この記事はポッドキャスト番組として以下のメディアで聴くことができます。

ゲスト、パーソナリティ


全体の目次

#01

・漫画家を夢見る小学生は『大長編ドラえもん』が好きだった
・『AKIRA』は「暴力的で美しい」
・バイブルになっている『寄生獣』
・卒業制作の『ヒトしずく』は「世界の約束事を受け入れる少年」
・お腹の中の小人さんの話「暗黙の了解についての僕の原体験」
・演繹的に、前提に縛られる人類
・音がモチーフになる松浦さんの作品
・手塚治虫の『ブッダ』に感化される中学生
・アニメの『AKIRA』が持つ情報量がいまのアニメづくりにつながる?
・AKIRAにおける芸能山城組のパワー
・『月たちの朝』『ヒトしずく』に楽曲参加してくれた兄蔵さん
・「映画の半分は音楽だ」by 押井守監督
・宇宙で自分しか気づいていないこと
・『月たちの朝』の原体験は、電話オペレーターをしていて思ったこと

#02

・「日本のアニメが培ってきたものが何も活かされてねーよー」by 今敏監督
・今敏監督にズバッと言われたこと
・相原信洋さんからかけられた言葉
・日本のアニメ環境における「意味がわかる」ということ
・「楽しい」や「わかりやすい」だけじゃない価値があっていいと思う
・残っていくものは表現だし、それは身体性に紐づいている
・悪役を描きにくい時代
・『コングレス未来学会議』は視聴者に考えることを要求する映画だった
・『ファイブスター物語』にハマった
・大学出たての時期に体験した押井守監督とのエピソード
・「監督」という在り方への勇気をもらった
・制作進行をやっててよかった!
・Production I.Gでの4年間を振り返って
・押井守監督と竹内敦志さんとのエピソード
・「やりたいことは次にとっておけばいいじゃない」
・スタッフみんなから好かれる押井守監督

#03

・『火づくり』について

・鍛冶シーンから伝わる説得力
・一人プロデュース一人監督で作り上げた作品
・UQiYOさんの参加エピソードについて
・作品と身体性の話を「火づくり」を基にしてみよう
・機械文明の発達と旧文明の対比構造から見る失われている身体
・そこで失われていくものを拾い上げたい
・鋏の切れ味に感動する
・身体と物体の間で生まれるもの
・150年続いてきたものを観察すること
・かっぴーさんとのプチクラファン話
・美しいものが増えるより、美しいと感じる心が増えるほうがいい
・来年2024年公開の作品に向けて頑張ってます


#01が始まります

漫画家を夢見る小学生、大長編ドラえもんが好きだった

迫田

はい、ようこそ来ていただきました。よろしくお願いいたします。

松浦

はい、お呼びいただいて光栄です。

迫田

ありがとうございます。今日は松浦さんに様々なお話を聞いていきたいなと思うのですが、事前に松浦さんからのネタメモを頂いている中で――。

松浦

曼荼羅みたいな……(笑)。

迫田

本当に曼荼羅みたいな、様々な年代のエピソードがこういろいろな場所に分布している、ネタメモをもらっている中で、一旦、小学校・中学校・高校みたいなところの話を聞いていきながら、今のキャリアを目指すきっかけになった出来事だったり、現在やられていることや、悩むこともあると思うんですけど、その中で出てきた創作哲学だったり、今の思いみたいなものもいろいろお聞きできればと思うんですけども。

まずは一旦道しるべというか、松浦さんがどういったキャリアを歩まれているのかを一度いただいたプロフィールを読み上げながらご説明していければと思いますが、よろしいでしょうか?

