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ゲスト、パーソナリティ


ゲスト:ミチノク峠

Animation Creator / Game Art Designer アニメーション制作を中心に活動。現在は『ミチノク峠』というショートアニメ製作・投稿中

パーソナリティ:迫田祐樹

通信会社、総合広告代理店を経て、アニメ企画&制作会社を起業し、MV〜映画の映像プロデュース。2021年に京都に移住し京都のエンタメ産業の盛り上げにも着手。直近ではマンガやオーディオのエンタメ領域にも従事。オーディオドラマ、webtoonの企画&制作中。加えて複数のエンタメ会社のプロデューサーやアドバイザーをつとめる。

全体の目次


#01

・かずのこさんからミチノク峠さんへ
・アニメ映像を志すきっかけ
・3DCGのクオリティを上げる要因は2Dアニメーションに土台があると気づく
・ディズニーピクサーのストーリーボードが魅力的だった
・日本人気質であるということ
・カットに漂う空気感を大事に制作する
・ブラザー・ベアからもらったインスピレーションの源
・日本版ブラザー・ベアを作りたい
・難しいテーマをエンタメでくるんで食べやすくする
・生きているものを描くのが楽しい
・自由で多様なものをつくりたいと思ったのでゲーム会社に入った
・会社の中でやれる人、やると有利なこと、フリーランスがいい人、やれることなど
・内なる自分の存在 ・卒業制作の大失敗

#02

・会社の先輩に教えてもらったこと
・焦らない、マインドフルネス、考えない
・考えないためのコツはあるのか
・嫌なことを棚に上げる、嫌なことに蓋をする
・グレーにすること
・感銘を受けたAiry MeのMV
・クリエイティブアイデアを発想するルーティンとは
・お題に対して調べまくる
・わかりにくいものをアートやクリエイティブの力で伝えやすくすること

#03

・クラウドファンディングをやってみての実感
・当初は自分の力だけでやろうとしたが…
・スマートにやりきれないアニメ
・人間らしさやものづくりの本質の所在とは?
・AIの到来を通じて、我々が作品を通じてなにを見てるのか、求めているのか、がわかりやすくなったと感じる
・文脈の大事さが際立ってきている
・作品「ミチノク峠」について
・東北のアイデンティティ、東北っぽさを伝えたい
・「ミチノク峠」10話で伝えたいこと
・生まれながらにして制約が決まっている、ということ

#01が始まります


かずのこさんからミチノク峠さんへ

迫田

あの、僕がミチノク峠さんを知って出会ったタイミングは「カズノコ」さんという名前で活動されていて、現在は作られている作品の名前と一緒の「ミチノク峠」さんに改名されたというところですね。

ミチノク峠

そうですね。あの、諸事情というか説明させていただきますと、「カズノコ」というペンネームは結構多く使われているようでして、以前は、ゲームやプロゲーマーの中に「カズノコ」という名前の人がいたようですが、私は畑違いだったので、その時はそれほど気にしていませんでしたが、最近ではYouTubeで映像制作ソフトのハウツーを伝授する方に「カズノコ」という名前の方がいらっしゃったり、イラストレーターの方にも同じ名前の方がいらっしゃるようでして、自分の名前を変えることにしました。「ミチノク峠」という作品を制作していたので、その作品を売るために、自分の名前を「ミチノク峠」としました。少し分かりにくいかもしれませんが、許してね、という感じです。

迫田

いやでも、あの本当にいいチェンジだったと思います。実際、イラストもそうですし、アフターエフェクトもそうですけど、ミチノクさんが持たれている要素がどっちもやっぱ一緒というか、その同じ領域なので、確かにあの見る側からすると、お客さんやファンからすると、ややこしさはやっぱあったはずですよね。ちなみに『ミチノク峠』という作品自体は結構前から着手されてましたよね。

