ただ面白いだけじゃない―ゲムダン8で心が“動いた”瞬間とその理由【後編】

さて、大変お待たせいたしました。「休日出勤のTGD8で見つけたのは―日常の“裂け目”を覗く三つのゲーム【前編】」に引き続きまして、ここからは【後編】をお届けします。相変わらずキーボードの傍らには、すっかりお馴染みとなった冷めかけのコーヒー、SKOOTAGAMESのネゴラブチーム所属、モブです。 【前編】では、日常に潜む“裂け目”から、ちょっぴり背筋が凍るような、あるいは好奇心を強く刺激されるような三つの作品をご紹介しました。どれもが短い試遊時間ながら、確かなインパクトと、心にズシリと残る問いを残してくれましたね。 この【後編】で焦点を当てるのは、単に「面白い」という一言では片付けられない、プレイ後にふと、自分の心を見つめ直してしまうような、そんな瞬間を与えてくれたゲームタイトルたちです。例えば、ドット絵で描かれた終末世界の物語。あるいは、深夜の食堂で“人ならざる者”と交わす会話。そして、思わず再開したあるゲームまで… これらの体験がなぜこれほど私の心を捉え、そして「ただ面白いだけじゃない」と感じさせたのか、その理由を少しばかり紐解いていきたいと思います。 いずれの作品も、あのゴールデンウィークの喧騒の中で、出展者として、そして一人のゲーム好きとして私が感じた、忘れがたい“心の動き”を残してくれたものばかりです。それでは早速、【後編】最初の作品から、その「理由」を探っていきましょう。 人のいない世界に:静寂の世界で拾い集める、1時間の「密度」に込められた詩 【後編】のトップバッターを飾るのは、今回の東京ゲームダンジョン8で、私が思わず「これは…!」と息を呑んだ一作、『人のいない世界に』です。個人で開発されているというこのゲーム、試遊時間はわずか5分ほど。しかし、その短い時間の中で体験した世界の断片は、間違いなく「ただ面白いだけじゃない」何かを私に突きつけてきました。 本作は、どこか物悲しさを漂わせるドット絵で描かれた、終末後の世界を舞台にしたアドベンチャーゲームです。試遊で操作したのは、頭部が古いコンピューターのようになっている、人型のキャラクター。彼女(彼?)は、自分と同じような姿をしたコンピューターから失われた記憶のデータを回収し、かつて人間と共に過ごした日々の断片を追体験していきます。デモ版では、一つの記憶を回収するところで「今回はここまで」と、物語のほんの序章が示されるのみでした。 しかし、このゲームが私の心を強く捉えたのは、その圧倒的なまでの「プレイの密度」です。キャラクターの繊細な動き、画面遷移の丁寧さ、UIの配置や操作感に至るまで、ゲームを構成する最小単位の一つ一つが、驚くほど誠実に、そして堅牢に作り込まれているという印象を受けました。大げさではなく、「既に完成された製品版の、冒頭5分間だけを特別に遊ばせてもらった」と言われても納得してしまうほど。試遊後、私は開発者の方に思わず「(失礼ながら)プロの方ですよね…?」と尋ねてしまったのですが、これが1人で開発されていると聞いて、二度驚いたことを覚えています。 そして、さらに私を驚かせたのは、このゲームの「総プレイ時間は約1時間を想定している」というお言葉。Steamでのリリースを目指すインディーゲームが、1時間というプレイタイムをゴールにしている。この事実は、ともすれば「ボリューム不足」と捉えられかねないかもしれないと思いつつ、あの濃密な5分間を体験した後では、その言葉はむしろ、この1時間にどれだけの情景と感情を押し詰めるのだろうか、という期待感を抱かせるものでした。 昨今、多くのインディーゲームがプレイ時間の長さを一つのアピールポイントにすることも少なくない中で、本作のように「時間あたりの体験の密度」で勝負しようという姿勢は、非常に潔く、そして何よりも作り手の強い意志を感じさせます。