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ゲスト、パーソナリティ
ゲスト:水江未来
アニメーション作家
1981年福岡県生まれ。「細胞」や「幾何学図形」をモチーフに、ノンナラティブな表現を生み出す、アニメーション作家。見る者の目を奪う独特な抽象アニメーションで知られ、インディペンデント・アニメーションやMVなどを幅広く手がける。
世界4大アニメーション映画祭(アヌシー・オタワ・広島・ザグレブ)すべてにノミネート経験があり、代表作『MODERN No.2』は、ベネチア国際映画祭でワールドプレミア上映され、アヌシー国際アニメーション映画祭で音楽賞を受賞。
『WONDER』は、ベルリン国際映画祭でワールドプレミア上映され、アヌシー国際アニメーション映画祭でCANAL+Creative Aid賞を受賞した。現在は初の長編アニメーション『水江西遊記(仮)』の製作の準備に入っている。
パーソナリティ:迫田祐樹
通信会社、総合広告代理店を経て、アニメ企画&制作会社を起業し、MV〜映画の映像プロデュース。2021年に京都に移住し京都のエンタメ産業の盛り上げにも着手。直近ではマンガやオーディオのエンタメ領域にも従事。オーディオドラマ、webtoonの企画&制作中。加えて複数のエンタメ会社のプロデューサーやアドバイザーをつとめる。
全体の目次
#01
・アニメーションにおけるノンナラティブな表現とは?
・映画祭で自身の作品がノンナラティブ部門で上映されていた
・「物語」がない作品ではなくて「物語」を作品の柱に置いていない作品という解釈
・ジャンルとか気にせず好きなものを作り続けている
・転ぶと痛いし柔らかいものは心地いい
・ジュラシックパーク、ターミネーターからのリュミエール兄弟
・映画は物語だけじゃなくて瞬間の体験もある
・映画の中に散りばめられてる忘れられない体験が好き
・ある夏の日、ビニールプールでコンビナートを模して監督した怪獣映画ごっこ遊び
・ジェダイの帰還を劇場で観た記憶
・映画が大好きな両親の元で
・高校三年生でファントムメナスを観るために劇場に並ぶ
・劇場空間というアナログへの憧憬
・T-1000を見た衝撃
・異質なものや奇妙なものが見たい
・ETERNITYのインタビューより
・短い尺の中で実験的に奇妙なものを作る
・20分寝させないものをノンナラティブで作るためのライド型
・映画が終わったときに映画館にいたことを気付かされるということ
・ETを見た後の自転車爆走の夜
#02
・平面の大画面で主観映像を観るとVRになる
・「スパイダーバース」における映像の快楽性
・ノンバーバルの価値とは
・言葉で伝え合うときの曖昧性
・ドイツで「WONDER」を見てくれた女性からの言葉
・ノンバーバルは見た人に自発的に何かを考えさせる効力があるのかも
・アンケートが苦手 ・「フラグルロック」の話
・「水江西遊記(仮)」について
・いま、西遊記をやるということ
・人間がどう生きていくのか、世界をどう認識するのか
#03
・「License of Love」について
・たくさんのキャラクターを出すこと
・生きること、死ぬことの拡大がテーマ
・子供のときに読んだ学研の科学より
・Twoth(トゥース)さんの曲について
・イントゥーアニメーション8の曲も作ってくれている
・イントゥーアニメーション8のプラグラムについて
・アニメーションがより面白い時代になってきている
・アニメが横断し始めて、混沌としているが刺激的である
#01が始まります
アニメーションにおけるノンナラティブな表現とは?
