再び訪れたインディーの“熱”―BitSummit the 13th 合同レポート【モブ編】

こんにちは、SKOOTAGAMESのネゴラブチームに所属しています、モブです。 途轍もなく熱い夏の盛り、皆さんどのように過ごし方をしているのでしょうか。私はなんと先週、古都・京都でむせ返るような熱気に包まれていました。7月18日~20日まで開催された日本最大級のインディーゲームの祭典**「BitSummit the 13th」**。今回、我々SKOOTAGAMESは開発中の新作『ももっとクラッシュ』を展示するため、「出展者」としてこの祭りに行ってきたのです。 東京のイベントとはまた違う、独特の雰囲気の現場。会場のあちこちから、これまで耳にしたことのない多様な言語が飛び交ってくる光景は、インディーゲームという世界が、自分が思っている以上に広大であることを肌で感じさせてくれましたね。 さて、今回のレポートはいつもと趣向を変え、同じ編集部の先輩であるイ・ハナさんと共に、それぞれの視点からBitSummitを語る「合同レポート」という形式でお届けしようと思います。この【前編】では、まず私モブが、数ある出展作の中でも特に心に残り、多くの思索の種をくれた二つの「海外のインディーゲーム」について、筆を執らせていただきます。 LOVE ETERNAL:シンプルさに宿る、アートの“こだわり” 今回のBitSummitで、私が最初に足を止めたのはこの強烈なキービジュを誇る作品、『LOVE ETERNAL』でした。ジャンルとしては2Dプラットフォーマー。10~20分間の体験版で語られる物語は、家族と食卓を囲んでいたはずの主人公が、気づけば見知らぬ異世界に迷い込んでいる…という、非常に短い導入から始まります。正直、精々20分プレイしたくらいでこのゲームのすべてを語るのは難しいと思うので、今回は全体的なレビューというよりも印象に残った強烈なポイントについて軽く触れてみることとさせてください。 まず、ゲームシステムは極めてシンプル。ボタン一つで「重力」を反転させ、主人公は床と天井を自在に行き来できます。ただそれだけ。しかし、そのシンプルなルールとはあまりにも対照的に、背景のアートは、もはや「執拗」とすら覚えるほど、恐ろしく細密に描き込まれていたのです。一般的な16:9の比率ではない、どこか窮屈な5:4の画面の中に、緻密なドット絵で描かれた異世界の風景がぎっしりと詰め込まれている。その圧倒的な情報量が、プレイヤーに言いようのない没入感と同時に、息苦しささえ感じさせてしまうほどでした。 プレイしながら、ずっと考えていたことが一つ。「なぜ、ここまでやる必要があるのだろう?」。シンプルなアクションゲームであるならば、背景はもっと力を抜いても成立するはず。しかし、このゲームがそうしなかったことに対して、私は、開発者の確固たる「信念」が宿っているのではないかと思ったわけです。「このゲームは、シンプルなアクションだからこそ、この狂気ともいえるアートがむしろ映えるのだ」という、静かな、しかし何よりも雄弁な主張。それは一種の「こだわり」であり、あるいは「業」と呼ぶべきものなのかもしれません。 このゲームが、今回のBitSummitで栄えあるスポンサー賞を受賞したと聞いた時、私は「そりゃそうだろう」と納得しました。数多あるプラットフォーマーゲームの中で、本作が特別な輝きを放っていたのは、このアンバランスさの中に宿る、言葉では説明し難い説得力とオーラがあったからでしょう。ゲームがシンプルだから、その分のリソースをアートに全振りする。なんとインディーゲームらしい、潔い思想でしょうか。 「この部分だけには、誰にも負けないくらいこだわっていました」ともいえるゲーム内の要素に、いつか私も、自分が手掛けるゲームに対して、そんな風に胸を張って言える日が来ると良いですね。そんな少しばかりの羨望と、宿題を心に残して場を去ったBitSummitの一日でした。 