ミチノク峠

そうですね。今からもう2、3年ぐらい経ちますかね?昨日のことのようなんですけど、あっという間に時間が経ったって感じです。

迫田

はい。いやでも2、3年というと、もう本当こうコロナが発生し、ウィズコロナで、そしてまあまだ過ぎ去って無いですけど、まあちょっと、アフターコロナになったかなぐらいの時間軸なんで、結構、僕も体感としては一瞬な感じがしますね。2、3年っていうこの時間軸は。

アニメ映像を志すきっかけ

迫田

多分このクラファンでミチノク峠さんを知られた方はどういう方なのかなとか、何をされてきた方なのかなって。 特に作り手はめちゃくちゃ興味があると思うんですよ。謎に包まれているが、作られているものがすごいクオリティなので。 ええとこの人、いったいどういうところから現れ何をやってる人なんだっていうのが結構皆さん興味があるんじゃないかな?と思ったりはしてます。

というところで、あのまあそれが今現在なんですが、少し過去に時間を戻して、ミチノクさんがあのまあどういったことがきっかけで、今の映像を作るというキャリアに踏み出したのかという話を少しお聞きしても大丈夫でしょうか?

ミチノク峠

はい、そうですね。もともとなんて言うか、うん。 仕事見つける上でまあ学生時代ですけど、高校生なのかな?その時にえっと3DCGを勉強してたんですよ。なんかやっぱりその頃すごく新鮮というか、そのまあ画期的なツールだったので。 まあそれを切り口にして勉強して行く上で、3DCGのクオリティを上げる決め手って何なんだろうってちょっと思っていたら、その2Dアニメーションの考え方がやっぱり土台にあるなと思ったんですよね。演出とか、特に3DCGのその当時の学生作品っていうのは、そのモーションがすごくこう貧弱だったんですよね。

だから、アニメーションまあ、そのアニメーションのノウハウをちゃんと勉強してみようと思って勉強してった結果、徐々にその2Dアニメーションの世界に興味を持つようになって。まあ、 気づいたら3D CGじゃなくて2Dアニメーションどっぷりのお仕事、仕事をするようになりました。

迫田

なるほど。あの、最初は3DCGから始まったってことなので、あの作品としても成功して世の中に出ていた作品の中では3DCG作品が好きだったんですか?

ミチノク峠

そうですね。えっとまあ、その頃はあの、ディズニーのピクサーが全盛期で、その3DCG最先端イコールピクサーって感じだったので、えっと、『トイ・ストーリー』の頃はまだ知らなかったんですが、一番好きなのはえっと『モンスターズ・インク』ですね。『モンスターズ・インク』もその映画を見て、こんなにリアルでストーリーもすごかったんで、なんかストーリーもキャラクターもすごい魅力的だなと思いつつ。で、メイキングのDVDを見たんですよね。そしたらあの、やっぱりその技術 的な話というよりもやっぱりそのやっぱクリエイティブな部分、その 3Dじゃない技術的な部分じゃなくて、まあ2D、アニメーションに近い話をしていたので。まあ、それで。なんかその2Dの。 アニメを見るようになりましたね。

迫田

なるほど、あのその『モンスターズ・インク』の頃って、多分2000年と2001年とかそのくらいだったと思うんですが、あの逆になんだろうな。日本国内で言うと、結構その深夜アニメがバーンと来てた時代かな? とも思うんですが、ミチノクさんは、その当時はどちらかというと、ディズニーピクサーのようなこっちの方3DCGの映画作品を見ることがまあ当初多かったということなんですね。

ミチノク峠

厳密に言うと、中学校とか、小学校高学年ぐらいですかね?だからそのなんだろう。もちろん、その深夜アニメというか、そういう世界を知らない時期だったんですよね。なんかその頃は何て言うか?結構オタク文化が、前に出てこない時期というか。 オタクイコール反社会でキモいみたいなあの位置づけだったんで、僕もどっちかっていうとそっち寄りだったんですよね。その一方でもう一方で、3DCGって新しくて、しかもピクサーってなんとなく海外でハリウッドでおしゃれみたいなイメージがあったんで、なんかそっち寄りでしたね。その注目する観点はまあのちのち、そのまあ3DCGのクオリティを上げるために2D勉強して。 で2Dの勉強をして行くうちに何ていうか、その日本には実はなんかかなりすごい2D文化があるんだなってこう後々知った感じですね。

