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ゲスト、パーソナリティ
ゲスト:アソビヅクリ
2018年に東京で「遊びを作る遊びの延長」をテーマに、企画・マーケターの山本さんと、作家の下田さんで設立されたアニメチーム。斬新なアイデアと緻密な技術力を併せ持ちながら遊び心と深い思考が感じられるクリエイティブが特徴。
山本晃弘
企画・マーケター
1998年生まれの25歳
高校を卒業後、アニメーターとしてアニメ会社に入社。技術不足で約1年でクビになる。その後、Twitterで下田と出会い一緒に自主制作アニメを作る事になるが1作目は企画倒れする。その間、知り合いを増やす目的でスケッチ会の活動を始める。その延長で出したスケッチの同人誌がヒットして、今はそれで生計を立てながら自主制作アニメを制作中。
下田健太郎
作画・作家
1997年生まれ26歳
定時制高校卒業後、山崎パン工場でバイトしつつ、ふらふらしている時期にTwitterで山本と知り合う。二人で井の頭公園で絵を描いているうちに、これをアニメにしよう!と山本と意気投合。本格的に活動が始まる。
パーソナリティ:迫田祐樹
通信会社、総合広告代理店を経て、アニメ企画&制作会社を起業し、MV〜映画の映像プロデュース。2021年に京都に移住し京都のエンタメ産業の盛り上げにも着手。直近ではマンガやオーディオのエンタメ領域にも従事。オーディオドラマ、webtoonの企画&制作中。加えて複数のエンタメ会社のプロデューサーやアドバイザーをつとめる。
全体の目次
#01
・アニメーターからスタートした山本さんだったが…
・Twitterで繋がった山本さんと下田さん
・子供の頃の夢が詰まったガラクタ町
・ファンタジー作品を摂取してきた
・サマーウォーズを見て目指したアニメ業界
・バイトをしながら絵を描いていた下田さん
・アニメ業界に属さずにアニメを作るということ
・アニメーションの尺についての衝突
#02
・自主制作アニメを作ろうと思った経緯
・井の頭公園での二人のスケッチ会
・アニメ業界でアニメを作ってみて感じたこと
・ハイリスクローリターン
・下田スケッチがあることでバランスが取れた
#03
・アソビヅクリの二人にとっての遊びとは?
・熱中できること
・構造理解ができること
・スケッチを通じて対象物の身体性を獲得する
・遊びができる場を作るということ
・アソビヅクリが考える物語について
自主制作アニメを作ろうと思った経緯
迫田
簡単な振り返りなんですが、エピソード1ではアソビヅクリのお2人をご紹介させていただきまして、2人の出会いの部分についてお話を聞きながら、実際、今、自主制作アニメを作っているところに向かって話を進めておりました。という中で、1作目では山本さんと下田さんの間でその作品をどういった長さにするのか、尺をどうするのか、というところでなかなか折り合わなかったということをお聞きしてきました。
尺とか長さの話に関しては「映像」というものを意識しない限り出てこないんですが、アニメとか映像になると途端にこの「尺の長さ」の話であったり、「何を伝えたいのか」っていうものを時間軸を持って話をしなければならなくなりますね、そういう中で、エピソード2で聞いていきたいのは、新たな自主制作アニメということで、『ガラクタ町』(仮題)を作られているということなんですが、お2人にとって自主制作アニメという表現を選択された理由だったり、どうしていまこれをやって、これから何をしていきたいのか、みたいな話を、ざっくばらんに聞いていければと思いましたが、いかがでしょうか?
