境を越えるインディーの“熱”―BitSummit the 13th 合同レポート【ハナ編】

初めまして。SKOOTA編集部のイ・ハナと申します。いやはや、今年の京都の夏は本当に暑かったですね。後輩のモブが素晴らしいレポートを届けてくれた【前編】に続き、この【後編】は、わたくしイ・ハナが担当させていただく運びとなりました。 モブくんが海外のインディーゲームに注目した一方で、私はやはり、自身のルーツである「韓国のインディーゲーム」のブースに、自然と足が向かっておりました。特に今回は、韓国コンテンツ振興院である「KOCCA」が大規模なブースを構え、多くの韓国インディーゲームが日本のゲーマーの方々に紹介されていたのです。 かつて韓国のイベントで出会った作品が、こうして日本の大きな舞台で注目を浴びている光景は、個人的にも胸が熱くなるもでした。さて、そんな思い入れも交えつつ、私がBitSummitで出会った、個性が際立つ二つの「韓国インディーゲーム」について、ご紹介していきたいと思います。 破滅のオタク:ローカライズの難しさにも負けないゲームの魅力 まずご紹介いたしますのは、チーム「キウィサウルス」さんが手掛けるアドベンチャービジュアルノベル、『破滅のオタク』です。実はこちらのゲーム、以前私が韓国のイベントレポートで取り上げたこともあるのですが、今回KOCCAブースの一員として日本に初上陸し、ブースは常にたくさんの方で賑わっていて、一人のファンとして大変嬉しく思っておりました。 ご存じない方のために改めてご説明しますと、このゲーム、「ネットゲームのオタクである主人公が、限定グッズの共同購入で集めた500万ウォンを使い込んでしまう」というとんでもない導入から始まる、破滅的な物語です。そのストーリーもさることながら、本作の真の魅力は、その「ゾッとするほどのリアリズム」にあると私は考えております。オタク特有の言い回し、コミュニティの空気感、自虐的な思考回路…。知っている方ほどニヤリとし、そして同時に「これは自分のことなのでは…?」と胸が痛くなるような、絶妙なラインを突いてくるのです。 今回、日本の会場で改めて本作に触れてみて「日本語でもプレイできる」ということに驚きと嬉しさを覚えた私でしたが、一点だけ、少しながら懸念が頭をよぎりました。それは、「このゲームの本当の面白さ、日本の皆様にどこまで伝わっているのだろうか?」ということです。このゲームの面白さは、韓国のネットミームやオタク文化への深い理解があってこそ、その真価が120%発揮されるといっても過言ではございません。もちろん、日本語へのローカライズも丁寧に行われておりましたが、文化の壁を超えなければ伝わらない、言葉の裏にある微妙なニュアンスはどうしても伝えにくいところだと感じました。 『破滅のオタク』というタイトルは、主人公の「ジンダ」を指す言葉ですが、もしかしたら、このゲームのディープなネタを一つ一つ理解し、「面白い!」と感じてしまう私たちプレイヤー自身もまた、一般の方から見れば「破滅」への道を歩んでいるのかもしれないと思いつつ…。そんな、自虐的で少し背筋の寒くなるような共感が、このゲームの本当の恐ろしさであり、魅力なのだと思うのです。 これからもローカライズの道は、きっと茨の道でしょう。それでも、この唯一無二のアートスタイル、破滅的なのにどこか愛おしさを感じてしまうストーリーと世界観、そして誰よりもオタクを理解している開発者の皆様の情熱が、日本を、そして全世界を魅了する日が来ることを、私は心から願っております。 Dimension Ascent:“ユーズマップ世代”が切り拓く、新たな次元への挑戦 続いてご紹介するのも、同じくKOCCAブースで出会った、2Dと3Dが融合したプラットフォーマーアドベンチャー『Dimension Ascent』です。視点を切り替えて次元を行き来する、というパズルアクションで、以前モブが紹介していた『LOVE ETERNAL』と通じる部分もあるかもしれませんね。 ゲームとしては、非常にバランス感覚に優れた優等生、という印象でした。ただ見ているだけでは進めない道を、視点を切り替えることで突破していく。この「ひらめき」の感覚がとても気持ちよく、難易度も「うーん…」と悩む時間と「これだ!」と試してみる時間のバランスが絶妙で、ストレスなく楽しむことができました。