迫田

なるほどなぁ。でも3DCG作品であったとしても、もともとのスタートはコンセプトアートやレイアウトだったり、コンテはやっぱり手で描かれていて、今でもやっぱりそのディズニーピクサーのメイキングを見ると、あの最初のVコンテなんかはやっぱ絵でね、書かれていますしね。

ミチノク峠

はい、そうなんですよ。ピクサーのコンセプトアートとか、そのコンテっていうか、storyboardってあっちは呼ぶみたいなんですけど、なんかそれがすごい魅力的だったんですよね。コンテの絵ですら、こうなんか日本のコンテみたいにメモ書きな感じではなくて、なんかイラストレーションとしてちゃんと成立するようなクオリティだったんですよね。で、かつなんだろう、そのスタッフによって….、あ、すみません、なんか今猫がはねとびしちゃった音が聞こえちゃったと思うんですけど。

迫田

はい、全然、もう猫と一緒に出演いただいてありがとうございます笑

ミチノク峠

猫2人、2匹いるんですけど、2匹と共に仕事してる感じですね。そうですね。あれ なんの話だったっけ?

迫田

あの、ストーリーボードが素晴らしいと。

ミチノク峠

ああ、そうですね。はい、えっと、なんかスタッフによっても、そのスタッフ自体の個性も魅力的だったんですよ。それぞれのスタッフが違う絵柄で書いてて、もうなんか本当にピクサーってこう、かっこいいなあと思ったんですよね、その頃は。でも今はやっぱり何ていうか、ネットの普及があって、そのなんて言うか業界というか、ジャンルの境界線が透明になってきた来たんで、やっぱりだいぶクオリティは上がってきてるんですけど、そういう意味でこう個性的というか、それぞれの作家性みたいなのは薄まっている感じがしますね。まあ、仕事はしやすいんでしょうけど、でもやっぱり見る側としては、昔のコンセプトアートの方が、魅力的に映ります。

迫田

やっぱそれはこう会社としてもそうですし、どんどん大きくなる中で必然の流れで、周りを見ながらいろいろ取り入れていかなければならないというか、そのある程度なんて言うのかな、その初期はやっぱすごくひとりひとりがアーティストとして自分の個性を出して、その作品に対してその個性をぶつけるっていうところが少人数だからこそできていたっていうところはあったんだろうなというのがどんどんこう規模が拡張している中で、会社も作品も上のステージに行くっていうところで、やっぱその辺りの希釈化というか、薄まっていく感覚は、やっぱどの会社どのなんか業界にもありますよね。

ミチノク峠

うん、そうですね。なんか、なんかピクサーと言うか、ディズニーだけは違うのかなと思ったんですけど、なんかやっぱすごくでかい組織な分、まあなんかマーケットインの代名詞みたいになっちゃってますよね、現在は。だから昔と今ではだいぶ違うなとは感じますね。

迫田

うんうん、その今のそのディズニーピクサーの話や、そのマーケットインプロダクトアウトみたいな話もなんかすごく掘りたいなと思うので、またどこかで話せればと思うんですが、やっぱり初期、そのミチノクさんがクリエイティブの道を歩みだす時に影響を受けた人だったり、会社だったり、作品っていうのはその時期のディズニーやピクサー、主にピクサーだったってことなんですね。その時期で言うと、『モンスターズ・インク』もそうですし、『ファインディング・ニモ』とか『Mr.インクレディブル』とか、そのあたりのディズニーですよね。まあもちろん『トイ・ストーリー2』もちょっと前にありましたね。

ミチノク峠

うんうん。あ、そうなんですよ。まあ、憧れていた、影響を受けた人物も全部そのピクサーのメイキングDVDに出てくるような人たちだったので。そのまあ、ぶっちゃけ就職したかったんですよね、ディズニー・ピクサー。でも僕がその学生になって、その就職活動する頃にはディズニー・ピクサーは魅力的な会社じゃなくなってて、僕にとって。