山本
どうして自主制作アニメにっていうところなんですが、もともとスタートとしては、狙って自主制作アニメをスタートしたわけではなく、下田が僕のLINEのタイムラインに上げていた絵を見て、それが子どもが秘密基地で遊んでる絵だったんですけど、これを「公園で一緒に改良バージョンの絵を描こうよ」ってことをしてくれていってくれて。
それで絵を描こうとしたんですけど、描けなくて、そしたら下田が「井の頭公園で秘密基地作りをごっこ遊びでやろう」っていうことで言って。なんかこうガリガリガリって、いろいろと秘密作り始めごっこをし始めて、「なんならこれをアニメにしたいね」って下田が言ってくれて、「アニメをせっかくだからやろう」っていう形でスタートして、まあ、あんまり理由という理由もなく偶然そういう流れになったっていうところがスタートです。
そのプロジェクトが始まりながらなんか僕の中でこう色々とロジックというか、今、自主制作アニメをやる価値でであったりとか、自主制作アニメを頑張る、頑張ってそういう戦略的なものとかが色々と、かちゃかちゃかちゃって、こう詰まっていってみたいな感じで自主制作アニメを作ることに偶然以外の意味っていうのもどんどん乗っかってきたんですけど、そんな感じでしたね。
迫田
実際に公園で2人で肩を並べて絵描いてたってことなんですか?
山本
あっ、そうです。
迫田
なんか、それ、めちゃくちゃほのぼのとしている風景だなと思いました。でも、やっぱそういうとこが始まりますよね、なんかこう、「これ面白いじゃん」って。やっぱこう隣でお互いを見てるから、「あ、その絵いいじゃん」みたいな感じになるじゃないですか?
それで聞きたかったのが、実際、絵ってやっぱり1つの静止画のクリエイティブじゃないですか。それをアニメにしようって思うのは、やっぱ結構理由が必要だと思うんです。アニメ映像っていうのは、連続した絵を紡いでいくことで、時間軸が生まれて、そこにストーリーが生まれるわけじゃないですか。まあ音楽を乗せるとか、またはその声を入れるかみたいなものも別のベクトルとしてあるんだけれど、まあアニメはそういったものが乗り得る器であるっていうことで、やっぱものすごい色々広げることはできるけど、考えなきゃいけないことも同時に増えていく。
2人がこのタイミングで、このアニメというものを作ろうという風にジャンプしていったところの情緒的理由もいっぱいあると思うし、合理的な理由もいっぱいあると思うんですけど、その情緒と合理の部分を聞いてみたいなって思いました。
山本
「秘密基手作りごっこ」っていたときに、土の上に木の枝で秘密基地の絵を描いてたんですけど、まぁ絵というか、間取り図みたいな。その秘密基地が動物みたいな形をしていて、若干こう地下に潜っていくみたいなもので。それをまあ、色々と楽しんで秘密基地作ったところで、これを1枚絵に落とし込むことができないなっていうことになって。まあ、秘密基地の魅力っていうのを表現するためには、1枚の絵じゃなくてアニメーションで色んな角度であったりとか音であったり空気感であったりっていうところがやっぱり必要だよなぁっていうことを下田が言い始めて、まあ僕はもう大喜びでそこにのったっていう感じなんですけど。
迫田
なるほど、下田さん的にはその時どういう気持ちでそうしたいと思ったんですか?
下田
描いてて、こうイメージが膨らんでくる、というより、なんというか、色んな部屋ができたりとか、悪の場所が生まれていって、晃弘が言ってたようになんかその1枚の絵に入れようとするってやっぱなかなか入らないようなものだったんで、で、まあ、ちょうど晃弘もアニメやってたっていうところだったんで「アニメだったら見せられるのかな」ぐらいな感じですね。普段絵を描くときに全部じゃないんですけど、そうやって描かれない部分までちょっとこう描いたりはするんですけど。で、どうにかまあ1箇所、構図を決めるんですけど、「アニメだったら、全部見せられない?」みたいな感じはあって、そこで提案したんじゃないかなっていうふうに思います。
山本
大層な理由なかったね、スタートする時。
迫田
そのタイミングって、ちなみに何年前なんですか?
山本
6年前とか?
迫田
6年前から今もずっと走り中だと思うんですけど、アニメという選択をしてみてどうですか?
