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ゲスト、パーソナリティ
Guest, Personality
ゲスト:ミチノク峠
Animation Creator / Game Art Designer アニメーション制作を中心に活動。現在は『ミチノク峠』というショートアニメ製作・投稿中
mainly engaged in animation production. Currently, I am producing and posting a short anime called “Michinoku Toge”.
パーソナリティ:迫田祐樹
通信会社、総合広告代理店を経て、アニメ企画&制作会社を起業し、MV〜映画の映像プロデュース。2021年に京都に移住し京都のエンタメ産業の盛り上げにも着手。直近ではマンガやオーディオのエンタメ領域にも従事。オーディオドラマ、webtoonの企画&制作中。加えて複数のエンタメ会社のプロデューサーやアドバイザーをつとめる。
Personality: Yuuki Sakoda
After working for a telecommunications company and a comprehensive advertising agency, he started an anime planning and production company and produces music videos and films. In 2021, he moved to Kyoto and started working on promoting the entertainment industry in Kyoto. He is currently also working in the entertainment field of manga and audio. He is planning and producing audio dramas and webtoons. In addition, he serves as a producer and advisor for multiple entertainment companies.
全体の目次
#01
・かずのこさんからミチノク峠さんへ
・アニメ映像を志すきっかけ
・3DCGのクオリティを上げる要因は2Dアニメーションに土台があると気づく
・ディズニーピクサーのストーリーボードが魅力的だった
・日本人気質であるということ
・カットに漂う空気感を大事に制作する
・ブラザー・ベアからもらったインスピレーションの源
・日本版ブラザー・ベアを作りたい
・難しいテーマをエンタメでくるんで食べやすくする
・生きているものを描くのが楽しい
・自由で多様なものをつくりたいと思ったのでゲーム会社に入った
・会社の中でやれる人、やると有利なこと、フリーランスがいい人、やれることなど
・内なる自分の存在 ・卒業制作の大失敗
#02
・会社の先輩に教えてもらったこと
・焦らない、マインドフルネス、考えない
・考えないためのコツはあるのか
・嫌なことを棚に上げる、嫌なことに蓋をする
・グレーにすること
・感銘を受けたAiry MeのMV
・クリエイティブアイデアを発想するルーティンとは
・お題に対して調べまくる
・わかりにくいものをアートやクリエイティブの力で伝えやすくすること
#03
・クラウドファンディングをやってみての実感
・当初は自分の力だけでやろうとしたが…
・スマートにやりきれないアニメ
・人間らしさやものづくりの本質の所在とは?
・AIの到来を通じて、我々が作品を通じてなにを見てるのか、求めているのか、がわかりやすくなったと感じる
・文脈の大事さが際立ってきている
・作品「ミチノク峠」について
・東北のアイデンティティ、東北っぽさを伝えたい
・「ミチノク峠」10話で伝えたいこと
・生まれながらにして制約が決まっている、ということ
#03が始まります
クラウドファンディングをやってみての実感
My Experience with Trying Crowdfunding
迫田
そしていよいよ現在におけるミチノクさんについて深堀りしていければと思います。収録時にはクラウドファンディング『ミチノク峠』という作品のクラウドファンディングが行われている真っ只中ですので、この『ミチノク峠』についてのお話や、このクラウドファンディングについての話などもお聞きしていければと思っております。
Now, let’s delve deeper into Michinoku-san and his current activities. During the recording, we were in the midst of a crowdfunding campaign for a work called “Michinoku Toge” (Michinoku Pass). Therefore, I would like to hear more about this work and the crowdfunding campaign.
ミチノクさんは会社員生活を経てフリーランスになり、自身の作品で伝えたいテーマがあり、それを伝える方法論として、アウトプットの形としてアニメ映像というものを選択され、現在に至っている中で一つの大きいチャレンジとしてクラウドファンディングを今実施されていると思うですが、まあ、僕もクラウドファンディングはオリジナルアニメ作品で経験したことがある中ではあるのです多少気持ちはわかるのですが、ミチノクさんはどういった気持ちで始められ、やってみた今、どういうふうに思われてるのかということを、現在の生の声をお聞きできればと思うんですが、いかがでしょうか。
Michinoku-san became a freelancer after working as a company employee, and chose anime as the output method to convey the themes he wants to express through his own works. Currently, he is undertaking a major challenge of crowdfunding. I think I can somewhat understand his feelings because I have also experienced crowdfunding for an original anime work. I would like to hear Michinoku-san’s current thoughts and feelings about how he started and how he feels now that he has tried it. Could you please share his raw and honest feedback with us?
ミチノク峠
そうですね。あのSNSに出してる僕のテンションと、クラウドファンディングを始めた時のテンションというのがえらい違いまして笑。えっとまあ、まずそうですね、クラウドファンディングを始めた頃の気持ちを話すと….
Well, let me see. There’s quite a difference between the excitement I show on my SNS and the excitement I had when I started my crowdfunding campaign, haha. Anyway, first of all, let me talk about my feelings when I started the crowdfunding campaign…
迫田
あっ、一瞬、ミチノクさんいいですか?大切なことを言うのを忘れておりまして。えっと、あの現時点、収録時というのは6月15日なんですが、実はこの時点では100%達成されております。おめでとうございます!
Oh, wait a minute, Michinoku-san, can I say something important? Um, at the moment of recording on June 15th, actually, it has already been achieved 100%. Congratulations!
ミチノク峠
ありがとうございます。おかげさまでこんなに多くの方々に応援してもらえると思わなくて非常に驚きと、感謝ですね、とにかく。まあ、初めたときは自分何やってんだろう感がハンパなかったんですけど、でもこうやって応援してくださる方が多いんだなということで、本当に感無量でございます。
Thank you very much. I am very surprised and grateful to receive support from so many people. When I first started, I was wondering what I was doing, but now I am deeply moved to see so many people supporting me.
迫田
やあ、おめでとうございます。
Congratulations.