それは、ただ長いだけの物語ではなく、一行一行が心に刻まれる詩のような、そんな濃密な1時間をプレイヤーに届けたいという、静かな、しかし確固たる情熱の表れではないでしょうか。この短い出会いの中で、私は確かに、そんな開発者の方の「想い」に触れた気がしました。 仕事終わりにあの店で:深夜のカウンター、人ならざる者と交わす“一杯”の会話 続いてご紹介するのは、からすまぐろさんが手掛けるノベルゲーム『仕事終わりにあの店で』です。タイトル通り、仕事でくたくたになった主人公が、夜更けにふらりと立ち寄ったお気に入りの店で、個性的な「人ならざる」お客たちと出会い、言葉を交わす…そんな一風変わったコミュニケーションが楽しめる作品です。試遊では、5人の攻略対象キャラクターの中から一人を選び、約10分間のひとときを過ごすことができました。 私が選んだのは、ローブを目深にかぶった『オルーニィ』というキャラクター。黒い球体っぽい顔に一つ目、鳥の鉤爪のような手と、なかなかにインパクトの強いお客さんでした。公式曰く「あなたのことを妙に気に掛ける怪しい常連客」とのことですが、まさにその通り。他にも魅力的な人外キャラクターが多く、誰と相席するかを選ぶのは嬉しいながらも大変でしたね。オルーニィは、どこか警戒心の強い主人公(私です)に対しても積極的に話しかけてくるのですが、その親密すぎる態度に、私はついつい「何か裏があるのでは…」と勘繰ってしまい、オルーニィの言葉の真意を探るのに必死になってしまいました。もしかしたら、一番怪しかったのは私の方だったのかもしれませんが(苦笑)。 このゲームを通して、私は「人外」というジャンルに初めて本格的に触れたのですが、そこには確かに独特の魅力があるのだと感じました。それは、私たちが普段キャラクターを見る際に無意識にかけてしまう、性別や年齢といった人間的なフィルターを一旦外して、その存在そのものと向き合える、という点なかと。開発者の方が「人外が好きなんです」と語っていた言葉も印象的で、その純粋な「好き」という気持ちが、このジャンルに馴染みのない私にすら、その面白さの一端を伝え、「もっと知りたい」と思わせてくれたのでしょう。 また、本作はサウンドデザインも非常に丁寧で、深夜のお店の落ち着いた雰囲気を見事に演出していました。特に、ウェイターさんが料理を運んでくる際、相手側と自分側とで、お皿を置く音の聞こえ方が微妙に違っていたのには感心しましたね。細部へのこだわりが、作品世界のリアリティをぐっと高めている良い例だと思います。 この『仕事終わりにあの店で』、実はBoothにてすでに無料公開されているそうです。「どこか不穏だけど魅力的な」人ならざる者たちとの一夜の語らい、興味が湧いた方は、この週末にでも体験してみてはいかがでしょうか。 子どもたちの庭:賽の河原で出くわした“再会”と、インディーゲームの熱 さて、【後編】の最後を飾るのは、私にとって、そしてこの「東京ゲームダンジョン8」というイベントの意義を改めて考えさせてくれた、特別な再会の物語を持つ作品、『子どもたちの庭』です。実はこちらのゲーム、以前私のレポートでも一度ご紹介したことがあるのですが、今回、より多くの魅力を携え、さらにパワーアップして再びこの場所に戻ってきてくれました。試遊時間は約10分。以前の内容に加え、さらに多くのステージと、ゲームの背景を深く知ることができる情報が追加されていましたね。 本作ご興味のある方はぜひそちらも探してみていただきたいのですが、改めてお伝えすると、「賽の河原」という伝承をモチーフに、無邪気な教育玩具の姿を借りて“地獄”そのものを描き出すという、強烈かつアイロニーに満ちた作品です。可愛らしいビジュアルとは裏腹のテーマが、プレイ中ずっと言いようのない“気味の悪さ”として心にまとわりつき、その感覚は今回さらに研ぎ澄まされていたように感じました。 今回、私がこの『子どもたちの庭』を再び筆に取ったのは、単に昔取り上げたゲームに再会できた喜びだけではありません。