初めまして。SKOOTA編集部のイ・ハナと申します。いやはや、今年の京都の夏は本当に暑かったですね。後輩のモブが素晴らしいレポートを届けてくれた【前編】に続き、この【後編】は、わたくしイ・ハナが担当させていただく運びとなりました。 モブくんが海外のインディーゲームに注目した一方で、私はやはり、自身のルーツである「韓国のインディーゲーム」のブースに、自然と足が向かっておりました。特に今回は、韓国コンテンツ振興院である「KOCCA」が大規模なブースを構え、多くの韓国インディーゲームが日本のゲーマーの方々に紹介されていたのです。 かつて韓国のイベントで出会った作品が、こうして日本の大きな舞台で注目を浴びている光景は、個人的にも胸が熱くなるもでした。さて、そんな思い入れも交えつつ、私がBitSummitで出会った、個性が際立つ二つの「韓国インディーゲーム」について、ご紹介していきたいと思います。 破滅のオタク:ローカライズの難しさにも負けないゲームの魅力 まずご紹介いたしますのは、チーム「キウィサウルス」さんが手掛けるアドベンチャービジュアルノベル、『破滅のオタク』です。実はこちらのゲーム、以前私が韓国のイベントレポートで取り上げたこともあるのですが、今回KOCCAブースの一員として日本に初上陸し、ブースは常にたくさんの方で賑わっていて、一人のファンとして大変嬉しく思っておりました。 ご存じない方のために改めてご説明しますと、このゲーム、「ネットゲームのオタクである主人公が、限定グッズの共同購入で集めた500万ウォンを使い込んでしまう」というとんでもない導入から始まる、破滅的な物語です。そのストーリーもさることながら、本作の真の魅力は、その「ゾッとするほどのリアリズム」にあると私は考えております。オタク特有の言い回し、コミュニティの空気感、自虐的な思考回路…。知っている方ほどニヤリとし、そして同時に「これは自分のことなのでは…?」と胸が痛くなるような、絶妙なラインを突いてくるのです。 今回、日本の会場で改めて本作に触れてみて「日本語でもプレイできる」ということに驚きと嬉しさを覚えた私でしたが、一点だけ、少しながら懸念が頭をよぎりました。それは、「このゲームの本当の面白さ、日本の皆様にどこまで伝わっているのだろうか?」ということです。このゲームの面白さは、韓国のネットミームやオタク文化への深い理解があってこそ、その真価が120%発揮されるといっても過言ではございません。もちろん、日本語へのローカライズも丁寧に行われておりましたが、文化の壁を超えなければ伝わらない、言葉の裏にある微妙なニュアンスはどうしても伝えにくいところだと感じました。 『破滅のオタク』というタイトルは、主人公の「ジンダ」を指す言葉ですが、もしかしたら、このゲームのディープなネタを一つ一つ理解し、「面白い!」と感じてしまう私たちプレイヤー自身もまた、一般の方から見れば「破滅」への道を歩んでいるのかもしれないと思いつつ…。そんな、自虐的で少し背筋の寒くなるような共感が、このゲームの本当の恐ろしさであり、魅力なのだと思うのです。 これからもローカライズの道は、きっと茨の道でしょう。それでも、この唯一無二のアートスタイル、破滅的なのにどこか愛おしさを感じてしまうストーリーと世界観、そして誰よりもオタクを理解している開発者の皆様の情熱が、日本を、そして全世界を魅了する日が来ることを、私は心から願っております。 Dimension Ascent:“ユーズマップ世代”が切り拓く、新たな次元への挑戦 続いてご紹介するのも、同じくKOCCAブースで出会った、2Dと3Dが融合したプラットフォーマーアドベンチャー『Dimension Ascent』です。視点を切り替えて次元を行き来する、というパズルアクションで、以前モブが紹介していた『LOVE ETERNAL』と通じる部分もあるかもしれませんね。 ゲームとしては、非常にバランス感覚に優れた優等生、という印象でした。