と熱量には、ただただ圧倒されるばかりです。 さて、本作のルールも非常に独創的です。プレイヤーは、世界の法則を司る文章から「ない」という言葉を抜き取ったり、別の文章に付け加えたりすることで、その空間を支配するルールそのものを書き換え、道を切り拓いていきます。例えば、「カギは重くない」という文章から「ない」を抜き取れば、「カギは重い」となり、宙に浮いていたカギが地面に落ちてくる、といった具合です。 一見すると、ルールと文字だけで構成された無機質な世界のようですが、その実、このゲームは驚くほど「遊び心」に満ちています。抜き取った「ない」を別の場所に付けてみたり、文章の長さを利用したトリックが隠されていたり…。その仕掛けの数々に触れるたび、私はこの無機質な世界の中に、確かな人間的な“体温”のようなものを感じていました。 試遊後、開発者のZeFさんと少しお話しする機会があったのですが、私が「どうしてこんなに速いスピードでゲームを次々と作れるのですか?」と尋ると、ZeFさんは笑いながら「ゲームを完成させないからです」と答えてくれました。…では目の前にあるこのゲームは、一体何なのでしょうか。そんな哲学的な問いはさておき、その言葉の裏にある、ZeFさんの創作に対する姿勢が垣間見えたような気がしました。 開発者への二つの質問
境を越えるインディーの“熱”―BitSummit the 13th 合同レポート【ハナ編】
初めまして。SKOOTA編集部のイ・ハナと申します。いやはや、今年の京都の夏は本当に暑かったですね。後輩のモブが素晴らしいレポートを届けてくれた【前編】に続き、この【後編】は、わたくしイ・ハナが担当させていただく運びとなりました。 モブくんが海外のインディーゲームに注目した一方で、私はやはり、自身のルーツである「韓国のインディーゲーム」のブースに、自然と足が向かっておりました。特に今回は、韓国コンテンツ振興院である「KOCCA」が大規模なブースを構え、多くの韓国インディーゲームが日本のゲーマーの方々に紹介されていたのです。 かつて韓国のイベントで出会った作品が、こうして日本の大きな舞台で注目を浴びている光景は、個人的にも胸が熱くなるもでした。さて、そんな思い入れも交えつつ、私がBitSummitで出会った、個性が際立つ二つの「韓国インディーゲーム」について、ご紹介していきたいと思います。 破滅のオタク:ローカライズの難しさにも負けないゲームの魅力 まずご紹介いたしますのは、チーム「キウィサウルス」さんが手掛けるアドベンチャービジュアルノベル、『破滅のオタク』です。実はこちらのゲーム、以前私が韓国のイベントレポートで取り上げたこともあるのですが、今回KOCCAブースの一員として日本に初上陸し、ブースは常にたくさんの方で賑わっていて、一人のファンとして大変嬉しく思っておりました。 ご存じない方のために改めてご説明しますと、このゲーム、「ネットゲームのオタクである主人公が、限定グッズの共同購入で集めた500万ウォンを使い込んでしまう」というとんでもない導入から始まる、破滅的な物語です。そのストーリーもさることながら、本作の真の魅力は、その「ゾッとするほどのリアリズム」にあると私は考えております。オタク特有の言い回し、コミュニティの空気感、自虐的な思考回路…。知っている方ほどニヤリとし、そして同時に「これは自分のことなのでは…?」と胸が痛くなるような、絶妙なラインを突いてくるのです。 今回、日本の会場で改めて本作に触れてみて「日本語でもプレイできる」ということに驚きと嬉しさを覚えた私でしたが、一点だけ、少しながら懸念が頭をよぎりました。それは、「このゲームの本当の面白さ、日本の皆様にどこまで伝わっているのだろうか?」ということです。このゲームの面白さは、韓国のネットミームやオタク文化への深い理解があってこそ、その真価が120%発揮されるといっても過言ではございません。もちろん、日本語へのローカライズも丁寧に行われておりましたが、文化の壁を超えなければ伝わらない、言葉の裏にある微妙なニュアンスはどうしても伝えにくいところだと感じました。 『破滅のオタク』というタイトルは、主人公の「ジンダ」を指す言葉ですが、もしかしたら、このゲームのディープなネタを一つ一つ理解し、「面白い!」と感じてしまう私たちプレイヤー自身もまた、一般の方から見れば「破滅」への道を歩んでいるのかもしれないと思いつつ…。