「2024上半期KPOP事件白書 Part2 -Kep1er契約延長編-」Monthly KPOP Chit-chat Season2 #02

2024/10/09 事件白書Part2となる今回は、個人的上半期ナンバー1事件だった出来事について書きたいと思う。 それは、「Kep1er、7人体制での契約延長」だ。 何故契約延長が事件になるの?と疑問に思う方もいるかも知れないが、それはこれまで一度たりとも叶わなかった、不可能だと思われていた「期間限定グループ」の活動延長を現実にしてしまったからなのだ。 これはKPOP史に残る事件と言っても過言ではない。 Season1#1でKep1erを取り上げた際に書いた通り、Kep1erは2024年7月3日をもって活動終了、つまり解散する事はファンにとっては周知の事実だった。 何故なら、これまでMnet主催のサバイバル番組で誕生し、期間限定グループとしてデビューした全てのグループは例外なく、元々予定されていた活動期間終了と共に解散していたからだ。 Kep1erは2022年1月3日にデビューし、2年6ヶ月という活動期間が設けられており、7月3日を過ぎての活動は99%あり得ないと誰もが思っていた。 その大きな理由に、メンバーそれぞれ違う事務所に所属しており、全ての事務所と延長合意する事は不可能だと思われていたからだ。 現にマシロとイェソの所属する143エンターテイメントはKep1er延長に合意しなかった。 そして、マシロとイェソが抜ける=Kep1er解散であると勝手にファンが解釈していた節がある。 同じくMnetのサバイバル番組からデビューし、あれほど人気のあったIZ*ONE(現IVEのチャン・ウォニョン&アン・ユジン、現LESSERAFIMのチェウォン&サクラが所属していた)も、ほとんどの事務所とは合意出来たものの、一部の事務所と合意することが出来ず(IVEのデビューを準備をしていたSTARSHIPエンターテイメントが延長合意しなかったと言われているが真偽は不明)、予定通り2年6ヶ月で活動を終えていた事も、ファンがそう解釈した要因の一つであると思う。 従って、全事務所と合意出来ない限りKep1erの契約延長はあり得ないと著者も思っていた。 ではここで、契約延長がどのように報道されたか時系列で見てみよう。 2023年 9月23日 契約期間延長に向けて各事務所と交渉中の報道が初めて出る。 2024年 1月12日 WAKEONE(Kep1erの所属事務所)は契約延長を諦めておらず、引き続き各事務所と前向きに協議中と報道。 5月16日 7人組として再編成しての契約延長報道。事務所は報道を受け、「メンバー及び各事務所と議論中」とコメント。 5月17日 前日とは一転して各事務所との交渉に失敗。契約延長白紙の報道が出る。 5月30日 7人組として契約延長正式発表。 というような流れだった。 ここで注目したいのが、実は去年の9月の段階で延長に向けて交渉中という報道が出ていた点だ。 しかし、この時はどうせお決まりの延長アリバイだろうと思って誰も真面目に受け取っていなかったように思う。 IZ*ONEの時もWanna One(Mnetサバイバル番組から誕生したボーイズグループで2年6ヶ月で活動終了)の時も延長に向けて協議中と報道がされても、結局は予定通り解散した過去があったからだ。 そして、活動終了まで1ヶ月半となった5月16日に突然7人での延長というニュースが出て、ほとんどのKep1ian(Kep1erのファンネーム)は否定的だったように記憶している。 かくいう著者も9人で無いのなら延長反対派だったし、7人での延長はメンバーも望んで無いと勝手に決めつけていた。 次の日には延長白紙の報道が出て、まぁやっぱりそうなるよねと誰もが思った。 6月3日に発売される1stフルアルバム「Kep1goingOn」がKep1er最後の活動になるとKep1ian皆んなが思っていた。 7月13〜15日にKアリーナ横浜で行われるコンサートが解散コンサートになると誰も疑ってなかった。 ところがアルバム発売直前の5月30日に7人での契約延長が正式に発表されたもんだから、全世界のKep1ianが驚愕した。 と同時に複雑な気持ちの人が多かった。 特にマシロとイェソのファンはX(旧Twitter)で荒れていた人も少なくなかった。 それはそうだろう。 推しは居なくなるのにグループが存続してしまうのだから。 そして著者自身もとても複雑な気持ちだった。 推しのユジンが残ってはいるものの、7人となったKep1erを変わらず推し続けられるかこの時は正直分からなかった。 