ただ見ているだけでは進めない道を、視点を切り替えることで突破していく。この「ひらめき」の感覚がとても気持ちよく、難易度も「うーん…」と悩む時間と「これだ!」と試してみる時間のバランスが絶妙で、ストレスなく楽しむことができました。ストーリーが少し掴みづらいかも、という点はありましたが、それを補って余りある面白さが、このゲームにはあったと思っております。 しかし、私がこのゲームを取り上げたいと思った最大の理由は、ゲーム性そのものよりも、開発者の方のプロフィールにありました。ブースでお聞きした、「スタークラフトのユーズマップ制作者出身」という、短い一文。この記事を読んでいる日本の皆様に、この一文が持つ「意味」が、果たしてどれだけ伝わるでしょうか? 少しだけ、韓国のゲーム文化のお話をさせてください。90年代後半から2000年代にかけて、『スタークラフトStarCraft』は韓国で社会現象と呼ばれるほどの絶大な人気を誇りました。そして、その人気を支えた大きな要因の一つが、「ユーズマップ(Use Map Settings)」の存在です。これは、ユーザーがゲーム内の機能を使って、全く新しいルールのオリジナルマップを自由に作り、共有できるという、当時としてはかなり斬新な遊びの一環でした。つまり、ユーズマップ制作者とは、「ゲームの中で、新たなゲーム性を見出し、遊びを提供する人」「ユーザーを楽しませるためにコンテンツを生み出す、ユーザーの中の開発者」のような、特別な存在だったのです。 そんな、いわば「遊びの天才」が、今、インディーゲームという新たなフィールドで、ゼロからご自身の作品を創り上げている。この事実だけで、とてもワクワクしませんか? 既存のゲームの枠組みの中で新しい遊び方を発見してきたそのご経験が、「視点を変えることで新しい道を発見する」という『Dimension Ascent』のコンセプトに、見事に昇華されているように私には感じられました。 ゼロから始まったこの挑戦が、BitSummitという世界への扉をこじ開け、より多くのプレイヤーを魅了していく。そんな未来を、心から応援したくなりました。そんな開発者の方の「物語」ごと、ユーザーとして楽しめるな作品でございました。 国境を越えて、ゲームは“熱”を伝える さて、わたくしイ・ハナがBitSummitで出会った、二つの個性的な韓国作品をご紹介してまいりました。ローカライズの壁という大きな課題がありながらも、その奥にある「オタク」というカルチャーへの深い共感が魅力の『破滅のオタク』。そして、開発者の方のユニークな経歴が、ゲームシステムそのものに物語性を与えている『Dimension Ascent』。どちらの作品も、ただ「面白い」というだけでは語り尽くせない魅力に満ちていました。 今回のBitSummitは「国際性」そのものを肌で感じられる、素晴らしいイベントでした。モブが紹介してくれた海外のゲームも、私がご紹介した韓国のゲームも、作られた場所も言葉も、そして文化も異なります。ですが、その根底にある「面白いものを作りたい」という作り手の純粋な熱意と、「これはわかる」というプレイヤーの共感は、驚くほど似ているように感じました。 結局のところ、インディーゲームの面白さとは、完成された製品としてのクオリティだけではなく、そのゲームが「なぜ」「どのように」生まれたのかという物語や、作り手の「こだわり」や「情熱」に触れることにあるのかもしれません。BitSummitという場所は、そんなゲームが持つ「言葉を超えた力」を改めて実感させてくれる、最高の空間でした。 この熱気を胸に、私たちSKOOTAGAMESも、自分たちのゲームで誰かの心を動かせるよう、また明日から頑張っていこうと思います。最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました! 今回のBitSummit、締めの一言 最後に、今回のイベントにおける感想を一言で表すと…
