新宿で出会った“読む”ゲームたち―DREAMSCAPE#3濃厚レポート

こんにちは、SKOOTAGAMESのネゴラブチームに所属しております、モブです。キーボードを叩く合間に、淹れたコーヒーの香りをそっと楽しむのが日課となりつつあります。 さて先日、私は新宿ルミネゼロで開催された、ノベルゲームオンリーのインディーゲーム展示会「DREAMSCAPE#3」へと足を運んでまいりました。「読む」ことを主体としたゲームだけが集まるという、なんともニッチで、しかしだからこそ奥深い魅力に満ちたこのイベント。会場は、物語を愛する作り手と遊び手の静かな熱気に包まれていましたね。 今回のレポートでは、そんなDREAMSCAPE#3で私が出会い、特に心惹かれた三つの個性的なノベルゲームをご紹介したいと思います。一口に「ノベルゲーム」と言っても、その表現方法やテーマは実に様々。ページをめくる手が止まらなくなるような、そんな作品たちとの出会いをお届けしましょう。 今日こそは_酔い潰れない_絶対に!:宅飲みの夜、グラスの向こうに揺れる“友情”と“本音” まず最初にご紹介するのは、街八ちよさんが制作された『今日こそは_酔い潰れない_絶対に!』という作品。タイトルからして、なんだかこう…身に覚えのあるような、ないような(苦笑)、そんな親近感が湧いてくる作品です。 物語の主人公は、20歳の大学生「有馬」くん。彼が友人の辰巳くんと宅飲みをしながら、お酒のペースを調整し、酔い潰れずに最後まで会話を続けることを目指す、という割とローグライクテイストなアドベンチャーゲームです。可愛らしいドット絵のキャラクターとは裏腹に、うっかり飲みすぎると即ゲームオーバーで最初からやり直し、というちょっぴりシビアな難易度が、逆に「今度こそ!」という挑戦意欲に繋がります。 公式サイトにも記載がありますが、本作にはいわゆるBL的な要素も含まれているとのこと。ただ、私のようにその方面に明るくない人間が見ても、キャラクターたちのやり取りは微笑ましく、爽やかな青春の一コマとして楽しめました。しかし、それだけで終わらないのが本作の面白いところ。ふとした瞬間に見せるキャラクターたちの立ち振る舞いとセリフでは、そのBLという要素があるからこそ「これから一体どういうことが…?」と、プレイヤーの想像力を掻き立て、物語の奥深さを感じさせる絶妙なバランス感覚が光っていました。 驚くべきことに、この『今日こそは_酔い潰れない_絶対に!』は、「ノベルコレクション」で現在無料で公開されています。1プレイ5分程度と手軽に遊べるボリュームながら、エンディングは3種類用意されており、それぞれに到達するための条件も考察のしがいがあるなど、無料とは思えないほどしっかりとした作り込み。キャラクターたちの細やかなドット絵の動きも、見れば見るほど愛着が湧いてきます。 イベントで様々なゲームに触れるたびに思うのですが、「ただ面白いゲーム」と「語りたくなるゲーム」というのは、似ているようで少し違うのかもしれません。本作はまさに後者で、プレイヤーそれぞれがキャラクターたちの何気ない一言や行動から異なる感情を読み取り、それを誰かと共有したくなる…そんな「余白」を持った作品だと感じました。開発者の街八ちよさんによれば、なんと今後の新作も無料で公開予定とのこと。この記事を読んで少しでも気になった方は、ぜひ一度、有馬くんと辰巳くんの宅飲みに付き合ってみてはいかがでしょうか。 柘榴団地:日常に潜む“ルール”と、監視カメラ越しの不穏な視線 次にご紹介するのは、きじなごさんが制作された一人称視点のホラーアドベンチャー『柘榴団地』です。街のどこかに掲げられている「団地アパートの日勤警備員求人募集中」という一枚の貼り紙と、それに付随するいくつかの奇妙な「ルール」。これだけで、もうお分かりですかね?はい、いわゆる「ナポリタン怪談」のテイストを色濃く感じさせる作品でした。 プレイヤーは、どういう訳か「柘榴団地」で日勤警備員として10日間勤務することになります。主な業務は、警備室での監視カメラチェックや来客対応、そして団地内の巡回。しかし、そこにはいくつかの厳守すべきルールが存在します。「住人には必ず挨拶すること」「来客には必ず来客リストに本名を記載してもらうこと」…そして、「白装束の女には絶対に声をかけないこと」。