数ヶ月という時を経て、このゲームが着実に内容を充実させ、間近に迫ったリリースに向けて力強く歩を進めている模様。そして、その背景にあるであろう開発者さんの情熱と努力に触れた時、私の中で何かが強く揺さぶられたのです。インディーゲームの世界では、残念ながら全ての作品が順風満帆に完成へと至るわけではありません。それは、同じく“何か”を生み出そうともがく者として、痛いほど理解できる現実です。 だからこそ、本作のように困難を乗り越え、より魅力的になって帰ってきた作品との再会は、格別の感慨がありました。「開発者に締め切りを売るイベント」と主催者が語る東京ゲームダンジョンが、クリエイターたちの確かな推進力となり、作品を世に出すための素晴らしい循環を生んでいる。その一つの美しい実例を、この『子どもたちの庭』が示してくれたように感じました。これは、単に一つのゲームが完成に近づいたという話ではなく、インディーゲームという世界で日々奮闘する全ての作り手にとっての、小さな、しかし確かな希望の光ではないでしょうか。 もちろん、ゲームそのものの完成度も、以前体験した時からさらに磨きがかかっていました。子供たちの無邪気な声と不協和音が混じり合う独特のサウンドは、本作の持つアイロニーをより深く印象付けます。この、愛らしさと残酷さが同居する世界で、プレイヤーが最終的に何を感じ取るのか。その答えを確かめられる製品版のリリースが、今から本当に待ち遠しい、そんな希望を感じさせてくれる再会でした。 東京ゲームダンジョン8:祭りのあと、心に残った“熱”と“問い” さて、【前編】・【後編】と二度にわたりお届けしてきた「東京ゲームダンジョン8」のレポートも、いよいよ大詰めです。初めての出展参加は、嬉しい悲鳴の連続でしたが、あの会場の熱気と数々の個性的なゲームたちが心に残したものは、やはり特別なものでした。 【前編】でご紹介したゲームたちとはまた異なる形で、【後編】でお届けした『人のいない世界に』、『仕事終わりにあの店で』、そして『子どもたちの庭』は、それぞれが私の心を深く揺さぶり、「ただ面白いだけじゃない」確かな手応えと、多くの思索の手がかりをくれました。作り手の「好き」という純粋なエネルギー、言葉を交わすことの温かさ、そして一つの作品が成長し続ける姿がくれる希望…。そういったものが、今回のゲムダン8で私が受け取った、何よりの“お土産”だったように感じます。 出展者として会場を歩き回り、たくさんの来場者や開発者の方々と短いながらも言葉を交わす中で感じたのは、インディーゲームという世界が持つ、底知れないほどの可能性とそこに集う人々の純粋な熱意でした。この「東京ゲームダンジョン」という場が、そうした熱意をさらに大きなうねりに変え、新たな才能を世に送り出す素晴らしい循環を生んでいることを、今回改めて肌で感じることができました。 たくさんの刺激と、いくつかの個人的な宿題(主にネゴラブの進捗ですが…それはまた別のお話)を胸に、この祭りのような二日間を振り返っています。次にこの熱気に触れる時、私はどんなゲームと出会い、そしてどんな新しい“問い”を心に抱くことになるのでしょうか。 楽しみにしつつ、私はそろそろ定時なので帰ります。それではまた。

「しつこい」は嫌だけど…! 私が宣伝を繰り返してみようと思ったワケ – 二葉のインディーゲーム宣伝奮闘記 #1