再び訪れたインディーの“熱”―BitSummit the 13th 合同レポート【モブ編】
こんにちは、SKOOTAGAMESのネゴラブチームに所属しています、モブです。 途轍もなく熱い夏の盛り、皆さんどのように過ごし方をしているのでしょうか。私はなんと先週、古都・京都でむせ返るような熱気に包まれていました。7月18日~20日まで開催された日本最大級のインディーゲームの祭典**「BitSummit the 13th」**。今回、我々SKOOTAGAMESは開発中の新作『ももっとクラッシュ』を展示するため、「出展者」としてこの祭りに行ってきたのです。 東京のイベントとはまた違う、独特の雰囲気の現場。会場のあちこちから、これまで耳にしたことのない多様な言語が飛び交ってくる光景は、インディーゲームという世界が、自分が思っている以上に広大であることを肌で感じさせてくれましたね。 さて、今回のレポートはいつもと趣向を変え、同じ編集部の先輩であるイ・ハナさんと共に、それぞれの視点からBitSummitを語る「合同レポート」という形式でお届けしようと思います。この【前編】では、まず私モブが、数ある出展作の中でも特に心に残り、多くの思索の種をくれた二つの「海外のインディーゲーム」について、筆を執らせていただきます。 LOVE ETERNAL:シンプルさに宿る、アートの“こだわり” 今回のBitSummitで、私が最初に足を止めたのはこの強烈なキービジュを誇る作品、『LOVE ETERNAL』でした。ジャンルとしては2Dプラットフォーマー。10~20分間の体験版で語られる物語は、家族と食卓を囲んでいたはずの主人公が、気づけば見知らぬ異世界に迷い込んでいる…という、非常に短い導入から始まります。正直、精々20分プレイしたくらいでこのゲームのすべてを語るのは難しいと思うので、今回は全体的なレビューというよりも印象に残った強烈なポイントについて軽く触れてみることとさせてください。 まず、ゲームシステムは極めてシンプル。ボタン一つで「重力」を反転させ、主人公は床と天井を自在に行き来できます。ただそれだけ。しかし、そのシンプルなルールとはあまりにも対照的に、背景のアートは、もはや「執拗」とすら覚えるほど、恐ろしく細密に描き込まれていたのです。一般的な16:9の比率ではない、どこか窮屈な5:4の画面の中に、緻密なドット絵で描かれた異世界の風景がぎっしりと詰め込まれている。その圧倒的な情報量が、プレイヤーに言いようのない没入感と同時に、息苦しささえ感じさせてしまうほどでした。 プレイしながら、ずっと考えていたことが一つ。「なぜ、ここまでやる必要があるのだろう?」。シンプルなアクションゲームであるならば、背景はもっと力を抜いても成立するはず。しかし、このゲームがそうしなかったことに対して、私は、開発者の確固たる「信念」が宿っているのではないかと思ったわけです。「このゲームは、シンプルなアクションだからこそ、この狂気ともいえるアートがむしろ映えるのだ」という、静かな、しかし何よりも雄弁な主張。それは一種の「こだわり」であり、あるいは「業」と呼ぶべきものなのかもしれません。 このゲームが、今回のBitSummitで栄えあるスポンサー賞を受賞したと聞いた時、私は「そりゃそうだろう」と納得しました。数多あるプラットフォーマーゲームの中で、本作が特別な輝きを放っていたのは、このアンバランスさの中に宿る、言葉では説明し難い説得力とオーラがあったからでしょう。ゲームがシンプルだから、その分のリソースをアートに全振りする。なんとインディーゲームらしい、潔い思想でしょうか。 「この部分だけには、誰にも負けないくらいこだわっていました」ともいえるゲーム内の要素に、いつか私も、自分が手掛けるゲームに対して、そんな風に胸を張って言える日が来ると良いですね。そんな少しばかりの羨望と、宿題を心に残して場を去ったBitSummitの一日でした。 