コミュ障キリンの一週間:優しい世界で生きる、密かな“共感” 次にご紹介するのは、タイトルからしてどこか他人事とは思えない、ポイント&クリック形式のアドベンチャーゲーム『コミュ障キリンの一週間』です。その名の通り、コミュニケーションが苦手なキリンが、様々な人々と関わりながらなんとか一週間を生き抜く、という物語でした。 ゲーム全体は驚くほどの「優しい」雰囲気に包まれていました。柔らかい色使いのイラスト、穏やかなBGM、可愛らしいキャラクターデザイン。その全てが、プレイヤーを刺激することなく、ただただ穏やかな時間を提供してくれます。しかし、その見た目とは裏腹に、ゲームの難易度はだいぶハードル高かったのです。何度も試行錯誤を繰り返し、与えられた情報やアイテムの使う順番を考え抜かなければ、キリンくんはすぐに途方に暮れてしまう。これは、コミュニケーションが苦手な人間にとって、この世界がいかに困難に満ちているかを、ゲームデザインそのもので表現しているのかもしれませんね。 私がこのゲームで最も心を動かされたのは、そのテーマの「普遍性」でした。本作の開発者はLA(ロサンゼルス)在住の方だそうです。正直なところ、私は「エレベーターで初めて会った人とも気軽にスモールトークを始めるのがアメリカ人」という、極めてステレオタイプなイメージを抱いている人間でして。しかしながらそんなアメリカを舞台にしたゲームの中で、私自身が日常で感じる「もどかしさ」や「気まずさ」が描かれていたのは驚くべきポイントでしたね。人付き合いの難しさというのは、国や文化を超えて誰もが抱える、共通の悩みなのかもしれない、と。そんな当たり前の事実に、このゲームを通して改めて気づかされました私でしたが、開発者ご本人は驚くほどコミュニケーション能力の高い、快活な方だったので「で、どっち?!」と混乱を抱いた次第です。 そして、このゲームはもう一つ、私に別の感情を呼び覚ましました。それは、遠い昔の記憶、いわゆる「インディゲーム」という言葉すらなかった時代に生きていた「FLASHゲーム」の空気感です。シンプルな操作性、子供向けのような優しいグラフィック。かつて、インターネットの片隅で、誰が作ったかも知らない無料のゲームに夢中になっていたあの頃の感覚が、鮮やかに蘇ってきたのです。 当時は、宇宙人に攫われた人間が脱出したり、悪の組織と戦ったりするような、非日常的な物語をゲームを通して体験していました。しかし今、私はインディーゲームという形で、コミュニケーションに悩むキリンの日常に、深く共感している。時代が変わると、ゲームが描く物語も変わってしまうのですね。この『コミュ障キリンの一週間』は、そんな時代の変化と、それでも変わらない人間の普遍的な悩みを、優しく、そして少しだけコミカルに教えてくれる、素晴らしい作品でした。 熱狂のあと、心に残った“問い”と“共感” さて、私モブがBitSummitの熱気の中で出会った、二つの個性的な海外作品について語ってまいりました。『LOVE ETERNAL』が開発者の揺るぎない「こだわり」を見せつけてくれた一方で、『コミュ障キリンの一週間』は、コミュニケーションの難しさという「普遍的な共感」を思い出させてくれました。 一見、全く異なるタイプの二つのゲーム。しかし、その根底には通じるものがあったように思います。それは、作り手の個人的な哲学や体験が、国境や文化という壁を軽々と飛び越えて、遠い日本の、一人のプレイヤーである私の心を確かに揺さぶったという事実です。BitSummitという国際的なイベントの熱気は、単に多様な言語が飛び交う賑やかさだけではなく、こうした「ゲームを通じた魂の共鳴」のようなものを、より強く感じさせてくれたのかもしれません。 これらのゲーム体験は、私に多くの刺激と、同時にいくつかの問いを投げかけてきました。自分の「こだわり」とは何だろうか。自分が本当に伝えたい「共感」とは何だろうか。そんな、ゲーム業界の人間としての根源的な問いに、改めて向き合うきっかけをもらった気がします。 そして、この熱狂の祭典では、もちろん日本のゲームも、そして我々と同じアジアからやってきた韓国のゲームたちも、負けず劣らずの輝きを放っていました。 続く【後編】では、先輩のハナさんが、韓国出身ならではの視点で切り取った「韓国インディーゲーム」の世界をお届けします。私はそろそろ定時で上がりますので、あとはお任せします。では、お楽しみに。