迫田
水江さんは、僕が一方的に昔から観測させてもらっているアニメーション作家で、とても光り輝いて目立っている方でして、どこかでお話してみたいと思っていたんですが、今日ここでそれが叶ったことに感謝しています。では、まず水江さんからいただいたプロフィールを読み上げながら、気になったところを少しずつ聞いていければと思います。
水江未来さんは、1981年に福岡県生まれのアニメーション作家で、細胞や幾何学模様をモチーフに、ノンナラティブな表現を生み出しています。見る者の目を奪う独特な抽象アニメーションで知られ、インディペンデントアニメーションやMVなどを幅広く手がけられてます。そしてここで、早速、僕の解釈的に結構気になったことがありまして、水江さんの作品を見る中で、細胞や幾何学模様がモチーフになっていることは理解できますが、このノンナラティヴな表現という言葉が頻繁に使われてますが、このノンナラティブという言葉の解釈を水江さんにお聞きしたいと思っていました。
というのも、僕も映像プロデュースするにあたって、リニアとナラティブという言葉を最近使うことが多く、製作者側が一つの答えを提示して、展開も含めた答えを提示して、お客さんに見てもらうリニア型と、選択肢を用意して、見る側がその選択肢に対して自分が選んで一緒に物語を紡いでいくナラティブという大まかな解釈で捉えているのですが、このナラティブというのは、ゲームではよく語られているように、選択肢があるゲームなどで様々なマルチエンディングがあるという形で使われることも多いです。ここで使われているナラティブやノンナラティブという言葉は、アニメーションの界隈や映画祭のカテゴリーの界隈では、別の使われ方をされていると思うのですが、水江さんの見解や解釈を含めて、このあたりをお聞きしたいと思っています。
水江未来
そうですね。「ノンナラティブ」という言葉は聞きなれない言葉だと思うんですよね。僕の作品はアニメーションを制作している中で、抽象アニメーション(アブストラクトアニメーション)、実験アニメーション(エクスペリメンタルアニメーション)など、などと呼ばれることがあります。実際にエクスペリメンタルな作品やアブストラクトな作品はたくさんありますが、映画祭に行った時に「ノンナラティヴ部門」というカテゴリーがあり、私の作品もそこで上映されてまして、そこで初めて「ノンナラティブ」という言葉に触れましたね。日本語に直訳すると「非物語」という意味だとおもいまして、上映されている作品を見ると、ノンナラティブと言っても、実験的なものやグラフィックの展開をしたもの、物語性を感じるものなど、いろいろな作品がありました。物語が全くないわけではなく、物語を主軸に置いていないだけであるという解釈をしています。
物語とは、人物が出てきてドラマが展開するものだと思いますが、必ずしもそうではない物語の感じ方は様々ありますよね。ノンナラティブにはそれらが含まれていると思います。違う角度での物語作品とも言えるのかなと思います。説明したことで、より複雑になった感じはありますが(笑)
迫田
はい、あのでもやっぱり水江さんの解釈を一旦言葉にしていただいたのが結構良かった、面白かったなと思ってて。それで、その中でちょっと気づいたのは、水江さんは映画祭に自身の作品を出展出品されて、映画祭側がカテゴライズしたものがノンナラティブというところのカテゴリーで、それを見て水江さんは「あ、僕の作品はノンナラティブっていうジャンルなんだ」っていうのに気づかれたっていうことですよね。
水江未来
そう、そうですね。確かそうだったと思います。応募するまではあまり自覚してなかったかもしれないですね。
迫田
なんかこうカテゴリーとか部門とかそういったある線を引く行為は、ある種のその世の中に規定された価値観を表出させて、それに当てはめる行為の一つでもあるじゃないですか。っていう中で、なんかこう自身が発したものがどうカテゴライズされるのか、っていうのを自分でカテゴライズするよりも、何かしらの権威だったり、何かしらの視点がそうやってカテゴライズしたものがあって、それkらナラティブやノンナラティブっていう観点を知っていったということが水江さんにあったんだということが結構新鮮でした。なんか最初からもうノンナラティブジャンルでやっていきます!っていうアカデミカルな考えでやられてたような雰囲気があったので。
水江未来
はい、そうですね。だから、自分が最初にアニメーションやり出したときもなんか微生物がウニャウニャ動くようなアニメーションを作ってたんですが、自分ではこれが実験的な作品だとか、抽象的な作品だとは思ってなかったんですね。ただ、これ面白い、これ動いて面白いから作ってたってだけだったので、だから出来上がった作品、最初に作った作品が「抽象アニメーションだね」っていうふうに言われた時に、「何それ?」みたいな感じがあったんですよ。