松浦

はい。お願いします。

ゲスト:松浦直紀(マツウラナオキ)

アニメーション監督、演出家、アニメーション作家として活動中

日本アニメーション協会会員

1982年東京都生まれ、神奈川県在住。2006年武蔵野美術大学映像学科卒業。

ポリコンピクチュアズ、プロダクションIG、ROBOT…などで制作進行職を勤めた後、独立。TV、CM、MV、展示やライブ映像など、多様な映像・アニメーション制作を経験する。2016年ミラノ万博・日本館展示映像の演出を担当し、同プロジェクトは万博内で金賞を受賞。商業作品のアニメーション演出家としては「マルコメ味噌アニメCM」が最初期となる。以降はTVシリーズアニメのコンテ・演出業も行う。

2016年、オリジナル短篇作品「火づくり」のクラウドファンディングを実施。170万円を超える支援金を集めて、2021年に完成。イベントでの上映や、ネット配信、映画祭への出品などを行い、国内外でノミネートや受賞をする。

2023年OAのテレビアニメ「ライアー・ライアー」で監督を勤める。現在は2024年公開予定の劇場アニメーションの監督を勤める。

迫田

これは…、多忙ではないでしょうか?

松浦

ああ、おかげさまで、はい(笑)。いろいろやらせていただいてますね。

迫田

ちなみに今の気持ち、どんな感じなんですか?2023年も秋に近づいてきましたけれど。

松浦

そうですね。まあまあ、世の中的にいろいろありますけど、まあ、平和になるといいなと思いますね(笑)。広すぎるか、話が(笑)。はい。えっとじゃあどうしましょうか?幼少期、というか昔こんなんだったみたいな話とかをしながら……の方がいいですかね?

迫田

パッと今のプロフィールを聞いた人は、やっぱ「オリジナル作品の作り方ってどうするんだろう?」とか、「お金集めってどうなってるの?」みたいなところとかも聞きたいって思われるかなと思うんですけど、一旦そこに向かうまでにどういった道筋があったかを先にちょっと話して、で、まあメインディッシュ的にその話を細かくできればいいのかなって思います。

あと、めちゃくちゃネタメモの面白いエピソードがあるので、そこから抽出して話していっても大丈夫ですか?

迫田

はい、小学校の頃は漫画家が夢で、やっぱ『ドラえもん』だったりの影響で、『ドラえもん』は映画も見られてたと思うんですが、漫画版がバイブルだったんですかね?

松浦

大長編っていうのかな、あの映画の藤子・F・不二雄がご存命の時に、映画の方の話を漫画になってるのがあるじゃないですか。それが多分、分割でコロコロとかで連載されてたのかな?それがまあ、毎回単行本になってたんですよ。

で、ショートエピソードの方ももちろん好きなんですけど、そっちの映画のもとのやつが漫画になってる単行本があって、それをずっと買って集めて読んでましたね。

迫田

その他に見られていた作品群は『ドラゴンボール』や『勇者ロボ』『アキア』『攻殻機動隊』ということで…。

松浦

そうですね。もうベタベタですけどね、うん。小学校・中学校は『ドラゴンボール』でしたけど、リアルタイムではないんですが、『アキラ』のアニメを父親がビデオで見てて、「なんだこれ?」ですよね。あのラストシーンとか、もうびっくりするじゃないですか、あんなん見たことないし。で、もう気持ち悪くてしばらくピザ食えなくなったし。

でまあ、ただ存在は知ってたけど、どんな作品なんだろうってのは、あまりの衝撃で興味持つようにはなって、少ないお小遣いで単行本ちょこちょこ買って、「あ、こういう漫画があるんだ」って。で、そこから『アキラ』にどっぷりハマっていって。でまあ、あのネタメモにも書きましたけど、ニューヨークかなんかでの上映予告のキャッチコピーで「暴力的で美しい」っていうキャッチコピーがあったんですよね。で、それが「なんかすげー、暴力的だけど美しいってどういうこと?でも確かに『アキラ』ってそうだな」と思って。

自分は『ドラえもん』が大好きでもうずっとお花畑にいたんだけど「暴力的で美しい」って確かにそうまあそう言えるなって。単純に勧善懲悪の世界観――要は「暴力いけません」じゃなくて、「暴力的だけど美しい」って言葉にすごい惹かれて。それで結構舵転換が起こったっていうか。やっぱ大友さんの漫画をそこから遡って買い集めて読んでましたね。