新宿에서 만난 “읽는” 게임들 ― DREAMSCAPE#3 농후 리포트

안녕하세요, SKOOTAGAMES의 네고라부 팀에 소속된 모브입니다. 키보드를 두드리는 틈틈이, 내린 커피의 향기를 살짝 즐기는 것이 일상이 되어가고 있습니다. 그런데 얼마 전, 저는 신주쿠 루미네 제로에서 개최된 노벨 게임 전용 인디 게임 전시회「DREAMSCAPE#3」에 다녀왔습니다. ‘읽는’ 것을 주체로 한 게임만이 모이는, 정말로 니치하면서도 그렇기 때문에 깊은 매력으로 가득한 이 이벤트. 현장은 이야기를

ただ面白いだけじゃない―ゲムダン8で心が“動いた”瞬間とその理由【後編】

さて、大変お待たせいたしました。「休日出勤のTGD8で見つけたのは―日常の“裂け目”を覗く三つのゲーム【前編】」に引き続きまして、ここからは【後編】をお届けします。相変わらずキーボードの傍らには、すっかりお馴染みとなった冷めかけのコーヒー、SKOOTAGAMESのネゴラブチーム所属、モブです。 【前編】では、日常に潜む“裂け目”から、ちょっぴり背筋が凍るような、あるいは好奇心を強く刺激されるような三つの作品をご紹介しました。どれもが短い試遊時間ながら、確かなインパクトと、心にズシリと残る問いを残してくれましたね。 この【後編】で焦点を当てるのは、単に「面白い」という一言では片付けられない、プレイ後にふと、自分の心を見つめ直してしまうような、そんな瞬間を与えてくれたゲームタイトルたちです。例えば、ドット絵で描かれた終末世界の物語。あるいは、深夜の食堂で“人ならざる者”と交わす会話。そして、思わず再開したあるゲームまで… これらの体験がなぜこれほど私の心を捉え、そして「ただ面白いだけじゃない」と感じさせたのか、その理由を少しばかり紐解いていきたいと思います。 いずれの作品も、あのゴールデンウィークの喧騒の中で、出展者として、そして一人のゲーム好きとして私が感じた、忘れがたい“心の動き”を残してくれたものばかりです。それでは早速、【後編】最初の作品から、その「理由」を探っていきましょう。 人のいない世界に:静寂の世界で拾い集める、1時間の「密度」に込められた詩 【後編】のトップバッターを飾るのは、今回の東京ゲームダンジョン8で、私が思わず「これは…!」と息を呑んだ一作、『人のいない世界に』です。個人で開発されているというこのゲーム、試遊時間はわずか5分ほど。しかし、その短い時間の中で体験した世界の断片は、間違いなく「ただ面白いだけじゃない」何かを私に突きつけてきました。 本作は、どこか物悲しさを漂わせるドット絵で描かれた、終末後の世界を舞台にしたアドベンチャーゲームです。試遊で操作したのは、頭部が古いコンピューターのようになっている、人型のキャラクター。彼女(彼?)は、自分と同じような姿をしたコンピューターから失われた記憶のデータを回収し、かつて人間と共に過ごした日々の断片を追体験していきます。デモ版では、一つの記憶を回収するところで「今回はここまで」と、物語のほんの序章が示されるのみでした。 しかし、このゲームが私の心を強く捉えたのは、その圧倒的なまでの「プレイの密度」です。キャラクターの繊細な動き、画面遷移の丁寧さ、UIの配置や操作感に至るまで、ゲームを構成する最小単位の一つ一つが、驚くほど誠実に、そして堅牢に作り込まれているという印象を受けました。大げさではなく、「既に完成された製品版の、冒頭5分間だけを特別に遊ばせてもらった」と言われても納得してしまうほど。試遊後、私は開発者の方に思わず「(失礼ながら)プロの方ですよね…?」