なので後から自分が作ってるのって、過去には実験系の作家がいて作れられていたんだって、後からどんどん知ってたって感じですね。作っていく中で、だんだんこういう作品になってたんじゃなくて、最初からこういう作風でやってたっていうのがあるので。全然自分ではどういう立ち位置だとか全然わかってないっていう感じでした。
迫田
なんかそうですよね。世の中でこういうジャンルが表出してるから、そこに自分を合わせに行こうっていうことではなくて、もう全然それを意識せずに自分が作りたくて気持ち良いものを作ってて。それがまあ後付けでノンナラティブという形で表現なんだよ、抽象なんだよ、エクスペリメンタルなんだよ、っていうのを言われたっていうところなんですね。
それで面白いなと思ったのが、あの、僕、水江さんの作品見させてもらう中でこの表現こそ、そのカテゴリーで言うところの抽象的とか、その実験的って言われるのかもしれないけど、なんかめちゃくちゃ物語してるなあって思うわけなんですよ。で、プラス何ていうかな?僕の解釈でちょっと恐縮なんですけど、なんか宮崎駿さんがやりたかったこととか、こういうことなんじゃないかなとか思ったりしたわけなんですよ。
水江未来
あの、ちょっと恐れ多いことが(笑)
迫田
あの、一つの目線なんですけど(笑)。というのもなんて言うのかな、物語ってもちろん、現代人はやっぱりテーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼみたいなフォーマット化された物語が親しみやすいんだと思うんですけど、なんか物語って僕は結構多面的であり、他視点的であり、マルチバースだなとか思うわけですし、見る人によって物語をどこに感じるかっていうのは多面的であるなと思うんですよね。
それで、なんていうかプリミティブなところで、転んだら痛いとか、硬い場所に転んだら痛いとか、やわらかいもの触ったら心地いいとか、そんな感じがやっぱりアニメーションで描くっていうのを宮崎さんはやられてたのかなとか思ってるんですよ。柔らかいものをすごく柔らかく表現する、硬いもので転ぶと怪我をする、高い場所から落ちると怪我をするみたいなこと。それでで、やっぱ水江さんのアニメーション見てると、そのものすごく柔らかそうに見えたりとか、ものすごく硬そうに見えたりとかするなというのはすごく感じていて。なんかそのあたりがとっても僕は勝手に物語を感じたんですよね。なので水江さんは物語好きな方なのかなと勝手に思ってはおりました、という感じなんですけどそのあたりはどうでしょうか?
ジュラシックパーク、ターミネーターからのリュミエール兄弟
水江未来
物語はそうですね、大好きですね。映画見るのも大好きなので、あの、そうですね、もともと僕すごくSFの映画だったりとか、ファンタジー映画とか、そういうのがすごく好きで見ていて、アニメーション自体はそんなに見てはいなかったんです。SF映画とか好きで見てましたね。例えば『ジュラシックパーク』とかも映画館で見ましたし、『ターミネーター2』とかも映画館でなんか小学校低学年ぐらいのころなんですよね。自分の意思で見に行ってるんじゃなくて、父親が連れてってくれてたんですよ。
『ターミネーター2』なんかはもう衝撃で。あのいつまでもしつこくT-1000が追いかけてくるのとか、のけぞるような思いで見ていて。『ジュラシックパーク』のティラノサウルスがジープを追いかけてくるところとかは、もうのけぞる感じになるんですよね。だから、それって後から自分が映画を勉強したりとかするようになって、映画のフィルムを発明したルミエール兄弟が、列車が汽車が駅に到着するってあれを見た当時の観客たちが列車がこっちにぶつかってくるってビックリして、なんか逃げ出したみたいな、なんかあの話があるじゃないですか?あれは自分も経験してんじゃん!『ジュラシックパーク』を映画館で見た時もう仰け反ったから(笑)。
だからこの映画っていうのは常にこう映像のなんて言うのかな?驚きを提供してくれるものっていうか。それって物語だけではないってことですよね、映画って。その瞬間、瞬間のシーンが忘れられない体験になるっていうのがあって。なので、なんか僕は結構もしかしたら物語も好きなんですけど、映画の中にあるそういう忘れられない(?)体験みたいなものをちりばめられてる。そういったものをすごく好きで、なんか自分の作品にそういうものを入れ込めたらっていうのがあって。なんかこういうスタイルで作ってるのかなっていうのはありますね。
迫田
あー、その小学校低学年の時に連れていってもらった映画館での忘れられない体験や瞬間、それが原体験として水江さんに刻み込まれていると思うんですが、今も作るものにこの瞬間や刹那からもらった要素があったりするんですか?
