안녕하세요, 게임 방송자이자 작가인 타로친입니다. 보통은 웹에서 글을 쓰거나 게임을 방송하며 지내고 있습니다. 쉽게 말해 “무직”으로 생각하셔도 괜찮습니다. 타로친1985년 생. 본명은 오이 쇼타로. 2008년에 니코니코 동화에서 “타로친”으로 게임 방송을 시작했습니다. 웹 뉴스 사이트 “네토라보”의 작가 및 편집자를 거쳐 현재는 프리랜서입니다. 술을 무척 사랑하는 사람이었으나, 2022년에 “중증 급성 췌장염”이라는 큰 병에
25年経歴のプロダンサーがK-popのコレオグラファーを経て、「ディレクター」になった理由 EUAN Chreographyの裏にある「それにもかかわらず」の思いとは
Itzy、Twice、Niziu…普段K-popに詳しくない人でもその名前だけは聞いたかもしれない、有名グループの振付を担当したコレオグラファーかつ映像ディレクターのEUANFLOWさん。 もう10年近く韓国でダンススタジオ(ALiEN Studio)を運営してきた彼は、2022年度を起点として日本にも進出しつつある。振付だけではなく、コンテンツ自体の制作にもディレクターとして関わっているEUANFLOWさんは、どうしてダンサーではなくコレオグラファー、さらにディレクターの道に歩みだしたのか。 そして、日本進出における彼自身のビジョンとその思いとは。今回SKOOTAでは彼の「生の思い」を聞くために、通訳のシン・ウィスさんも交えて本人と韓国語でのインタビューを行った。 インタビュイー:EUANFLOW 25年間プロダンサーとして活動中。2016年からALiEN DANCE STUDIOを設立し、代表を務めている。 ■WORK ・NiziU – Take A Picture, ASOBO ・TWICE – Perfect World, Fake&True etc. ・ITZY – Dalla Dalla ・PRISTIN V – Spotlight ・gugudan – Be My Self, Not That Type他多数 読書好きのおとなしい子供を変えた“ダンス“の流行「自分がテレビに出るなんてちっとも思ってなかった」 ――インタビューを始める前に、EUANさんの名前をはじめて聞いたかもしれない方々のために自己紹介をお願いします。 EUANFLOW:はじめまして、私は韓国で25年間プロダンサーとして活動してきたEUANFLOWといいます。今は韓国で9年間ALiENというダンスの会社を運営しています。これから日本と韓国の文化をつなげつつ、今までやってきたように、日本でも素晴らしいアーティストをプロデュースしてみたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。 ――今までSKOOTAは様々なクリエイターさんと話してきたのですが、EUANさんのような方にインタビューするのは初めてです。まず最初に、ダンスを始めたきっかけを聞いてもいいですか。 EUANFLOW:私が小学校3年生の時に、テレビでヒョン・ジンヨンとかソテジワアイドゥルみたいなアーティストが出てきたんですね。それが面白そうだったから趣味として真似たりして、それが楽しかったんです。 それまでの自分は、本をよく読んでいて、勉強も頑張るタイプで。でも、ダンスを始めてからはほぼそれしかやってなかったですね。高校まで趣味でダンスをやってましたが、自分がダンスでテレビに出るなんてちっとも思ってなかったんです。 そんな中で、ある日、僕にダンスを習っていた友達が冬休みにプロのダンスチームのオーディションを受けて合格しちゃったんです。だから「俺に習ったやつが受かったなら俺にでもできるな」と思って、次のオーディションを受けて自分もそのチームに入ったんですね。 ――当時(1990年代前半)はダンス歌手の全盛期とでもいえますよね。そうやってテレビというメディアを通してダンスに触れる以前は、本を読むのが大好きなおとなしい子供だったということで。 EUANFLOW:そうですね。すごいおとなしい子でした(笑)。ゲームも好きだったんですけど、それ以上に本をたくさん読んでましたね。 ――ダンスを始めて、周りの反応はどうでしたか。 EUANFLOW:実は周りの親戚たちからは、(自分が)ちっちゃいときから本ばかり読んでいたから、将来きっとえらい人になると期待してたみたいなんですね。「判事とか検事になるんじゃないか」って。