と尋ねてしまったのですが、これが1人で開発されていると聞いて、二度驚いたことを覚えています。 そして、さらに私を驚かせたのは、このゲームの「総プレイ時間は約1時間を想定している」というお言葉。Steamでのリリースを目指すインディーゲームが、1時間というプレイタイムをゴールにしている。この事実は、ともすれば「ボリューム不足」と捉えられかねないかもしれないと思いつつ、あの濃密な5分間を体験した後では、その言葉はむしろ、この1時間にどれだけの情景と感情を押し詰めるのだろうか、という期待感を抱かせるものでした。 昨今、多くのインディーゲームがプレイ時間の長さを一つのアピールポイントにすることも少なくない中で、本作のように「時間あたりの体験の密度」で勝負しようという姿勢は、非常に潔く、そして何よりも作り手の強い意志を感じさせます。それは、ただ長いだけの物語ではなく、一行一行が心に刻まれる詩のような、そんな濃密な1時間をプレイヤーに届けたいという、静かな、しかし確固たる情熱の表れではないでしょうか。この短い出会いの中で、私は確かに、そんな開発者の方の「想い」に触れた気がしました。 仕事終わりにあの店で:深夜のカウンター、人ならざる者と交わす“一杯”の会話 続いてご紹介するのは、からすまぐろさんが手掛けるノベルゲーム『仕事終わりにあの店で』です。タイトル通り、仕事でくたくたになった主人公が、夜更けにふらりと立ち寄ったお気に入りの店で、個性的な「人ならざる」お客たちと出会い、言葉を交わす…そんな一風変わったコミュニケーションが楽しめる作品です。試遊では、5人の攻略対象キャラクターの中から一人を選び、約10分間のひとときを過ごすことができました。 私が選んだのは、ローブを目深にかぶった『オルーニィ』というキャラクター。黒い球体っぽい顔に一つ目、鳥の鉤爪のような手と、なかなかにインパクトの強いお客さんでした。公式曰く「あなたのことを妙に気に掛ける怪しい常連客」とのことですが、まさにその通り。他にも魅力的な人外キャラクターが多く、誰と相席するかを選ぶのは嬉しいながらも大変でしたね。オルーニィは、どこか警戒心の強い主人公(私です)に対しても積極的に話しかけてくるのですが、その親密すぎる態度に、私はついつい「何か裏があるのでは…」と勘繰ってしまい、オルーニィの言葉の真意を探るのに必死になってしまいました。もしかしたら、一番怪しかったのは私の方だったのかもしれませんが(苦笑)。 このゲームを通して、私は「人外」というジャンルに初めて本格的に触れたのですが、そこには確かに独特の魅力があるのだと感じました。それは、私たちが普段キャラクターを見る際に無意識にかけてしまう、性別や年齢といった人間的なフィルターを一旦外して、その存在そのものと向き合える、という点なかと。開発者の方が「人外が好きなんです」と語っていた言葉も印象的で、その純粋な「好き」という気持ちが、このジャンルに馴染みのない私にすら、その面白さの一端を伝え、「もっと知りたい」と思わせてくれたのでしょう。 また、本作はサウンドデザインも非常に丁寧で、深夜のお店の落ち着いた雰囲気を見事に演出していました。特に、ウェイターさんが料理を運んでくる際、相手側と自分側とで、お皿を置く音の聞こえ方が微妙に違っていたのには感心しましたね。細部へのこだわりが、作品世界のリアリティをぐっと高めている良い例だと思います。 この『仕事終わりにあの店で』、実はBoothにてすでに無料公開されているそうです。「どこか不穏だけど魅力的な」人ならざる者たちとの一夜の語らい、興味が湧いた方は、この週末にでも体験してみてはいかがでしょうか。 子どもたちの庭:賽の河原で出くわした“再会”と、インディーゲームの熱 さて、【後編】の最後を飾るのは、私にとって、そしてこの「東京ゲームダンジョン8」というイベントの意義を改めて考えさせてくれた、特別な再会の物語を持つ作品、『子どもたちの庭』です。実はこちらのゲーム、以前私のレポートでも一度ご紹介したことがあるのですが、今回、より多くの魅力を携え、さらにパワーアップして再びこの場所に戻ってきてくれました。