これらのルールを破ると、何か言葉では形容しがたい危険が遅い、今までの平和な日常を失ってしまいそう…そういう匂わせをとことんなく感じてしまう立派なナポリタンでしたね。 ゲームの操作自体はポイント&クリック方式で非常にシンプル。しかし、そのシンプルさとは裏腹に、画面全体を覆う黒と赤を基調とした落ち着いた色調、可愛らしいキャラクターデザインと不釣り合いな実写的な背景の組み合わせが、言いようのない不気味さと「何か良くないことが起こりそうだ」という圧迫感を常にプレイヤーに与え続けます。監視カメラのザラついた映像、たまにビックリさせる物音、住人たちの意味深な言葉…。じわりじわりと精神的に追い詰められていく感覚は、まさに良質なホラー体験そのものでした。 その中で私がこのゲームで特に興味深いと感じたのは、その「どこかで見たような感覚(デジャヴ)」の存在です。警備室のモニターで訪問者を確認し、リストと照合するシステムは、多くのプレイヤーがかの有名な『That’s not my Neighbor』を想起するでしょうし、監視カメラを通して異変を察知するという要素は『Five Nights at Freddy’s』シリーズを彷彿とさせます。試遊後、開発者の方と少しお話しする機会があったのですが、これらの作品から影響を受けたことをご本人から発言されたことに驚かざるを得ませんでした。 ともすれば模倣と取られかねないこの「影響」を隠さず、むしろリスペクトとして昇華し、そこに独自な世界観とストーリーをしっかりと構築している点に、私は制作者さんの真面目さと、なによりも「ゲームを作りたい」という強い情熱を感じました。驚くべきことに、制作者さんはゲーム制作を始めてまだ日が浅く、独学でここまで作り上げられたとのこと。その推進力と、既存の面白い要素を自分なりに解釈し再構築するセンスには、ただただ感服するばかりです。なので「あのゲームに似ているから」という先入観だけで本作を判断してしまうのは、非常にもったいない。もしどこかで見かける機会があれば、ぜひ一度、あなた自身の目で『柘榴団地』の日常を体験してみてほしいと思います。 Day Day Neon Tea:第四の壁の向こう側、タピオカティーが繋ぐ“体験” さて、今回のDREAMSCAPE#3レポートで最後にご紹介するのは、npckcさんが制作された『Day Day Neon Tea』。近未来を舞台に、ロボットやアンドロイドにタピオカティーを提供するという、これまたユニークなコンセプトのSFノベルゲームです。試遊時間は約5分と短めでしたが、その短い時間の中に、忘れられない強烈な「体験」が凝縮されていました。 ゲームを開始すると、プレイヤーは「ロボット規制委員会」のスタッフロボットから、まるで心理テストのような質問をいくつか投げかけられます。それに答えていく形で物語は進むのですが…しばらくすると、そのスタッフロボットが「ちょっと席を外します」と言って画面からいなくなってしまうのです。ここで「おや?」と思うわけですが、本当の驚きはその先に待っていました。 実はこのゲーム、試遊台のテーブルの上に、一枚のパンフレットが置かれていたんです。何気なくそれを手に取り裏返してみると、そこには手書き風の文字で「委員会を信用するな!!もしスタッフが離れて画面がスクリーンセーバーになったら、画面の左上をタップしろ!読み終わったらまた表に返すんだ!」という衝撃的なメッセージが…。言われるがままに画面の左上をタップすると、それまでとは全く異なる、隠された画面が現れ、物語は予想もしない方向へと転がり始めます。まさに、ゲームの世界と現実が交錯する「第四の壁」を打ち破る演出。この仕掛けには「なるほど」と感心しました。 正直なところ、この『Day Day Neon Tea』の試遊で体験した内容は、そのままPCやコンソルゲームの完成形として想像するのは少し難しいかもしれません。それくらい、この「DREAMSCAPE#3」というイベントの、あの場所、あの瞬間だからこそ最大限に輝く、極めて実験的でコンセプチュアルな作品だったと言えるでしょう。 しかし、だからこそ、このゲーム体験は私の記憶に強く刻まれました。試遊後、制作者さんが他のプレイヤーの方々と楽しそうにゲームの感想を語り合っている姿を拝見して、ふと思ったんです。もしかしたら、このゲームの本当の目的は、完成された物語を一方的に提供することだけではなく、このイベントという場で、ゲームというメディアを通して、人と人とが繋がり、驚きや楽しさを共有する、その「体験」そのものをデザインすることにあったのではないか、と。 