迫田

『ドラえもん』も意外とアイロニカルだったりして、大人になって見てみるとまた摂取できるものがあるなとは思いつつ、やっぱこの『アキラ』だったり、他にいただいてるやつだと『寄生獣』だったり….。

松浦

はい、『寄生獣』もそうですよねぇ。『寄生獣』もショックでしたよね、本当にバイブルで、もう何十回も読んでもう名シーンばっかですけど、やっぱミギーが後藤と戦って一回死ぬじゃないですか。いろんなね、名シーンありますけど、一回新一とミギーが寄生生物を殺す殺さないで口論になって、ミギーが新一に「君と私の立場が逆だったらどうする?」って聞くんですよ。

で、新一が「うーん」って悩むんですよね。それでミギーのモノローグで「こう言うと悩む。これが人間という生き物なのだ」っていうミギーのモノローグがあって、「あぁなるほどな」と思って。人間ってだからその要は、自分じゃない他の人の立場に立って考えることが想像できるじゃないですか。すごくその、示唆が深いシーンですよね。だからそういうところを経て、『寄生獣』はまあバイブルですよね、今でも。

お腹の中の小人さんの話「暗黙の了解についての僕の原体験」

迫田

松浦さんの『寄生獣』の印象に残ってるシーンからやっぱ感じれるのが、根底にあるメッセージ性といかなんか、例えば『ヒトしずく』の時に書かれてたやつだったかな、世界の約束事を受け入れる少年や、「暗黙の了解についての僕の原体験が書き込まれてます」みたいな話は本の中であったと思うんですけど。

松浦

ああ、はい。あ、あれも読んでくださったんですね、光栄です。

迫田

あれ、めちゃくちゃ面白くて。つまりなんていうのかな、なんかちょっと小難しい話になっちゃうかもしれないんですけど、世の中を演繹的に捉えるトレンドの中で「もともとこんな前提があるよね」とか、そこで思考停止してることって結構あるのではないかっていうところとか、人間が考える考え方で結構そういう型になんか毒されてるわけじゃないんだけど、そういうところへのアンチテーゼはないんでしょうけど、なんかモチーフがあるのかなと思ったときに、やっぱこのミギーがそうやって人間をこう俯瞰してみて、「あ、人間ってこういうふうに考えるのか」っていうところに興味がいくっていうのも、世の中というか、社会というか、そんなものがなんか当たり前のように我々の前に差し出されているんだけど、我々ってなんでそれを普通に真っ正面からしか見ないんだろうみたいなこととか。

松浦さんが本で書かれていた「世界の約束事」って言い方が僕は結構面白かったっていうか、すごいよかったなと思うんですけど、僕もテーマ性に共感することが結構あって、なんで人はこういう風に考えるべきっていうふうにみんな言うんだろうみたいなこととか、だから『寄生獣』もやっぱりこの全く違う文化や慣習や価値基準の人、つまりミギーという宇宙人がいる中で同じ目標に向かう時に全く違う思考回路をたどるっていうとこがめちゃくちゃ面白いじゃないですか。

だからなんか、そういうモチーフはずっと松浦さん作品には生きてるんじゃないかなっていうのはなんか今、「寄生獣」の話を聞いてて思いました。

松浦

めちゃめちゃ深く分析して下さって。そうですね、その卒業制作の話を触れていただいたんで言うと、原体験はですね、ある絵本があって、それは幼稚園の時に読んだ絵本なんですけど、人間の体の中には小人さんがいて食べ物を片付けてくれてるんだよ、みたいな絵本があったんですよ。幼稚園の自分はそれを信じて信じてたんですよね、本当に小人さんがいるんだな、と思ってたんですよ