試遊時間は約10分。以前の内容に加え、さらに多くのステージと、ゲームの背景を深く知ることができる情報が追加されていましたね。 本作ご興味のある方はぜひそちらも探してみていただきたいのですが、改めてお伝えすると、「賽の河原」という伝承をモチーフに、無邪気な教育玩具の姿を借りて“地獄”そのものを描き出すという、強烈かつアイロニーに満ちた作品です。可愛らしいビジュアルとは裏腹のテーマが、プレイ中ずっと言いようのない“気味の悪さ”として心にまとわりつき、その感覚は今回さらに研ぎ澄まされていたように感じました。 今回、私がこの『子どもたちの庭』を再び筆に取ったのは、単に昔取り上げたゲームに再会できた喜びだけではありません。数ヶ月という時を経て、このゲームが着実に内容を充実させ、間近に迫ったリリースに向けて力強く歩を進めている模様。そして、その背景にあるであろう開発者さんの情熱と努力に触れた時、私の中で何かが強く揺さぶられたのです。インディーゲームの世界では、残念ながら全ての作品が順風満帆に完成へと至るわけではありません。それは、同じく“何か”を生み出そうともがく者として、痛いほど理解できる現実です。 だからこそ、本作のように困難を乗り越え、より魅力的になって帰ってきた作品との再会は、格別の感慨がありました。「開発者に締め切りを売るイベント」と主催者が語る東京ゲームダンジョンが、クリエイターたちの確かな推進力となり、作品を世に出すための素晴らしい循環を生んでいる。その一つの美しい実例を、この『子どもたちの庭』が示してくれたように感じました。これは、単に一つのゲームが完成に近づいたという話ではなく、インディーゲームという世界で日々奮闘する全ての作り手にとっての、小さな、しかし確かな希望の光ではないでしょうか。 もちろん、ゲームそのものの完成度も、以前体験した時からさらに磨きがかかっていました。子供たちの無邪気な声と不協和音が混じり合う独特のサウンドは、本作の持つアイロニーをより深く印象付けます。この、愛らしさと残酷さが同居する世界で、プレイヤーが最終的に何を感じ取るのか。その答えを確かめられる製品版のリリースが、今から本当に待ち遠しい、そんな希望を感じさせてくれる再会でした。 東京ゲームダンジョン8:祭りのあと、心に残った“熱”と“問い” さて、【前編】・【後編】と二度にわたりお届けしてきた「東京ゲームダンジョン8」のレポートも、いよいよ大詰めです。初めての出展参加は、嬉しい悲鳴の連続でしたが、あの会場の熱気と数々の個性的なゲームたちが心に残したものは、やはり特別なものでした。 【前編】でご紹介したゲームたちとはまた異なる形で、【後編】でお届けした『人のいない世界に』、『仕事終わりにあの店で』、そして『子どもたちの庭』は、それぞれが私の心を深く揺さぶり、「ただ面白いだけじゃない」確かな手応えと、多くの思索の手がかりをくれました。作り手の「好き」という純粋なエネルギー、言葉を交わすことの温かさ、そして一つの作品が成長し続ける姿がくれる希望…。そういったものが、今回のゲムダン8で私が受け取った、何よりの“お土産”だったように感じます。 出展者として会場を歩き回り、たくさんの来場者や開発者の方々と短いながらも言葉を交わす中で感じたのは、インディーゲームという世界が持つ、底知れないほどの可能性とそこに集う人々の純粋な熱意でした。この「東京ゲームダンジョン」という場が、そうした熱意をさらに大きなうねりに変え、新たな才能を世に送り出す素晴らしい循環を生んでいることを、今回改めて肌で感じることができました。 たくさんの刺激と、いくつかの個人的な宿題(主にネゴラブの進捗ですが…それはまた別のお話)を胸に、この祭りのような二日間を振り返っています。次にこの熱気に触れる時、私はどんなゲームと出会い、そしてどんな新しい“問い”を心に抱くことになるのでしょうか。 楽しみにしつつ、私はそろそろ定時なので帰ります。それではまた。