ミチノク峠
ありがとうございます。そうですね。えっと実はだいぶネガティブな感情だったんですよ最初は。まあ、当初はクラウドファンディングに頼らずに自分の仕事をしながら、なるべく自分の力で持続可能な、といいますか、そういう感じで作っていこうかなと思って作っていったんです。
ただ、なんていうか、お金がもらえる仕事を退いて、『ミチノク峠』の制作に打ち込んでいたので、どんどん生活しづらくなったんですよね。 ミチノク峠って、Youtubeで無料公開してますし、別にスポンサーとかクライアントがいるわけじゃないので、お金が発生しないんですね。 結構、アニメーション作品としては、オリジナル作品としては見られている方だと思うんですけど、それでもYoutubeで収益化できない程度の再生回数ですし。あとはなんか自分と似たようなことをしてる人が、自分の作品を形にしてると言うものを見たりして、なんかだんだんテンションが下がってたんですよね。だからテンションが下がってるプラス生活がしにくくなって、もうなんか続けるのも限界だってなった時に、じゃあもうダメ元でクラウドファンディングしてみようかってことで始めたってっていう感じですね。
今は全く違う考えを持ってるんですけど、当初はなんかクラウドファンディングって若干、やっぱり人様にお金をいただく行為じゃないですか、だから、こうフェアじゃないというか、あのちょっとこう半分、自分が負けたような感覚になっちゃうんですよね。で、なんか敬遠していたんですけれども、まあ、そういう気持ちを持ちながらクラウドファンディングを始めてました。でも、現在はすごく良かったなと思ってます。だから、そういうネガティブな側面もあるんだけど結果的にやっぱり自分の作品に対する熱意とかをその表現する、いろんな人に伝える機会としては非常に強い効力を持っているなと思います。
Thank you very much. Well, initially, I had quite negative emotions. At first, I thought I would try to create something sustainable, using my own strength as much as possible, without relying on crowdfunding and while working my own job.
However, as I focused on producing “Michinoku Toge” and withdrew from paid work, it became increasingly difficult to live. “Michinoku Toge” is available for free on YouTube and there are no sponsors or clients, so no money is generated. I think it is seen as an original animation work, but it only has a number of views that cannot be monetized on YouTube. I also saw other people doing similar things as me, creating their own works, which made me gradually lose my motivation. So my motivation decreased, making it harder to live, and I reached my limit of continuing. That’s why I decided to try crowdfunding as a last resort.
Now I have a completely different perspective, but at first, I felt that crowdfunding was somewhat like asking people for money, so it was not fair and made me feel like I was losing. So I avoided it, but started crowdfunding with those feelings. However, I now think it was a great decision. So, while there are negative aspects to it, I think crowdfunding has a very strong effect as an opportunity to express my enthusiasm for my work and convey it to various people.
迫田
いやでも本当に、その作り手で皆さんがそうじゃないとは思いつつも、偽らざる話としてあるのができれば、スマートに何気ない顔で作品を出していきたいというエゴはあるじゃないですか?本当に涼しい顔して、良い作品出して、いいでしょっていう感じにしたい。そうしたいのは、やまやまだが、特にアニメというものは、やっぱりものすごい時間のかかるもので、時間がかかるということは、その関わる人が多くなる、故にお金がかかる、または一人で作っている場合は、一人の時間がものすごくかかりますし、どうしてもスマートになりきれない部分がありますね。作品として形として出て行く中で生じるその葛藤だったりとか、紆余曲折みたいなものが、実は消費者やファンには見えてないんですけど、そういう途中で熱意を見せること、その熱意が見れたことによってファンになったりすることもあると思います。
自分は絵も書かないし、クリエイティブもやらないけど、応援できるんだっていうことに喜びを感じてくれる人がいるっていうことを観測できるのはすごくいいことだと感じますが、これもやってみないとわからないじゃないですか。だけどやってみると、あ、そういうことなのかって、わかる部分があるんで、なのでスマートに出すだけじゃなくて、逆にこう苦しんでいたり、あのものすごい喜んでいたり、ものすごく悲しんでいたりみたいなそういった姿を出すことも一つの作品になりえるし、熱意とか意欲とか作り手がこれだけ作りたいんだと思いがあるっていうことを伝えるっていう手段として、クラウドファンディングというものがあるとも思いますよね。
Well, even though you might think that not everyone is like that, there is an ego that wants to smartly release a work with a seemingly casual face, if there is a genuine story that can be created. I really want to do that, but especially with anime, it takes a tremendous amount of time, which means involving more people, and therefore, more money, or if you’re doing it alone, it takes a lot of time and there are parts that can’t be smartly managed. The conflicts that arise during the creation process, or the twists and turns that happen within the work, are not visible to consumers or fans, but I think that by showing that passion along the way, some people become fans.
I don’t draw or create anything, but I feel happy that there are people who can support and observe that. However, you don’t know until you try it. But when you do, you understand what it means, and you can create a work that not only smartly presents it, but also shows the struggles, the tremendous happiness, or the great sadness. As a means of conveying the creator’s passion and desire to create, I also think that there is crowdfunding.
人間らしさやものづくりの本質の所在とは?
Where is the essence of humanity and craftsmanship located?
迫田
SNS時代のブランディングって話を若干絡ませるとするならば、やっぱこれからのものづくりっていうのは、より過程自体も作品になっていくという感覚を僕は持っていて。この話はちょっとミチノクさんのご意見を伺いたいなと思って少し話すんですが、生成系AIが出てきた後の話っていうことなんですが、最終アウトプットがものすごく合理的にスピード感を持って出てくる世界が今あるわけじゃないですか。ものすごく正確に、文字だけではなく、映像、画像も出てくる、となる未来が必ずしも想像やファンタジーではなくて確実にそうなるだろうっていうのがほとんどの人が想像できているっていう状態になったときに、やっぱり「人間らしさ」というところがどこにあるのか?というポイントに向かい合うと思うんですね。
あと、「ものづくりの本質って何なんだ?」みたいな話になった時にはやっぱり過程の話になると思います。人間だから熱意を持って、なぜかわかんないけどこれやりたいっていうのは生じますよね。それが人間が作るクリエイティブにはエッセンシャルかなとは思ったりするんですね。こういう考えをちょっと今僕は持ってるんですけど、ミチノクさんはこの界隈の話に関してなんか思われることってありますか?
If we talk about branding in the age of SNS, I personally feel that the process itself becomes a work of art. I wanted to hear Mr. Michinoku’s opinion on this, but after the emergence of generative AI, we now have a world where the final output comes out with incredible rationality and speed. Most people can imagine a future where not only text, but also visuals and images are generated with incredible accuracy. In such a situation, we need to focus on where the “humanity” lies.
Also, when it comes to the question of “what is the essence of creation?”, I think it inevitably becomes a discussion of the process. As humans, we have passion for things and sometimes we don’t even know why we want to do something. I believe this is essential to human creativity. I have been thinking about these ideas, but Mr. Michinoku, do you have any thoughts on this topic?