日本人気質であるということ

ミチノク峠

なんか国内でその、 日本人として日本人の気質というか性質を生かした作品作りができるような環境で仕事したいなあと思いました。まあ、あとは単純に海外留学をする度胸がなかったっていうのもあるんですよね。その頃は別にそんなことないって言うと思うんですけど、そのまあ、言語の問題とか、あとはそのハリウッドの中に入って日本人がアーティストとして尊重されるのかどうかが分からないから、その海外留学はやめたほうが良いっていう言い訳をしてたような気がします。結果的になんか国内で個人的に活動してるのも悪くなかったのかなと思います、今は。

迫田

なるほど。過去憧れていたものの話を聞いた時に、やっぱ自分の中で繋がったのが、ミチノクさんが今、作品の『ミチノク峠』という作品で描かれているものが、この日本人気質っていうキーワードがかなり投影されてるなと思いました。実際はやっぱこうミチノクさんのこの絵、あの静止画もそうですし、動画もそうなんですけど、やっぱこうレイアウトにすごいストーリーを感じるなっていうのは常に思ってはいるんですよ。

パッと見のレイアウトがやっぱカッコいいし、すごくあの世界観見てみたいなと思わせるようなその背景があるんじゃないかってなんか思わせるようなものなので、やっぱそういうところが過去憧れていたピクサーが持っていたストーリーボードへの憧れなんかところからもにじんできているのかななんてのは自分の中で勝手に繋がったところではあります。

ミチノク峠

まあ、確かにそう言われてみると無意識的には影響しているかもしれないですね。

迫田

やっぱこのストーリーボードを見る中、その一枚の絵で止まってるんだけど、なんかものすごく背景やストーリーを感じて、頭の想像が膨らむっていうのが、やっぱりすごく素晴らしいじゃないですか、ピクサーのストーリーボードって。

ミチノク峠

そうですね。まあ、ピクサーに限らず、なんていうか、その2Dアニメーションとか、あとイラストレーションの勉強をしていた時もそうだったんですけど、学生の頃、アニメーションを一生懸命書いててこう躍動感が出なかったんですよね。

なんか生き生きもしてないし、なんかこう空気を感じないというか、明らかにイラストや漫画よりもその口数が多いのに、アニメーションとか映像って、躍動感が出ないんだろうってこう原因追求していったら、躍動感のある静止画とか空気を感じるようなイラストとかそういうのを見てて、ああ、やっぱりその絵としての力がないと、そもそも動かしても口数が多くならないんだなって気づいて、だいぶ構図とか、そういう一カット一カットに漂う空気感みたいなのをすごく大事にして制作しています。

迫田

ああ、一つ秘密が僕の中に解明した気がします。うん。あのそうですね、前半でお聞きしてきたのが、クリエイティブを志したきっかけになった部分や、実際に走り出す前のタイミングに思ってた気持ちみたいなものをお話しいただいたんですが、この後曲を挟んで後半では、実際にディズニーピクサーに就職したいと思いつつ、国内でお仕事をし始めたというところで、どういった形でお仕事を始められて、どのような変遷を経て今に至っているのかっていうところにお聞きしていければと思っております。なので、まずは一旦前半の終わりのところでこの流れを踏んだうえでの曲があると思うので、そちらをご紹介いただいてもよろしいでしょうか?