だが、9人最後のコンサートとなったKアリーナ横浜でのコンサートを3日間全通して、彼女たちのパフォーマンスに心打たれた。 9人最後のコンサートを悔いのないように全力でパフォーマンスをやり切るその姿と、「7人になっても私たちは進み続けるから一緒にこれからも付いてきて欲しい」という気持ち両方を感じ、7人での契約延長を初めて肯定的に捉えることが出来た。 きっとファンには分からないほどに悩んで出した結論で、Kep1erのメンバーはもっと高いところに行けると信じているのがヒシヒシと伝わってきた。 これまで前例のなかったMnetサバイバル番組から誕生した期間限定グループ初の契約延長を成し遂げたKep1er。 そんな彼女たちなら、ここからさらに高みを目指すことだって夢じゃないと思わされた。 そして、Kep1erとしての活動を終えたマシロとイェソは143エンターテイメントに戻り、新たなメンバーと共に、奇しくも新生Kep1erと同じ7人組としてMADEINという新しいグループで9月3日に再デビューを果たした。 対して7人となったKep1erは最近も精力的に活動している。 7月にはKCON LAで7人としての初パフォーマンスをし、8月には日本初開催となったThe Fact Mucic AwardsでGlobal

「大Webtoon時代を揺るがした異端児のマンガ」HELLPER論前編-Road to Webtoon#4

時はまた遡って2011年度の夏。中学生になった筆者はいつもの通りWebtoon好きのオタクだった。 いや、むしろその時期の自分こそ「人生でもっともWebtoonが好き」だったのかもしれない。 手のひらくらいあったちっちゃいタブレット画面上で「どこでも、いつでも漫画が読める」という感覚は、幼い自分を含めて多くの中高生を魅了させるに足るものだった。10代にスマホが普及され始まった2010年度以来、指先でスクロールして読める縦読み漫画、すなわち「Webtoonの体験」はあり得ないスピードで我々の生活に浸透してきたのだ。ゆえに当時中学生だった筆者からするとあの時期はもう大海賊時代、いや、大Webtoon時代の始まり、だといっても良いくらい。 そしてWebtoon読者に中高生がたくさん流入されたという現象が、当時の人気作品の並びにも影響を及ぼし始めた。それで現れたのが学園モノの台頭。ジャンルは問わないが、主人公がともかく中高生であることに何らかのこだわりを感じているような作品が次々と出てくる。 『ゴット・オブ・ハイスクール』、『千年の九尾』、『オレンジマーマレード』、『ファッション王』、『高3が家出した』、『こんなヒーローはイヤ!』… まさに2011年度に連載を始めた作品を見ていると、なにげなく思い浮かぶこと。色はそれぞれ違う作品の中身に、主人公だけ中高生に切り替えたという感想が突き出てしまう。 相当生意気な考え方かもしれないが、Webtoonに対して謎のこだわりを抱えていた思春期の自分は、その時代の流れというものに飽きれたのかもしれない。 突然現れた「異端児」のWebtoon 『HELLPER』(2011) 「やっぱりはやっぱりやっぱりだな」 都市を守るガードトライブのリーダー「ジャン・グァンナム」。彼が謎の交通事故で亡くなった後、幽明から広がる感性アクションファンタジー漫画。(著者訳) -『HELLPER』シーズン①「MADMAN」の説明 その中で突然現れた作品があった。どこか既視感を覚える当時のWebtoon界に、新しい「異端児」が。だからといってそんなに斬新でもなく、そんなに見慣れてもいないこの作品に筆者は何らかの違和感を覚えていた。 「ヤクザが育つ温室」とも呼ばれる、ガナ市出身の主人公ジャン・グァンナム。グァンナムは生まれ育った町をヤクザから守るために、地域の不良を集めてガードトライブ(自警団)の`キルべロス`を結成する。優れたリーダーシップで町を守っていた彼だが、不意の交通事故により死亡。死後、地獄行きを意味する黒いチケットが与えれたグァンナムは自らの運命に逆らおうとする。噂によると、黒いチケットを100枚集めることで天国に行けるか、もしくは転生ができるという。現世に残っている恋人の子供として転生するために、グァンナムは残り99枚のチケットを集めることを決心するが… シーズン①「MADMAN」のあらすじ 今見ても珍しい、個性豊かな絵柄。方言が混じってて多少読みづらいキャラのセリフ。しかも当時人気だった学園モノでもない、意外とゴリゴリの少年漫画の雰囲気を感じられる。