こんにちは。SKOOTA編集部の月森二葉です! 実は私、SKOOTA編集部で記事作りにくわえて、4月からSKOOTA GAMESでインディーゲームの宣伝・リリースを担当することになりました! まだ担当になったばかりで、今は右も左も分からない状態なんですが、どうすれば自分たちのゲームを多くの人に知ってもらえるか、インディーゲームについて、日々勉強中です! この記事を読んでいる皆さんは、きっとご自身でもゲームを作られていたり、インディーゲームに詳しかったりする方も多いと思います。私もいちゲーマーとして普段から色々なゲームに触れているんですが、その中でずっと思っていたことがあるんです。 良さげなゲームと出会うの、難しすぎる! そう思いませんか? 情報が溢れる今の時代、「これだ!」と自分の好みにピッタリ合うゲームを見つけるのって、結構大変ですよね……。もちろん、探すこと自体が楽しい、というときもあるんですが。 これは私たちのようなゲームをリリースする側にとっても同じく、いや、もっと大きな課題です。たくさんのゲームや情報の中で、どうすれば自分たちのゲームが埋もれてしまわずに、プレイヤーの皆さんの目に留まるんだろう? これはまさに私たちが日々頭を悩ませている切実な問題ですが、同じように悩んでいる開発者の方も多いんじゃないでしょうか? この疑問をどうにかしよう! と色々調べたとき、まずは「多くの人に見てもらうこと」が大事で、そのためにもゲームの顔となる「ストアページの見せ方」や「紹介トレイラーの作り込み」みたいな、基本的な工夫が大事! と書いてあることが多いんじゃないでしょうか。もちろんこれは、もうホントその通り! ……なんですけど、そういう情報って、既に色々なところにありますし、皆さんもよく意識されてますよね。 一方で、いざ具体的にやってみよう! って思うと、「基本は分かった! でも、じゃあ次に何を、どんな順番で、何に気をつけてやればいいの!?」みたいに、具体的だったり細かいところで迷ったり、情報が足りないなーって感じたりしませんか?(少なくとも初心者の私は、まさにそこで「うーん!」ってなっちゃってます!) そこでこの連載では、「ストアページの見た目を良くしよう!」、「すごいトレイラーを作ろう!」みたいな一つの要素を作り込むお話はちょっと横に置いといて、そういう「いざやるぞ! って時に迷っちゃうポイント」とか、「言われてみれば確かに!」って見落としがちな視点に注目して、私なりに調べて「なるほど!」って思ったことや、多くの人が楽しんでいる作品を生み出した人たちがどう工夫してるのか、みたいな情報を皆さんと共有していきたいと思います! 記念すべき第1回のテーマは、そんな情報発信の根幹に関わるかもしれない「宣伝の『繰り返し』」について。「何度も同じこと言ったらウザいかな……?」みたいに、私が最初に「うーん!」と悩んだこのポイントについて、調べて考えたこと、そしてそれをもとにやってみようと計画していることをお話しします! この記事が、皆さんのゲームを多くの人に届けるためのヒントになったり、「よし、こうしてみよう!」って思うきっかけになったら、すごく嬉しいです! 私も学びながらなので、ぜひ一緒に考えていきましょう! 一回言ったら、もう終わりでいい? さて、今回のテーマは「宣伝の繰り返し」です。 ゲーム開発をしていると、発信する情報って本当に色々ありますよね。渾身のトレイラー公開や発売日発表みたいな大きなニュースはもちろん、日々の開発進捗、ちょっとしたゲームのTips、イベント出展のお知らせとか、本当に様々。 【も知らせ】3/29 #ゲームパビリオンjp2025 🍑「ええっ!? ふとももで…魂を…挟む!?」 そう、これが「ももっとクラッシュ」。あなたの想像を超えた新感覚リズムゲームを、現在制作中です!今回、ブース『う-5』にて新キャラ実装のバージョンでお待ちしています🦵#SKOOTAGAMES #ももクラ pic.twitter.com/L7GpmS42af — 【公式】SKOOTA GAMES🎮25/05/04@東京ゲームダンジョン8【3T-6】初参戦💪 (@SKOOTAGAMES) March 28, 2025 ゲーム作りには情報発信はつきもの。どんな発信もできれば沢山の人に見て、楽しんでもらいたいですよね。 で、そういう情報を、例えばSNSで「よし、投稿したぞ!」