水江未来
あ、そうですね。なんか自分が作ってるもののアイディアの大本になってるものってなんだろうって思い返してみると、大体幼少期から小学生、中学生くらいの間、まあ、ティーンエイジャーの頃に見てきたものでなんかだいたい決まっちゃってるような感じがあるなぁっていうか。そのあと大学に入って見たものとかは、やっぱりちょっと後追い感がありますね。
迫田
今お聞きしてた『ジュラシックパーク』や『ターミネーター』は実写じゃないですか?やっぱ見るのは圧倒的に実写が多かったですか?
水江未来
えっと実写は結構見てましたね。もちろん『ドラえもん』も見に行ってましたし、『ゴジラ』も見に行ってました。『ゴジラ』は実写ですけど。映画はよく連れてってもらってましたね。『となりのトトロ』も映画館で小学校一年生ぐらいの時に見ました。
迫田
ああ、早いな、そっか。映画館で見られたんですね、『となりのトトロ』。
水江未来
『となりのトトロ』を映画館で見て、トトロが終わったあと、『火垂るの墓』が流れて、トラウマになるあの事件を食らってるやつですね、幼少期に。その世代ですね。
迫田
えー、すごい。その体験、めっちゃ聴きたい。あの僕は普通に金曜ロードショーとかで初めて見た派なので、その映画館体験ってどうなったのかっていうのちょっと聞いてみたいんですけど。
水江未来
うん。 交互に上映しますからね、当時はね。
迫田
でもなんかそれで言うと、やっぱその原体験としてあった映画館での体験が今に繋がっているというのはありつつも、やっぱりアニメばっかり見てるとかでは全然なくて、ある程度物語性がある、実写・アニメ含めて、ただ、その瞬間インパクトがあったり驚きがあるような作品が多いのかなあなんて、『ジュラシックパーク』や『ターミネーター』を見てたとお聞きすると思ったりはしました。その時に自分もこういう作ってる人たち側で、生きていくぞ、みたいななんとなく思い始めたような瞬間だったんですか?
水江未来
どうですかね。まあ子供の時は、画家になりたいなとか、デザイナーになりたいなとか、そういうのを思ってましたけど、映画監督はどうかなぁ。でも、小学生の時に庭でビニールプールを出して弟だったりとか、友達とかがこう遊びに来てプール遊びをしてるんですけど、そこでまあ怪獣ごっこみたいなのが始まるわけですね。ウルトラマンと怪獣の戦いで、でもう片方がウルトラマンになって戦うみたいな。で、ビニールプールがあるから、だいたいコンビナートをイメージするんです、コンビナートでの戦いみたいな。で、海辺から怪獣がザバッて出てきてみたいな。その場で僕は監督みたいなことやるんですよ。こっから出てきて、こう戦って一回ウルトラマンピンチになって。まあ別にカメラ回してないんですけど、なんかそういう演出をやったりとかしていたので、そういったやっぱ映像を作ったりするってことはなんかこう興味あったんだと思うんですよね。
迫田
自然とその友達が役者になって、ゴジラになって、それで水江さんが演出、監督側に回ってたってことですもんね。めっちゃ面白い原体験ですね。それって小学校の低学年とかですか?
