さて、【前編】の熱気も冷めやらぬまま、レポートは【後編】へと続きます。引き続き、わたくしモブが、幕張メッセの喧騒の中で見つけた、三つの輝く宝石について語らせていただきます。 【前編】では、現代社会の不条理を突きつける中国のゲーム、言葉の壁を越える強烈な空気感を放つロシアのゲーム、そして理屈を超えた圧倒的な「体験」そのものを叩きつけてきたドイツのゲームと、それぞれ異なる哲学を感じさせる作品たちをご紹介しました。巨大な祭典だからこそ、その片隅で出会う個性はより一層際立って見えるものです。 そして【後編】でご紹介するのは、また別の、しかし同様に強烈なエネルギーに満ちた国々からやってきたゲームたちです。そこにあったのは、理屈や洗練だけでは説明できない、作り手の初期衝動にも似た純粋な“熱量”。あるいは、かつて夢中になった記憶を呼び覚ます、心地よい“懐かしさ”。そして、インディーゲームを追いかけ続ける中でしか味わえない、時を超えた“再会の喜び”でした。 それでは早速、熱気あふれる南米の風を感じる、一本のゲームから見ていくことにしましょう。 Lucha Masters: Mighty Lucha:理解不能、だけど感じられる“熱量” さて、【後編】で最初にご紹介するのは、メキシコからやってきた『Lucha Masters: Mighty Lucha』です。このゲームとの出会いは、一本の奇妙な紹介映像からでした。タコスを美味しそうに頬張る男性、その背後から忍び寄るアホロートル(ウーパールーパー)がタコスを奪って逃げると言った…。正直、その映像からゲーム内容は全く窺い知れませんでしたが、「一体、これは何なんだ?」という強烈な興味を抱かせるには、十分すぎるほどのインパクトがありました。 実際にブースでプレイしてみて、その「一体、何なんだ?」という感覚は、さらに深まることになります。本作は、どこか懐かしい8bit風のグラフィックで描かれる、最大4人プレイ可能なアクションアドベンチャー。昨今のインディーゲームシーンでは、独創的なアイデアや斬新なシステムを売りにした作品が多い中で、本作のように古き良きアーケードゲームの魂を宿した、ある意味で非常に“愚直”な作品は、逆に新鮮で、強く目を引きました。 ただ、その懐かしい見た目とは裏腹に、難易度はかなり高めでした。次々と現れる敵、一筋縄ではいかないギミック…。私は何度も同じ場所で力尽き、結局三度目の挑戦を最後に、泣く泣くコントローラーを置くことになってしまいました。 普通なら、そこで「私にはちょっと合わないゲームだったな」で終わってしまうかもしれません。しかし、このゲームには、そんな理屈を超えてプレイヤーを惹きつけ、その正体を知りたくさせる不思議な“熱量”がありました。後で調べてみて、その熱量の源泉を少しだけ理解できた気がします。本作は、メキシコの伝統的な伝説や神話、特にアステカ神話に登場する死の神「ミクトランテクートリ」を倒すため、アホロートルの「ルチョ」が戦う物語なのだそうです。 なるほど、と私は膝を打ちました。このゲームから感じた理解不能とも思えるほどのエネルギーは、開発者の方々の自国の文化(ルチャリブレ、アステカ神話)への深い愛情とリスペクト、そして「自分たちが面白いと思うものを、全部詰め込んでやろう」という、初期衝動にも似た強烈なエゴが混じり合った、純粋な結晶だったのかもしれません。それは、洗練や計算だけでは決して生み出すことのできない、インディーゲームならではの輝きと言えるでしょう。 ちなみに、あれだけゲームオーバーを繰り返した私ですが、ブースに設置されていたガチャボックスで、小さなキャラクターフィギュアを一ついただくことができました。このささやかな温情に、少しだけ心が救われたのは、ここだけの話です。 深 四のの目 -陰陽の巫女-:懐かしさと“和”の恐怖がまじりあう、不思議なダンジョン 次にご紹介するのは、今回のレポートで唯一の日本からの作品、『深 四のの目 -陰陽の巫女-』です。KADOKAWA Game Linkageブースで展示されていたこの和風ローグライク・ダンジョン探索ゲームは、20代以上の方であれば、かつてチュンソフトが生み出した「不思議のダンジョン」シリーズを思い出すかもしれません。私自身はポケモンシリーズでこのジャンルに触れた世代なので、どこか懐かしい気持ちでプレイすることができました。 物語は、行方不明になった兄を探すため、巫女である主人公「ヨノ」が、物の怪の巣食う屋敷に足を踏み入れるところから始まります。入るたびに構造を変える不気味な屋敷の中、プレイヤーはヨノを操作し、襲い来る妖怪たちから逃れ、あるいは立ち向かいながら、屋敷のさらに奥深くを目指します。 このゲームの面白い点は、主人公のヨノが、基本的には攻撃手段を持たない非力な存在であるということです。そのため、ただ敵を倒して進むのではなく、アイテムを使って罠を仕掛けたり、敵の位置を把握してやり過ごしたりと、常に頭を使った立ち回りが要求されます。この「か弱さ」が、和風ホラーの世界観と相まって、独特の緊張感を生み出していました。 そして、個人的に最も驚かされたのは、サウンドのクオリティの高さでした。体験版だったこともありながらですが、キャラクターの台詞がフルボイスだったことも驚き。それ以上に、環境音やボイスの音量バランスが非常に心地よく調整されており、静かな恐怖を巧みに演出していました。