下田
アニメっていう選択して、すごい苦手な部分もたくさんあったりとか、実際にこうやって2人で活動して「自分の能力こんな感じか」とか、色んな摩擦だったりとかそういうの気づいたりして、まあでも多分何を選択しても割とそういうなんだろうなとか、楽しいこととか、辛いこともたくさんあっただろうから、今、現状楽しくやれてる部分もあるんで、まあやってよかったかなっていうのが、率直な感想ではありますね。晃弘、どうだろ?
山本
俺はあんまり感想ががないというか、映像という表現に対しての哲学みたいなものもそんなにないし、なんかもっと感覚的に「1枚絵よりもいろいろ表現できるね」くらいの解像度で映像と向き合ってというところはあるのかなっていうところですね。
あと作画とかっていうと、結構同じような絵を描きまくるとストレスが俺は感じるんですけれども、下田はそういった作業にも全くストレスを感じずに、何ならすごい楽しんでるっていう感じだから、そういうアニメの映像制作っていうところのそれ自体のコストはあんまないのかな。コストはないというか、後悔はないというか。
迫田
少なくとも5、6年、続けれるっていうことは、合わないメンバーだったり、やりたくないテーマを扱ってると絶対にその期間は続かないと思うんですよ。ちなみに僕も2017年ぐらいから、企画始めたものが「もうすぐ出来上がるかな」っていうところではあるんですが、長編アニメを作る、プロデュースする上でやりながら気づいたのは、その作品をやりたいと思う監督や中心人物がまずそのやりたいものを「どうしても人生をかけてやりたいんだ」っていうぐらい大好きで、もうそれをやることの全然苦労がないっていう状態じゃない限り5年も6年も続かないと思うし、絶対的に嫌な人とは続かないから、多分お互いのニーズが合ったんだなって思って。
例えば山本さんが作りたい世界観はアニメでやりたいという思いはあったが、アニメ会社でひたすら同じ絵を描き続けるみたいなものは、自分には無理だなと思ったというところがあり、下田さんはまあアニメっていうところを目指してなかったかもしれないが表現したいものを息の合うというか、共感し合える仲間と一緒に作るのを何かしら求めらていることはもしかしてあったかもしれなくて、その中で、山本さんはいっぱい描くのはつらいけど下田さんは描くのは結構苦じゃないよっていうところで、お互いやりたい世界観として、ひと夏の思い出だったり、子供の頃の夢だったり、そういったテーマ感があっていて、やり始めましたっていうところで、で5、6年続いているということは、多分その2人のニーズがすごくいい形でハマってるんだなってう感じました。
ちなみに5、6年前って思うと、そのお2人が観測していた、その当時の自主制作アニメってどういうムーブメントを迎えてたんですか?
山本
なんだろ、『フミコの告白』でしたっけ?
迫田
うん、石田祐康さんの。
山本
それは高校生の時とかに自分でアニメーション制作ってYoutubeで調べて見て、「あぁ、すごいなぁ」みたいなって。その時はそれぐらいで今のような盛り上がりは当時なかったなっていう感じで。「まあ、学生とかが作る感じだよね?」みたいな
下田
そう、たまに美大生とかが卒業制作に作ったやつがYoutubeに載ってるとか、そういう感じ。
山本
アニメーション学科卒業制作みたいなのがポロポロっていう感じだったな。
迫田
そうですよね、5、6年前は美大生が作るものが載っかっていたし、発表する場としてはICAFみたいなものがあって、学生アニメーション映画祭みたいなものがあって、そこで出すっていうのがグランドフィナーレみたいな感じでしたが、今は個々人がM Vを手がけたり、ハッシュタグで集まったりすることで、本当にここ数年ぐらいは活性化しているじゃないですか?