ミチノク峠
まず普通に肌感覚で脅威だと思ったのは事実なんですけど、それと同時に、やっぱりそのいくらでも自分の仕事は楽にしたいっていう気持ちがあって。もうなんか自分の代わりに仕事してくれるんならやってくれっていう気持ちで、そのまあある意味に試すみたいな感じでそういう生成系AIについて調べてみたんですよね。まあやっぱりそのいい結果を出してはくれるんですけど、なんというかそれを見て見た同時に我々が作品を見る時に見ているものっていうのが明らかになってきたんですよね。
AIが生成しているものって、なんだろう、わかるとか稚拙とかそういう問題ではなくて、何かが足りないんですよ。まさに迫田さんが先ほど言ったその人間味という部分なんですけど、なんて言うんだろう、あぁ、この作者はこういうものを作りたいから作ったんだっていうバックボーンの部分、あるいはなんかそういう文脈的な部分も、実は無意識的に見てる人はそこで喜びを感じたりしてるんだなと思います。なんかセンセーションといいますか、ライブで 一緒に盛り上がろうみたいな雰囲気がちょっとあるかなと思います。
だから、そういう意味でより秀逸でより優れたものを作ることに意味がなくなってきて、むしろその文脈の部分が大事になってくるのかなと感じます。あとは全く別の切り口で考えてみると単純に、例え話になるんですけど、買ってきたお惣菜よりも昨晩の晩飯の冷めた残りの方がおいしく感じるっていうのがあるんですよ。明らかにお惣菜の方が高度な技術を使われて作られているじゃないですか?でもやっぱりお惣菜はお惣菜だよねっていうのが、 逆に作ってもらう喜びというか、なんかそういうのが無意識にある。
でもそれと同時にアートと言うか、その作品作りに一体我々が何を見出してるのかっていうのが明らかになったきっかけにもなってると思います。世間では俺の仕事がなくなるっていうイラストレーターとかよくいいますけど、そんなことはないのかなって思いますね。所詮やっぱり生成系AIを操ってるのも人間なので、指示を出しているのも人間で、ただ手がAIに変わっただけ、というか。そこにも文脈が発生していてま、今現在は多分その生成AIを使っている人の文脈がまだ浅い段階なので、あまり評価はされてないと思うんですよ。だからまあ、コンセプチュアルアートとかよくあると思うんですけど、なんかそういう形になって行くのかなと思います。なんていうか、だからとにかく、脅かされる恐怖を感じてる人は別に怖がらなくていいかなと思います。逆に、AIによって、そのより良い条件より良いものを作るためのステップになるというか、そういうものに変化して行くのかなと僕は思っています。
At first, I felt threatened by AI just based on my intuition, but at the same time, I also had a desire to make my work easier. So, I started researching AI that can generate things, sort of like wanting it to do the work for me. While the AI did produce good results, it became clear to me that something was missing in what the AI was generating. It wasn’t about whether it was understandable or amateurish, but rather, it lacked a human touch. As Mr. Semata mentioned earlier, it lacks that human quality. I think people who unconsciously enjoy looking at things from a certain context or background, or maybe something contextual, feel joy when they see something that an author created because they wanted to create it.
So, it seems that creating something that is superior or outstanding is not as important as it once was. Instead, the contextual aspect has become more important. Another way to look at it is through a simple example – let’s say you feel that the leftover cold dinner from last night tastes better than the store-bought food. Clearly, the store-bought food was made using more sophisticated techniques, but you still prefer the leftover dinner. It’s the same when you have something made for you – you feel a joy in that, or maybe it’s unconscious.
At the same time, I think it has become clear what we are looking for in art or in creating a piece of work. There are often talks about how illustrators, for example, will lose their jobs due to AI, but I don’t think that’s true. Ultimately, humans are the ones controlling the generating AI and giving it instructions. It’s just that the hands doing the work have changed to AI. However, there is still a contextual aspect to this, and currently, I think the people using the generating AI are still in the early stages of understanding it, so it hasn’t been evaluated much yet. That’s why I think it might become something like conceptual art. In any case, I don’t think people should be afraid of feeling threatened by AI. Instead, I think AI might become a stepping stone towards creating better conditions and better things. Oops, it seems like the same text was pasted twice. Would you like me to revise any specific part of the text or add more to it?
迫田
そうですよね。何かを生み出すために人間が使う道具が変わっていくことによって、メディアや制作物が変わっていくのと同様のプロセスがただあるだけで、やっぱりそれを扱うのも人間だし、見て摂取するのも人間なので、作り手の構想だったり、人間が作るものは変わらないよっていうところをメッセージとしていただいたかなと思いました。あと結構良いなと思ったのが、このAIが出てきたことで、我々が作品作りに何を求めているのかが炙り出されてきたっていうか、分かりやすくなってきたっていうのは、結構格言だなと思って聞きました。
That’s right. Just like how media and creations change as the tools humans use to create them change, there is simply a process of change, but at the end of the day, humans are the ones who handle and consume them. I think the message is that the creator’s vision and what humans create doesn’t change. Also, what I thought was quite good is that with the emergence of AI, it has become clearer what we are looking for in creating works, or rather, it has become easier to understand. I thought it was a pretty good saying.
ミチノク峠
うん、そうですね。なんかやっぱ共感できる部分が大きいのかなって感じはしますね。SNSで展開されるAIと人間の戦いを見て、そう思います。
Well, yeah, I guess so. It feels like there are some parts I can really relate to. I feel that way when I see the battle between AI and humans unfolding on social media.