そんな、自虐的で少し背筋の寒くなるような共感が、このゲームの本当の恐ろしさであり、魅力なのだと思うのです。 これからもローカライズの道は、きっと茨の道でしょう。それでも、この唯一無二のアートスタイル、破滅的なのにどこか愛おしさを感じてしまうストーリーと世界観、そして誰よりもオタクを理解している開発者の皆様の情熱が、日本を、そして全世界を魅了する日が来ることを、私は心から願っております。 Dimension Ascent:“ユーズマップ世代”が切り拓く、新たな次元への挑戦 続いてご紹介するのも、同じくKOCCAブースで出会った、2Dと3Dが融合したプラットフォーマーアドベンチャー『Dimension Ascent』です。視点を切り替えて次元を行き来する、というパズルアクションで、以前モブが紹介していた『LOVE ETERNAL』と通じる部分もあるかもしれませんね。 ゲームとしては、非常にバランス感覚に優れた優等生、という印象でした。ただ見ているだけでは進めない道を、視点を切り替えることで突破していく。この「ひらめき」の感覚がとても気持ちよく、難易度も「うーん…」と悩む時間と「これだ!」と試してみる時間のバランスが絶妙で、ストレスなく楽しむことができました。ストーリーが少し掴みづらいかも、という点はありましたが、それを補って余りある面白さが、このゲームにはあったと思っております。 しかし、私がこのゲームを取り上げたいと思った最大の理由は、ゲーム性そのものよりも、開発者の方のプロフィールにありました。ブースでお聞きした、「スタークラフトのユーズマップ制作者出身」という、短い一文。この記事を読んでいる日本の皆様に、この一文が持つ「意味」が、果たしてどれだけ伝わるでしょうか? 少しだけ、韓国のゲーム文化のお話をさせてください。90年代後半から2000年代にかけて、『スタークラフトStarCraft』は韓国で社会現象と呼ばれるほどの絶大な人気を誇りました。そして、その人気を支えた大きな要因の一つが、「ユーズマップ(Use Map Settings)」の存在です。これは、ユーザーがゲーム内の機能を使って、全く新しいルールのオリジナルマップを自由に作り、共有できるという、当時としてはかなり斬新な遊びの一環でした。つまり、ユーズマップ制作者とは、「ゲームの中で、新たなゲーム性を見出し、遊びを提供する人」「ユーザーを楽しませるためにコンテンツを生み出す、ユーザーの中の開発者」のような、特別な存在だったのです。 そんな、いわば「遊びの天才」が、今、インディーゲームという新たなフィールドで、ゼロからご自身の作品を創り上げている。この事実だけで、とてもワクワクしませんか? 既存のゲームの枠組みの中で新しい遊び方を発見してきたそのご経験が、「視点を変えることで新しい道を発見する」という『Dimension Ascent』のコンセプトに、見事に昇華されているように私には感じられました。 ゼロから始まったこの挑戦が、BitSummitという世界への扉をこじ開け、より多くのプレイヤーを魅了していく。そんな未来を、心から応援したくなりました。そんな開発者の方の「物語」ごと、ユーザーとして楽しめるな作品でございました。 国境を越えて、ゲームは“熱”を伝える さて、わたくしイ・ハナがBitSummitで出会った、二つの個性的な韓国作品をご紹介してまいりました。ローカライズの壁という大きな課題がありながらも、その奥にある「オタク」というカルチャーへの深い共感が魅力の『破滅のオタク』。そして、開発者の方のユニークな経歴が、ゲームシステムそのものに物語性を与えている『Dimension Ascent』。どちらの作品も、ただ「面白い」というだけでは語り尽くせない魅力に満ちていました。 今回のBitSummitは「国際性」そのものを肌で感じられる、素晴らしいイベントでした。モブが紹介してくれた海外のゲームも、私がご紹介した韓国のゲームも、作られた場所も言葉も、そして文化も異なります。ですが、その根底にある「面白いものを作りたい」という作り手の純粋な熱意と、「これはわかる」というプレイヤーの共感は、驚くほど似ているように感じました。 結局のところ、インディーゲームの面白さとは、完成された製品としてのクオリティだけではなく、そのゲームが「なぜ」「どのように」生まれたのかという物語や、作り手の「こだわり」や「情熱」に触れることにあるのかもしれません。BitSummitという場所は、そんなゲームが持つ「言葉を超えた力」を改めて実感させてくれる、最高の空間でした。 この熱気を胸に、私たちSKOOTAGAMESも、自分たちのゲームで誰かの心を動かせるよう、また明日から頑張っていこうと思います。最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました! 今回のBitSummit、締めの一言 最後に、今回のイベントにおける感想を一言で表すと…