ストーリーが少し掴みづらいかも、という点はありましたが、それを補って余りある面白さが、このゲームにはあったと思っております。 しかし、私がこのゲームを取り上げたいと思った最大の理由は、ゲーム性そのものよりも、開発者の方のプロフィールにありました。ブースでお聞きした、「スタークラフトのユーズマップ制作者出身」という、短い一文。この記事を読んでいる日本の皆様に、この一文が持つ「意味」が、果たしてどれだけ伝わるでしょうか? 少しだけ、韓国のゲーム文化のお話をさせてください。90年代後半から2000年代にかけて、『スタークラフトStarCraft』は韓国で社会現象と呼ばれるほどの絶大な人気を誇りました。そして、その人気を支えた大きな要因の一つが、「ユーズマップ(Use Map Settings)」の存在です。これは、ユーザーがゲーム内の機能を使って、全く新しいルールのオリジナルマップを自由に作り、共有できるという、当時としてはかなり斬新な遊びの一環でした。つまり、ユーズマップ制作者とは、「ゲームの中で、新たなゲーム性を見出し、遊びを提供する人」「ユーザーを楽しませるためにコンテンツを生み出す、ユーザーの中の開発者」のような、特別な存在だったのです。 そんな、いわば「遊びの天才」が、今、インディーゲームという新たなフィールドで、ゼロからご自身の作品を創り上げている。この事実だけで、とてもワクワクしませんか? 既存のゲームの枠組みの中で新しい遊び方を発見してきたそのご経験が、「視点を変えることで新しい道を発見する」という『Dimension Ascent』のコンセプトに、見事に昇華されているように私には感じられました。 ゼロから始まったこの挑戦が、BitSummitという世界への扉をこじ開け、より多くのプレイヤーを魅了していく。そんな未来を、心から応援したくなりました。そんな開発者の方の「物語」ごと、ユーザーとして楽しめるな作品でございました。 国境を越えて、ゲームは“熱”を伝える さて、わたくしイ・ハナがBitSummitで出会った、二つの個性的な韓国作品をご紹介してまいりました。ローカライズの壁という大きな課題がありながらも、その奥にある「オタク」というカルチャーへの深い共感が魅力の『破滅のオタク』。そして、開発者の方のユニークな経歴が、ゲームシステムそのものに物語性を与えている『Dimension Ascent』。どちらの作品も、ただ「面白い」というだけでは語り尽くせない魅力に満ちていました。 今回のBitSummitは「国際性」そのものを肌で感じられる、素晴らしいイベントでした。モブが紹介してくれた海外のゲームも、私がご紹介した韓国のゲームも、作られた場所も言葉も、そして文化も異なります。ですが、その根底にある「面白いものを作りたい」という作り手の純粋な熱意と、「これはわかる」というプレイヤーの共感は、驚くほど似ているように感じました。 結局のところ、インディーゲームの面白さとは、完成された製品としてのクオリティだけではなく、そのゲームが「なぜ」「どのように」生まれたのかという物語や、作り手の「こだわり」や「情熱」に触れることにあるのかもしれません。BitSummitという場所は、そんなゲームが持つ「言葉を超えた力」を改めて実感させてくれる、最高の空間でした。 この熱気を胸に、私たちSKOOTAGAMESも、自分たちのゲームで誰かの心を動かせるよう、また明日から頑張っていこうと思います。最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました! 今回のBitSummit、締めの一言 最後に、今回のイベントにおける感想を一言で表すと…

新宿で出会った“読む”ゲームたち―DREAMSCAPE#3濃厚レポート