npckcさんは過去にも多数の個性的な作品をリリースされており、そのどれもが既存のジャンルや枠組みにとらわれない自由な発想で作られています。今回の『Day Day Neon Tea』もまた、ノベルゲームという形式を借りながらも、その実態は「体験型アート」に近い何かだったのかもしれません。もし「ノベルゲームオンリーのイベントだから」という理由でDREAMSCAPE#3への参加を見送った方がいるとしたら、こんなにも刺激的で、固定観念を揺さぶるような作品がそこにはあったのだということを、ぜひ知ってほしいと思います。 DREAMSCAPEで受け取った、物語の“バトン” さて、三つの個性的な「読む」ゲームたちをご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。宅飲みの夜の他愛ない会話の中に潜む人間関係の機微を描いた『今日こそは_酔い潰れない_絶対に!』。日常に潜むルールと監視の恐怖を描いた『柘榴団地』。そして、第四の壁を越えて現実と虚構を繋いだ『Day Day Neon Tea』。 これらの作品に共通して感じたのは、どれもが単に「面白い物語」であるだけでなく、プレイヤーに何かを問いかけ、考えさせ、そして誰かとその体験を共有したくなるような「余白」や「熱量」を持っていたということでした。特に「DREAMSCAPE」という、ノベルゲームだけに特化したイベントだからこそ、作り手の方々も、より深く、よりパーソナルなテーマや実験的な表現に挑戦しやすかったのかもしれません。 会場は、大きな歓声や派手な演出こそありませんでしたが、一つ一つのブースで、開発者の方々が自らの作品に込めた想いを熱心に語り、プレイヤーは真剣な眼差しでその物語世界に没入している…そんな、静かで、しかし確かな情熱に満ちた空間でした。それは、物語というものの持つ根源的な力を再認識させてくれるような、素晴らしい光景だったと言えるでしょう。 今回のDREAMSCAPE#3は、私にとって、改めて「物語とは何か」「ゲームで物語を語ることの可能性とは何か」を深く考えるきっかけを与えてくれました。そして、そこで出会った素晴らしい作品たちと、それらを生み出したクリエイターの方々から、確かに熱い“バトン”を受け取ったような気がしています。このバトンを、今度は私自身のゲーム作りへと繋げていかなければ…そんな新たな決意を胸に、今回のレポートの筆を置きたいと思います。

ただ面白いだけじゃない―ゲムダン8で心が“動いた”瞬間とその理由【後編】

さて、大変お待たせいたしました。「休日出勤のTGD8で見つけたのは―日常の“裂け目”を覗く三つのゲーム【前編】」に引き続きまして、ここからは【後編】をお届けします。相変わらずキーボードの傍らには、すっかりお馴染みとなった冷めかけのコーヒー、SKOOTAGAMESのネゴラブチーム所属、モブです。 【前編】では、日常に潜む“裂け目”から、ちょっぴり背筋が凍るような、あるいは好奇心を強く刺激されるような三つの作品をご紹介しました。どれもが短い試遊時間ながら、確かなインパクトと、心にズシリと残る問いを残してくれましたね。 この【後編】で焦点を当てるのは、単に「面白い」という一言では片付けられない、プレイ後にふと、自分の心を見つめ直してしまうような、そんな瞬間を与えてくれたゲームタイトルたちです。例えば、ドット絵で描かれた終末世界の物語。あるいは、深夜の食堂で“人ならざる者”と交わす会話。そして、思わず再開したあるゲームまで… これらの体験がなぜこれほど私の心を捉え、そして「ただ面白いだけじゃない」と感じさせたのか、その理由を少しばかり紐解いていきたいと思います。 いずれの作品も、あのゴールデンウィークの喧騒の中で、出展者として、そして一人のゲーム好きとして私が感じた、忘れがたい“心の動き”を残してくれたものばかりです。それでは早速、【後編】最初の作品から、その「理由」を探っていきましょう。 人のいない世界に:静寂の世界で拾い集める、1時間の「密度」に込められた詩 【後編】のトップバッターを飾るのは、今回の東京ゲームダンジョン8で、私が思わず「これは…!」と息を呑んだ一作、『人のいない世界に』です。個人で開発されているというこのゲーム、試遊時間はわずか5分ほど。