再び訪れたインディーの“熱”―BitSummit the 13th 合同レポート【モブ編】
こんにちは、SKOOTAGAMESのネゴラブチームに所属しています、モブです。 途轍もなく熱い夏の盛り、皆さんどのように過ごし方をしているのでしょうか。私はなんと先週、古都・京都でむせ返るような熱気に包まれていました。7月18日~20日まで開催された日本最大級のインディーゲームの祭典**「BitSummit the 13th」**。今回、我々SKOOTAGAMESは開発中の新作『ももっとクラッシュ』を展示するため、「出展者」としてこの祭りに行ってきたのです。 東京のイベントとはまた違う、独特の雰囲気の現場。会場のあちこちから、これまで耳にしたことのない多様な言語が飛び交ってくる光景は、インディーゲームという世界が、自分が思っている以上に広大であることを肌で感じさせてくれましたね。 さて、今回のレポートはいつもと趣向を変え、同じ編集部の先輩であるイ・ハナさんと共に、それぞれの視点からBitSummitを語る「合同レポート」という形式でお届けしようと思います。この【前編】では、まず私モブが、数ある出展作の中でも特に心に残り、多くの思索の種をくれた二つの「海外のインディーゲーム」について、筆を執らせていただきます。 LOVE ETERNAL:シンプルさに宿る、アートの“こだわり” 今回のBitSummitで、私が最初に足を止めたのはこの強烈なキービジュを誇る作品、『LOVE ETERNAL』でした。ジャンルとしては2Dプラットフォーマー。10~20分間の体験版で語られる物語は、家族と食卓を囲んでいたはずの主人公が、気づけば見知らぬ異世界に迷い込んでいる…という、非常に短い導入から始まります。正直、精々20分プレイしたくらいでこのゲームのすべてを語るのは難しいと思うので、今回は全体的なレビューというよりも印象に残った強烈なポイントについて軽く触れてみることとさせてください。 まず、ゲームシステムは極めてシンプル。ボタン一つで「重力」を反転させ、主人公は床と天井を自在に行き来できます。ただそれだけ。しかし、そのシンプルなルールとはあまりにも対照的に、背景のアートは、もはや「執拗」とすら覚えるほど、恐ろしく細密に描き込まれていたのです。一般的な16:9の比率ではない、どこか窮屈な5:4の画面の中に、緻密なドット絵で描かれた異世界の風景がぎっしりと詰め込まれている。その圧倒的な情報量が、プレイヤーに言いようのない没入感と同時に、息苦しささえ感じさせてしまうほどでした。 プレイしながら、ずっと考えていたことが一つ。「なぜ、ここまでやる必要があるのだろう?」。シンプルなアクションゲームであるならば、背景はもっと力を抜いても成立するはず。しかし、このゲームがそうしなかったことに対して、私は、開発者の確固たる「信念」が宿っているのではないかと思ったわけです。「このゲームは、シンプルなアクションだからこそ、この狂気ともいえるアートがむしろ映えるのだ」という、静かな、しかし何よりも雄弁な主張。それは一種の「こだわり」であり、あるいは「業」と呼ぶべきものなのかもしれません。 このゲームが、今回のBitSummitで栄えあるスポンサー賞を受賞したと聞いた時、私は「そりゃそうだろう」と納得しました。数多あるプラットフォーマーゲームの中で、本作が特別な輝きを放っていたのは、このアンバランスさの中に宿る、言葉では説明し難い説得力とオーラがあったからでしょう。ゲームがシンプルだから、その分のリソースをアートに全振りする。なんとインディーゲームらしい、潔い思想でしょうか。 「この部分だけには、誰にも負けないくらいこだわっていました」ともいえるゲーム内の要素に、いつか私も、自分が手掛けるゲームに対して、そんな風に胸を張って言える日が来ると良いですね。そんな少しばかりの羨望と、宿題を心に残して場を去ったBitSummitの一日でした。 