でもダンスを始めてから勉強がつまらないと感じてきて、「高校進学を辞める」とまで言ったんです。中学時代にダンスばかりで勉強やってなかったのに、高校進学したら勉強するなんてありえないと思っていたので。すると、すべての親戚から「高校は卒業しないと!」と言われてしまいました。 当時PC-286とか386が発売された時期だったので、「ならプログラマーになりたい」と思ってその分野の高校に進学しましたね。でもその高校のダンス部で例のダンスを教えていた友達に出会って(笑)。それが始まりでしたね。 ――今でも高校進学を辞めるって、韓国では社会的に許されないという認識だと思いますが、当時はもっと厳しかったはずですよね。 EUANFLOW:かもしれませんね。ちょっと面白いエピソードを言いますと、中学時代に勉強が嫌すぎて教科書の真ん中に日本のマンガ本を挟んで読んでました(笑)。 シン・ウィス:当時何読んでたか覚えてますか? EUANFLOW:まあ、『ONE PIECE』とか『湘南純愛組!』だったんじゃないかな。もしくは『ドラゴンボール』とか。当時の韓国は、「漫画房만화방(マンファバン)」と言って漫画本を貸してくれるレンタル屋さんが流行った時期で。私本読むの好きって言ったじゃないですか。当時通ってた漫画房さんにあった、ほぼすべての漫画を読んでました。 中学時代、勉強が嫌すぎて教科書の真ん中に漫画本を挟んで読んでいたくせに、高校進学して「夜間自律学習야간자율학습」をやる自信がなかったんですよ。だからさっき話したような流れになっちゃったんですね。
엑스 제스트 개발팀의 분투기: ‘네고럽’이 탄생하기까지의 이야기
この記事では、Webtoon企画「ネゴラブ」の立ち上げから制作に至るまでの経緯を詳しく紹介しています。2022年5月にしおひがりさんとプロジェクトメンバーが出会い、初めての打ち合わせを行った際のエピソードから始まり、キャラクターデザインやストーリーの練り直しなど、制作過程の裏側をお届けします。 「ネゴラブ」の企画は、始まりから現在に至るまで、多くの挑戦と発見があり、さらに、制作過程では、技術的な課題や制作メンバー同士の文化的なギャップが少なくなかったことなどが語られます。 Webtoon制作の舞台裏、そして一つのプロジェクトが立ち上がり進行して変化を遂げる過程に興味がある方は、ぜひ最後までお読みいただき、このプロジェクトの歩みを一緒に振り返っていただければ幸いです。 聞き手:迫田祐樹 通信会社、総合広告代理店を経て、アニメ企画&制作会社を起業し、MV〜映画の映像プロデュース。 2021年に京都に移住し京都のエンタメ産業の盛り上げにも着手。 第一章 しおひがりとスクーターフィルムズの出会い 芦塚明子(スクーターフィルムズ・プロデューサー) それで言うとあれですよ、私たちがしおひがりさんにお会いした日がもう2年前でした。2022年の5月ですね しおひがり あー、じゃあもうちょうど2年だ。 原田拓朗(スクーターフィルムズ・代表取締役、プロデューサー) まあでもその頃よね。 そうだそうだ、なんかすごい大作になっちゃったな。 しおひがり 大作になりましたね〜。 原田 色んな企画集を持ってきていただいたのが2022年7月? しおひがり 僕が呼ばれたのも、「しおひがーるずボンゴレビアンコ」っていうアニメがあってで、それがどうなんだろう2018年とかですかね、なんかそのぐらいだったと思うんですけど、もともとDMM.futureworksっていう会社があって、そこで「しおひがーるずボンゴレビアンコ」っていうアニメを作ってもらって僕の漫画を原作にしたでえーっとまぁそれが公開されてまぁ1年ぐらい多分やったんだけど、ツイッター上でのいわゆるウェブアニメですけど、それが一旦終わっていつの間にかDMM.futureworksが無くなっててでスクーターフィルムスになってますよっていうのはあのなんか人伝には聞いてたんですね。 それででDMM.futureworks無くなったんだっていう風に思ってたら、しばらくしてその会社が変わりましたよっていう連絡を当時のプロデューサーからいただいて、それでちょっと一回の代表もご挨拶したいみたいな感じなので来てもらえませんか、みたいな感じでプロデューサーさんに呼んでもらって四谷に行ったのが最初ですよね、それが2022年の5月ですね、それで原田さんと芦塚さんとそこで初めてお会いしたって感じで、そこでご挨拶と「しおひがーるずボンゴレビアンコ」か見てました、みたいな話をしました。 