しかし、その短い時間の中で体験した世界の断片は、間違いなく「ただ面白いだけじゃない」何かを私に突きつけてきました。 本作は、どこか物悲しさを漂わせるドット絵で描かれた、終末後の世界を舞台にしたアドベンチャーゲームです。試遊で操作したのは、頭部が古いコンピューターのようになっている、人型のキャラクター。彼女(彼?)は、自分と同じような姿をしたコンピューターから失われた記憶のデータを回収し、かつて人間と共に過ごした日々の断片を追体験していきます。デモ版では、一つの記憶を回収するところで「今回はここまで」と、物語のほんの序章が示されるのみでした。 しかし、このゲームが私の心を強く捉えたのは、その圧倒的なまでの「プレイの密度」です。キャラクターの繊細な動き、画面遷移の丁寧さ、UIの配置や操作感に至るまで、ゲームを構成する最小単位の一つ一つが、驚くほど誠実に、そして堅牢に作り込まれているという印象を受けました。大げさではなく、「既に完成された製品版の、冒頭5分間だけを特別に遊ばせてもらった」と言われても納得してしまうほど。試遊後、私は開発者の方に思わず「(失礼ながら)プロの方ですよね…?」と尋ねてしまったのですが、これが1人で開発されていると聞いて、二度驚いたことを覚えています。 そして、さらに私を驚かせたのは、このゲームの「総プレイ時間は約1時間を想定している」というお言葉。Steamでのリリースを目指すインディーゲームが、1時間というプレイタイムをゴールにしている。この事実は、ともすれば「ボリューム不足」と捉えられかねないかもしれないと思いつつ、あの濃密な5分間を体験した後では、その言葉はむしろ、この1時間にどれだけの情景と感情を押し詰めるのだろうか、という期待感を抱かせるものでした。 昨今、多くのインディーゲームがプレイ時間の長さを一つのアピールポイントにすることも少なくない中で、本作のように「時間あたりの体験の密度」で勝負しようという姿勢は、非常に潔く、そして何よりも作り手の強い意志を感じさせます。それは、ただ長いだけの物語ではなく、一行一行が心に刻まれる詩のような、そんな濃密な1時間をプレイヤーに届けたいという、静かな、しかし確固たる情熱の表れではないでしょうか。この短い出会いの中で、私は確かに、そんな開発者の方の「想い」に触れた気がしました。 仕事終わりにあの店で:深夜のカウンター、人ならざる者と交わす“一杯”の会話 続いてご紹介するのは、からすまぐろさんが手掛けるノベルゲーム『仕事終わりにあの店で』です。タイトル通り、仕事でくたくたになった主人公が、夜更けにふらりと立ち寄ったお気に入りの店で、個性的な「人ならざる」お客たちと出会い、言葉を交わす…そんな一風変わったコミュニケーションが楽しめる作品です。試遊では、5人の攻略対象キャラクターの中から一人を選び、約10分間のひとときを過ごすことができました。 私が選んだのは、ローブを目深にかぶった『オルーニィ』というキャラクター。黒い球体っぽい顔に一つ目、鳥の鉤爪のような手と、なかなかにインパクトの強いお客さんでした。公式曰く「あなたのことを妙に気に掛ける怪しい常連客」とのことですが、まさにその通り。他にも魅力的な人外キャラクターが多く、誰と相席するかを選ぶのは嬉しいながらも大変でしたね。オルーニィは、どこか警戒心の強い主人公(私です)に対しても積極的に話しかけてくるのですが、その親密すぎる態度に、私はついつい「何か裏があるのでは…」と勘繰ってしまい、オルーニィの言葉の真意を探るのに必死になってしまいました。もしかしたら、一番怪しかったのは私の方だったのかもしれませんが(苦笑)。 このゲームを通して、私は「人外」というジャンルに初めて本格的に触れたのですが、そこには確かに独特の魅力があるのだと感じました。それは、私たちが普段キャラクターを見る際に無意識にかけてしまう、性別や年齢といった人間的なフィルターを一旦外して、その存在そのものと向き合える、という点なかと。開発者の方が「人外が好きなんです」と語っていた言葉も印象的で、その純粋な「好き」という気持ちが、このジャンルに馴染みのない私にすら、その面白さの一端を伝え、「もっと知りたい」と思わせてくれたのでしょう。 また、本作はサウンドデザインも非常に丁寧で、深夜のお店の落ち着いた雰囲気を見事に演出していました。