迫田
議論を戻して行くと、僕はクラウドファンディングみたいなもので、作り手がエゴや癖みたいなものを出して、「なんかわかんないけど僕はこれ作りたいんだ」っていうものをやっぱり見れた方がこれからは良いと思うし、あのクラファンやるって事はそういう事を結構生々しく見せるっていうことなので、共犯者を増やすとかそういったことになりますし。なんだろうな、さっき言霊の話されてたじゃないですか、僕も言霊というか、あのやっぱ言葉って悪い呪いにも良い呪いにもなるなあと思うので、そういうなんかその、幼少期に親から言われた言葉がずっとこう心の中に棘として刺さるとかよくあるじゃないですか?それでそれが呪いのようにそれに支配されてしまうというのがあるし、それも悪い呪いかもしれないし、良い呪いかもしれない。
ポジティブな言葉を言われたらものすごくそれがポジティブになって、ずっとその人生を肯定させられるように呪いの言葉になるかもしれないし、別も逆もまた然りみたいなところがあるんですけど、まあなんかこのなんだろうな強引にクラファンに紐付けると、なんか結構言うてもやっぱ作りたいというポジティブな言葉を発してるじゃないですか、クラファンやる時って。だからこれが結構伝播するよなぁ、っていうのは思うし、小さい一歩になるか大きい一歩になるか分かんないですけど、着実に前に進む一歩にはなるから、なんかまあ、実際、今ミチノクさんがやってみてよかったってなっているし、ゴールも達成できて継続して制作ができて、皆さんにお届けできるぞって気持ちになってるのは良いことしかないと思うので。
Returning to the discussion, I think it’s good to see something like crowdfunding where creators can show their egos or quirks and say, “I don’t really know, but I want to make this.” Doing crowdfunding means showing these things quite vividly, and it can lead to increasing accomplices or supporters. It’s like the discussion about “kotodama” earlier. I also think that words can become both good or bad curses. For example, there are often cases where words said by parents during childhood become stuck in one’s mind like thorns and then dominate them like a curse, which can be either a bad or good curse. If you are told positive words, they can become a curse that affirms your life for a long time, and the opposite may also be true. Anyway, if I forcefully connect this to crowdfunding, when people do crowdfunding, they are positively expressing their desire to create something. So I think this spreads quite a bit, and it can become a small or big step forward, but it will definitely be a steady step forward. In fact, Mr. Michinoku is now saying that he’s glad he tried it, and he’s feeling good about being able to achieve his goal and continue producing and delivering to everyone.
ミチノク峠
そうですね。本当に結果が良かったと思います。クラウドファンディングを使わずに、この制作の葛藤や苦痛を表現しようと思った時期もありましたが、例えばYouTubeの私的なライブとかで、「実はちょっと散々なんだ」と言おうとしたり、Twitterとかで「もうなんか普通の生活がしたい」と言いたかったんですけど、言いたかったっていうか、試験的にそういうことを匂わせて見たりもしたんですけど、なんかむしろ離れていってしまうんですよね。そういうことを言っちゃうと、なんかグチみたいに映っちゃうんで、やっぱり、共感する部分もあると思うんですけど、それよりも、ネットに蔓延っているネガティブな言葉の方が気になりますね。
なんていうか、うーん、なんか良い印象にならないっていうか、限界があるんだなと思いますね。だから、そういう意味で、クラウドファンディングっていうのも、力がないとその実現できないというネガティブな言葉になっているけれど、それをポジティブに見る人にとっては意味のあるものとして、共感を呼び起こす威力があると思います。他の方法ではなかなか伝えることができないこともあると思いますね。
Well, let me see. I really think the results were good. There was a time when I wanted to express the struggles and pains of this production without using crowdfunding. For example, I wanted to say, “Actually, it’s been tough,” during my private live on YouTube, or I wanted to say on Twitter, “I just want to live a normal life already.” Well, not so much that I wanted to say it, but I tried hinting at it experimentally. But somehow, it just made people move away from me. If I say things like that, it comes off as complaining, so I’m more concerned about the negative words that are spreading online than anything else.
It’s like, um, it doesn’t leave a good impression, or rather, it has its limits. So in that sense, crowdfunding is a negative word that means it can’t be achieved without power, but for those who see it positively, it has the power to evoke empathy as something meaningful. I think there are things that are difficult to convey through other methods.
迫田
面白い。今のこのリアルタイムでクラファンをやられて心境が変化したミチノクさんのこの言葉、生の言葉を今ここで聞けたのは良かったなと思いました。後半はそのクラファンの話から紐づく形で、今後この『ミチノク峠』という作品をどうして行きたいかという未来のビジョンやあのクリエイターとしての自身のミチノクさんのこれからどういうふうなキャリアを、今はまあこんな感じで思ってますっていうのを後半はお聞きできればと思います。
それではここで一曲お届けできればと思います。これはあのアイルランドのアーティストなんでしょうかね、えっと、アルファベットでM・A・N・A・Mとこういうアーティストの同じ曲名、そのアーティストの曲名と同じ曲名ですかね、という形になりますので、一旦聞いていただいて、後半の初めでこの曲のエピソードをお聞きできればと思います。
Interesting. I thought it was great to hear Michinoku-san’s words in real time, after their perspective changed due to doing a crowdfunding campaign. The latter half of the conversation was about their future vision for the work “Michinoku Pass” and their career as a creator, linked to the crowdfunding campaign. I hope we can hear more about that.
Now, we would like to play a song for you. I believe this is from an artist from Ireland, with the song title spelled out as M-A-N-A-M, which is the same as the artist’s name. Please listen to it first, and we will hear the story behind this song at the beginning of the latter half.
作品「ミチノク峠」について
About the work “Michinoku Toge”
迫田
はい。それでお聞きいただきましたこちらの曲なんですが、ミチノクさん、偶然発見されたということで。
Yes. So, regarding this song that you asked about, it was actually discovered by Michinoku-san by chance.
ミチノク峠
はい、うん、そうですね。何か作業中にBGMを探すんですよね。そこで、つながりのあるアーティストを探していたら、アイルランドの聖歌隊が歌っているYoutubeチャンネルにたどり着き、聞いてみました。自分の印象としては、神聖な感じで、宗教音楽みたいな感じがしました。宗教音楽は、とっつきにくいというか、脚色されていないので聞きづらい部分があるんですけど、この曲はプロっぽい部分と生っぽい部分を活かしつつ、現在の映画的な切り方でドラマチックに演出されていて、ワクワクしました。また、神聖な部分が好きで、作品に影響を受けていたので、この曲を選びました。
Yes, that’s right. I was looking for some background music while I was working. I was searching for related artists when I came across a YouTube channel of an Irish choir and decided to give it a listen. My impression was that it had a sacred feeling, like religious music. Religious music can be difficult to approach or hard to listen to because it’s not embellished, but this song was dramatic with a professional and raw quality that was exciting to me. I also liked the sacred aspect and was influenced by the piece, so that’s why I chose it.
迫田
うん、その流れでお聞きしたいのが、やっぱりこの神聖なものとかそういったものに対して、まあ敬意なり、なんか興味があるというところなんですね。それではこの『ミチノク峠』という作品に対して入っていければと思うんですけども、結構色々こうモチーフになっているものがありそうでしたり、出典元というか、ある程度の作中でも、その何かしらこのモチーフになっているものが、直接的にその記述されたりするじゃないですか。
それで、多分色々な設定やそのテーマがあると思うんですけど、先に聞いておきたいのがミチノクさんはどういうタイプなのかっていうことでして、つまり、ある程度その作品の中でそれを感じて欲しいって言うタイプなのか、ここで語ってもいいよっていう感じなのかっていうと、どんな感じなんですか?