少年漫画といえば『ノブレス』(2007)や『神の塔』(2010)が覇権を握っていたあの時期に、連載を始めた『HELLPER』には不幸にも当初、あまりいい反応を得られなかった。 ロマンは照れ臭い言葉となり、感性は中二病になってしまった。余裕は暇な人間しか持てないという。「情熱」という言葉がダサくなかった、あのころが懐かしい。 -『HELLPER』175話 連載開始から苦汁をなめていた『HELLPER』は、幸いにも4年間続いたシーズン①を成功的に終える。しかも最終話まですごい勢いでファンを増やしていった『HELLPER』は、上記の二作を追い詰め、最後に至っては連載曜日の覇権を握ってしまう。その人気は2年後にまた続き、再度連載を始めたシーズン②は成人向けだったにも関わらず堂々と連載曜日の人気ランキング一位まで登り詰めた。 筆者もどこかで見たような、それでもなんか馴染み薄いこのWebtoonのことが大好きだった。背景によって変わり続ける絵柄を含め、分かりづらいけど生々しいセリフの書き方、独特に見えてもちゃんと王道を歩む展開、年齢制限をギリギリまで試すような表現まで…簡潔に言って、上手く作り上げた構成にも関わらずどこかあやふやに見えてしまうWebtoonだったと、ここではつづめておきたい。 しかし何らかの誤解が生じる前にここで一点、皆さんに伝えたいことがある。これから説明していく『HELLPER』の「異端児」らしさは、単に当初の評価を覆して覇権を握ったという上記の話とはまた別のものとして取り扱うつもりだ。 『HELLPER』はどうやって売れる作品になったのか。もちろんそれも興味深い話題であるには違いない。しかし、これから語っていく『HELLPER』がWebtoon界に残した足跡はそういう数値の変化にとどまらないと、筆者は言い添えておきたい。何より『HELLPER』は、連載を始めた2011年度からシーズン②の連載を終えた今月に至るまで、Webtoon界に一番多くの変化をもたらした一作であることを忘れないように。 Webtoonの読み方からして、産業全般にかかわる検閲に至るまで… 果たして、Webtoon界に変化をもたらしたその「異端児」らしさとは。 既存のWebtoonの「読み方」に抜けていたもの:スクロール漫画の完成は読者の指先から 『HELLPER』が最初、注目を集めた要素は意外とその「読み方」にあった。 「Webtoonはそもそも縦読みではなかった。」今までの記事を読んできた皆さんは何度もこの文章を目にしたはずだ。 「単純にコマを縦に並べただけの漫画」に縦読みの理由を示した『強いやつ』(2008)から、Webtoonの読者に「デジタルで漫画を読むという自覚」をもたらしたホランの『オクス駅の幽霊』(2011)に至るまで。 その二作品すらついに見逃してしまったことに『HELLPER』は突然、ある疑問を投げかけてきた。 それは、あくまでも読む側がコントロールを握っているWebtoonの読み方に対して、「ここはもっと早く・ゆっくりスクロールを流してもらえませんか?」と堂々と言いかけてくるようなものだった。 限られているWebtoonのスペースの中、一見すると意味のないコマが続く。それは作者が残した「※スクロール:はやく▼」を目にする途端、既存のWebtoonとはまた違う感覚をもたらす一つの装置と化するのだ。 実際スクロールのスピードを示す一言がどれだけ作品の質の向上に貢献したかは不明なものの、それを目にした読者の頭にはたぶん今まで気づいてなかった感覚が芽生えてしまうのであろう。普段自然に受け止めていた読み方の要素。すなわち我々は、いやでもWebtoonを読む「自らのリズム」に向き合ってしまうのだ。 このシーンはより早く、このシーンはもっとゆっくり。 それを意識することで読者の視野には各々の差が生じてくる。普段コマをじっくりと観察していた読者は読んでるシーンの緊迫さと迫力を体験する一方、ついついとスクロールを流していた読者はかつて見逃してしまった細かいところに気づく。 スクロール漫画の完成は読者の指先から(著者訳) -SAKK(第10話、作者の一言より) もちろんこういう作家の一言に対して、「余計なお世話」だと指摘する声も当然ありうるわけだ。 しかしSAKKの一言の通り、この発想はおそらくパラパラの横読み漫画上だとたどり着かなかった、縦読みのWebtoonならでは意識上で生み出されている。ゆえに確か、一見すると冗談にしか見えないこの一言の行く先は、ちゃんとスクロール漫画の「完成」に向けて書かれていたと、筆者は評価しておきたい。 