特に、ウェイターさんが料理を運んでくる際、相手側と自分側とで、お皿を置く音の聞こえ方が微妙に違っていたのには感心しましたね。細部へのこだわりが、作品世界のリアリティをぐっと高めている良い例だと思います。 この『仕事終わりにあの店で』、実はBoothにてすでに無料公開されているそうです。「どこか不穏だけど魅力的な」人ならざる者たちとの一夜の語らい、興味が湧いた方は、この週末にでも体験してみてはいかがでしょうか。 子どもたちの庭:賽の河原で出くわした“再会”と、インディーゲームの熱 さて、【後編】の最後を飾るのは、私にとって、そしてこの「東京ゲームダンジョン8」というイベントの意義を改めて考えさせてくれた、特別な再会の物語を持つ作品、『子どもたちの庭』です。実はこちらのゲーム、以前私のレポートでも一度ご紹介したことがあるのですが、今回、より多くの魅力を携え、さらにパワーアップして再びこの場所に戻ってきてくれました。試遊時間は約10分。以前の内容に加え、さらに多くのステージと、ゲームの背景を深く知ることができる情報が追加されていましたね。 本作ご興味のある方はぜひそちらも探してみていただきたいのですが、改めてお伝えすると、「賽の河原」という伝承をモチーフに、無邪気な教育玩具の姿を借りて“地獄”そのものを描き出すという、強烈かつアイロニーに満ちた作品です。可愛らしいビジュアルとは裏腹のテーマが、プレイ中ずっと言いようのない“気味の悪さ”として心にまとわりつき、その感覚は今回さらに研ぎ澄まされていたように感じました。 今回、私がこの『子どもたちの庭』を再び筆に取ったのは、単に昔取り上げたゲームに再会できた喜びだけではありません。数ヶ月という時を経て、このゲームが着実に内容を充実させ、間近に迫ったリリースに向けて力強く歩を進めている模様。そして、その背景にあるであろう開発者さんの情熱と努力に触れた時、私の中で何かが強く揺さぶられたのです。インディーゲームの世界では、残念ながら全ての作品が順風満帆に完成へと至るわけではありません。それは、同じく“何か”を生み出そうともがく者として、痛いほど理解できる現実です。 だからこそ、本作のように困難を乗り越え、より魅力的になって帰ってきた作品との再会は、格別の感慨がありました。「開発者に締め切りを売るイベント」と主催者が語る東京ゲームダンジョンが、クリエイターたちの確かな推進力となり、作品を世に出すための素晴らしい循環を生んでいる。その一つの美しい実例を、この『子どもたちの庭』が示してくれたように感じました。これは、単に一つのゲームが完成に近づいたという話ではなく、インディーゲームという世界で日々奮闘する全ての作り手にとっての、小さな、しかし確かな希望の光ではないでしょうか。 もちろん、ゲームそのものの完成度も、以前体験した時からさらに磨きがかかっていました。子供たちの無邪気な声と不協和音が混じり合う独特のサウンドは、本作の持つアイロニーをより深く印象付けます。この、愛らしさと残酷さが同居する世界で、プレイヤーが最終的に何を感じ取るのか。その答えを確かめられる製品版のリリースが、今から本当に待ち遠しい、そんな希望を感じさせてくれる再会でした。 東京ゲームダンジョン8:祭りのあと、心に残った“熱”と“問い” さて、【前編】・【後編】と二度にわたりお届けしてきた「東京ゲームダンジョン8」のレポートも、いよいよ大詰めです。初めての出展参加は、嬉しい悲鳴の連続でしたが、あの会場の熱気と数々の個性的なゲームたちが心に残したものは、やはり特別なものでした。 【前編】でご紹介したゲームたちとはまた異なる形で、【後編】でお届けした『人のいない世界に』、『仕事終わりにあの店で』、そして『子どもたちの庭』は、それぞれが私の心を深く揺さぶり、「ただ面白いだけじゃない」確かな手応えと、多くの思索の手がかりをくれました。作り手の「好き」という純粋なエネルギー、言葉を交わすことの温かさ、そして一つの作品が成長し続ける姿がくれる希望…。そういったものが、今回のゲムダン8で私が受け取った、何よりの“お土産”だったように感じます。 出展者として会場を歩き回り、たくさんの来場者や開発者の方々と短いながらも言葉を交わす中で感じたのは、インディーゲームという世界が持つ、底知れないほどの可能性とそこに集う人々の純粋な熱意でした。この「東京ゲームダンジョン」という場が、そうした熱意をさらに大きなうねりに変え、新たな才能を世に送り出す素晴らしい循環を生んでいることを、今回改めて肌で感じることができました。 たくさんの刺激と、いくつかの個人的な宿題(主にネゴラブの進捗ですが…それはまた別のお話)を胸に、この祭りのような二日間を振り返っています。次にこの熱気に触れる時、私はどんなゲームと出会い、そしてどんな新しい“問い”を心に抱くことになるのでしょうか。 楽しみにしつつ、私はそろそろ定時なので帰ります。それではまた。