Well, what I want to ask in this flow is about respect and interest towards sacred things and such. Now, I would like to delve into the work “Michinoku Toge”, and it seems that there are various motifs and sources that are directly described in the work related to it.
Therefore, I think there are various settings and themes, but first, I would like to know what type of person Michinoku-san is. In other words, is he the type who wants readers to feel it to some extent within the work, or is it okay to talk about it here? What kind of feeling does he have?
ミチノク峠
あ、全然こちらで話していいよという感じです。むしろ、そうですね、その作品の中で感じ取っていただければ結構なんですけど、でもやっぱりその尺の中では語りきれないというか、表現できない部分はあると思いますし、あと何て言うか、ある程度その知識がないと、これがあれの引用だとか、これがモチーフになってるんだっていう部分も理解できないと思うので、やっぱりちょっと語っていきたいなと思っています。
Oh, it’s okay to talk here. Actually, if you could feel it in that work, that would be great. But still, there are some parts that cannot be expressed or talked about within that time frame, and also, I think that if you don’t have a certain level of knowledge, you may not be able to understand that this is a quote from that or that this is being based on a motif. So, I still want to talk about it a little bit.
迫田
うんうん、そうですね、では後半ではそこを少し作品に入って行きつつ、あの未来の話を出来ればと思います。その簡潔にこのテーマとして持っているものお聞きしたいんですけど、死体を運んで行く旅路の話じゃないですか。あの実はこれ、クラファンページを見て改めて気づいたんですけども、この世界に来た異星人が、こう転生しているというか洗礼を受けたっていうことで、まあクラファンのページで、あーなるほどってなったんですけど、なんかこの辺も含めて、このなんかテーマ的なものがどういうところから来てるのかなっていうのをお聞きしたいです。
Hmm, I see. In the second half, we’ll delve into that a bit more and try to bring up some discussion about the future. I’d like to ask about the theme that you have in mind. It’s about the journey of transporting corpses, right? Actually, I noticed this again when I looked at the Cthulhu Mythos page, but it seems that the aliens who came to this world are being reborn or baptized in some way. I thought, “Oh, I see,” when I read it on the Cthulhu Mythos page, but I’d like to know where this theme, and others like it, originated from.
ミチノク峠
そうですね。えっと、まあまず表現したかったのは、えっとまあ、僕東北出身なんですけど、 アニメーションとか漫画とかで結構そういう牧歌的なテーマというか、まあ東北地方ならではのモチーフになっている作品っていうのをあんまり見かけないんですね。だから、すごくマイナーですし東北が肩身の狭い感じがするなっていうのを学生時代とか社会人になったときに感じてたんでそれを払拭すべく、なんかまあちゃんとアニメーションっていうか、そのマスメディア的な感じで形にして、その東北というアイデンティティといいますか、東北っぽさみたいなのをあのまあ、いろんな人に伝えていけたらなと思いました。
そうですね。あとはそういう泥臭い部分を表現したいっていう気持ちと、でもただそれ表現するだけだと、やっぱり何だろう中世ファンタジーというかまあなんか退屈というか、所詮はあの自分とは違う世界の話だなって、ちょっと眠くなっちゃうんですよね。だからなんかこう、それをさらに魅力的に見せるものは何なのかと思った時に、やっぱコントラストというか、対比させることによって、さらにそういうなんか魅力が際立つと思うんですよね。例えば、すっごい田舎とか、その観光地の大自然の中で、いきなりピンとこう近代的なモダンな建築物とか標識みたいな見かけるとなんかすごく興味をそそられるんですよね。なんかこう、なんか際立ってるし、その周りの自然とか町並みの解釈が変わる感覚があって「こういう感覚いいな、こういう感覚で東北を表現したいな、そしたらどうしたらいいんだろう」と思った時にSF要素、そのエイリアン要素を持ってきたらいいんじゃないか。
ってことで、そのまあエイリアンが、そのなんだろう牧歌的なグラウンドに入り込んで話を展開するっていう感じにしてますね。あと、なんだろう、まあ、具体的なそのストーリーテリングのモットーみたいな強いテーマみたいなのは後付けなんですけど、どちらかというとそういう牧歌的な世界観を表現したいというのが第一にありますね。なんで死体を運んでいるかっていうとまあ、死体を運ぶってすごく不気味なことじゃないですか。不気味なところっていうのはやっぱり影となるので、その、よりなんか深みが出るといいますか、その牧歌的な部分というとなんとなくのほほんとした間の抜けた感じになりがちなんですけど、そこにホラー要素、ちょっとこう畏怖の念みたいなのを入れることによって、深みが出て、より魅力的になるなと思ってそういう話のスタートにしました。
それで、クラファンのページを見て初めて知ったとおっしゃられたんですけど、まさにそうだと思うんですよ。やっぱり尺が短い分、ストーリーテリングが出来ないので、ある程度見る人に乱暴な形で映像作ってるところがあるんですよね。特に1話のミュージックビデオ仕立ての映像があるんですけど、それは正にだいぶまあなんか話としてはつかみにくいなという構成にしてしまったんですよね。でもそれを、そうすることによって今度は描きたかった絵とかカットを盛り込むことが出来て、なんか雰囲気でなんとなくなんか東北感みたいなのを感じ取ってくれればクリアだなと思ってます。まあそうですね。第1話はMVっていうその感覚が掴めれば合格で、その後はストーリー仕立てなんですけど、ここではやっぱりそのなんMVを作った時っていうか、その1話を作ったときに、まあなんかよくわかんないけど凄みを感じるという意見を結構いただいてなんかやっぱそれだとやっぱりモヤモヤするよなと思って今度はなるべく 見る人に伝わるようにっていうあのコンセプトに切り替えて作るようにはします。でもやっぱりその演出面って部分でやっぱ自信がない部分はありますけどなるべくそうですね、分からない部分は減らして行きたいと思いながら作ってます。
Well, let me see. First of all, I’m from Tohoku, and I’ve noticed that there aren’t many anime or manga that use the pastoral themes or motifs unique to the Tohoku region. It’s a pretty niche genre, and I felt like Tohoku wasn’t getting the attention it deserved, both in my student days and as a working adult. So I thought I’d create something in the medium of animation to express that Tohoku identity or essence, and share it with a wide audience.
Another thing is that I wanted to express the gritty side of Tohoku, but if I just did that, it would be kind of boring, like medieval fantasy or something, and not really relatable to my own world. So I thought about how to make it more appealing, and I realized that by contrasting it with something modern or futuristic, it would make the Tohoku essence stand out even more. For example, if you see a modern building or a sign in the middle of a rural area or a natural tourist spot, it really catches your attention and changes your interpretation of the surrounding nature or town. So I figured if I added some sci-fi or alien elements, it would create that same kind of contrast and make the Tohoku essence even more interesting.