ミチノク峠

はい、あの散々ピクサーピクサーって言っててそれからちょっとずれてるんですが、同じ時期に公開されていた、ディズニーの『ブラザー・ベア』っていう2Dアニメーションがあったんですね。それにもすごい感銘を受けて、まあそれにこそ、やっぱりその絵心の大事さみたいなのをこう影響を受けたなと思っていて。で、その中で使用している、されてるサウンドトラックっていうのがすごくいいんですよ。80年代に活躍されたフィル・コリンズっていうアーティストを初めて知ったんですけど、その方とディズニーがコラボしてサウンドトラックを作ってるんですね。だから、それのサウンドトラックですね。

日本版ブラザー・ベアを作りたい

迫田

はい。お聞きいただきましたのはええ『ブラザー・ベア』のオリジナルサウンドトラックより「トランスフォーメーション」でした。ミチノクさん、前半の最後でも少しお話しいただいてたんですが、このオリジナルサウンドトラックの曲なんですけども、思い入れだったり、エピソードなどあったりするんでしょうか?

ミチノク峠

はい、あの、そうですね。さっき音楽の前に話していた「イマジネーション」というか「インスピレーション」の源的な部分が、『ブラザー・ベア』という作品にはあって、とても感銘を受けました。ざっくりいうと、アメリカとカナダに住む原住民、イヌイットの世界観をディズニーアニメに落とし込んだ作品です。この作品で一番大事にされているのは、泥臭い民族性をスピリチュアルで神秘的な世界観で表現していることです。原住民やマイナーな文化には、とっつきにくいという側面がありますが、この作品では、それをうまくディズニー的に脚色して表現しています。また、伝承を脚色してアニメーションに落とし込むというムーブメントの出発点となった作品でもあります。他にも、深夜アニメなどたくさんの秀逸な作品がありますが、私にとってはとても大事なきっかけとなった作品です。

迫田

まさにこの『ブラザー・ベア』がミチノク峠さんのクリエイティブの源泉になってるんだなあっていうのは、今こちらでも繋がったところがあって。うん。やっぱそのおっしゃられた、その何て言うのかな、ややもすると押し付けがましく難しいテーマであるじゃないですか、この文化とか信仰とかって。そういうものを、ある程度エンタメの膜で囲ってあげて、なんかこううまくこの食べさせてあげるっていうか。

ミチノク峠

なんかそこにすごい感動を感じますね。僕は、日本版『ブラザー・ベア』を作りたいと思っていますね、がちで。だから、ミチノクって「東北」って意味なんですけど、平たく言うと、東北の土着的な文化を『ブラザー・ベア』的に表現したかったんです。イヌイットに近い、まあその原住民として、北海道のアイヌ民族ってありますよね。僕、あれも何度もやってみたいなと思ったんですけど、もうすでに『ゴールデンカムイ』っていう作品があるので、まずはアイヌじゃなくて、そのミチノクをやろうということで、『ミチノク峠』を作っています。

迫田

うん、うん。ちょっとディズニー論みたいな形になってくるかもしれないですけど、この動物をモチーフにして何か物語るっていうのはなんかあらゆるメタファーとしてディズニーは上手く使ってると思うんですけど、まあ、多様性のメタファーだったりすると思いますし、まあこれ結構昔からやってる中で、あのミチノクさんもこのモチーフとして動物性というか、そういったものを使われるじゃないですか。どういうふうに思われて、こういうデザインをされてるんですか?

ミチノク峠

うん、まあ、そうですね。個人的にその、人間だけのデザインってあるじゃないですか。美術部の女の子がノートの片隅に描くような顔のようなもの。何て言うんだろう、あの顔を見ると嫌悪感を感じるんですよね。絵なんだから人間じゃなくてもいいじゃんって思うんです。だから、まあ、その僕自体、その漫画よりも絵を描くことのほうが好きなので、人間以外のものも描きたいなと思ったんです。だから、動物っていろんな形があって描くのも面白いし、無機物になると生きていないから、生きているものの方が描くのが楽しいですよね。だから、そういう意識で、だんだん動物をモチーフにした作品が多くなっていったのかなと思います。

迫田

うーん、なるほどなぁ。確かに絵は自由だし、クリエイティブは自由だから、それをね、人間に限定しなくてもいいじゃないっていうところがすごい動機として強いんですね。

ミチノク峠

自由なのにみんな同じものを描いてるんだったら、実写映画でよくないみたいな。まあ、ちょっとだいぶあのへそ曲がりな感じだとは思うんですけど。

迫田

ふんふん。いやいや、なるほどですね。少し戻って、小学校、中学、高校とディズニー・ピクサーの3DCGに憧れ、その秘密は実は2Dの方にあるのではないかっていうところの気づきがあり、そういったところで、2Dの勉強も始めているところではあるんですが実際にこのクリエイティブをやろうと思いながら、お仕事として開始されたと思うのですが、その時のお仕事の話なども少しお聞きしてもよいでしょうか?