こんにちは、SKOOTAGAMESのネゴラブチームに所属しております、モブです。キーボードを叩く合間に、淹れたコーヒーの香りをそっと楽しむのが日課となりつつあります。 さて先日、私は新宿ルミネゼロで開催された、ノベルゲームオンリーのインディーゲーム展示会「DREAMSCAPE#3」へと足を運んでまいりました。「読む」ことを主体としたゲームだけが集まるという、なんともニッチで、しかしだからこそ奥深い魅力に満ちたこのイベント。会場は、物語を愛する作り手と遊び手の静かな熱気に包まれていましたね。 今回のレポートでは、そんなDREAMSCAPE#3で私が出会い、特に心惹かれた三つの個性的なノベルゲームをご紹介したいと思います。一口に「ノベルゲーム」と言っても、その表現方法やテーマは実に様々。ページをめくる手が止まらなくなるような、そんな作品たちとの出会いをお届けしましょう。 今日こそは_酔い潰れない_絶対に!:宅飲みの夜、グラスの向こうに揺れる“友情”と“本音” まず最初にご紹介するのは、街八ちよさんが制作された『今日こそは_酔い潰れない_絶対に!』という作品。タイトルからして、なんだかこう…身に覚えのあるような、ないような(苦笑)、そんな親近感が湧いてくる作品です。 物語の主人公は、20歳の大学生「有馬」くん。彼が友人の辰巳くんと宅飲みをしながら、お酒のペースを調整し、酔い潰れずに最後まで会話を続けることを目指す、という割とローグライクテイストなアドベンチャーゲームです。可愛らしいドット絵のキャラクターとは裏腹に、うっかり飲みすぎると即ゲームオーバーで最初からやり直し、というちょっぴりシビアな難易度が、逆に「今度こそ!」という挑戦意欲に繋がります。 公式サイトにも記載がありますが、本作にはいわゆるBL的な要素も含まれているとのこと。ただ、私のようにその方面に明るくない人間が見ても、キャラクターたちのやり取りは微笑ましく、爽やかな青春の一コマとして楽しめました。しかし、それだけで終わらないのが本作の面白いところ。ふとした瞬間に見せるキャラクターたちの立ち振る舞いとセリフでは、そのBLという要素があるからこそ「これから一体どういうことが…?」と、プレイヤーの想像力を掻き立て、物語の奥深さを感じさせる絶妙なバランス感覚が光っていました。 驚くべきことに、この『今日こそは_酔い潰れない_絶対に!』は、「ノベルコレクション」で現在無料で公開されています。1プレイ5分程度と手軽に遊べるボリュームながら、エンディングは3種類用意されており、それぞれに到達するための条件も考察のしがいがあるなど、無料とは思えないほどしっかりとした作り込み。キャラクターたちの細やかなドット絵の動きも、見れば見るほど愛着が湧いてきます。 イベントで様々なゲームに触れるたびに思うのですが、「ただ面白いゲーム」と「語りたくなるゲーム」というのは、似ているようで少し違うのかもしれません。本作はまさに後者で、プレイヤーそれぞれがキャラクターたちの何気ない一言や行動から異なる感情を読み取り、それを誰かと共有したくなる…そんな「余白」を持った作品だと感じました。開発者の街八ちよさんによれば、なんと今後の新作も無料で公開予定とのこと。この記事を読んで少しでも気になった方は、ぜひ一度、有馬くんと辰巳くんの宅飲みに付き合ってみてはいかがでしょうか。 柘榴団地:日常に潜む“ルール”と、監視カメラ越しの不穏な視線 次にご紹介するのは、きじなごさんが制作された一人称視点のホラーアドベンチャー『柘榴団地』です。街のどこかに掲げられている「団地アパートの日勤警備員求人募集中」という一枚の貼り紙と、それに付随するいくつかの奇妙な「ルール」。これだけで、もうお分かりですかね?はい、いわゆる「ナポリタン怪談」のテイストを色濃く感じさせる作品でした。 プレイヤーは、どういう訳か「柘榴団地」で日勤警備員として10日間勤務することになります。主な業務は、警備室での監視カメラチェックや来客対応、そして団地内の巡回。しかし、そこにはいくつかの厳守すべきルールが存在します。「住人には必ず挨拶すること」「来客には必ず来客リストに本名を記載してもらうこと」…そして、「白装束の女には絶対に声をかけないこと」。これらのルールを破ると、何か言葉では形容しがたい危険が遅い、今までの平和な日常を失ってしまいそう…そういう匂わせをとことんなく感じてしまう立派なナポリタンでしたね。 ゲームの操作自体はポイント&クリック方式で非常にシンプル。しかし、そのシンプルさとは裏腹に、画面全体を覆う黒と赤を基調とした落ち着いた色調、可愛らしいキャラクターデザインと不釣り合いな実写的な背景の組み合わせが、言いようのない不気味さと「何か良くないことが起こりそうだ」という圧迫感を常にプレイヤーに与え続けます。監視カメラのザラついた映像、たまにビックリさせる物音、住人たちの意味深な言葉…。