ちなみに、扉の向こうに妖怪がいるかどうかを確かめる際の「申し申し」というヨノの声が、個人的にはとても可愛らしく、印象に残っています。 もちろん、罠を仕掛けたり、特定の範囲を攻撃したりするシステム自体は、このジャンルのゲームでは決して珍しいものではありません。しかし、それが「和」の世界観の中で、普段あまりゲームの中で接しないのオブジェクトと設定として再解釈されているのを見るのは、ささやかながらも楽しい体験でした。 残念だったのは、今回の体験版では、予告映像で見たような多様な敵やギミック、そして窮地に陥ると現れるというヨノのもう一つの人格など、物語の核心に触れる部分までは体験できなかったことです。しかし、それは裏を返せば、製品版への期待がそれだけ高まったということでもあります。この懐かしくも新しい「不思議のダンジョン」の全貌が明らかになる日を、今から楽しみに待ちたいと思います。 Reverie:空間と記憶を反転させる、再会のパズル さて、今回の東京ゲームショウ探訪記、その最後を飾るのは、韓国からやってきたパズルアドベンチャーゲーム『Reverie』です。Selected Indieのエリアに佇むこの作品は、その独創的なシステムで私の足を止めさせました。 本作の核心は、「埋められた空間」と「開かれた空間」を反転させるという、実にユニークなルールにあります。プレイヤーが立つことのできる黒いブロックの空間、そして自由に移動できる何もない空間。この二つの性質を、特定の操作によって入れ替えることができるのです。今まで壁だった場所が道になり、道だった場所が壁になる。このシンプルなルールの転換が、驚くほど奥深いパズルを生み出していました。 私が多くのパズルゲームに触れるたびに思うのは、「一体どうして、こんな発想に至るのだろうか」という、素朴な驚きと尊敬の念です。それは、パズルゲームがあまり得意ではない私にとって、そのゲームを理解し、楽しむための最初のステップでもあります。『Reverie』もまた、私にその問いを投げかけてきました。 しかし、このゲームとの出会いがより特別なものになったのは、これが初めての出会いではなかったからです。実は私、以前に別のイベントで、この『Reverie』の初期バージョンと思われる作品に触れたことがありました。確か、ハナ先輩と一緒に行った昨年の「Burning Beaver」だったでしょうか。その時の記憶では、本作はもっとストイックな、純粋なパズルゲームだったように思います。独創的なアートと世界観に惹かれつつも、その難易度の高さに、少しだけ歯がゆい思いをした記憶があります。 それから約10ヶ月。この世界最大級のゲームの祭典で偶然再会した『Reverie』は、私の記憶の中の姿から、確かな進化を遂げていました。今回の体験版は、以前よりもプレイ時間が短くまとめられていた一方で、物語の導入やキャラクター、世界観に関する説明がより丁寧に追加されていたのです。 インディーゲームを追いかけていると、時にこうした嬉しい再会に恵まれることがあります。以前は少しだけ惜しいと感じていた部分や、心の中で「こうだったらもっと良いのに」と密かに願っていた部分が、時を経て見事に補完され、より多くの人に届く形で目の前に現れる。それは、インディーゲームファンにとって、何物にも代えがたい喜びの一つです。 かつては純粋なパズル好きにこそ響く作品だったかもしれない『Reverie』が、その独創的な雰囲気に惹かれたプレイヤーをも優しく迎え入れる、懐の深い作品へと成長していた。その喜ばしい変化を目の当たりにできたからこそ、私はこのゲームを、今回の長いレポートの締めくくりとして選びたかったのです。 レポートの終わりに さて、【前編】・【後編】と、六つの異なる国からやってきた個性的なインディーゲームたちをご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。 中国の『ご応募ありがとうございます』が突きつけた現代社会の不条理。ロシアの『SOBAKISTAN』が描いた言葉の壁を越える空気感。ドイツの『PVKK』が見せつけた理屈を超えた体験の力。メキシコの『Lucha Masters』からほとばしる理解不能なほどの熱量。日本の『深 四のの目 -陰陽の巫女-』が呼び覚ました懐かしさと新たな恐怖。そして、韓国の『Reverie』が示してくれた、嬉しい再会と確かな成長の物語。 これら六つの作品に共通していたのは、TGSという巨大な祭典の喧騒の中にあっても、決して埋もれることのない、作り手の確固たる“魂”のようなものが、その中心に宿っていたということでした。 大手タイトルの華やかさも素晴らしいものです。しかし、こうした、国も文化も異なる場所で、それぞれの作り手が自らの信じる「面白い」を愚直に突き詰めた結果生まれる、多様で、時に歪で、しかしだからこそ愛おしい輝きに触れることができる。それこそが、東京ゲームショウのインディーゲームエリアを歩くことの、最大の醍醐味なのかもしれないと、私は改めて感じています。 彼らが投げかけてくれた六つの異なる“問い”は、またしても私に多くの刺激と、いくつかの宿題を与えてくれました。さて、私の「答え」は、一体どんな形になるのでしょうか。それはまた、別の話ということで。 それでは、また次回のレポートでお会いしましょう。