漫画に限らないWebtoon:音楽からファッションに至るまで 他にも『HELLPER』といえば思い浮かぶ特徴がある。それは作家のSAKKが、『HELLPER』を通して他のジャンルとよくコラボを行うということ。 例えばWebtoonに入るBGM。Road to Webtoonの第2話で説明したように、ホランという作家の登場以来、Webtoon内にBGMをつけることはどんどん一般化していた。ゆえにBGMの機能そのものはさほど珍しくなかったものの、『HELLPER』はその中でも載せる曲のユニークさで評価されていた。 この曲の選定については、SAKK本人が音楽業界に顔が広いのか、知り合いのプロデューサーから直接曲をもらって作品に載せたと知られている。そのプロデューサーの中には韓国のヒップホップ界で有名な人も混じっていた。(例えばLoptimistとか)『HELLPER』がやたら韓国のヒップホップシーンと関わりを持っていることも、その影響なのかもしれない。 その一例が上に曲を載せているC JAMMのケース。彼はグァンナムのセリフ「やっぱりはやっぱりやっぱりだな」をオマージュして曲を出すほど、『HELLPER』のファンであることを公言していた。その『HELLPER』に対する強い思いはSAKK本人も承知の上、C JAMMのカメオキャラクターを作品内に登場させることすらあった。 こういう流れは作品内でどんどん広まっていき、のちには作品と関りのない有名人をカメオとして出演させたのではないかという疑惑を生み出していった。例えば、アイドルであるBTSのRMとWINNERのソン・ミンホをパロディしたような「ジャップモン」、「マイナー」というキャラが出てくるとか。どう見ても韓国の有名アーティストのIUをモチーフにしているような「イ・ジグム*」というキャラも出てくる。ゆえに作品を読んでいる読者からすると、「私が知っている有名人がこんなキャラになっていて面白い」とか「関係のない人を勝手に費やしている気がして不快だ」という反応が生まれてくるわけだ。 *IUはSNSやコンテンツなどで自らを「イ・ジグム」と称することが多い。 有名人をカメオとして出演させることについて、アイドルのファンから怒りを示しているという記事の一部。(引用:https://www.busan.com/view/section/view.php?code=2020091317290798490)

「艦船模型と’解像感’」 そのうちコマ撮りアニメに横すべりするはずの模型のはなし #03

前回は模型におけるリアルはある種のデフォルメなんじゃない?というような話をしてきましたが、この辺りは模型作ってるひとたちからすると「あたりまえ」でしかないかもしれませんね。どこまで細かく作るか、というのは、これ以上はやらない(やれない)ということと表裏です。そこには常に判断がある。それが模型のセンスだったりすると思うのです。「雰囲気でディティールアップ」という言い方もよく見かけます。考証的にどうこうよりも、雰囲気重視で細かさを足す感じでしょう。このあたりもうまく嘘をついてリアリティを演出する話で、絵描きとも近い発想かもしれません。 さて、模型にする対象が巨大な構造物であればあるほど、スケールダウンする幅が大きいので、「どこまで細かくするか」の判断がより際立って重要になります。 例えば一般的な自動車の模型だと、24分の1とか48分の1、戦車だと35分の1とか72分の1、飛行機でも24分の1から72分の1、そう考えると鉄道のNゲージで150分の1というのは、相当縮尺が小さい部類ですね。 ところが船の場合はさらに小さくなる。例えば全長350mの船を24分の1の縮尺で作ろうとしたら、全長14.3mで、ちょっとしたボートくらいのサイズになってしまう。それはさすがに無茶なので、艦船模型の主流は700分の1とか350分の1みたいです。350分の1だと、350mの船が1mの模型になる。これは家に飾るにはちょっと大きいですが、立派には見える。700分の1でやっと50センチ。このあたりが現実的でしょうか。 ちなみに、アメリカの最大の航空母艦がだいたい330mくらい、世界最大のタンカーで460mくらいらしく、このあたりが最大値だとすると、その他の船は、当然それよりは小さい。700分の1の縮尺であれば、概ね50センチ以内のサイズになるわけです。というわけで、艦船模型では複数のメーカーが横断的に「700分の1で作っていきましょう」みたいな取り決めをしてたくさんのキットを出してます。