So, the idea is that the alien enters this pastoral, idyllic setting and begins to develop the story. As for a specific strong theme for the storytelling, it was actually added later, but the main goal is to express this pastoral worldview. The reason for carrying a corpse is because it’s a very eerie thing, and eerie things tend to create shadows. Adding a horror element and a sense of awe makes it more interesting and adds depth to the story.
You mentioned on the Claflan page that you realized the short length of the video meant you couldn’t do much storytelling, so you had to create images in a somewhat rough way for the viewer. Especially in the first episode, which is designed like a music video and has a rather difficult structure as a story. However, by doing that, you were able to incorporate the images and cuts you wanted, and if viewers can feel a certain Tohoku-like atmosphere through the mood, you consider it a success. So, if viewers can capture that sense of an MV in the first episode, then it passes, and the following episodes are more story-oriented. But during the production of the MV and the first episode, there were some comments about feeling a sense of intimidation that they couldn’t quite understand, so you switched to a concept that is easier for viewers to understand. However, you still lack confidence in the directorial aspects, but you’re trying to minimize the parts that you don’t understand as much as possible while creating it.
迫田
この『ミチノク峠』だけじゃなくて、ミチノクさんが、Youtubeで出されている他の動画とか見て思うのが、あのやっぱ生活を描きたいんだなあ、っていうのをすごく感じるのですよ。ご飯食べてるやつとか、なんて言うのかな、その土着の文化であり、その民俗学的なモチーフというかなんかそういったもので、ぐつぐつ鍋を煮込んでいる映像とかあるじゃないですか。あれもなんか東北の食べ物なのかな、なんかっていう風に勝手に思ったんですけど。
Not just in “Michinoku Pass,” but when I watch other videos by Mr. Michinoku on YouTube, I really feel like he wants to depict daily life. Like when he’s eating rice or something, it’s a local culture or a folk motif, and there are scenes of simmering pots. I wondered if that was also a food from Tohoku or something like that.
ミチノク峠
あ、正にそうで、寒鱈汁っていうあの汁物ですね。なんか魚を丸ごと煮込んでちょっとグロテスクな食べ物なんですけど。
Ah, exactly, it’s that soup called “kan-tara-jiru”. It’s a bit of a grotesque food where you boil a whole fish in it.
迫田
「ミチノク峠」での作中でもやっぱこう鍋を囲みながら喋るシーン、雪が滴るシーンがあって、ずっと特に展開があるわけじゃないんだけど、ゆったり喋るっていうのがね、なんかとても日本映画的というか。
In the scene at “Michinoku Pass” in the story, there’s a part where they talk while huddled around a pot and a scene where snow drips down, and even though there isn’t really any significant development, the relaxed conversation is very Japanese film-like, if that makes sense.
ミチノク峠
あー、そうですね。意識はしてます。
Ah, I see. I am aware.
迫田
うん、そうそう。そんな感じがして、最初に話した、そのなんか日本人気質というか、日本であることの意味みたいなもの、自分が日本人であって、日本人のクリエイターであることの意味みたいなものは、結構意識されてるのかなとも思いますし、東北らしいその牧歌的な風景を描きたいっていうのもすごい伝わってきます。ただ、それだけだと、ただ牧歌的になりすぎちゃうから、そこにエイリアン要素だったり、死体という影を出して、ちょっと緊迫感を持たせるっていうところが、自分がどこかに死体を隠しているかもしれないっていう設定があるだけで、牧歌的な田舎の風景みたいなものに、どこか違う解釈を入れてしまうみたいなものとか、なんかミステリーの定石みたいな感じあるじゃないですか。
Yeah, exactly. That’s the feeling I get. It’s like there’s this Japanese quality or meaning to being Japanese and a creator in Japan that’s really conscious. And you can really feel the desire to depict the idyllic landscapes of Tohoku. However, if it’s just idyllic, it can become too much of the same thing. So, by adding elements like aliens or shadows of corpses, it creates a sense of tension. It’s like the setting where I might have hidden a corpse somewhere adds a different interpretation to the idyllic rural landscape, almost like a mystery trope.
ミチノク峠
そうですね、なんだろう、なんか不気味な話が個人的に好きだから、なんか自然に入れたっていうところもあるかもしれないです。
Well, let me see. I think I personally like creepy stories, so maybe I naturally incorporated them into my interests.
迫田
ミチノクさんって、そのSFの世界観を描かれたイメージがあって。あのタイトルが思い出せないのですが。
I have an image of Michinoku-san depicting a science fiction world. I can’t remember the title, though.
ミチノク峠
あっ、『エイリアンピザ』とかなんかそういう感じですか?
Oh, is it something like “Alien Pizza” or something like that?
迫田
あっ、そうです、そうです! Oh, yes, that’s right, that’s right!
迫田
なんかそっちのほうの印象がずっと強かったんです。最初見ててすごい映像だなと思って見たので、そういったSFにおけるガジェット感みたいなものもすごい描かれていて、なんか初期鳥山明みたいな、ギミックがすごくて。そのSF感とのミックスがすごい。
Somehow, the impression from that side was always stronger. When I first saw it, I thought it was amazing imagery, so it depicted a kind of gadget feeling in SF, like early Akira Toriyama’s, with incredible gimmicks. The mix with that SF feeling is amazing.
ミチノク峠
そうですね。結構、無意識というよりは意図して、そのミックスしている部分があって、先ほど『エイリアンピザ』が鳥山明初期みたいな感じと言われましたが、そうですね、正に『エイリアンピザ』というのは、まあその頃ですね、80年代リバイバルブームが始まる前だったんですよ。始まる前で、でも、その頃に80年代フューチャーみたいなの作ったら新鮮かなと思って、本気で調べて、要素を色々と入れ込んでやった感じですね。だから、そういう意味で、SFの表現にも厚みを出すことができたなという感じがしますね。
参考にした作品としては、鳥山明の画風ももちろんあるんですけど、『ミュータントタートルズ』とか。あとは、ああいう系のバタ臭い感じって、80年代のイメージがあって、80年代後半から90年代前半だと思うんですけど、『リロ&スティッチ』っていう映画があったんですけど、スティッチって言ったらやっぱりねディズニーランドにあるあのスティッチちゃらちゃら~みたいなのが全面に出てきちゃうんですけど、でも実はあれって、オリジナルを見てみると、結構その、なんていうんだろう、そのエッジの効いたまあ、よくあるSF感じじゃなくて、結構独特なSF感で描かれてるんですよね。だから、なんかそういう部分も、『ミュータントタートルズ』や鳥山明っぽいテイストに合致すると思ったので、『リロ&スティッチ』の美術、背景をベースにして描きました。それの延長線上で、『ミチノク峠』のSF要素も描いていたので、SFもちゃんと描けたのかなと感じます。
Well, I think that rather than unconsciously, there were intentional parts in the mix. Earlier, “Alien Pizza” was compared to Akira Toriyama’s early work, and yeah, “Alien Pizza” was made before the 80s revival boom started. Even though it was before the boom, I thought it would be fresh to make something like the 80s future, so I researched it seriously and put in various elements. So in that sense, I feel like I was able to add depth to the expression of science fiction.