コミュ障キリンの一週間:優しい世界で生きる、密かな“共感” 次にご紹介するのは、タイトルからしてどこか他人事とは思えない、ポイント&クリック形式のアドベンチャーゲーム『コミュ障キリンの一週間』です。その名の通り、コミュニケーションが苦手なキリンが、様々な人々と関わりながらなんとか一週間を生き抜く、という物語でした。 ゲーム全体は驚くほどの「優しい」雰囲気に包まれていました。柔らかい色使いのイラスト、穏やかなBGM、可愛らしいキャラクターデザイン。その全てが、プレイヤーを刺激することなく、ただただ穏やかな時間を提供してくれます。しかし、その見た目とは裏腹に、ゲームの難易度はだいぶハードル高かったのです。何度も試行錯誤を繰り返し、与えられた情報やアイテムの使う順番を考え抜かなければ、キリンくんはすぐに途方に暮れてしまう。これは、コミュニケーションが苦手な人間にとって、この世界がいかに困難に満ちているかを、ゲームデザインそのもので表現しているのかもしれませんね。 私がこのゲームで最も心を動かされたのは、そのテーマの「普遍性」でした。本作の開発者はLA(ロサンゼルス)在住の方だそうです。正直なところ、私は「エレベーターで初めて会った人とも気軽にスモールトークを始めるのがアメリカ人」という、極めてステレオタイプなイメージを抱いている人間でして。しかしながらそんなアメリカを舞台にしたゲームの中で、私自身が日常で感じる「もどかしさ」や「気まずさ」が描かれていたのは驚くべきポイントでしたね。人付き合いの難しさというのは、国や文化を超えて誰もが抱える、共通の悩みなのかもしれない、と。そんな当たり前の事実に、このゲームを通して改めて気づかされました私でしたが、開発者ご本人は驚くほどコミュニケーション能力の高い、快活な方だったので「で、どっち?!」と混乱を抱いた次第です。 そして、このゲームはもう一つ、私に別の感情を呼び覚ましました。それは、遠い昔の記憶、いわゆる「インディゲーム」という言葉すらなかった時代に生きていた「FLASHゲーム」の空気感です。シンプルな操作性、子供向けのような優しいグラフィック。かつて、インターネットの片隅で、誰が作ったかも知らない無料のゲームに夢中になっていたあの頃の感覚が、鮮やかに蘇ってきたのです。 当時は、宇宙人に攫われた人間が脱出したり、悪の組織と戦ったりするような、非日常的な物語をゲームを通して体験していました。しかし今、私はインディーゲームという形で、コミュニケーションに悩むキリンの日常に、深く共感している。時代が変わると、ゲームが描く物語も変わってしまうのですね。この『コミュ障キリンの一週間』は、そんな時代の変化と、それでも変わらない人間の普遍的な悩みを、優しく、そして少しだけコミカルに教えてくれる、素晴らしい作品でした。 熱狂のあと、心に残った“問い”と“共感” さて、私モブがBitSummitの熱気の中で出会った、二つの個性的な海外作品について語ってまいりました。『LOVE ETERNAL』が開発者の揺るぎない「こだわり」を見せつけてくれた一方で、『コミュ障キリンの一週間』は、コミュニケーションの難しさという「普遍的な共感」を思い出させてくれました。 一見、全く異なるタイプの二つのゲーム。しかし、その根底には通じるものがあったように思います。それは、作り手の個人的な哲学や体験が、国境や文化という壁を軽々と飛び越えて、遠い日本の、一人のプレイヤーである私の心を確かに揺さぶったという事実です。BitSummitという国際的なイベントの熱気は、単に多様な言語が飛び交う賑やかさだけではなく、こうした「ゲームを通じた魂の共鳴」のようなものを、より強く感じさせてくれたのかもしれません。 これらのゲーム体験は、私に多くの刺激と、同時にいくつかの問いを投げかけてきました。自分の「こだわり」とは何だろうか。自分が本当に伝えたい「共感」とは何だろうか。そんな、ゲーム業界の人間としての根源的な問いに、改めて向き合うきっかけをもらった気がします。 そして、この熱狂の祭典では、もちろん日本のゲームも、そして我々と同じアジアからやってきた韓国のゲームたちも、負けず劣らずの輝きを放っていました。 続く【後編】では、先輩のハナさんが、韓国出身ならではの視点で切り取った「韓国インディーゲーム」の世界をお届けします。私はそろそろ定時で上がりますので、あとはお任せします。では、お楽しみに。