休日出勤のゲムダン8で見つけたのは―日常の“裂け目”を覗く三つのゲーム【前編】

こんにちは、SKOOTAGAMESのネゴラブチームに所属しております、モブです。キーボードを叩いたり、たまに代表のコーヒーを淹れたりしながら、日々ゲーム開発という大海を漂っております。 さて、先日5月4日、ゴールデンウィークの真っ只中に開催されたインディーゲームの祭典「東京ゲームダンジョン8」に、何を隠そうこの私、そして我らがSKOOTAGAMESが、なんと初めて「出展者」として参加してまいりました。これまで二度ほど、いち来場者としてレポートを書かせていただいたこのイベントに、まさか自分たちのブースを構える側になるとは…。正直なところ、カレンダーの赤い日に会場へ向かう自分の背中を見ながら、「なぜ私は連休に働いているのだろう…」という哲学的な問いが、ほんの少し、ほんの少しだけ頭をよぎらなかったと言えば嘘になります(苦笑)。 しかし、ご安心ください。結論から申し上げますと、そんな些細な心の声などあっという間に吹き飛んでしまうほど、今回の東京ゲームダンジョン8は、熱気に満ち溢れた素晴らしい一日でした。3100人もの方が来場されたという会場は、連休中ということもあってか、ユーザーの方々はもちろん、開発者同士の交流もかつてなく活発だったように感じます。まあ、私たちが初出展だったから、そう見えただけかもしれませんが…。それでも、普段とは違う「作り手」としての視点でイベントの空気に触れ、たくさんの刺激的なゲームやクリエイターの方々と出会えたのは、本当に貴重な体験でした。 というわけで、今回のレポート【前編】では、そんな初出展のドタバタ 속(?)で、私モブのアンテナに特に強く引っかかった、独特の雰囲気を纏う三つの作品をご紹介したいと思います。ジメジメとした梅雨、そしてその先に待つ蒸し暑い夏を前に、ちょっと背筋が涼しくなるような、あるいは心がザワつくような、そんな個性的なゲームたちです。 Machico:モノクロ洋館で出会った、奇妙な“強烈さ” さて、今回の東京ゲームダンジョン8で、私が最初に足を踏み入れたのは、どこか懐かしい雰囲気と強烈な個性が共存するブースでした。スタジオジョニーさんが制作中という、『Machico』。ジャンルとしては2Dのホラー探索アドベンチャーゲームとのことですが、試遊台で体験できたのは、そのほんの入り口、ほんの10分にも満たない短い時間でした。 物語は、急に姿を消した友人を探し、古びた洋館へと足を踏み入れた主人公が、そこで不可解な出来事に巻き込まれていく…という、ホラーゲームの王道とも言える導入部から始まります。薄暗い洋館の中を一人、手探りで進んでいく感覚は、かつて夢中になった『青鬼』のような、あの頃のヒリヒリとした緊張感を思い出させてくれましたね。 しかし、この『Machico』が単なる懐古趣味に留まらないのは、その独特なアートスタイルと雰囲気作りにあると感じました。画面全体を覆うのは、 まるで古いモノクロ映画か、あるいは往年の恐怖マンガの一場面を切り取ったかのような、ざらついた質感の白と黒の世界。キャラクターも背景も、そのほとんどが陰影と黒い線で描かれており、見慣れない洋館の不気味さを一層際立たせています。このビジュアルが、探索という行為そのものに言いようのない不安感を付与し、「何かが出てくるんじゃないか」という原始的なホラー感をじわじわと煽ってくるんです。 そして、その予感は的中し、探索を進めるうち、突如として現れる異形の追跡者…。動物のような頭部を持ち、車椅子に乗りながら、その車輪にはなんとチェーンソーが取り付けられているという、一度見たら忘れられない強烈なデザインの“何か”が、こちらを執拗に追いかけてくるのです。その姿を目撃した瞬間、かつてインディーゲームシーンで話題を呼んだ『Year of the Ladybug』の、あのコンセプトアート群が脳裏をよぎりました。