As for the works I referred to, there is of course Akira Toriyama’s art style, but also “Teenage Mutant Ninja Turtles” and such. Also, there is that buttery feeling that is typical of that kind of style, and I think it’s an 80s image. I think from the late 80s to the early 90s, there was a movie called “Lilo & Stitch,” and when you say Stitch, you can’t help but think of that Stitch with all the sparkles from Disneyland, but actually, if you look at the original, it’s drawn with a pretty unique science fiction feeling, not the usual SF feeling with an edge. So, I thought that kind of aspect would match the taste of “Teenage Mutant Ninja Turtles” and Akira Toriyama, so I drew it based on the art and background of “Lilo & Stitch.” In line with that, I also drew the science fiction elements of “Michinoku Pass,” so I feel like I was able to draw science fiction properly.
迫田
そろそろまとめていきたいなと思っているのですが、クラファンをやっている中で、『ミチノク峠』という作品が、4話出来ていて残り6話を作りたいっていうところで始まったクラファンだと思うんですけど、実際この10話で伝えたいことみたいなもののお話をお聞きしつつ、『ミチノク峠』という作品の先でもあるし、あのミチノクさんのこの未来のビジョンみたいなこともちょっと最後にお聞きしてみたいなと思っております。
I’m thinking of summarizing things soon, but I believe that the crowdfunding campaign for the work “Michinoku Pass” started with the goal of making the remaining six episodes, with four episodes already completed. While discussing what we want to convey in these 10 episodes, I also want to hear about the future vision of Michinoku-san and the work “Michinoku Pass” towards the end.
ミチノク峠
そうですね、これもあの会社員時代の苦い経験を形にして伝えたいという気持ちがありまして、テーマとして扱っているのは、生まれながらにして制約が決まっているということですね。その血筋の問題というか、もうちょっと厳しい言い方をすると学歴差別とかよくあるじゃないですか。あとはカースト制度。インドの本格的なカースト制度ではなく、ある種のカースト的な現象があります。自分はこういう生まれであるため、どれだけ努力しても、その立場にはなれない。蛙の子は蛙の子みたいな、そういう局面にぶち当たったことがありました。
ポジティブに考えたら、そういうのを乗り越える話はいっぱいあるんですけど、実際問題、無視できない問題なんですよね。そこがすごく世知辛いなあと思っています。それを形にしたかったというのがありますね。どういうふうにつながっていくかというと、半分ネタバレみたいになっちゃいますけど、SF要素的なエイリアンたちが元々居た場所で、近しいカースト制度みたいなのが起きていて、そこから逃げ出すために、苦しみから抜け出すために、環境を変えることが大事だということを描きたいと思っています。例えば、学校のいじめとかだと、悪いやつを懲らしめて解決する方法もあると思うんですけど、まともにやりあったら終わらないじゃないですか、現実問題。それだったら環境を変えてみることが大きくて、そういう部分を結末に持っていきたいと思っています。テーマ的には、カースト的な差別的な部分と、どうしたらいいの?という問いに対して、環境を変えることが大事だという話ですね。
Well, I have the desire to convey my bitter experience from my time as a company employee and have made it into a theme. The theme is that we are born with predetermined constraints. It’s about issues related to bloodlines or, to put it more harshly, educational discrimination, which is a common occurrence. There’s also the caste system. It’s not the full-fledged caste system found in India, but rather a certain caste-like phenomenon. No matter how much effort one puts in, they can’t change their position because of their birth. I’ve faced such situations where I’m stuck being who I am.
Looking at it positively, there are many stories of overcoming such things, but in reality, it’s a significant problem that can’t be ignored. I feel that it’s a harsh reality. I wanted to give shape to that feeling. As for how it all connects, it’s going to be a bit of a spoiler, but there are alien beings with sci-fi elements in the place they originally inhabited, and a caste-like system has developed there. I want to depict the importance of changing the environment to escape the suffering and overcome the caste system. For example, in the case of bullying at school, there may be methods to punish the wrongdoer and solve the problem, but realistically, that may not be enough. Changing the environment is crucial, and I want to bring that aspect to the conclusion. Thematically, it’s a story about caste discrimination and the question of what to do about it, with the answer being that changing the environment is essential.
迫田
あの、現実を解釈するためのフレームワークっていくつかある中で、克服して行くなのか、回避して行くなのか、みたいなこう結構分け方があるんですけど、 それで言うと、やっぱあの今のミチノクさんのこの結論としては、あの克服して行くための回避っていう感じがして、すごく良いなって思いました。つまり、あとグレーにしておくっていうところの哲学もすごい継承してるなと思ってて、つまりエンタメ作品ってあの実は克服型で勧善懲悪で終わるやつ、やっつける方がわかりやすいから好まれるじゃないですか。だから作品ってグレーにしちゃうとあの読後感悪い、悪いっていうかよくわかんないなってなっちゃうんで、好まれないですよね。 リアルな話をすると。
Um, among the various frameworks for interpreting reality, there is a pretty clear divide between overcoming them and avoiding them. In that sense, I feel that Michinoku’s current conclusion leans towards overcoming through avoidance, and I think that’s really great. In other words, I think his philosophy of leaving things gray is also really important, and that’s because entertainment works tend to be about overcoming obstacles and ending in a clear-cut good triumphs over evil, which is easier to understand. So, if a work is made gray, the aftertaste tends to be bad or rather, it becomes hard to understand, and therefore, it is not well-liked. To be honest.
ミチノク峠
まあ、なんかオチとして弱いと言いますか。
Well, I would say that the ending is weak as a punchline.