(ウオーターラインシリーズ、喫水線より上、つまり水上部分のみをキット化していくシリーズです。) で、700分の1ってどんなサイズかというと、 身長180センチのちょっと大きめのガタイの人が、2.5mmくらいの身長になるサイズですね。小さい。小さいけど見えないほどではない。350分の1だと5mmになりますから、その場合は人は米粒サイズですね。これだとちょっと人のディティールが見えてくるかな。このあたりのサイズの話を執拗にするのは、後で艦船模型のディティールアップに関する話をする布石なのでご了承ください。 子供の頃、艦船模型もたくさん作りました。私がそこそこたくさん作ったのは700分の1の軍艦。概ね旧海軍の軍艦ですね。当時は現代の艦船のキットはあまり出てなくて、旧軍時代の軍艦が主流でした。(このあたりのプラモデルと旧帝国時代の軍事アイテムの相性の良さ、というか、そもそもナショナリズム教育と兵器と模型の関係みたいな話は別途やります。) ご多分に漏れず、有名艦は作りましたよ。大和とか赤城とか、そういうやつです。あと、地元の山の名前になってる摩耶も作りました。(摩耶は、「火垂るの墓」の兄妹のお父さんが乗艦していた設定の巡洋艦ですね、確か。庵野秀明が詳細に描き過ぎたのを、高畑勲が撮影で黒く潰しちゃったってやつです。) フォルムで言うと、大きな大砲を積んでる戦艦の類は、子供にもわかりやすいんですよ。子供としては、先に宇宙戦艦ヤマトを見てるし。難しいのは空母で、艦の上面は飛行甲板でまあ平らな板ですよね。で、それをなんやかんやで支えているわけですが、なんかよくわからなくなるんですよね、構造とか。その板の下はどうなってるのかな、とか。700分の1のサイズのプラモデルで内部が再現されてる訳でもないし。で、戦艦はわかりやすいと言っても、それは大砲とか煙突とかの話で、そこで人がどの程度のサイズで、どの部分を動き回ってるのか、まではいまいち想像できない。上で書いた人のサイズの計算とかも、子供の頃はしないし。 なので、なんとなくのフォルムはわかるけど、細部が曖昧だなぁ、というのが正直な気持ちでした。 ところがですよ。模型作りから離れてずいぶん時間がたって、インスタで模型の画像を眺め始めて、ビビったわけです。もう子供のころ作ったことのあるキットとは見栄えが全然ちがう。なんかすごい精細なんですよ。解像度がパーンと跳ね上がったような。ブラウン管のテレビから、いきなり4K8Kのモニターに交換したみたいな。 これには何か秘密があるはず・・・ってもったいつけても仕方ないですが、そうです、「手すり」ですね。「手すり」が再現されているんですよ! めったに乗らないけど、私も船に何度か乗ったことあります。当然、海におっこちないように手すりがついてますよね。トップガンでも、トム・クルーズが海を眺めてカッコつけてるとき、手すりがあるので安心です。グースの認識票を海に投げこんだりするときに大きく振りかぶっても平気。手すりなかったらちょっと怖い。そりゃそうだ、軍艦だって人が乗ってるわけだし、海に人を落っことしながら進むわけにもいかないから、当然「手すり」ついてます。 で、この手すりが重要なのは、軍艦だけではなくて、日常の中にもそこいらじゅうにありますから、手すりがあるだけで人間のサイズを可視化できるわけです。 手すりの高さって、大体80センチとか100センチとかでしょうか。場所によっては120くらいあるのかな。人間の身長が2.5mmなら、手すりは1mmから1.5mmくらいですよ。めちゃ細かい。めちゃ細かいけど、これがあることで、とたんに「人がそこにいる」ことがわかるようになる。手すりがついてるとこは、「人が行くとこ」なわけです。もちろんね、1.5mmくらいのサイズですから、ぶっちゃけ完全に実物通りであるということではないと思うんですが、とはいえ設置箇所なんかは資料をもとにみなさん作られてるので、あーそこは通路だったのか、とか、艦の外側の壁面に3列分通路が設置されていれば、ああ、この艦のこの部分は3階建くらいの感じかーとか、このタラップ急だなぁ、登るの大変そうだな、とか、とにかく船の模型に生身の人間の物語が重なってくるのです。 こうした模型の細部を改造して、細部の再現性をアップすることを、ディティールアップっていうのですが、この楽しみを強力に後押しするのが「エッチングパーツ」という、薄い金属でできた部品です。細かすぎるサイズの部品は、プラスチックだとうまく成形できないので、どうしても艦船プラモデルの部品はディティールが甘くなりがちで、これは素材の性質上どうしようもないことなんですが、金属ならもっと細かい部品をつくれる。