って発信する時って、なんとなくそこで「はい、伝達完了!」みたいな気持ちになっちゃいませんか?(私はそうでした) でも、本当に一回だけで「伝わった」って、結構不安じゃないですか? 反応が少ないことも多くて、むしろ「ちゃんと届いたかな?」「見てもらえたかな?」って、どこか不安が残ったり。だからこそ、「もう一度言った方がいいかな?」って思うわけですが、いざ「同じような話を繰り返す」となると、ためらいが生まれてしまう……。そんな経験、ありませんか? 私はまさにそれで、「一度言えば伝わるはず」「何度も言うのは、なんだか申し訳ない気もするし、迷惑かも」って、どこかで無意識に「繰り返し=悪」みたいに思い込んでいたフシがあります。(皆さんはどうですか?) でも、自分が「受け手」になったら……? そんな風に悩んでいたある時、ふと「じゃあ、自分が好きなコンテンツの情報だったらどうだろう?」と考えてみたんです。自分が心待ちにしているゲーム、大好きなアニメや漫画、応援しているクリエイターさんの活動……。 思い返してみると、例えば「待望のゲームの発売日が決定!」とか「好きなアニメの続編制作が決定!」みたいな自分にとって“大事な”ニュースって、発表直後だけじゃなくて、発売日が近づいてきたり、新しい情報が小出しにされたりするたびに、何度見かけてもむしろ嬉しいのかなって思いました。 「おお、もうすぐ発売だ! 予約しなきゃ!」とか、「そういえば、特典情報ってどうなってたっけ?」とか、「この前見逃してたPV、やっぱり最高!」みたいに、繰り返し情報に触れることで、期待感が高まったり、情報を補完できたり、熱量を再確認できたりする。そんなポジティブな体験の方が多い気がしたんです。 「大事な情報」は、繰り返してこそ届くのかも この「受け手としての感覚」は、けっこう大きな発見でした。もちろん、どんな情報でも繰り返せば良いというわけではないと思います。興味のない人にとってはノイズになり得るし、伝え方や頻度には工夫が必要なのは間違いないはず。 でも、少なくとも、私たちのゲームを「気になる」「面白そう」と思ってくれている(かもしれない)人たちにとっては、重要な情報を適切な形で繰り返し届けることは、必ずしも「悪」ではなくて、むしろ、届けたい相手にとっては『親切』や『責任』って側面もあるのかも……? なんて、少しずつ思うようになったんです。 実際、あるアニメのアカウントでは、「最初のお知らせより、二度目のお知らせの方が倍近くも話題になった」なんていう話もあるくらいです。 これ、すごく面白いですよね! なんで、そのアカウントでは二回目のお知らせの方がグッと話題になったんでしょうか? もしかしたら、最初の投稿は見逃していた人や、その時はまだピンと来てなかった人も、二回目の投稿までの間に他のニュースとかで見て『あ、これ気になるかも!』って気持ちがだんだん温まってきていたタイミングだった、とか……? そういう、受け取る側の準備みたいな理由もあるのかなあ。いずれにしても、タイミングや文脈次第で、情報の響き方って本当に変わるんですね。 💐••┈┈┈┈       TVアニメ化決定「きみが死ぬまで恋をしたい」 ┈┈┈┈••💐 「生きたい」なんて、知らなかった。 🪄https://t.co/pLrtx4tPGS#きみ死ぬアニメ pic.twitter.com/zIDKDew9DM —

独特な雰囲気を醸し出すミニマルなインディーゲーム 〜ゲームパビリオンjp 2025レポート〜【上編】