webtoonが盛り上がってるという話から、webtoon企画「ネゴラブ」が立ち上がる しおひがり その時になんかwebtoonの話を多分したんですよね。業界的に確かにそのwebtoonっていう話をすごい聞くようになってて、「今、webtoonが盛り上がってるよね」っていうような話で、そこで「なんかやりたいっすね」っていう話になったのかな。 芦塚 多分コーポレートキャラの話が先だったんですよね。「キャラみたいなのいいですよね」っていう話をして「全然いいですよ」みたいな感じで言っていただいたので、まず「コーポレートキャラ一緒に作りませんか」っていうのと、その後で「webtoon企画についてディスカッションできると嬉しいです」みたいな話があり、割ともう7月からはコーポレートキャラがスタートしてて、8月にやっと「webtoon企画をやりましょうよ」みたいな感じになりましたね。 しおひがり そうっすね、割と最初からその2軸でやる、とりあえずwebtoonとコープレットキャラでやるっていう話は割とありましたね。それで8月にお伺いして僕の方で資料をいくつか作ってきて、その中に「ネゴラブ」とかあとは「雷親父に恋してる女」とかなんかその辺のね、あのいくつかのこうアイディアを持っていって。 その中で「100日後に死ぬワニ」に割と影響を受けてて「100年早いわよ」っていうまぁ定番のツンデレキャラのセリフから、「だんだん減っていくっていう、100年からその後世に至るまで っていうような設定の漫画どうすかね」っていうのをお見せして、そしたらすごい反応いただけたんでそれから連載しようみたいな感じになったって風な感じですね。僕がきくちさんと友達だというような話をして、「100日後に死ぬワニ」がツイッターで流行ってたんですよね、それで「じゃあ僕だったらどんなんかな」っていうので思いついたのが、100年からだんだん減っていくっていうが面白いんじゃないかなと思って考えた感じですね。 しおひがり はい、そうですね、僕なりに何かロマンティックなものを作れないかなと思って、自分で漫画を書いて、それをツイッターに載せていこうかなとも思ってたんだけど、ちょっと僕があまりにも書くのが遅いんで、もうなんかとにかくめんどくさいなってなっちゃって、それで割とこう、あの、まあいつかやるかみたいな感じで温めてたものではあって、それをお見せしたら、えっとね、一場面だけ、もうほんと短いやつなんだけど、せいぜい8ページぐらいのやつかな、のやつを作ってたんで、それを出してたものをお見せしたって感じですね。 原田 4ページかな。4ページほどの意外とに短いんですよ。でもね、あれいいんですよね。 しおひがり 4ページか。そんな短かったか、でもそれであのいいですねって言ってもらって、じゃあ作っていきましょうかっていう風になった気がします。 芦塚 作っていきましょうってなったけど、そもそもそのwebtoon作るのがうちも初めてみたいな状態だったので、それどうしてこうかみたいな、多分初めはあれですよね キャラデザをどうしようかみたいなお話があり、多分しおひがりさんのお友達のAoさんにデザインお願いするのはどうかみたいな、で 割とそんな早いタイミングでデザインラフみたいなのはお願いして。今ディスコード見たら意外と7月にデザインラフが…。 原田 いや、やっぱりもうちょっと早いんじゃないかな、立ち上がりは。 芦塚 企画書の日付は8月になってたんですけど、多分6月にもう2回目にいらっしゃった時に、ネゴラブ見せてもらったのかもしれないですね。 原田 うん、多分そうだと思う。 しおひがり 多分そうですね、6月に行って、じゃあ次までになんか…。そうだ、なんかとにかくその1回目に行った時に原田さんがものすごい喋ったんですよ。すごいものすごい喋って、でなんかとにかく熱意を持って一緒にやりたいっていうことをすごい言ってくれて、それをすごい覚えてるんですけど、それでありがたいなと思いつつ、具体的にどういうことをしたいのかっていうのは全然見えてこなかったんですよ。 なんか断片的にWebtoonがっていう話がいくつかその話の中でワードとしてあって、でなんかWebtoonっていうのは結構頻出ワードだったんで、その打ち合わせ終わった後に帰りにその当時のプロデューサーに、今の話ってWebtoonをやりたいってことでいいんですかね?っていう風に聞いたら、そういうことですっていう風に言ってもらって、あ、それでなるほどってなって、で多分次の時にそのプレゼンをさせてもらったんじゃないかなっていう。