水江未来
小学校の、何歳ぐらいかな?でもまあ4、5年生ぐらいかもしれないですね、その頃は。
迫田
だからやっぱ時系列的には映画館に連れて行ってもらっていて、さまざまな見たものの興奮をそのビニールプールとコンビナートで再現しようとされていたってことですよね?
水江未来
そうですね。同じぐらいの時期だったと思いますね。その頃は『ゴジラ』の平成シリーズがやっていた頃だったので、えっとその『ゴジラvsキングギドラ』とか『ゴジラvsモスラ』とかなんかああいうのがやってた頃ですね。なので、毎年お正月になると『ゴジラ』を見に行くというで時代だったので、『ゴジラ』を見に行くと隣の映画館では「寅さん」がやっててとか、そういう感じでしたね。いつも『ゴジラ』見に行くと、「寅さん」のポスターが貼ってあるなみたいななんかそういう時代でしたね。だから『ゴジラ』を見ながらそういうハリウッドの『ジュラシックパーク』とか『ターミネーター』とか、そういったCGの表現が入ってきて、どんどん演出がすごいダイナミックになって、こうリアリティのあるものになっていってる狭間の時ですね。
迫田
今のお話はこの昭和から平成初期の風景が描かれる、瑞々しい話ですね、本当に。まあ、でもその原体験があったからこそ、やっぱこのものづくりに今もこう関わり続けられてるっていうところが見えてきたので、面白い前半のお話をお聞きできたかなと思ってまして。
ここでちょっと後半に向かっていく上で一曲曲をこう挟んでければと思うんですけども。小学校時代を過ごされ、中学高校ともやっぱりこう映画館に通う日々みたいなことだったと思うんですけど、ご紹介いただく曲はその当時に見られてすごく印象的に残った作品だったり曲だったりするのかなと思うんですけども、何の曲をご紹介いただけますでしょうか?
水江未来
はい。ええと『スターウォーズ/ジェダイの帰還』まあ、当時は「ジェダイの復讐」でしたけれども、「Ewok Celebration and Finale」という曲を、聞いて頂こうと思います。
ジェダイの帰還を劇場で観た記憶
迫田
はい、お聞きいただきましたのは、『スター・ウォーズ/ジェダイの帰還』より「Ewok Celebration and Finale」でございますが、水江さん、この曲にもいろいろな濃いエピソードがあるかと思うんですが。
水江未来
はい。えっとそうですね。この『ジェダイの帰還』は日本公開以前に『ジェダイの復讐』っていうタイトルだったんですけど、83年の映画で僕が81年生まれなので、まあ当時二歳なんですが、僕の両親が映画館に観に行ってるんですね。で、僕を抱えて見に行っていて、でもやっぱり映画館で泣いちゃうので、先に父親が見にシアターの中に入って、外で母親が僕を抱えて待っていて。で、父親が見終わって出てきたら僕を抱っこするの交代して、次の回を、母親が見に行くっていう。そういうふうにして見たんだっていうのを後々僕は親から聞いた んですけども、だから僕自身は上映しているそのシアターの中には入ってはいないんですけれども。まあ、おそらく僕が赤ちゃんの時に初めて行った映画館っていうのが『ジェダイの帰還』を親が見るためにまあ見に行ってたっていうのがあって。
でまあ まあ、今のエピソードがわかるように、すごく『スター・ウォーズ』好きだったんですね、うちの両親が。家にVHSがあったんですよ。ダビングしたものだったので、おそらくはレーザーディスクかなんかからダビングしたものっぽくて途中でチャプター表記が出るので、多分レーザーディスクなんですね。当時はそのえっと最初の時の日本語字幕で。「フォース」が「理力」っていうふうに理科の理に力って書いて「理力」だったりとか。「ライトセイバー」が「電光剣」って電気、光る、つるぎって書いて「電光剣」っていう字幕バージョンが家にあったんですね。で、僕は本当にずっと幼少期そのVHSを何度も何回も家で見ていたのでええ『スター・ウォーズ』がやっぱりもうすごく好きになったっていうのがまああって。