コミュ障キリンの一週間:優しい世界で生きる、密かな“共感” 次にご紹介するのは、タイトルからしてどこか他人事とは思えない、ポイント&クリック形式のアドベンチャーゲーム『コミュ障キリンの一週間』です。その名の通り、コミュニケーションが苦手なキリンが、様々な人々と関わりながらなんとか一週間を生き抜く、という物語でした。 ゲーム全体は驚くほどの「優しい」雰囲気に包まれていました。柔らかい色使いのイラスト、穏やかなBGM、可愛らしいキャラクターデザイン。その全てが、プレイヤーを刺激することなく、ただただ穏やかな時間を提供してくれます。しかし、その見た目とは裏腹に、ゲームの難易度はだいぶハードル高かったのです。何度も試行錯誤を繰り返し、与えられた情報やアイテムの使う順番を考え抜かなければ、キリンくんはすぐに途方に暮れてしまう。これは、コミュニケーションが苦手な人間にとって、この世界がいかに困難に満ちているかを、ゲームデザインそのもので表現しているのかもしれませんね。 私がこのゲームで最も心を動かされたのは、そのテーマの「普遍性」でした。本作の開発者はLA(ロサンゼルス)在住の方だそうです。正直なところ、私は「エレベーターで初めて会った人とも気軽にスモールトークを始めるのがアメリカ人」という、極めてステレオタイプなイメージを抱いている人間でして。しかしながらそんなアメリカを舞台にしたゲームの中で、私自身が日常で感じる「もどかしさ」や「気まずさ」が描かれていたのは驚くべきポイントでしたね。人付き合いの難しさというのは、国や文化を超えて誰もが抱える、共通の悩みなのかもしれない、と。そんな当たり前の事実に、このゲームを通して改めて気づかされました私でしたが、開発者ご本人は驚くほどコミュニケーション能力の高い、快活な方だったので「で、どっち?!」と混乱を抱いた次第です。 そして、このゲームはもう一つ、私に別の感情を呼び覚ましました。それは、遠い昔の記憶、いわゆる「インディゲーム」という言葉すらなかった時代に生きていた「FLASHゲーム」の空気感です。シンプルな操作性、子供向けのような優しいグラフィック。かつて、インターネットの片隅で、誰が作ったかも知らない無料のゲームに夢中になっていたあの頃の感覚が、鮮やかに蘇ってきたのです。 当時は、宇宙人に攫われた人間が脱出したり、悪の組織と戦ったりするような、非日常的な物語をゲームを通して体験していました。しかし今、私はインディーゲームという形で、コミュニケーションに悩むキリンの日常に、深く共感している。時代が変わると、ゲームが描く物語も変わってしまうのですね。この『コミュ障キリンの一週間』は、そんな時代の変化と、それでも変わらない人間の普遍的な悩みを、優しく、そして少しだけコミカルに教えてくれる、素晴らしい作品でした。 熱狂のあと、心に残った“問い”と“共感” さて、私モブがBitSummitの熱気の中で出会った、二つの個性的な海外作品について語ってまいりました。『LOVE ETERNAL』が開発者の揺るぎない「こだわり」を見せつけてくれた一方で、『コミュ障キリンの一週間』は、コミュニケーションの難しさという「普遍的な共感」を思い出させてくれました。 一見、全く異なるタイプの二つのゲーム。しかし、その根底には通じるものがあったように思います。それは、作り手の個人的な哲学や体験が、国境や文化という壁を軽々と飛び越えて、遠い日本の、一人のプレイヤーである私の心を確かに揺さぶったという事実です。BitSummitという国際的なイベントの熱気は、単に多様な言語が飛び交う賑やかさだけではなく、こうした「ゲームを通じた魂の共鳴」のようなものを、より強く感じさせてくれたのかもしれません。 これらのゲーム体験は、私に多くの刺激と、同時にいくつかの問いを投げかけてきました。自分の「こだわり」とは何だろうか。自分が本当に伝えたい「共感」とは何だろうか。そんな、ゲーム業界の人間としての根源的な問いに、改めて向き合うきっかけをもらった気がします。 そして、この熱狂の祭典では、もちろん日本のゲームも、そして我々と同じアジアからやってきた韓国のゲームたちも、負けず劣らずの輝きを放っていました。 続く【後編】では、先輩のハナさんが、韓国出身ならではの視点で切り取った「韓国インディーゲーム」の世界をお届けします。私はそろそろ定時で上がりますので、あとはお任せします。では、お楽しみに。