5、6年前は自主制作アニメっていう映像のアウトプットが盛り上がっているタイミングでじゃなかったけど、2人の中ではこれはもうアニメだという、自主制作アニメだってなったのは、まあなんかちょっとタイミングとしては、やっぱ一足早いですよね。
山本
そうですね。なんかアニメ業界でアニメを作ってみて、毎日同じ作業机に座ってとかっていうのは窮屈だなって感じたり。あとはアニメ業界っていう、まあ給料だったり働き方だったり、すごいフレームが固定されていて、僕はちょっとだけ制作進行もかじったんですけど、なんかかそういう色んなところを見てて、なんかわざわざアニメ業界で作る必要ないなあとか、なんなら今はS N Sでアニメーションだすこともできるしコミケとかがあったり、収益化だって全然個人単位でできて。
でまあ、そういう製作委員会的を的なところを作らなくとも、個人単位でアニメを作って収益化も狙えるかもしれないで。ただ、まあそれにはすごい馬力というか才能が必要だけれども、まあその才能に関しては下田がいるから大丈夫だろう、とかっていうなんか色々ととパーツがはまって、そんなこんなで自主制作アニメで勝負しようという。そしてYoutuberも流行り始めてたというか、もう流行りきってYoutuberという地位が確立されてたぐらいなんで、まあYoutuberっていうのも、もともとテレビ局でお笑い芸人とか、色々そういうのがタレントがいたのが、まあYoutuberになっていって…。
6年前とかかは自主制作アニメを発表するけど、結局そういった才能ある人らは大抵アニメ業界に入っていって、まあその後音信不通になるというか、どんどん業界の中に溶け込んでいってこう分かんなくなる。もしかしたらもちろん活躍しているかもしれないですけど。なんかそういう名刺代わりの作品止まりではなくて、感覚的には自主制作というよりかは自社制作っていうのをダイレクトにやっていける時代なんじゃないだろうかっていう。さらに当時アニメ業界の働き方はブラック問題とかっていうのも騒がれていて、そこに関してはもう説明すると長くなりそうだから。なんかアニメ業界はローリスク、ローリターンなフィールドだなっていう感じがあって。
下田
アニメーターとしてアニメ会社でやったりっていうことが?
山本
製作委員会方式とでお金を集めてアニメを作っても権利持ってなくて、ただその制作費で貰うっていうのも、まあめちゃめちゃみんなが豊かにもらえてるわけでもないのかもしれなくて、まあ、ほかの業界比べたときに。製作委員会方式っていうのもちゃんとわかってないですけど、基本的にエンターテイメントっていうのは当たったら売れるけど、当たらなかったら売れないっていうので、ハイリスク、ハイリターンでそれを1社が全部やってしまうと、当たらなかった時にその1作品で会社が潰れるリストがあって、そういったリスクっていうのを分散するために、ローリスクにするために製作委員会とかでみんなで出し合ってアニメ会社も製作委員会方式で制作費をもらうという形を取ることによって、ヒットしてもヒットしなくてもとりあえず会社は続けられるっていう形には入ってるのかなと。
で、まあそれだけど制作費が少なかったりとか、制作スケジュールが厳しいから、ローリスク、ローリターンではあるけど、長期的に見た時に、例えばおじいちゃんになった時とかにすごい大変そうだな、とか。まあすごいゴリゴリの職人だったら、そういう人生でも幸せだったなと感じられるかもしれないんですけど、僕はそんなゴリゴリの職人ではなかったので、1ヶ月ぐらいだったらこうもうがむしゃらにっていうのはできたかもしれないが、数十年、これからずっとこれが続くとかって考えると、続けられないなと思って。ちょっとどこからどういう文脈だったか忘れたけれど。