生理的な違和感と、どこか目を離せないような倒錯的な魅力が混じり合った、あの衝撃に近いものを感じたのです。 実はこの『Machico』、今回ご紹介する中でも特に、私自身が今後の展開に大きな期待を寄せている一本でもあります。というのも、制作されているスタジオジョニーさん、実は普段アニメーションを手掛けていらっしゃるチームだそうです。公式サイトで拝見した彼らの他のアートワークは、本作とはまた趣の異なる、温かみのある繊細なタッチで描かれたものが多かったのですが、その中にもどこか共通する“寂しさ”や“切なさ”のようなものが感じられ、それがこの『Machico』のミステリアスな雰囲気と不思議と響き合っているように思えたのです。 『Year of the Ladybug』が、いくつかのコンセプトアートだけで多くのゲーマーの想像力を掻き立てたように、現在進行形で制作が進んでいるこの『Machico』が、一体どんな完成形となって私たちの前に姿を現すのか…それを考えると、今から楽しみで仕方ありません。短い試遊時間ではありましたが、そんな未来への期待を抱かせるには十分すぎるほどの、“何か”を感じさせてくれる作品でした。 The Doppel:二色の悪夢で響く、己と向き合う“逃走劇” 『Machico』のブースを後にして、次に向かったのは、どこかミニマルながらも強烈な個性を放つ一角でした。こちらの作品は『The Doppel』。白と黒、わずか二色だけで構成された悪夢の世界を舞台に、自分自身を模した存在「ドッペル」からひたすら逃げ続けるという、シンプルなルールの2Dアクションゲームです。 主人公は、締め切りとプレッシャーに追われる小説家。そんな彼が、けたたましく鳴り響く出版社からの電話を取った瞬間、悪夢の世界へと引きずり込まれるところから物語は始まります。この導入だけでも、なんだかこう…記事を書いている人間にとっては、他人事とは思えないような妙な感覚を覚えましたね(苦笑)。 悪夢の中の主人公は、その名の通り自らの動きを忠実に模倣して追いかけてくる「ドッペル」から逃れるため、前へ前へと進まなければなりません。面白いのは、このゲームにおける光と闇の扱いです。暗闇の中にいる間は「ドッペル」もプレイヤーの前に出てこず、プレイヤーは完全にセーフ状態。しかし、一歩でも明るい場所へ踏み出せば、どこからともなく「ドッペル」が現れ、執拗な追跡が始まるです。そして、「ドッペル」との距離が縮まるにつれて、まるで主人公の気力そのものが吸い取られていくかのように、じわじわと体力が削られていくのです。 マップには様々なギミックも配置されており、ただ闇雲に突っ走るだけではすぐに「ドッペル」の餌食。試遊では、まず暗闇で安全を確保しつつマップの構造やギミックの動きを観察し、タイミングを見計らって一気に駆け抜ける…という、さながら往年の『バーガータイム』や『ロードランナー』のような、古き良きアーケードゲームを彷彿とさせる歯ごたえのあるアクションを体験できました。このシンプルながらも奥深いゲーム性には、思わず唸らされましたね。 しかし、この『The Doppel』が私の心に深く刻まれたのは、単にゲームとしての面白さだけではありませんでした。むしろ、プレイを終えて会場を後にした後に、じわじわとそのテーマ性が反芻された、とでも言うべきでしょうか。考えてみれば、このゲーム、別に無理して光の中へ進む必要はないんです。暗闇にさえいれば、少なくとも「ドッペル」に襲われる心配はなく、安全は保障されている。それでも、物語を進めるためには、光の中へ飛び出し、自分自身の影とも言える「ドッペル」と対峙しなくてはならない…。 この構造が、締め切りというプレッシャー、そしてそこから逃れたいという小説家の心理状況と、あまりにも見事にリンクしているように感じられたのです。すべてが二色だけで表現された世界もまた、安全な暗闇に留まるか、それとも困難に満ちた光の中へ進むかという、二者択一の厳しい現実を象徴しているかのようでした。逃げているようでいて、実は自分自身の内面と向き合わされているような、そんな不思議な感覚。短い試遊時間でしたが、このゲームが投げかける問いは、私の心に深い余韻を残してくれました。 新宿異変:夜の街角、一枚の写真に刻まれる複数の“結末” さて、今回のレポート【前編】でご紹介する最後の作品は、その強烈なキービジュアルに吸い寄せられるように足を運んだ『新宿異変』です。