新宿で出会った“読む”ゲームたち―DREAMSCAPE#3濃厚レポート
こんにちは、SKOOTAGAMESのネゴラブチームに所属しております、モブです。キーボードを叩く合間に、淹れたコーヒーの香りをそっと楽しむのが日課となりつつあります。 さて先日、私は新宿ルミネゼロで開催された、ノベルゲームオンリーのインディーゲーム展示会「DREAMSCAPE#3」へと足を運んでまいりました。「読む」ことを主体としたゲームだけが集まるという、なんともニッチで、しかしだからこそ奥深い魅力に満ちたこのイベント。会場は、物語を愛する作り手と遊び手の静かな熱気に包まれていましたね。 今回のレポートでは、そんなDREAMSCAPE#3で私が出会い、特に心惹かれた三つの個性的なノベルゲームをご紹介したいと思います。一口に「ノベルゲーム」と言っても、その表現方法やテーマは実に様々。ページをめくる手が止まらなくなるような、そんな作品たちとの出会いをお届けしましょう。 今日こそは_酔い潰れない_絶対に!:宅飲みの夜、グラスの向こうに揺れる“友情”と“本音” まず最初にご紹介するのは、街八ちよさんが制作された『今日こそは_酔い潰れない_絶対に!』という作品。タイトルからして、なんだかこう…身に覚えのあるような、ないような(苦笑)、そんな親近感が湧いてくる作品です。 物語の主人公は、20歳の大学生「有馬」くん。彼が友人の辰巳くんと宅飲みをしながら、お酒のペースを調整し、酔い潰れずに最後まで会話を続けることを目指す、という割とローグライクテイストなアドベンチャーゲームです。可愛らしいドット絵のキャラクターとは裏腹に、うっかり飲みすぎると即ゲームオーバーで最初からやり直し、というちょっぴりシビアな難易度が、逆に「今度こそ!」という挑戦意欲に繋がります。 公式サイトにも記載がありますが、本作にはいわゆるBL的な要素も含まれているとのこと。ただ、私のようにその方面に明るくない人間が見ても、キャラクターたちのやり取りは微笑ましく、爽やかな青春の一コマとして楽しめました。しかし、それだけで終わらないのが本作の面白いところ。ふとした瞬間に見せるキャラクターたちの立ち振る舞いとセリフでは、そのBLという要素があるからこそ「これから一体どういうことが…?」と、プレイヤーの想像力を掻き立て、物語の奥深さを感じさせる絶妙なバランス感覚が光っていました。 驚くべきことに、この『今日こそは_酔い潰れない_絶対に!』は、「ノベルコレクション」で現在無料で公開されています。1プレイ5分程度と手軽に遊べるボリュームながら、エンディングは3種類用意されており、それぞれに到達するための条件も考察のしがいがあるなど、無料とは思えないほどしっかりとした作り込み。キャラクターたちの細やかなドット絵の動きも、見れば見るほど愛着が湧いてきます。 イベントで様々なゲームに触れるたびに思うのですが、「ただ面白いゲーム」と「語りたくなるゲーム」というのは、似ているようで少し違うのかもしれません。本作はまさに後者で、プレイヤーそれぞれがキャラクターたちの何気ない一言や行動から異なる感情を読み取り、それを誰かと共有したくなる…そんな「余白」を持った作品だと感じました。開発者の街八ちよさんによれば、なんと今後の新作も無料で公開予定とのこと。この記事を読んで少しでも気になった方は、ぜひ一度、有馬くんと辰巳くんの宅飲みに付き合ってみてはいかがでしょうか。 