でもまあ公開してたのは、僕が生まれる前とか生まれて間もない頃だったので、そこから十、十何17年後とかそんぐらいですかね、『スター・ウォーズ』の新作がやりますってなって。『エピソードワン/ファントムメナス』ですね、はい。僕が当時えっと高校三年生だったんですけど、まさか『スター・ウォーズ』がまた見れるとは。で初めて映画館で見れるってやっぱすごい興奮だったんですよ。それで前日並んだんですよね。有楽町のマリオンの日劇で見ようって、日本で一番でかい映画館だといことで。美術予備校の友達と一緒に行ったんで、前日の夜10時ぐらいから並んだんですね。その時にもうすでに400人くらい並んでたんですよ、えっと確か2000人ぐらい入る劇場だったと思うんですけど。
でまあ一晩並んでえっとまあ、翌日の朝一の上映を見るっていう感じで、徹夜で並んでって感じで観た記憶があって。で、まあ何ですかね。やっぱりもうすごい興奮するんですよね。映画館でこう見てて、コスプレの人たちがすごくいっぱいいて、お祭り騒ぎで。で見ててだんだんなんか「ええなんかちょっと違くない?」となり、なんか思ってたのとって言うのもありつつ、でもやっぱり久しぶりに『スター・ウォーズ』見れるっていう興奮もあって、もう見たときはもう興奮してるんですよ。 で最後エンドロールの音楽入った時とかも興奮して帰って、その後、5回ぐらい見に行った、劇場に行くんですけども一人で。でまあ何ていうんですかね、その『スター・ウォーズ』のすごく面白いところは、あの最後のこのエンドロールに入る瞬間がやっぱりすごく好きで、特にその今、お聞きいただいた曲は要するにエピソード6で一番、まあ最後の作品というかね。帝国との戦いに決着がついて、でみんなでわーってこうお祝いをしている中でこうフィナーレに入っていくっていうところがすごくこう気持ちが上がるっていうのがあってね。大好きな曲なんですよね。
迫田
なんというか、前半の方で、SFやファンタジーをよく見られるっていう話をされてたのに繋がるんですけど、結構そこが源泉なんだなって言うのがあって、どこかこの水江さんのフィルムワークスには、SF感っていうのが漂いますよね、モチーフというか。なんか、そういうところも、歓喜の瞬間、その最後のまあ、なんかこれ『ワンピース』にも同じようなことあると思うんですけど、最後に悪に勝ってみんなで乾杯!みたいな感じの見てくれた人達へのご褒美のターンあるじゃないですか。なんかあの辺の感動みたいなものの感覚とかもなんかこう感じるんですよね、水江さんの作品には。作られてる方で意識してるかどうかわかんないですけど、なんかそういうところが繋がってきたところにもあるなってふと思ったりはしたんですけど。
急に話が変わるようになっちゃうかもしれないですけど、水江さんは世界四大アニメーション映画祭、アヌシー・オタワ・広島・ザグレブに、すべてにノミネート経験があり、代表作の一つである『MODERN No 2』がベネチア国際映画祭でワールドプレミア上映、そしてアヌシー国際アニメーション映画祭で音楽賞を受賞ということなんですが、やっぱり幼少期からもそうですし、今もうこの映画館とか映画祭っていう、フィジカルな場所での活躍っていうのがあるのですが、水江さんはデジタルで作品を作られているものの、かなりアナログへの憧憬が強いというか、そういったところもあるのかななんて勝手に思っちゃったんですけど、水江さんにとってのこのデジタルの今の状況と今のアナログ空間、映画館的なアナログ空間ってどういう感じで今映っているのかなとといろいろな意見とか聞いてみたかったりしまして。
水江未来
そうですね。えっと技法に関しては、僕はなんかこうアナログ至上主義ではないですよね。CGも、例えば『ターミネーター2』でやっぱりすごく興奮したのはT-1000だと思うんですよね。あの液体金属の、あのT-1000の…
迫田
ああ、はいはい、あの表現がね。
水江未来