こんにちは、モブです。また記事を書くことになりました。普段はSKOOTAGAMESのネゴラブチームで日々、コツコツとUnityと格闘している者ですが、前回のTIGSレポートがあまりにも好評だったため、今回は大阪で開催された「ゲームパビリオンjp 2025」に足を運んできました。 定時退社を心がけている私がわざわざ出張してまでイベントに行くのは珍しいことですが…正直なところ、無料経費で新幹線に乗れるところが大きかったかもしれませんね。しかし、そんな軽い気持ちで訪れたイベントは、予想以上に多くの発見と刺激に満ちていました。 今回のレポートシリーズでは「まだまだ広がるインディーゲームの世界」をテーマに、三回に分けてお届けします。初めての大阪でのインディーゲームイベント参加は、これまで経験した東京のゲームイベントとはまったく違う空気感を味わうことができました。出展されているゲームも、既視感のある懐かしいテイストのものから、全く新しい感覚を呼び起こす作品まで、実に多様性に富んでいたのです。 第一回目の今回は、「独特な雰囲気を醸し出すミニマルなインディーゲーム」と題して、小さな規模ながらも深い没入感を提供してくれた二つのタイトルをご紹介します。 とかげメトロGB:懐かしさと新しさが融合する手のひら冒険譚 最初に紹介するのは『とかげメトロGB』です。メトロイドヴァニア形式の2D探索アクションゲームで、特筆すべきは携帯ハードで動作するという点。現場ではこの小さなデバイスを手に取り、懐かしさと新鮮さが入り混じる不思議な感覚とともにプレイしました。 緑色のトカゲを操って「コオロギの巣」を探索するというシンプルな設定ながら、わずか10分ほどのデモプレイの間にも、予想以上の奥行きを感じさせる内容でした。プレイ方法や操作は直感的で、少し触れるだけですぐに手に馴染む設計になっています。 探索型アドベンチャーゲームの醍醐味は、明確な道筋が示されない自由さにあります。このゲームも例外ではなく、洞窟内を自分の意志で歩き回りながら、思いがけない発見や制作者の仕掛けに出会う喜びに満ちていました。小さな画面の中に広がる世界は、その制約を逆手に取った工夫と創意に溢れていたのです。 ゲーム内の細部には遊び心が散りばめられていました。全体としては巣を探検し、敵を倒して新能力を解放していくオーソドックスな流れですが、随所に小さな驚き要素が用意されています。 特に印象的だったのは、ゲーム内に登場する通信機のような装置。セーブポイントとしての機能だけでなく、主人公のスキンを変更できる機能も備えていたので、初期状態の緑色から、赤色の「アタックとかげ」や金属質感の「きんぞくとかげ」に姿を変えることができました。 たかが爪ほどのドット絵が変わっただけなのに、それがもたらす満足感はなかなか。この手の小さいゲームのカスタマイズ要素といえば、せいぜいプレイヤーの名前を入力する程度しか思い浮かばなかった自分にとって、この小さな工夫は割と衝撃でした。 マップには隠しエリアも点在していて、制限時間内に見つけられたのはたった2か所。「もっとあるはず」という探索欲を刺激してくれる設計も秀逸でした。次にプレイする機会があれば、もっと丹念に探してみたいと思います。 制作者のaze3さんは、本業ではゲーム業界のデザイナーとして活躍されているそうで、このゲームは趣味で制作しているとのこと。プロの技術と個人の情熱が融合した結果なのか、小さなスケールながらも隅々まで行き届いた繊細さを感じる作品でした。 指先に残る携帯ハードのボタンの感触と、液晶画面のうっすらとしたディスプレイまで。それらの懐かしさと、現代のゲームデザインセンスが不思議と調和した体験は、しばらく忘れられそうにありません。 帰路:静寂と思考が織りなす旅 次に紹介するの『帰路』です。独特の雰囲気が特徴的な2Dドットイラストのパズルゲームで、四角形のタイルで構成されたマップ上に、特定の形をしたパネルを置くことで道をつないでいくという、シンプルでありながら決して容易ではない構造のパズルゲームでした。 一つ特筆すべきは、単に道を見つけることがこのゲームの目的ではないということです。より正確には「正しい道」を見つけなければならないのです。