じわりじわりと精神的に追い詰められていく感覚は、まさに良質なホラー体験そのものでした。 その中で私がこのゲームで特に興味深いと感じたのは、その「どこかで見たような感覚(デジャヴ)」の存在です。警備室のモニターで訪問者を確認し、リストと照合するシステムは、多くのプレイヤーがかの有名な『That’s not my Neighbor』を想起するでしょうし、監視カメラを通して異変を察知するという要素は『Five Nights at Freddy’s』シリーズを彷彿とさせます。試遊後、開発者の方と少しお話しする機会があったのですが、これらの作品から影響を受けたことをご本人から発言されたことに驚かざるを得ませんでした。 ともすれば模倣と取られかねないこの「影響」を隠さず、むしろリスペクトとして昇華し、そこに独自な世界観とストーリーをしっかりと構築している点に、私は制作者さんの真面目さと、なによりも「ゲームを作りたい」という強い情熱を感じました。驚くべきことに、制作者さんはゲーム制作を始めてまだ日が浅く、独学でここまで作り上げられたとのこと。その推進力と、既存の面白い要素を自分なりに解釈し再構築するセンスには、ただただ感服するばかりです。なので「あのゲームに似ているから」という先入観だけで本作を判断してしまうのは、非常にもったいない。もしどこかで見かける機会があれば、ぜひ一度、あなた自身の目で『柘榴団地』の日常を体験してみてほしいと思います。 Day Day Neon Tea:第四の壁の向こう側、タピオカティーが繋ぐ“体験” さて、今回のDREAMSCAPE#3レポートで最後にご紹介するのは、npckcさんが制作された『Day Day Neon Tea』。近未来を舞台に、ロボットやアンドロイドにタピオカティーを提供するという、これまたユニークなコンセプトのSFノベルゲームです。試遊時間は約5分と短めでしたが、その短い時間の中に、忘れられない強烈な「体験」が凝縮されていました。 ゲームを開始すると、プレイヤーは「ロボット規制委員会」のスタッフロボットから、まるで心理テストのような質問をいくつか投げかけられます。それに答えていく形で物語は進むのですが…しばらくすると、そのスタッフロボットが「ちょっと席を外します」と言って画面からいなくなってしまうのです。ここで「おや?」と思うわけですが、本当の驚きはその先に待っていました。 実はこのゲーム、試遊台のテーブルの上に、一枚のパンフレットが置かれていたんです。何気なくそれを手に取り裏返してみると、そこには手書き風の文字で「委員会を信用するな!!もしスタッフが離れて画面がスクリーンセーバーになったら、画面の左上をタップしろ!読み終わったらまた表に返すんだ!」という衝撃的なメッセージが…。言われるがままに画面の左上をタップすると、それまでとは全く異なる、隠された画面が現れ、物語は予想もしない方向へと転がり始めます。まさに、ゲームの世界と現実が交錯する「第四の壁」を打ち破る演出。この仕掛けには「なるほど」と感心しました。 正直なところ、この『Day Day Neon Tea』の試遊で体験した内容は、そのままPCやコンソルゲームの完成形として想像するのは少し難しいかもしれません。それくらい、この「DREAMSCAPE#3」というイベントの、あの場所、あの瞬間だからこそ最大限に輝く、極めて実験的でコンセプチュアルな作品だったと言えるでしょう。 しかし、だからこそ、このゲーム体験は私の記憶に強く刻まれました。試遊後、制作者さんが他のプレイヤーの方々と楽しそうにゲームの感想を語り合っている姿を拝見して、ふと思ったんです。もしかしたら、このゲームの本当の目的は、完成された物語を一方的に提供することだけではなく、このイベントという場で、ゲームというメディアを通して、人と人とが繋がり、驚きや楽しさを共有する、その「体験」そのものをデザインすることにあったのではないか、と。 npckcさんは過去にも多数の個性的な作品をリリースされており、そのどれもが既存のジャンルや枠組みにとらわれない自由な発想で作られています。今回の『Day Day Neon Tea』もまた、ノベルゲームという形式を借りながらも、その実態は「体験型アート」に近い何かだったのかもしれません。