ミチノク峠

はい。えっと、そうですね。やっぱり元々オタクっぽい絵よりも、ピクサーディズニー寄りの絵を描きたかったので、就職するときもなるべく、ジャパニメーション的を判を押したような絵柄ではなく、多様性のある絵柄を書いているような会社を選ぶようにしました。それで、徐々にですけど、描きたい絵をかけるようになり、もちろん描きたくない絵もいっぱい描いたんですけど、比較的アニメ業界の中心にいるよりは自分の望むような絵を描けていったのかなと感じます。それで、ゲーム会社を辞めて独立してフリーランスになって、自分で作ることもできるようになり、仕事も選べるようになったので、いろんなものを描くっていう動きを強めていったって感じですね。

迫田

うん、実際にその絵で何かをやろう思った時に、ただある程度多様性があるってことは大事にしたかったので、ゲーム会社の方がいいんじゃないかっていう仮説を立てられたと思うのですが、やっぱり結果的にど真ん中のアニメ業界に入るよりはあの自由だったなって、後から思えば感じますか?

ミチノク峠

いや、そのなんだろう、アニメーション業界どっぷりの中で描いていたら、多分自分の好きなものは描けなかったと思います。だから、まあフリーランスだからこそ、描けたのかなと思いますし、ゲーム会社にしても、まあ、いろんな制約がありますけど、比較的何ていうか画面に登場するものを重視しているので自分の描きたいものに合致はしてないけど、ちょっと近かったかなっていう理由でゲーム会社だったのかな、はい。

迫田

ただ、そこの嗅覚がやっぱりこう結構鋭いといいますか、その何ていうのかな?こうこの多分、このポッドキャストもえっとこれからクリエイティブ業界に船出したいなと思う方も結構聞いてくれると思うんですけど、やっぱその、なんて言うのかな?自分がこういうものをしたいんだというものを持っている人であればあるだけ、どこに行くとそれが叶えられるのであるかって結構悩むと思うんですよね。

会社の中でやれる人、やると有利なこと、フリーランスがいい人、やれることなど

迫田

ビジョンが特にない人は会社にいればとりあえずその会社に染まればいいけれど、自分のやりたいビジョンがわかっている人は結構行先迷うと思うのですが、ミチノクさんは結果的に一度会社に就職してお仕事した時期はあり、そこから独立されて、その後はもう自分が好きな領域の仕事をやられてるって感じなんですか?

ミチノク峠

ええっと、会社員時代も長いような短いような感じがします。ちょうどフリーランスになって、今年で五年目ぐらいで、会社にいた時期も五年間ぐらいでした。だからまあ半々って感じですね。ゲーム業界にいた時は、もうずっとこのままゲームクリエイターで居続けるのかな?と思って仕事していたんですけど、周りの友達が自分の好きなものにより近づいているのを見て、このままじゃ嫌だと思ってフリーランスになりました。

迫田

そこで衝動として、もうどうしてもこれをやらなきゃって思ってたのがやっぱりアニメ映像だったっていうことなんですかね?