ローリスク、ローリターンだけれども、実はローリスクというか、長期的に見たときにそれは人生単位で見た時にハイリスクなんじゃないだろうかとかって。そういったフィールドにどっぷりハマってハイリスクなんじゃないだろうかって思って、それだったらもうわかりやすくハイリスク、ハイリターンで自社制作的な戦い方をしてる方が、良くないだろうかって思ったりして。さらにその当時、あまり自主制作も大きな熱がなかったので、ただなんかTwitterとか開くと、アニメ業界のなんかブラック問題で「上を変えろ!」とかで騒がれていて、でも僕の中で業界構造を変えるっていうのは上だけの問題ではなくてアニメーターであったりとか、そこで働いている人の、上から下まで全体の問題だなっていう印象もあって、だからこそ変えるの難しいけど、そういう業界を変えずとも、業界の外側で生計を建てれるようになったらまあ、結果的に働き方が淘汰されるかもしれなくて、既存の中で良くない部分とかがで、そうしたらまあ業界を変えることにもつながるしっていう大義名分みたいなものもこういろいろ繋がっていって。
で、さらにそれはビジネス的に言うと、もうポジショニングに利用できるかもしれないとか。 新しく自主制作アニメ業界っていうのは今後盛り上がる、そしてそれのパイオニア的な感じでポジショニング取りながらとか。なんか、そんなこんながカチカチ繋がりながら、ちょっとどこに着地すればか分からなくなってしまったんですけど、なんかそんなことを、考えながらやってやってましたね、うん。
迫田
やっぱ些細なきっかけだと思うんですけど、山本さんの中にある実際にアニメ業界を身近に居ながらも体験した中ですごく感じたことがあって、それが自然に発露しているっていうのは非常に分かった話だし、僕もアニメ業界に入ることはしなかったけれども、外から観測していて、その後アニメを作り始めた当時に同様のことを思っていたので、非常に納得感を持ちながら聞いてました。1つの作品を良くしたいとかっていうだけじゃなくて、業界全体のレイヤーで見たりとか、1人の人間の人生の長いスパンにおいて、何が幸福なのか、何が不幸なのかみたいなものもこれ考える人と考えない人って、結構明確に分かれるじゃないですか。
結構これ良い悪いって話じゃないんだけれど、考えることを放棄しても、人生って生きていけるじゃないですか、その場、その場でね。で、ある種、職人の方々は様々な可能性を考えることを一旦考えずに、1つのことにフォーカスしてるっていうのも言い換えとしていえるかなと思うんですね。 っていう中で、やっぱ僕もどちらかというと様々なことを考えたいし、なんか対極的にいろんなものを見て判断したいとか、常に悩みたいみたいなとこも結構あるので、「考えることをあまり忘れない」っていうか考えずにはいられないような性格なんですけど、多分山本さんも色んなことを考えてで「そんなのも考えても無駄だよ」っていう先輩とかももしかするといたのかもしれないけど、なんかそれは「いや、違うでしょ」って思いながらちゃんと考えて色々なことを実行されたんだなって非常にわかる考えだった聞けて良かったなっていうところがあります。
後半にバトンパスのために1曲を、曲をはさめればと思うけれども何か曲ございますか?
下田
じゃ、僕からいいですか?chelmicoで「Easy Breezy」をお願いします。
下田スケッチがあることでバランスが取れた
迫田
はい、ではお聞きいただきましたのは、chelmicoで「Easy Breezy」でございました。この曲でのエピソード何かございますか?