それで小学校上がって、二、三年ぐらいの時に、台所でトントンってこう炊事してる母親に別にそれとなく「あ、そういえば、小人さんっているんだよね?」って聞いたら「あ、あれ嘘よ」ってぽろって言われたんですよ。それがこの『ヒトしずく』の原体験なんですけど、なんかそういうことっていっぱいあるなっていうか。で、その時「あっ騙された」とか、「大人が嘘ついて言ったんだ」って反骨心が芽生えたというわけではなく、こう上の方からピースがす~って降りてきて、こうポコッと自分の体にはまったみたいな感覚があったんですよね。

もっとわかりやすく言うと、サンタクロースもそうじゃないですか。僕も本気で信じてて、友達と口論になったりしたですけど(笑)。まあでも現実的にはあの親御さんたちが子供たちに夢を与えてるわけですよね。まあでもあれって誰かがいつ教えなきゃいけないとか決まってないけど、なんかみんなそれとなく時を経て、「あ、あれはお父さん、お母さんがやってくれてたんだ、嘘をついてくれていたんだ」って気づくじゃないですか。でなんかそういう、その時の心の変化って面白いなっていうのは、まあ卒業制作の時の出発点っていうか、モチーフになった体験ですよね。

迫田

なんかその心の変化って、みんな原体験的に感じてるんだけど、そこに何かペグを打ってその時の感情を描こうって思う人が結構いないような気がしますよね。そういうのって、ささやかに流れていくものじゃないですか、「ああ、そうなんだ」みたいな。

松浦

そうです、「なんか言っちゃえばそうそうだよね」ぐらいに終わっちゃう話なんですけど。

迫田

「社会に適応する人間」みたいなパズルがあって、そのピースがどんどん上から降ってくるものがあって、そのパズルが出来上がるみたいな感覚かなっって、僕の中で勝手に解釈したんですけど、なんか大人って、全然無邪気にそういう「世の中の社会の真実」を言うじゃないですか、何げなく….。

ちなみにこの本は松浦さんが『火づくり』を作られた時に、多分、これコミケとかで売られてたんですかね?

松浦

ああいや、それはクラウドファンディングのリターン品として作って、売ったりはしてないんですよね。たぶん部数も、150ぐらいしか作ってなくて。で今、半分以上はうちに在庫あるまま……(笑)。

迫田

いやこれ、めちゃくちゃ面白い本なんで、世の中に出てほしいと思いますけど。

松浦

まあ、なんか機会があったらそういう、売ったりしようかなと思ってたんですけど。全然在庫がうちの押し入れに入ってます。

手塚治虫のブッダに感化される中学生

迫田

今喋っていただいたのが、松浦さんが暗黙の了解について感じた原体験のお腹の中の小人の話だったんですけど、なんかこのエピソードを語られるときにこの書かれている文章も、結構情景が見える文章になっていて。例えば「母があっさりあれは嘘よと言い、そのままトントントンと炊事を続けた」っていう。僕、このトントントンっていうとこだったり、その生活のモチーフみたいなものはなんか、ほかの松浦さん作品でも、もちろんこの後話す『火づくり』にも繋がっている話だなと思うし、非常に印象的なんですよね。

音ってこの、僕もやっぱり母が炊事場でトントントンって包丁でものを切っている音っていうのがやっぱなんかもう原体験的にはこの自分の幼少期を象徴するような感じなんで。この表現がすごく面白いなと思ってるんですよね。

松浦

まあ、その辺の文章はお友達と自分の妻がずっと編集手伝ってやってくれました。僕はその元の文章をバーッと書いて、読み物として面白くなるようにということをしましたが、基本はその2人が一生懸命構成してくれた賜物ですね。

迫田

本当いい文章なので、またなんかどこかで出る機会があれば、皆さん読んでいただいて、ということで。で、すいません、案の定やっぱり小学中学の話しましょうって話始めながらめっちゃ現代というか…。

松浦

ああ、作品のほうにいっちゃましたね(笑)

迫田

まあこれも良しということで、また戻っていければと思うんですけど、中学がそういった形で 『AKIRA』や『寄生獣』がバイブルになり、そこに手塚治虫の『ブッダ』も加わるという。

松浦

『ブッダ』もね、衝撃ショックでしたよね。だからやっぱ中学生ってまあ色々そういうことを考えるじゃないですか。

迫田

僕はかなりボケ~っとしてましたけどね(笑)