主人公の少女は常に目的地に最も近いルートでタイル上を歩いていくため、間違った目的地を避けたり、仲間のカラスを連れて行ったりするなど、一見単純な構造でも、それ以上の目的意識を持ってプレイしなければならないゲームでした。 今回のイベントでプレイしたゲームの中で、最も頭を使わされたタイトルだったように思います。単に空いている場所にパネルを置けば道ができるわけではなく、パネルを置いた場所が空のタイルなら新たにタイルが生成され、元々タイルがあった場所なら消えるという仕組みのため、単純にタイルを埋めていく発想ではカバーできない難しさがありました。 ようやく慣れてきたかと思った矢先、ゴールに直進せずに仲間のカラスを連れていかなければならないという要素が加わり、さらに難しい状況に直面することになりました。なんとかタイルを置いたりリセットしたりしながら最後までプレイできましたが、後ろに誰か待っているかもしれないという焦りで手に汗を握りながらプレイしていました。 いつも思うことですが、このようなイベントでプレイするパズルゲームは、後ろに誰か立っているかもしれないプレッシャーと向き合いながらしなければならないんですよね。ただ、それゆえに成功した時に感じる達成感がとんでもなく大きいので嫌ながらもプレイしてしまうと。一度プレイしようと決心するのは難しいかもしれませんが、実際にプレイしてみると楽しい記憶として残るわけです。 ゲーム性ももちろんですが、先ほども言った通り雰囲気が素晴らしいゲームでした。特徴的なドットイラストも目を引く魅力があっただけでなく、控えめで静かな雰囲気のBGMと微かに聞こえてくる効果音が、パズルに頭を悩ませている最中でも思わず感嘆せずにはいられなかった要素でしたね。 カラスのギミックが加わった後の話になりますが、カラスを連れて目的地に向かう際、頭の上にカラスが止まるという細かいけれど可愛らしいポイントもありました。ストーリーも、もしかしたらのネタバレを避けるため詳しくは話せませんが、「この先に何が待っているのだろう」という想像を掻き立てるには十分だったように感じます。 久しぶりにパズルとストーリー、そして世界観という三拍子が揃い、期待を抱かせるタイトルと出会えたという点で、今回のイベントは十分な意義があったと感じられる、そんな貴重な出会いでした。 このようなパズルゲームの制作者に会うと必ず聞きたくなる質問があります。「こういったパズルはいつ、どうやったら思いつくのですか」という定番のクエスチョンです。ただ今回は珍しく、他の要素でお話しすることに時間を費やしてしまい、この質問を投げかける余裕がありませんでした。もし他のイベントで出会う機会があれば、ぜひ一度プレイしてみることをお勧めします。難しすぎる場合は、制作者さんが親切にヒントをくださるので、遠慮なく聞いてみてください。 小さくても深い体験を提供する力 今回紹介した『とかげメトロGB』と『帰路』、この二つのゲームに共通するのは、一見するとシンプルでミニマルなデザインでありながら、プレイヤーを独自の世界観へと引き込む力強さです。 携帯ハードという限られたハードウェアで表現された小さなトカゲの冒険も、静謐な雰囲気の中で展開される論理的なパズルの旅も、どちらも「小ささ」を武器に、むしろその制約の中で創意工夫を凝らした作品と言えるでしょう。 しかも驚くべきことに、これらはいずれも少人数、あるいは個人で開発されたものでした。大規模なチームや莫大な予算がなくとも、明確なビジョンと情熱があれば、プレイヤーの心に残る体験を作り出せることを、改めて教えてくれたタイトルだったと思います。 インディーゲームの魅力とは、まさにこういった「小さくても深い」体験にあるのかもしれません。大阪で出会ったこれらのゲームは、インディーシーンの多様性と可能性を再認識させてくれる、貴重な出会いでした。 次回は「独特なコンセプトで武装した、一方で闇を感じるインディーゲーム」と題して、斬新かつ大胆な発想で驚かされる作品たちをレポートします。お楽しみに。