そうなんですよね。T-1000が登場するシーンあの一回、金属グニャグニャを見せてくれてるところを見たいっていうのがやっぱりあるので。なので、その僕はアナログのアニメーションに最初興味を持ったのは、それがすごく異質な感じを覚えたからなんですよ。それはCGの表現が目立つ演出として出てきた90年代とかのSF映画でもやっぱ同じようにちょっと異質な表現ですごくこう興味を惹かれるっていうのがあって。おそらく最初の『トイ・ストーリー』もそんな感じで見てた気がするんですよね。変なアニメーションっていうか。要するに2Dのアニメーションばっかり見ていた中で、3DCGで長編のアニメーションっていうところでなんかもうちょっとこう、奇妙な感じっていうのはちょっとあったので。
なので、今はだんだん3DCGの表現っていうのがどこでCGが使われているかわからないぐらいなこうリアルなものになってきて、そこの異質感っていうのがこう感じづらくなっているっていうのがあると思うんですけども、そういった中で、アナログのアニメーションで例えばストップモーションアニメーションとか、そういったものをまあ『スター・ウォーズ』とかで見た時に「なんだこれ?」と思ったりとかしたんですが、やっぱりそういう異質感っていうのを短編のアニメーションとかにこう多く見られたっていうのがあって。もう、それで興味を持ったっていう感じなんですね。なので、なんか作り始めるきっかけがそういう短編アニメーションのアナログの手法で作られているものだったっていうことにすぎないというか、なのでCGとかがあんまり好きじゃないとか、そういうことはなくて。CGもまあ、とにかく異質なものは大好きっていう感じですね、うん。
迫田
うん、うん。面白かったのが『トイ・ストーリー』も多分1995年とかが最初だったと思うのですが、多分水江さんは映画館でご覧になったのかなと思うんですけども、『ターミネーター』もそうですけど、そのときの時代ってCGで何かを作るみたいなことが、一つの映画の売りにもなってたじゃないですか。特に『トイ・ストーリー』なんかはCGでアニメーションを作るっていう、そのチャレンジ自体が投資にも繋がってたような状況だったんですけど、だからやっぱその何て言うかアナログで作られていたものがCGで作られる時に出てきた、にじみ出てくる違和感、とか、奇妙、みたいなものの方に水江さんはストーリーよりもアテンションが引きつけられたっていう感覚だったんでしょうね。
それで、やっぱりなんかあの、例えば『ETERNTY』のお話をされていたYouTubeのインタビューを拝見させていただいたんですけども、やっぱあれなんかでも技術面のお話、結構されていたと思っていて、あのタッチデザイナーだったり、unity使ってますっていうことだったり。だからやっぱりそのなんて言うのかな、常にその時代のいろいろなツールを使って、奇妙さ、を追求されているんだろうなみたいなのも、なんか今繋がった感じが僕の中で勝手にありまして。うん、キーワードなんですかね?「異質」とか「奇妙」っていうのが。
水江未来
うん、そうですね。やっぱり奇妙なものを見たいんですよね、なんか。奇妙なものを見れるっていうことはすごくなんて言うのかな、幸福感があるんですよ。映像を見る幸福感というか。快楽性とちょっと近いかもしれないですけど。
迫田
でも確かに要は多様であるっていうか、画一的にこれが素晴らしいものである、みたいな一つの価値観のものだけがある社会っていうのはあるかもしれないんですけど、多様まあ、奇妙なものも許容するということで、さまざまな奇妙な形があって、それを許容する多様的な社会が結構豊かだっていうのは絶対そうだと思うので、なんかその辺りの話が結構あるのかなと思いました。
やっぱそこで、短編だったら実験的にいろいろな奇妙さを追求できるよっ、ていうのが昔から今に対してずっとこう残り続けているそのムーブメントなのかなっていうのがあるので、まあそこに多分さっきの冒頭のノンナラティブ、エクスペリメンタルみたいな話も接続してくるんだろうなと思ったんですけど、短い尺の中で実験的に、水江さんの言葉を借りると、奇妙で、すごく心に残る快楽につながるアニメーションを作るんだっていうところがなんかあるのかなと思いました。