松浦

あ、本当ですか?(笑)うちは父も母も特定の宗教のあれじゃないんで、そういうのなかったんですけど、『ブッダ』が家に置いてあって、こう別に何気なく読み始めて、何巻だったか覚えてないですけども、要は人の心の中に神がいるのだみたいな、ことを途中で悟るシーンがあるんですけど、なんかそれすごい覚えてて。「あ、そっか、心の中に神様っているんだ」と思って。で、その当時すげえ感動して、野球部の友達に「人の心の中に神がいるんだよ」ってすげえ嬉しそうに話したら「ふ~ん」って言われてなんかリアクション薄くて、「あれ?みんなあんま、こういうこと考えないのかな」と思って、あんまだからそういう話する友達あんまいなかったっすね。

迫田

いや、中学生なんてそんなもんですよ(笑)

松浦

だから傍から見ると俺も変な奴だなと思われたと思うんですけど。

迫田

なんかやっぱその時期って年代にもよりますけど、僕は何だったかな、 『ドラゴンボール』とかやっぱ『スラムダンク』とかその辺だった気がしますけど、まあそれらの作品からも人生や色々なものを学べますけど、なんかもうちょっと深遠な部分を受け取れますよね、『寄生獣』や『ブッダ』や『AKIRA』みたいな漫画に触れていると。

松浦

そうですね。『AKIRA』とかも最初一回読んでも全然訳分かんないですもんね。いまセル画展やってますけど、この間観に行ってやっぱ改めてまた映画見返したり漫画見返したりしてましたけど、やっぱ真理ですよね、あそこで描かれていることは。

アニメの『AKIRA』が持つ情報量がいまのアニメづくりにつながる?

迫田

このポッドキャストに出ていただくのはアニメを作られている方が多いんですけども、やっぱ元々は漫画をみて育ってきた方が多いんですが、さっきの『AKIRA』の話で思ったのが、最初松浦さんが『AKIRA』に触れられた時ってアニメでしたか?それとも漫画でしたか?

松浦

最初、アニメでしたね、映画の方の。

迫田

多分アニメという映像媒体になった時の迫力がものすごかったと思うんですよ。もともと漫画を読んでいて、作品を触れてた方だったとしても、やっぱこう映像になった時アニメになった時の情報量の増え方ってすごいじゃないですか。だから、やっぱそこですごいびっくりされたり、ショッキングだったりしたと思うんですよね。

で、多分、そのあたりに感じた原体験が松浦さんを今ここにアニメを作る人間として連れてきてる感じもあるのかな、なんて思ったんですけど、松浦さんが今は漫画じゃなくてアニメを作られていることに関係していると思いますか?

松浦

やっぱ芸能山城組さんの音楽じゃないですかね?大きいのは。あれも全く意味わかんないですよね。 なんだこれっていう(笑)

当時もう本当に少ないお小遣いでサントラとか買って、インタビューとかで大友さんがこういう風にこういうことを考えてやってましたっていうのとか、最初はその大友さんがその芸能山城組さんに元々お願いしたいと思ってて、過去作のこれを使わせて欲しいって交渉しようと思ってて、いざ交渉行ってみたら、芸能山城組の方も『AKIRA』の大ファンで読んでて。

考え方としては「映画が出来てサントラ作ってください」じゃなくて「まず音楽としての『AKIRA』が存在し、で、その後にアニメの映画があって、その元の音楽から使わせていただくという発想です」という話をされてて、「あ、なるほどなぁ」と。こうやって音楽の人と交渉していくんだっていうのをここで覚えたりとかして。やっぱケチャのね「ラッセーララッセーラ」もそうですけど、ああいう未来都市で流れるっていう事のインパクトですよね。後から僕も知ったんですけどで、僕はその『AKIRA』を見た後に『ブレードランナー』とか知ったから、『ブレードランナー』を先に見た人は『AKIRA』の方がパクリだとか二番煎じだって、まあ批判する人もいますけど、僕は先に『AKIRA』があったんで。