柘榴団地:日常に潜む“ルール”と、監視カメラ越しの不穏な視線 次にご紹介するのは、きじなごさんが制作された一人称視点のホラーアドベンチャー『柘榴団地』です。街のどこかに掲げられている「団地アパートの日勤警備員求人募集中」という一枚の貼り紙と、それに付随するいくつかの奇妙な「ルール」。これだけで、もうお分かりですかね?はい、いわゆる「ナポリタン怪談」のテイストを色濃く感じさせる作品でした。 プレイヤーは、どういう訳か「柘榴団地」で日勤警備員として10日間勤務することになります。主な業務は、警備室での監視カメラチェックや来客対応、そして団地内の巡回。しかし、そこにはいくつかの厳守すべきルールが存在します。「住人には必ず挨拶すること」「来客には必ず来客リストに本名を記載してもらうこと」…そして、「白装束の女には絶対に声をかけないこと」。これらのルールを破ると、何か言葉では形容しがたい危険が遅い、今までの平和な日常を失ってしまいそう…そういう匂わせをとことんなく感じてしまう立派なナポリタンでしたね。 ゲームの操作自体はポイント&クリック方式で非常にシンプル。しかし、そのシンプルさとは裏腹に、画面全体を覆う黒と赤を基調とした落ち着いた色調、可愛らしいキャラクターデザインと不釣り合いな実写的な背景の組み合わせが、言いようのない不気味さと「何か良くないことが起こりそうだ」という圧迫感を常にプレイヤーに与え続けます。監視カメラのザラついた映像、たまにビックリさせる物音、住人たちの意味深な言葉…。じわりじわりと精神的に追い詰められていく感覚は、まさに良質なホラー体験そのものでした。 その中で私がこのゲームで特に興味深いと感じたのは、その「どこかで見たような感覚(デジャヴ)」の存在です。警備室のモニターで訪問者を確認し、リストと照合するシステムは、多くのプレイヤーがかの有名な『That’s not my Neighbor』を想起するでしょうし、監視カメラを通して異変を察知するという要素は『Five Nights at Freddy’s』シリーズを彷彿とさせます。試遊後、開発者の方と少しお話しする機会があったのですが、これらの作品から影響を受けたことをご本人から発言されたことに驚かざるを得ませんでした。 ともすれば模倣と取られかねないこの「影響」を隠さず、むしろリスペクトとして昇華し、そこに独自な世界観とストーリーをしっかりと構築している点に、私は制作者さんの真面目さと、なによりも「ゲームを作りたい」という強い情熱を感じました。驚くべきことに、制作者さんはゲーム制作を始めてまだ日が浅く、独学でここまで作り上げられたとのこと。その推進力と、既存の面白い要素を自分なりに解釈し再構築するセンスには、ただただ感服するばかりです。なので「あのゲームに似ているから」という先入観だけで本作を判断してしまうのは、非常にもったいない。もしどこかで見かける機会があれば、ぜひ一度、あなた自身の目で『柘榴団地』の日常を体験してみてほしいと思います。 Day Day Neon Tea:第四の壁の向こう側、タピオカティーが繋ぐ“体験” さて、今回のDREAMSCAPE#3レポートで最後にご紹介するのは、npckcさんが制作された『Day Day Neon Tea』。近未来を舞台に、ロボットやアンドロイドにタピオカティーを提供するという、これまたユニークなコンセプトのSFノベルゲームです。試遊時間は約5分と短めでしたが、その短い時間の中に、忘れられない強烈な「体験」が凝縮されていました。 ゲームを開始すると、プレイヤーは「ロボット規制委員会」のスタッフロボットから、まるで心理テストのような質問をいくつか投げかけられます。それに答えていく形で物語は進むのですが…しばらくすると、そのスタッフロボットが「ちょっと席を外します」と言って画面からいなくなってしまうのです。ここで「おや?」と思うわけですが、本当の驚きはその先に待っていました。 