もし「ノベルゲームオンリーのイベントだから」という理由でDREAMSCAPE#3への参加を見送った方がいるとしたら、こんなにも刺激的で、固定観念を揺さぶるような作品がそこにはあったのだということを、ぜひ知ってほしいと思います。 DREAMSCAPEで受け取った、物語の“バトン” さて、三つの個性的な「読む」ゲームたちをご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。宅飲みの夜の他愛ない会話の中に潜む人間関係の機微を描いた『今日こそは_酔い潰れない_絶対に!』。日常に潜むルールと監視の恐怖を描いた『柘榴団地』。そして、第四の壁を越えて現実と虚構を繋いだ『Day Day Neon Tea』。 これらの作品に共通して感じたのは、どれもが単に「面白い物語」であるだけでなく、プレイヤーに何かを問いかけ、考えさせ、そして誰かとその体験を共有したくなるような「余白」や「熱量」を持っていたということでした。特に「DREAMSCAPE」という、ノベルゲームだけに特化したイベントだからこそ、作り手の方々も、より深く、よりパーソナルなテーマや実験的な表現に挑戦しやすかったのかもしれません。 会場は、大きな歓声や派手な演出こそありませんでしたが、一つ一つのブースで、開発者の方々が自らの作品に込めた想いを熱心に語り、プレイヤーは真剣な眼差しでその物語世界に没入している…そんな、静かで、しかし確かな情熱に満ちた空間でした。それは、物語というものの持つ根源的な力を再認識させてくれるような、素晴らしい光景だったと言えるでしょう。 今回のDREAMSCAPE#3は、私にとって、改めて「物語とは何か」「ゲームで物語を語ることの可能性とは何か」を深く考えるきっかけを与えてくれました。そして、そこで出会った素晴らしい作品たちと、それらを生み出したクリエイターの方々から、確かに熱い“バトン”を受け取ったような気がしています。このバトンを、今度は私自身のゲーム作りへと繋げていかなければ…そんな新たな決意を胸に、今回のレポートの筆を置きたいと思います。

ただ面白いだけじゃない―ゲムダン8で心が“動いた”瞬間とその理由【後編】

さて、大変お待たせいたしました。「休日出勤のTGD8で見つけたのは―日常の“裂け目”を覗く三つのゲーム【前編】」に引き続きまして、ここからは【後編】をお届けします。相変わらずキーボードの傍らには、すっかりお馴染みとなった冷めかけのコーヒー、SKOOTAGAMESのネゴラブチーム所属、モブです。 【前編】では、日常に潜む“裂け目”から、ちょっぴり背筋が凍るような、あるいは好奇心を強く刺激されるような三つの作品をご紹介しました。どれもが短い試遊時間ながら、確かなインパクトと、心にズシリと残る問いを残してくれましたね。 この【後編】で焦点を当てるのは、単に「面白い」という一言では片付けられない、プレイ後にふと、自分の心を見つめ直してしまうような、そんな瞬間を与えてくれたゲームタイトルたちです。例えば、ドット絵で描かれた終末世界の物語。あるいは、深夜の食堂で“人ならざる者”と交わす会話。そして、思わず再開したあるゲームまで… これらの体験がなぜこれほど私の心を捉え、そして「ただ面白いだけじゃない」と感じさせたのか、その理由を少しばかり紐解いていきたいと思います。 いずれの作品も、あのゴールデンウィークの喧騒の中で、出展者として、そして一人のゲーム好きとして私が感じた、忘れがたい“心の動き”を残してくれたものばかりです。それでは早速、【後編】最初の作品から、その「理由」を探っていきましょう。 人のいない世界に:静寂の世界で拾い集める、1時間の「密度」に込められた詩 【後編】のトップバッターを飾るのは、今回の東京ゲームダンジョン8で、私が思わず「これは…!」と息を呑んだ一作、『人のいない世界に』です。個人で開発されているというこのゲーム、試遊時間はわずか5分ほど。しかし、その短い時間の中で体験した世界の断片は、間違いなく「ただ面白いだけじゃない」何かを私に突きつけてきました。 本作は、どこか物悲しさを漂わせるドット絵で描かれた、終末後の世界を舞台にしたアドベンチャーゲームです。試遊で操作したのは、頭部が古いコンピューターのようになっている、人型のキャラクター。彼女(彼?)は、自分と同じような姿をしたコンピューターから失われた記憶のデータを回収し、かつて人間と共に過ごした日々の断片を追体験していきます。