あの音楽はやっぱ『AKIRA』独自のものじゃないですか。ああいう音楽と未来的な背景のビジュアルを組み合わせるっていうところに、一つやっぱり『AKIRA』のインパクトがあって、「クラウン」のジョーカーと戦う時もこう「ダッダー」とか人の声みたいのがいっぱい入ったりしてて、でそれが本当にこうなんか衝撃でしたよね。「あ、こういうことができるんだ」「こういう作品もあるんだ」っていうところで、だからその意味で単純に紙とペンで絵を紡いでく漫画よりもやっぱ音楽とか音もがっちゃんこできる映像とかアニメってすげえなっていうのは、やっぱ原体験でしたよね。

迫田

いや、まさにですよね。この後でお話をしたいなと思ったのが今敏さんとのエピソードで、やっぱり今敏さんも平沢進師匠がいて、やっぱあの世界観を作ってるじゃないですか。そういう作品に触れてきて、松浦さんやっぱりアニメという映像媒体で作っていくっていう方向にこう導かれていってる感じがすごくありますよね。

まあ、そんなこんなで先ほどもちょっと時間を飛び越えて現在に近い時間軸で、松浦さんが作られている自主制作アニメのお話をしたんですけども、後半に向かうにあたって、一曲紹介できればと思うのですが。

松浦

はい。兄蔵さんというベーシストの方の曲で「凪-ganui」という音楽です。僕が学生の時に、新宿の路上で演奏されているのを聴いて、それを卒業制作の作品に使おうと決めて、ご本人にご承諾いただいて使わせてもらったという曲でございます。じゃあ、お聴きください。

『月たちの朝』の原体験は、電話オペレーターをしていて思ったこと

迫田

兄蔵さんの曲ですが、路上で聞いててなんかギターの旋律にやっぱビビッときたんですか?

松浦

ああ、そうですね。これも中学校の時の原体験なんですけど、吹奏楽部で仲良かった女の子の友達にあの「あなたは音楽の才能が全部絵に行ってるから音楽は無理だよ」って言われて。まあ、それは半分ちゃかして言われたんですが、まあ自分で音楽を演奏したりとかではなかったんですけど、まあでもその分さっきの芸能山城組さんと大友さんの関係性みたいに、その分なんかこうより注意して聞くようになって。

兄蔵さんは新宿の東口かな、あの今のギャップの前のあそこの広場で弾いてて、もう耳に入った瞬間「あ、この人だ」と思って。終わったら話しかけて、その時はまだ自分は学生でしたけど「これこれこういう学生で映像とかアニメーション使ってるんですけど、よかったら曲使わせてくれませんか?」って言って、まあその場で話して「あ、全然いいですよ。どうぞどうぞ」って。

迫田

それで、『月たちの朝』という作品と『ヒトしずく』という作品に曲を提供いただいてということですね。

松浦

はい、そうですね。兄蔵さんのそれぞれ違う曲なんですけど使わせていただいて。で、制作中はずっと聞きながら作ってましたね。

迫田

やっぱり松浦さんにとっては音楽は作品を広げていくというか、作品をこう作っていく上でのエッセンスとして大きいんだろうなというのが、この後の『火づくり』の例を見ても思いますよね。

松浦

そうですね。あの敬愛する押井さんも「映画の半分は音楽だ」って言ってますから。

迫田

そうなんですよね。その押井さんの話もそうですし、今敏さんの話もそうなんですけど、松浦さんの人生を語るにあたって、やっぱり様々な方との出会いがありますし、その方々の言葉を松浦さんの解釈としてどう咀嚼していたかなど、どんどん聞いていきたいなっていうのはこうあります。

僕が松浦さんを見てて思うのが、人との出会いや縁をすごく大事にされてるなという印象があって。作品を作るにしても、作られた作品だけではなくて、その一緒に参加してくれた人たちとのエピソードだったりとかなんかそういったものがしっかり記録されていて、何かしら文章だったりで出ているっていうのはとても素晴らしいことだなと思っています。