迫田
そうそうそう。 あれ、なんかふんわりと終わったなと、グレーな感じで終わったな、という感じはやっぱりみんなカタルシスが感じづらいんで、なんかこう悪いやつをぶっ飛ばしたいって感じになるけれど、やっぱそこ一気通貫してるなって言うか、そのグレーであり、克服のための回避っていうのがあるっていうのは今日聞いてきたミチノクさんの考えを一貫して象徴してるなと思いました。
Oh, right, right, right. Hmm, it feels like it ended kind of vaguely, in a grayish way, and everyone’s having a hard time feeling catharsis, so it makes you want to just smack the bad guy, but I think it’s because it’s all consistent with that grayness and avoidance for overcoming it, which is symbolized by Michinoku-san’s idea that I heard today.
ミチノク峠
そうですね、一貫していると感じますね。僕が今回話しているテーマは、グレーにすることについてであり、若い人ほどその意味が腑に落ちない部分があると思います。以前の僕もそうでしたが、白黒はっきりするという考え方にこだわりすぎると、自分が苦しんで結果的に壊れてしまうことがあります。だから、僕はグレーが一番だと思います。若い方も、考えすぎて苦しんでいる場合は、一度グレーになってみることをお勧めします。そして、前に進んでいただきたいと思っています。
Well, I feel that it’s consistent. The theme I’m talking about now is about making things gray, and I think younger people may not fully understand the meaning. I used to be the same way, but if you’re too obsessed with the idea of clarifying black and white, you may end up suffering and breaking down. That’s why I think gray is the best. If you’re young and suffering from overthinking, I recommend trying to be gray once. And I hope you can move forward.
迫田
いや、深い!深いという返しが一番深くないんですけど(笑)
No, it’s deep! Although the response of “deep” is not the deepest (laughs).
ミチノク峠
いやいや、そんなもんじゃないですか。っていうか僕が思うに、僕はそういう考えを持ってますけど、人それぞれやっぱりそういうモットーと言いますか、考えを持ってるはずなんですよ、だから、ただそれを話すことによって伝わるか伝わらないかっていうこともあるし、あとはなんか美しく見えるか見えないかっていう部分でも、世間の評価ってあると思うんですけどなんかあんまりそのこの人が素晴らしいとかなんかその優劣をつけたくなくて、やっぱりどんな人でもこういう考え抜かれた哲学っていうのは持ってるんだろうなって思ってます。
No, no, that’s not it. In my opinion, everyone has their own motto or way of thinking, even if it may differ from mine. It’s just that whether or not it gets conveyed by talking about it, and whether or not it appears beautiful to others, there’s always a societal evaluation. I don’t really want to judge someone as being great or not based on that. I think everyone has some sort of philosophy that they’ve thought about.
迫田
最後に簡単で構わないんですけど、このあとのビジョンってあったりしますでしょうか?
Finally, if it’s okay to keep it simple, is there a vision for what comes next?
ミチノク峠
えっと、やっぱりここで明確なゴールを決めてしまうと、結果的に苦しくなってしまうので、ここでもお得意のグレーで、作りたいものを作りたいと思っています。そのため、自主制作なのか、あるいはクライアントワークというか、そのお仕事ありきでの形なのかはこだわらず、とにかく自分の作りたいものに近づいている、近づきたいというのが私のビジョンです。
Um, actually, if I were to set a clear goal here, it might end up being more difficult in the long run, so I’ll stick with my usual gray area and just make what I want to make. Therefore, whether it’s self-production or client work, I don’t care about the form, as long as it’s getting closer to what I want to create or what I want to approach, that’s my vision.
迫田
これから先時代も変われば、自分自身の価値観も変わっていくかもしれないけど、その時やりたいものをとにかくやれるように、そういった環境に自分の身を置くことになりますよね。まあ、そういう意味で個人というあり方は向いてるんじゃないかっていうのも思いますね。
As times change in the future, our own values may also change. However, we will need to put ourselves in an environment where we can do what we want to do at that time. Well, I also think that being an individual is suitable in that sense.
ミチノク峠
もしかしたらもっとやりたいことがほかの組織でやっていたとすれば、フリーじゃなくてまた再就職するかもしれない。やっぱりそこはわからないですね。
If there are other things I want to do that another organization is doing, I may not be a freelancer and may have to look for another job. I really don’t know about that.
迫田
そうですよね、その時にやりたいものに対して一番入りやすい形式に当てはまりながらやっていく。それがまあ個人なのか、法人なのか、チームなのか、まあそれぞれありますもんね。その時々でやりたいこと。まあ、でも本当、勝手にミチノクさんに対して僕が抱いた感触を言葉で形容すると、やっぱ多様性であるし、玉虫色っていうのかな? なんかそっちの日本的表現の方が、なんかミチノクさんに合いそうな気がしますね。
Yes, that’s right. We should do things in a way that best fits what we want to do at that time. Whether it’s for an individual, a corporation, or a team, there are different ways to approach it. It’s all about doing what we want to do at that moment. But really, if I were to describe the feeling I have towards Michinoku-san in words, it’s definitely diversity, or maybe something like iridescent. I feel like the Japanese expression fits Michinoku-san better.
ミチノク峠
ああ、なるほど。
Ah, I see.
迫田
政治家の玉虫色発言っていうのはものすごくどの方向にも受け取れる。日本語って面白いですね。
The ambiguous statements made by politicians can be interpreted in any direction. Japanese is an interesting language, isn’t it?
ミチノク峠
あ、すごい深いですね。 Oh, that’s really deep.
迫田
日本語の特徴ですよね。だからやっぱ責任とか、なんか日本語って責任ない言語だって言われるかもしれないですけど、 こう過度に誰かに押しつける言語じゃないっていうかね。そんなところもあるし、玉虫色が前提だなあっていう言語だなとは思いますね。
This is a feature of the Japanese language, isn’t it? So, although Japanese may be said to be a language without responsibility, it’s not a language that excessively imposes on someone. I think it’s a language that assumes ambiguity, and that’s one of its characteristics.
ミチノク峠
なんかつくづくそういう話を聞くとなんか 日本人って特有な民族だなと感じますね。
When I hear stories like that, I really feel like Japanese people are a unique ethnicity.
迫田
感じますよね。そうですね。
You can feel it, can’t you? Yes, that’s right.
ミチノク峠
いや、なんかみんなそれぞれ自分で特有な文化に生まれたな、と思ってんじゃないのって感じる時があるんですけど、でも、なんかやっぱいろんな話聞いてると特に日本は特有だなって思っちゃいますね。
No, sometimes I feel like everyone was born into their own unique culture, but when I hear various stories, I can’t help but think that Japan is particularly unique.