デモ版では、一つの記憶を回収するところで「今回はここまで」と、物語のほんの序章が示されるのみでした。 しかし、このゲームが私の心を強く捉えたのは、その圧倒的なまでの「プレイの密度」です。キャラクターの繊細な動き、画面遷移の丁寧さ、UIの配置や操作感に至るまで、ゲームを構成する最小単位の一つ一つが、驚くほど誠実に、そして堅牢に作り込まれているという印象を受けました。大げさではなく、「既に完成された製品版の、冒頭5分間だけを特別に遊ばせてもらった」と言われても納得してしまうほど。試遊後、私は開発者の方に思わず「(失礼ながら)プロの方ですよね…?」と尋ねてしまったのですが、これが1人で開発されていると聞いて、二度驚いたことを覚えています。 そして、さらに私を驚かせたのは、このゲームの「総プレイ時間は約1時間を想定している」というお言葉。Steamでのリリースを目指すインディーゲームが、1時間というプレイタイムをゴールにしている。この事実は、ともすれば「ボリューム不足」と捉えられかねないかもしれないと思いつつ、あの濃密な5分間を体験した後では、その言葉はむしろ、この1時間にどれだけの情景と感情を押し詰めるのだろうか、という期待感を抱かせるものでした。 昨今、多くのインディーゲームがプレイ時間の長さを一つのアピールポイントにすることも少なくない中で、本作のように「時間あたりの体験の密度」で勝負しようという姿勢は、非常に潔く、そして何よりも作り手の強い意志を感じさせます。それは、ただ長いだけの物語ではなく、一行一行が心に刻まれる詩のような、そんな濃密な1時間をプレイヤーに届けたいという、静かな、しかし確固たる情熱の表れではないでしょうか。この短い出会いの中で、私は確かに、そんな開発者の方の「想い」に触れた気がしました。 仕事終わりにあの店で:深夜のカウンター、人ならざる者と交わす“一杯”の会話 続いてご紹介するのは、からすまぐろさんが手掛けるノベルゲーム『仕事終わりにあの店で』です。タイトル通り、仕事でくたくたになった主人公が、夜更けにふらりと立ち寄ったお気に入りの店で、個性的な「人ならざる」お客たちと出会い、言葉を交わす…そんな一風変わったコミュニケーションが楽しめる作品です。試遊では、5人の攻略対象キャラクターの中から一人を選び、約10分間のひとときを過ごすことができました。 私が選んだのは、ローブを目深にかぶった『オルーニィ』というキャラクター。黒い球体っぽい顔に一つ目、鳥の鉤爪のような手と、なかなかにインパクトの強いお客さんでした。公式曰く「あなたのことを妙に気に掛ける怪しい常連客」とのことですが、まさにその通り。他にも魅力的な人外キャラクターが多く、誰と相席するかを選ぶのは嬉しいながらも大変でしたね。オルーニィは、どこか警戒心の強い主人公(私です)に対しても積極的に話しかけてくるのですが、その親密すぎる態度に、私はついつい「何か裏があるのでは…」と勘繰ってしまい、オルーニィの言葉の真意を探るのに必死になってしまいました。もしかしたら、一番怪しかったのは私の方だったのかもしれませんが(苦笑)。 このゲームを通して、私は「人外」というジャンルに初めて本格的に触れたのですが、そこには確かに独特の魅力があるのだと感じました。それは、私たちが普段キャラクターを見る際に無意識にかけてしまう、性別や年齢といった人間的なフィルターを一旦外して、その存在そのものと向き合える、という点なかと。開発者の方が「人外が好きなんです」と語っていた言葉も印象的で、その純粋な「好き」という気持ちが、このジャンルに馴染みのない私にすら、その面白さの一端を伝え、「もっと知りたい」と思わせてくれたのでしょう。 また、本作はサウンドデザインも非常に丁寧で、深夜のお店の落ち着いた雰囲気を見事に演出していました。特に、ウェイターさんが料理を運んでくる際、相手側と自分側とで、お皿を置く音の聞こえ方が微妙に違っていたのには感心しましたね。細部へのこだわりが、作品世界のリアリティをぐっと高めている良い例だと思います。 この『仕事終わりにあの店で』、実はBoothにてすでに無料公開されているそうです。「どこか不穏だけど魅力的な」人ならざる者たちとの一夜の語らい、興味が湧いた方は、この週末にでも体験してみてはいかがでしょうか。 