下田
曲自体のエピソードではないんですけど、当時「自主制作アニメやるぞ」って言っていた時期に見つけた漫画があって、それが『映像研には手を出すな』っていう漫画で、自分たちみたいな人が実際に自主制作アニメーション作っている漫画で、読んでちょっと自分の中で熱がぐっと高まったっていうエピソードというか、経験があってこの曲を選びました。
迫田
いや、いいですね。なんか映像研は自分のオリジナルのものを作る人たちの中では、その好きなものを作ってるなっていう作品にすごく映りますよね、ちょっと一瞬、僕の話挟めればと思うんですけど、塚原重義監督の『クラユカバ』という企画を2017年ぐらいから始めて最初はクラファンなども交えながらやってたんですね。あ、ちなみにさっきの下田さん、山本さんにしてもらってた話で、洞窟の地下にどんどん潜っていくみたいなモチーフの話されたじゃないですか。まさに『クラユカバ』もそんな感じだったんですよね。最初、設定資料を塚原さんが描いていて、それがものすごい熱量を持ってたんで、ちょっとどうなるかわかんないけど、やってみましょうっていうので始めたんですね。
っていう中で、最初いろいろと小さい動きをしていってたんですよ、PVを作るとかどんどん設定資料を増やしていくみたいなことやってた時にクラファンも同時に仕掛けたんですね。で、そのクラファン仕掛けたタイミングあたりでちょっと前後で小さいイベントを開いたんですね。で、その時にこの映像研の大童澄瞳さんもゲストで来てもらって、大童さんは元々と塚原さんの作品を見てたらしくて。
下田
繋がりが…。
迫田
そうそう、なんかその辺が繋がりがあるなあっていうところで、やっぱりアソビヅクリさんの2人の作品もやっぱり根底にある同じような息吹をめちゃくちゃ感じますね。っていうところがあって山本さんが前半に話されていた話に戻っていくと、やっぱ話してもらったものが全部繋がってるなあっていうのがあって、アソビヅクリさんのpixivFANBOXで書かれている文章もいくつか抜粋すると、山本さんがアニメ業界の制作の現場で感じられていた、制作者、クリエイター、制作進行含め、従事者の働く環境を長期的スパンで見ると、ハイリスクローリターンなんじゃないか、みたいなところの話と、そこをなんとか是正したいっていうところや別の働き方があるよねっていうことを提示したいっていうところもあるのが書かれているし、作り方って別に一つじゃないよねっていうのが、めちゃくちゃこう出てきてたじゃないですか。
当時の石田祐康さんみたいに個人ですごいものを作る人たちも出ていて「これってなんでスタジオじゃないと出来ないんだっけ?」みたいなことを一旦考えてみると、意外とスタジオじゃなくても良かったかも、みたいなのってあるよねっていう。実際、僕もスタジオをやってみて長いものを作ってみてスタジオじゃないと出来ないことや、スタジオの素晴らしさも分かっているのでどっちが良い悪いとかじゃないんですけど、でもやっぱり様々な可能性がデジタルツールが普及してきたことや、プラットフォームとして出せる場所も増えてきたことで可能性があるから、そこに対してあのアプローチしたり、チャレンジするってことはしてみても全然いいじゃないかってこう思ってたんだと思うんですよね。
チャレンジをされて行く中で途中で出ていた収益化みたいな話も想像もされてなかったかもしれないですけど、スケッチ本を出すことである程度回していくための収益にはなっていて継続させることをできるエンジンにはなっているわけですよね。 だからなんか、まさに小規模である種、誰にも圧を受けることなく、自分たちが好きなものを好きなペースで作っていく中で生まれるアニメ以外の収益源を元手にアニメも作っていくみたいなことを既に実現されているので、すごく一貫性を持ってやられていることが実際に今芽吹いているなという感覚は受けましたね。
山本
いや、まあそんな感じですね、はい。
迫田
ここでちょっと一瞬掘りたいのが、Pixivで書かれている「小規模の弱点である回転数の低さを制作過程をコンテンツにすることで補えないか挑戦中」っていうところで、まさにそれが制作の過程だったり、制作をする中でこぼれ出た副産物とか考えみたいなものを本にして出されているっていうところになるのかなって思うんですけど、結構このスケッチ本のことを聞きたいクリエイターさんも多いんじゃないかなと思うので、なんか話せる範囲でなんか本を出してみて、みたいなところをちょっと聞きたいなと思いました。