松浦

ああ、光栄です。ありがとうございます。

迫田

もちろん、アニメって特に様々な人が関わるもので、全てのパートの人のことはもちろん把握はできないんだけれども、少なくとも自分の周りで一緒に動いてくれた方とか、支えてくれた人に対してスポットライトを当てたいんだろうなっていう気持ちがすごくなんかこう伝わってくるので素晴しいなと思うんですけども。

『月たちの朝』と『ヒトしずく』という作品が、松浦さんの大学時代の作品であって、結構、その大学時代って作品作ろうと思っても作りきれない人っていっぱいいると思うんですけど、なんかそういう時にどういったところがモチベーションになってたんですか?

松浦

モチベーション……。まあ、やっぱ自分が面白いって思ったものを「これ面白くないっすか、どうですか」って、こうなんかおもちゃを見せびらかしてるみたいな感じですよね。それは今も、今の仕事も割とそれに近いですね。なんか、まだこのことって俺多分宇宙で俺しか知らないってことあるじゃないですか。「あ、これってこういうことじゃない?」っていうことにもしかしたら、宇宙で気付いてるの俺だけかもしれないって思った時に誰かに「ちょっとちょっと、俺なんか気づいて、こういう風に感じたんだけど、どう?」って言って、「いや。それいいね」ってなる時もあるし、「あ、実は俺もそれ気づいてたんだ」っていう時もあるじゃないですか。なんかその他にクリエイターとか作品に触れて、「あ、この人、俺と同じこと気づいてた」っていう人も、時もあるし。そういうのがモチベーションですかね?

迫田

だいたいなにか自分しか知らないこととか、自分の中から出てきた新しいアイディアみたいなものがあった時に、大体一番簡単に表現できるのって「言葉」だったりするじゃないですか。まあ、表現の手段として用いれる母数が圧倒的に多いのは「言葉」だと思うんですけど、なんか言葉にすると途端に解像度下がる瞬間があるじゃないですか。で、やっぱそれをこうアニメとか絵とか漫画に落とすことで、その解像度がなるだけ保ったままでこう、世の中に表現できるっていうのはあるんだろうなぁと思って。そういった観点もあってアニメという媒体で、そういった見せびらかしのモチベーションが保たれやすいのかな、なんて思うんですけど。

松浦

電話オペレーターのバイトをしている時の話なんですが、当時まあ時給がよかったんで、インターネットがADSLの時ですけど。まあ、電話かけまくって売るっていう、まあ、電話オペレーターのバイトとしてて。でまあ、美大生って引っ込み思案な人が多いからトークスキルを身につけよう、みたいなそういうモチベーションっていうか下心もあって。で、そのバイトとしてる時にこうずらっとこうコールセンター並んでて、ずっと電話かけまくってるのですが、誰もつながらない時の方が多いんで、こうプルプルプルってかけてガチャって切って、っていうのを繰り返しているときに、「このプルプルって音どこで鳴ってんだろう?」ってなんか不思議な感覚になって。

この「ずっと電話をかけてつながらない」っていう、待ってるだけの体験があって、なんかそれがずっとこの音を聞いてるうちに、なんか広い宇宙空間に自分がポツンと浮いてるようななんか絵が浮かんできて。「あ、なんかこういう感覚なんか映像にしたらきれい、面白そうだな」っていうので、大学三年の時作った『月たちの朝』に繋がります。

迫田

いやでも、まさにそういうことですよね。なんともつかみどころがない、ある瞬間の感覚みたいなものを一生懸命言語化しても、「なんか違う」っていう、全然解像度とかも低下しまくって全然これじゃないんだっていう感じなんだけど、アニメにできたり、時間軸に落とせる方は、結構近い感覚まで落とせるんだろうなという想像ができまして。

僕は映像プロデューサーするものの自分で絵を描いたりはしないので、なんか直感というか、イメージがそのまま出力できる方はいいなぁなんてて思うんですけど。