いや、これ結構その水江さんの作品を見てて、こう色々お聞きしたいところがあるのが、興味がおありなのかもわからないんですけど、量子力学的なものだったり、仏教的なモチーフみたいなものとかも考えられているのかな、なんて勝手に思ったんですよね。
一つが『ETERNTY』のインタビューで言われていたことで、精神が体から解放される、長いもの(長尺の映像)で見るとより助長されるのではないかという抽象アニメーションの持つポテンシャルを考えるということなんかはめっちゃ気になるワードだったので、なんかここで一つなんか踏み込んで聞いてみたかったりもしますね。
20分寝させないものをノンナラティブで作るためのライド型
水江未来
うん。あと、そうですね。『ETERNITY』という作品は、21分あるんですね。で、僕がこれまで作ってきたアニメーションは、だいたい3分とか6分とか、それぐらいの尺のものが多いんですけど、そうなると、一曲、一つの曲の構成の中で、一つの曲の盛り上がりが始まって盛り上がってって、そういう構成に合わせて展開ができるっていうのがあるんですけど、20分になってくると音楽の構成も、じゃあどうしようかって考えていかないといけないっていうのがあります。
20分の抽象アニメーションとかなんかなくはないんですよ。映画祭に行くと、実験系のプログラムとかで見ると、20分ぐらいずっとなんか点滅が続くみたいな作品があったりとかするんですよね。で心地よくてだんだん寝てしまったりとかするんですけども、やっぱり一つは20分寝させないものをノンナラティブでどうやって作るか?みたいなこともあって。で一つはやっぱりライド型というか、割と観的な視点で何かに乗って移動していっているようなものを作ろうというふうにこう考えて。なので、『ETERNTY』って作品はトンネルの中をずっと進んでいったりとか、溝の中を進んでたりとか、球体のなんか曼荼羅の中をカメラ撮ってたりとか。
これまでの作品は画面内にたくさんモチーフが出てきて、うじゃうじゃするっていう作り方だったんですけど、今度はうじゃうじゃしてるものが空間の中にいっぱい溢れていて、その中をカメラが突き進んでいくみたいな、そういう作り方にしたっていうのがあって。なので、こう、だんだんと自分は映画館の座席に座っているんだけれども、気持ち的にはスクリーンの中でずっと進んでいくような、どっかを巡っていくような、なんかそういったものを作りたいなと思って作ったという感じですね。
あの精神が離れて行くっていうのは多分おそらくどんな映画を見てても気持ちがその追体験っていうか、エンドロールになった時に、「自分は映画館の座席に座ってたんだなあ」っていうふうになって、「よし帰るか」みたいなこう感じになるわけで。気持ちがもう完全にこうその映画の中に追体験して自分の気持ちが行ってるときっていうのはね、自分の体かこう、気持ちが離れているような感じなのかなとか思ったりしますけどね。
迫田
そこまで引き込んでくれた映画って、それを見て外に出た瞬間にその映画がヒーローものだったら、自分がちょっと強くなった気持ちになってたりしますよね。
水江未来
そうですね。そう、なんか高校生ぐらいの時に映画館出た時って、そういう気持ちによくなってたなって、今、思い思い出しました。最近はやっぱ大人になって映画見るとなんかごちゃごちゃロジックで考えちゃって、なんか映画に集中してないなってことがありますね。
迫田
昔はヒーロー映画見た後は、自分が今、誰かに絡まれても勝てるんじゃないかっていう幻想に陥るぐらい入り込んでたなって、昔を思い出してちょっと切ない気持ちになりました笑
水江未来
ありますよね。僕が大学生の時に『E.T.』のディレクターズカット版が映画館で上映されて、それを自転車に乗って20分ぐらい自転車飛ばして見に行った帰りにはもう本当になんか全速力で自転車こいで帰りましたよね。ETは自転車に乗せて空飛びますからね。もう「うおー」とか言いながら、夜中に自転車こいで帰ったの覚えてますね。