それもエッチングという技法でやる。エッチングは、電子機器の基盤とかを作るのにも使われる技法で、金属の表面をコートしたところ以外を酸で溶かしちゃう技法で、コートを印刷してしまうことで、非常に細かい細工を金属板に施すことができる。電子機器の基盤を見たことある人であれば、細かい金属の線が綺麗に張り巡らされて、たくさんの部品を繋いでるのを想像できると思うけど、あのような細かさなので、数ミリの手すりとかも作り出せるわけです。で、そういうディティールアップ用のエッチングパーツが販売されてるんですね。もちろん、パーツがあるといっても、めちゃくちゃ細かい部品だし、それを小さな船の模型に資料をもとに張り巡らせていくのは気が遠くなるほど神経質な作業だから、誰もができるわけじゃない。モデラーの中には、そうした市販のパーツを使わず、全て自作でディティールアップしている強者もいて、そうした神業モデラーが公開している作業動画とかを見始めると、ほんとうにびっくりするくらい時間が溶けていく。非常に困るね。 というわけで、子供の頃なんだかモヤっとするなぁと思っていた艦船模型は、近年大幅に解像度を上げたのです。目でものを見た時の解像度というか、解像感と言ったほうが良いかもしれない。模型で細部が再現されているとなんだか目の解像能力が上がったように感じる。もちろん視力が変わるわけじゃないので、これはそれだけ対象がくっきり見えるような錯覚なんですが、そのもののサイズに対して見えている情報量が増えたからでしょう。模型をみて、なんだかそこだけくっきり見えるような錯覚は、空間変調みたいで楽しい。 ちょっと前に「模型みたいな実写」という写真が流行りましたが、あれと似た原理かも。あれは被写界深度を思いきり浅くして実景を撮影すると、前後がボケて、まるでミニチュア模型を撮影したみたいになる。それを空撮とかで街区全体を撮ると、まるで精巧なジオラマをみてるみたいになる。対象は実物なので、当然ながら細部までしっかりと写ってる=超絶情報量なわけで、認知的にはミニチュアを見てるつもりなのに情報量が異常に多いので、なにかとてつもなく精巧なミニチュアを見てるような気分になるんですよ。 で、これは余談なんですが、スカイツリーを見に行ったときも同じ感覚がありました。スカイツリーはトラス構造が剥き出しのタワーですが、下から見上げると、なんだかちょっと目が良くなったような気がするんですよ。たぶん、常識的なトラス構造から想像するサイズよりも実際のスカイツリーがでかいので、細部まで見えてるように錯覚しちゃうんだと思うんですよね。これは認知の問題なので、他のトラス構造の構造物のサイズ感に関して、ある程度「常識」が出来上がってるからそうなるんだと思います。なので誰でもそうなるとは言えないのだけど、このあたりの「精密さ」と「解像感」の関係には、緻密さを演出する上でのヒントがあるように思います。 もう一つ、前回の話題につなげて「水」の表現の話も。 船は当然、海なり湖なりに浮かんでるわけです。潜水艦なら水の中。単体の模型であればいいのだけど、では艦船模型を使った「情景」はどうするのか?というのは、とにかく「水」「水面」「波」をどこまでうまく模型で再現するか、という課題でした。 子供の頃見かけたのは、概ね石膏を流しこんで固めたり、紙粘土で波頭を作って塗装して、表面を透明アクリルで塗って仕上げたりしたもの。もちろん、そういう手法で超絶な水面表現している作品は今も作られている。しかし、透明度の高い樹脂を用いた水中模型の登場は、新しい素材ならでは。波打ち際などの再現でも、やはり水の表面の透明度は樹脂でないと難しい。(表面に透明のプラ板を貼るという作例を見たことがある。あれは子供心に工作難易度高いなぁと思ってた。)船の模型といえば飾り台に飾られているものだったので、情景表現の幅が広がるのは非常にうれしい。 で、艦船模型の中でもここまで基本的に「プラモデル」ベースの話をしてきたのだけど、やはり艦船模型の頂点は、むしろ木製の帆船模型かもしれないと、心の片隅で思ってる自分がいます。これこそまったく自分が足を踏み入れたことのない世界ではありますが、ますます魅力的なので、次回はそのあたりの話題と、蒸気機関とロイヤルネービーの大英帝国だからこそ、イギリス人は鉄道模型と艦船模型を好むのだろうか?というあたりの話題に移りたいと思います。帝国主義と模型の話題はその後にしましょう。 はらだ #01を読む #02を読む