実はこのゲーム、試遊台のテーブルの上に、一枚のパンフレットが置かれていたんです。何気なくそれを手に取り裏返してみると、そこには手書き風の文字で「委員会を信用するな!!もしスタッフが離れて画面がスクリーンセーバーになったら、画面の左上をタップしろ!読み終わったらまた表に返すんだ!」という衝撃的なメッセージが…。言われるがままに画面の左上をタップすると、それまでとは全く異なる、隠された画面が現れ、物語は予想もしない方向へと転がり始めます。まさに、ゲームの世界と現実が交錯する「第四の壁」を打ち破る演出。この仕掛けには「なるほど」と感心しました。 正直なところ、この『Day Day Neon Tea』の試遊で体験した内容は、そのままPCやコンソルゲームの完成形として想像するのは少し難しいかもしれません。それくらい、この「DREAMSCAPE#3」というイベントの、あの場所、あの瞬間だからこそ最大限に輝く、極めて実験的でコンセプチュアルな作品だったと言えるでしょう。 しかし、だからこそ、このゲーム体験は私の記憶に強く刻まれました。試遊後、制作者さんが他のプレイヤーの方々と楽しそうにゲームの感想を語り合っている姿を拝見して、ふと思ったんです。もしかしたら、このゲームの本当の目的は、完成された物語を一方的に提供することだけではなく、このイベントという場で、ゲームというメディアを通して、人と人とが繋がり、驚きや楽しさを共有する、その「体験」そのものをデザインすることにあったのではないか、と。 npckcさんは過去にも多数の個性的な作品をリリースされており、そのどれもが既存のジャンルや枠組みにとらわれない自由な発想で作られています。今回の『Day Day Neon Tea』もまた、ノベルゲームという形式を借りながらも、その実態は「体験型アート」に近い何かだったのかもしれません。もし「ノベルゲームオンリーのイベントだから」という理由でDREAMSCAPE#3への参加を見送った方がいるとしたら、こんなにも刺激的で、固定観念を揺さぶるような作品がそこにはあったのだということを、ぜひ知ってほしいと思います。 DREAMSCAPEで受け取った、物語の“バトン” さて、三つの個性的な「読む」ゲームたちをご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。宅飲みの夜の他愛ない会話の中に潜む人間関係の機微を描いた『今日こそは_酔い潰れない_絶対に!』。日常に潜むルールと監視の恐怖を描いた『柘榴団地』。そして、第四の壁を越えて現実と虚構を繋いだ『Day Day Neon Tea』。 これらの作品に共通して感じたのは、どれもが単に「面白い物語」であるだけでなく、プレイヤーに何かを問いかけ、考えさせ、そして誰かとその体験を共有したくなるような「余白」や「熱量」を持っていたということでした。特に「DREAMSCAPE」という、ノベルゲームだけに特化したイベントだからこそ、作り手の方々も、より深く、よりパーソナルなテーマや実験的な表現に挑戦しやすかったのかもしれません。 会場は、大きな歓声や派手な演出こそありませんでしたが、一つ一つのブースで、開発者の方々が自らの作品に込めた想いを熱心に語り、プレイヤーは真剣な眼差しでその物語世界に没入している…そんな、静かで、しかし確かな情熱に満ちた空間でした。それは、物語というものの持つ根源的な力を再認識させてくれるような、素晴らしい光景だったと言えるでしょう。 今回のDREAMSCAPE#3は、私にとって、改めて「物語とは何か」「ゲームで物語を語ることの可能性とは何か」を深く考えるきっかけを与えてくれました。そして、そこで出会った素晴らしい作品たちと、それらを生み出したクリエイターの方々から、確かに熱い“バトン”を受け取ったような気がしています。このバトンを、今度は私自身のゲーム作りへと繋げていかなければ…そんな新たな決意を胸に、今回のレポートの筆を置きたいと思います。