ミチノク峠

そうですね。うん、あのなんだろう。ちょっと話が戻っちゃうんですけど、そのまあ、自分のやりたいことが何もないというか、真っ白のまんまで社会人になった場合は組織で大きく動いた方が明らかに有意義なんですよ。会社の中で、もちろんそのノウハウを教えてもらえるし。で、自分のやりたいことっていうのも、その会社のその流れ、会社の意向に沿っているものなので、その摩擦がないというか。摩擦がない分、よりレベルの高い仕事もできるし生活も潤うしし、それはそれで幸せだと思うんですよね。

僕もどちらかというとそうなりたかったんですけど、会社員時代は。でもやっぱりどうも内なる自分がそれに抗ってて、なんか生きづらかったんですよね。まあ、なんだろう、本来はその郷に従えみたいな感じがいいんだけど、僕はちょっと違うんだなと思って必然的にフリーを選んだ感じですね。

それで、映像を志した理由っていうのはその学生時代にアニメーション制作をやりたいと思って勉強してたんですね。そこで美大アニメーションって、なんか個人の作家の個性がすごく出てて、多種多様で非常に魅力的だったんですよ。だからそういうやつを作る人に僕はなりたいと思ってて。でもなんだろう、卒制のときにそれをするチャンスがあるはずだったんですけど、大失敗したんですよね、卒業制作。

迫田

ほう、そうなんですね。

ミチノク峠

はい。スケジューリングのノウハウが全くなくて、もうそれで中途半端になったっていうか。まあそれだけじゃなくて、なんか血迷って、その頃オタク文化全盛期って感じだったんで、クールジャパンみたいな感じの萌え萌えみたいなアニメを作ってたんですよ。だからもうそれでも大失敗したなと思ってて。自分の不本意な形のものを作ってしまったという。不本意なものだし完成もしなかったし、最悪だーみたいな感じになって。その気持ちを引きずって社会人になったわけなんですよね。だからまあその気持ちを供養するためという意味でもなんか、今の自分があるのかなと思ってます。

迫田

あー、なるほど。面白い、面白いって言ったらあれですけど、これ想像ですけど、卒制の時にもう本当にこの自分が憧れるアニメーションみたいなものを一つ作り上げてある程度この納得感があったら、もしかすると内なる自分が社会人時代にあの燃え上がることなく、組織に染まって組織の力を利用したなんか別のレベルが高く、あのなんかでっかい感じのものに行ってた道もなんかあったのかもなあ、なんて言うのもちょっと思うところですよね。

ミチノク峠

そうですね。第三者的に見たら、自分が何をしているのかわからなくなることがありますが、自分はやっぱり普通とは違うなと感じます。人生は微妙な紆余曲折がありましたが、仕方がないと思います。

内なる自分の存在

The existence of the inner self.

迫田

うん、まあ、でもなんか人生って何が正解とか本当にないですし、クリエイティブキャリアも何が正解って無いですよね。そのなんて言うんだろうな。どういうステータスにあっても、常にやっぱり何かが足りてなかったり、何かが少し供養し足りてなかったりっていうのは常にあるじゃないですか。ただまあ、ミチノクさんはそうやって五年間も内なる声をこう聞き続けられたわけですが、それに蓋をしてしまう人がほとんどだと思うんですよ。その声が結構強くでも。

ミチノク峠

でしょうね。本来だったらそういう気持ちに折り合いを付けて適応していくのが普通だと思うんですよね。でも、もうなんかこういう出鱈目というか、あの、全くよくわからないことをしてる人間が、一人いてもいいんじゃないかっていう気持ちでやってます。

迫田

いいですね。めちゃくちゃ勇気付けられつけられる人多いと思うんですけどね。そのまあ、別に僕は今のお話聞いてて、紆余曲折はあれど別にあっち行ったりこっち行ったりしてるなって感触は全然思わなくて、なんか結構筋通しながらやられてるなって感じがしますね。ただ、まあミチノクさんの中でそう思われていたとしても、でもやっぱりあのこれから作られる人も、今作られている人も、こういろいろ悩まれると思うんですけど、それでもミチノクさんのように悩みながらも、でもアクションしてる人の意見が聞けるのはすごい勇気づけられるのではないかと、ふと思いました。

ミチノク峠

ああ、それは大変光栄ですね。うん、そうですね。なんかその気持ちを糧に何ていうか、どんどんなんか何て言うの?排他的なもの、アウトローなものを作る人が増えてほしいなあって思ってます。