こちらは、夜の新宿を舞台に、街に潜む様々な怪異現象を写真に収めていくという、ホラーテイストの短編ビジュアルノベルといった趣の作品でした。試遊時間はわずか5分から10分ほど。しかし、その短い時間の中に、このゲームならではの個性がギュッと凝縮されていましたね。 ゲームが始まると、プレイヤーは簡単な状況説明と共に、どこか静かな夜の新宿の街へと放り出されます。そこで遭遇する、人ならざる“何か”の気配…。プレイヤーの目的は、これらの怪異現象をカメラで撮影すること。ただし、ここがこのゲームのキモでして、「適切な距離を保って」シャッターを切らなければなりません。対象に近づきすぎれば、正体不明の恐怖に呑み込まれてゲームオーバー。かといって、遠すぎれば何も写せず、成果もなし。まさに一瞬の判断と度胸が試される、緊張感あふれるシステムです。 私がこのゲームに強く惹かれたのは、何を隠そう、ブースで目にした一枚のキービジュアルでした。人型ではあるものの、明らかに“こちら側”の存在ではない、形容しがたい違和感を纏ったその姿…。どこかで見たような…そう、昨年デモが公開され、大きな注目を集めた『No, I’m not a Human』の、あの不気味ながらもどこか目を離せない魅力を持ったビジュアルに通じるものを感じたのです。こういう、一目見ただけで「何かヤバそうだ」と思わせるセンス、個人的にとても好みです。 そして、この『新宿異変』を語る上で外せないのが、「マルチエンディング」という要素でしょう。驚いたことに、この短い試遊版ですら、その片鱗を十分に味わうことができたのです。実は私、自分のプレイ前に、偶然お二方ほど他の方のプレイを後ろから拝見する機会があったのですが、なんと私を含めた三人の結末が、それぞれ全く異なっていたんですよ。もちろん、先ほども触れたように、このゲームは一歩間違えれば即ゲームオーバーという、いわゆる「死にゲー」的な側面も持っているので、それも多様な結末に繋がりやすい一因だとは思います。ですが、それにしたって、この短時間でこれだけ体験の幅を持たせているのは、単純にすごいな、と。 イベント会場で気になるゲームの試遊待ちをしていると、前の人のプレイで内容が分かってしまって、自分の番が来た時には少し興味が薄れてしまった…なんて経験、ありませんか? 特にストーリー重視のノベルゲームでは、それが致命的になることも少なくないと思うんです。その点、この『新宿異変』は、短い試遊の中に多様なエンディングを用意することで、何度見ても新しい発見があり、むしろ「他のエンディングも見てみたい」と思わせる。これは非常にクレバーな作りだと感じましたし、実を言うと、我々ネゴラブチームのゲーム制作においても、大いに参考にすべき点ではないかと、一人静かにメモを取った次第です。 日常の裂け目から垣間見た、三者三様の“気配”と次なる予感 というわけで、ゴールデンウィークの中、初めての出展という慣れない体験の合間を縫って巡り合った、私モブの心を特に強く捉えた三つのゲーム、『Machico』、『The Doppel』、そして『新宿異変』をご紹介してまいりました。 モノクロームの悪夢の中でアニメーションスタジオの新たな挑戦と未来への期待を感じさせてくれた『Machico』。二色だけで描かれた世界で、自分自身の影と向き合う逃走劇を強いた『The Doppel』。そして、夜の新宿という日常のすぐ隣で、無数の怪異と幾通りもの結末を突きつけてきた『新宿異変』。 どれも、日常に潜む「裂け目」から、得体の知れない「何か」が顔を覗かせているような、そんなヒリヒリとした感覚を呼び覚ます、個性的な作品たちでしたね。もちろん、初出展の身としては自分のブースのことで手一杯だったため、全てのゲームをじっくり堪能できたわけではありませんが、それでも作り手として参加したからこそ得られた刺激は、確かにあったように思います。 まあ、お世辞にも「最高な休日」とは言えませんでしたが、それでもこうして心に残る作品たちと出会えたのですから、結果オーライ、ということにしておきましょう。きっとそうです。 さて、この東京ゲームダンジョン8のレポートは、まだまだ終わりません。【後編】では、また少し毛色の異なる、しかしながら同様に強烈な個性を放つゲームたちをご紹介する予定です。果たして、次にお届けするのはどんな“裂け目”からの誘いなのか…。 ラブコメ X