子どもたちの庭:賽の河原で出くわした“再会”と、インディーゲームの熱 さて、【後編】の最後を飾るのは、私にとって、そしてこの「東京ゲームダンジョン8」というイベントの意義を改めて考えさせてくれた、特別な再会の物語を持つ作品、『子どもたちの庭』です。実はこちらのゲーム、以前私のレポートでも一度ご紹介したことがあるのですが、今回、より多くの魅力を携え、さらにパワーアップして再びこの場所に戻ってきてくれました。試遊時間は約10分。以前の内容に加え、さらに多くのステージと、ゲームの背景を深く知ることができる情報が追加されていましたね。 本作ご興味のある方はぜひそちらも探してみていただきたいのですが、改めてお伝えすると、「賽の河原」という伝承をモチーフに、無邪気な教育玩具の姿を借りて“地獄”そのものを描き出すという、強烈かつアイロニーに満ちた作品です。可愛らしいビジュアルとは裏腹のテーマが、プレイ中ずっと言いようのない“気味の悪さ”として心にまとわりつき、その感覚は今回さらに研ぎ澄まされていたように感じました。 今回、私がこの『子どもたちの庭』を再び筆に取ったのは、単に昔取り上げたゲームに再会できた喜びだけではありません。数ヶ月という時を経て、このゲームが着実に内容を充実させ、間近に迫ったリリースに向けて力強く歩を進めている模様。そして、その背景にあるであろう開発者さんの情熱と努力に触れた時、私の中で何かが強く揺さぶられたのです。インディーゲームの世界では、残念ながら全ての作品が順風満帆に完成へと至るわけではありません。それは、同じく“何か”を生み出そうともがく者として、痛いほど理解できる現実です。 だからこそ、本作のように困難を乗り越え、より魅力的になって帰ってきた作品との再会は、格別の感慨がありました。「開発者に締め切りを売るイベント」と主催者が語る東京ゲームダンジョンが、クリエイターたちの確かな推進力となり、作品を世に出すための素晴らしい循環を生んでいる。その一つの美しい実例を、この『子どもたちの庭』が示してくれたように感じました。これは、単に一つのゲームが完成に近づいたという話ではなく、インディーゲームという世界で日々奮闘する全ての作り手にとっての、小さな、しかし確かな希望の光ではないでしょうか。 もちろん、ゲームそのものの完成度も、以前体験した時からさらに磨きがかかっていました。子供たちの無邪気な声と不協和音が混じり合う独特のサウンドは、本作の持つアイロニーをより深く印象付けます。この、愛らしさと残酷さが同居する世界で、プレイヤーが最終的に何を感じ取るのか。その答えを確かめられる製品版のリリースが、今から本当に待ち遠しい、そんな希望を感じさせてくれる再会でした。 東京ゲームダンジョン8:祭りのあと、心に残った“熱”と“問い” さて、【前編】・【後編】と二度にわたりお届けしてきた「東京ゲームダンジョン8」のレポートも、いよいよ大詰めです。初めての出展参加は、嬉しい悲鳴の連続でしたが、あの会場の熱気と数々の個性的なゲームたちが心に残したものは、やはり特別なものでした。 【前編】でご紹介したゲームたちとはまた異なる形で、【後編】でお届けした『人のいない世界に』、『仕事終わりにあの店で』、そして『子どもたちの庭』は、それぞれが私の心を深く揺さぶり、「ただ面白いだけじゃない」確かな手応えと、多くの思索の手がかりをくれました。作り手の「好き」という純粋なエネルギー、言葉を交わすことの温かさ、そして一つの作品が成長し続ける姿がくれる希望…。そういったものが、今回のゲムダン8で私が受け取った、何よりの“お土産”だったように感じます。 出展者として会場を歩き回り、たくさんの来場者や開発者の方々と短いながらも言葉を交わす中で感じたのは、インディーゲームという世界が持つ、底知れないほどの可能性とそこに集う人々の純粋な熱意でした。この「東京ゲームダンジョン」という場が、そうした熱意をさらに大きなうねりに変え、新たな才能を世に送り出す素晴らしい循環を生んでいることを、今回改めて肌で感じることができました。 たくさんの刺激と、いくつかの個人的な宿題(主にネゴラブの進捗ですが…それはまた別のお話)を胸に、この祭りのような二日間を振り返っています。次にこの熱気に触れる時、私はどんなゲームと出会い、そしてどんな新しい“問い”を心に抱くことになるのでしょうか。 楽しみにしつつ、私はそろそろ定時なので帰ります。それではまた。