下田
そうですね。なんか自主制作アニメーションとかで得たものを本にしているっていうわけではないんですけど、自分がスケッチをめちゃくちゃやってて、スケッチブックとか絵を描くのとかをなんかこうノウハウとかに出来るっていうところから、なんか本に流れていったっていう感じなので。なんて語ったらいいかなっていう…。でもめちゃくちゃ良かったかな。
山本
うん。シンプルにやっぱりお金を稼ぐってなるとさ、商品とかサービスを何かしら持ってないといけなくて。で、アニメーションっていうものを商品に落とし込むっていうのは、結構難易度が高いし、それをするための資金なんか用意する必要があったから、その意味では、スケッチ本ははまった、というかありがたい感じになった。当時確かiPadとかすら持ってなくて、アニメーションを作るぞってなってもトレース台すらフリマアプリみたいなところで、なんか電車乗ってはるばるよく知らない人に頂いたりとか、紙もまあいろいろして集めたりとかして、なんとかアナログで作るぞみたいな。
ただアナログで作るとすごい時間がかかるし、大変だっていうことでiPadとかを買わなきゃってなって、ただ当時、下田も山崎製パンだし、僕はバイトだし、しかもそのバイトもガッツリやってるわけでもなかったんで、そんなこんなで生活しながらiPadを買う余裕もなくっていうところで、じゃあどうやってiPad pro買うかってことで。今はもう売ってないんですけど、一番最初に出した下田スケッチ本が下田のスケッチ画集みたいに制作コストをかけずにギュッと集めて、でそれをクラウドファンディングしたら手数料を取られるので、ネットで印刷代を集めて、直接TwitterとDMとで直接銀行振込とかで集めて、一冊作ってでそこで最低限のお金を稼いで、iPadを入手して、みたいな、なんかそういう感じですごい活動全体の流れとしてなんかいろいろと支えてくれてる。
自主制作アニメーョンってなかなかこう世の中に出せるものでもないっていう、だからずっとこもってると社会とか外の世界とこう繋がれなくなってくるし、でも下田スケッチとかが、あってでまあ本を出して買ってくれる人もいてとかいうこう経済に参加できて、スケッチ会とかそういう自分たちのバランスを取ってくれるような機能にもなっていて、人との繋がりを保つようになったなっていう。そう、社会と繋がれる。そういう意味ではすごいやってよかったよなって。
下田
そうやな、確かに。
迫田
いや、まさにそのアニメを表現として選択するときにつきまとう問題としてあるのが、自分たちが作る商品が圧倒的に打席数に立てないっていうことで、僕、野球好きなんでよく打席っていう言葉は使うんですけど、映画だと、やっぱ4、5年に1打席という感覚なんですよね。もちろんそれはやっぱ映画なので、みんなが立てる打席じゃないから、ここで一発ワンヒット打てば、もしかすると点数が高いっていうのはあるかもしれないですけど、やっぱり「5年間で1打席はきついな」、みたいなものあるし。
そういう中で発想の転換で、結局映像を作る上で過程に生じるものってたくさんあるよね、で、それを世の中に現出している商品という形に作り替えて出すことができれば、まあいっぱい座席に立てるよねっていうところがある中で、そこで山本さんは下田さんはアニメを作るにしても、たくさんスケッチをするから、それをまとめて売ってみればどうなのかということをやってみて「これ、よかったな」ってっていう形になってるっていうことで。
まさにこれはめちゃくちゃ成功例だし、本当にいい技だと思うんですよ。ただ、ここで一つポイントなのが、やっぱり自分たちが作っているオリジナル作品だからこそ、自由にできる範疇がもう無限大な訳で、やっぱり誰かと、つまり何かしらの資本と一緒にやった時に、もちろんその資本側が制限をかけないところでやれるのが一番ベストではあるんですけど、まあ必ずしもそうじゃないっていう時に、そこの自由度が削がれるっていうのも、多分、山本さんもうっすらとアニメ現場にいた時に感じている息苦しさだったのかな、なんていうのも思いながら。
また次のエピソードで細かくお聞きしていきたいです。
#03へ続く