ゲスト、パーソナリティ


全体の目次


#01

・漫画家を夢見る小学生は『大長編ドラえもん』が好きだった
・『AKIRA』は「暴力的で美しい」
・バイブルになっている『寄生獣』
・卒業制作の『ヒトしずく』は「世界の約束事を受け入れる少年」
・お腹の中の小人さんの話「暗黙の了解についての僕の原体験」
・演繹的に、前提に縛られる人類・音がモチーフになる松浦さんの作品
・手塚治虫の『ブッダ』に感化される中学生
・アニメの『AKIRA』が持つ情報量がいまのアニメづくりにつながる?
・AKIRAにおける芸能山城組のパワー
・『月たちの朝』『ヒトしずく』に楽曲参加してくれた兄蔵さん
・「映画の半分は音楽だ」by 押井守監督
・宇宙で自分しか気づいていないこと
・『月たちの朝』の原体験は、電話オペレーターをしていて思ったこと

#02

・「日本のアニメが培ってきたものが何も活かされてねーよー」by 今敏監督
・今敏監督にズバッと言われたこと
・相原信洋さんからかけられた言葉
・日本のアニメ環境における「意味がわかる」ということ
・「楽しい」や「わかりやすい」だけじゃない価値があっていいと思う
・残っていくものは表現だし、それは身体性に紐づいている
・悪役を描きにくい時代
・『コングレス未来学会議』は視聴者に考えることを要求する映画だった
・『ファイブスター物語』にハマった
・大学出たての時期に体験した押井守監督とのエピソード
・「監督」という在り方への勇気をもらった
・制作進行をやっててよかった!
・Production I.Gでの4年間を振り返って
・押井守監督と竹内敦志さんとのエピソード
・「やりたいことは次にとっておけばいいじゃない」
・スタッフみんなから好かれる押井守監督

#03

・『火づくり』について ・鍛冶シーンから伝わる説得力
・一人プロデュース一人監督で作り上げた作品
・UQiYOさんの参加エピソードについて
・作品と身体性の話を「火づくり」を基にしてみよう
・機械文明の発達と旧文明の対比構造から見る失われている身体
・そこで失われていくものを拾い上げたい
・鋏の切れ味に感動する
・身体と物体の間で生まれるもの
・150年続いてきたものを観察すること
・かっぴーさんとのプチクラファン話
・美しいものが増えるより、美しいと感じる心が増えるほうがいい
・来年2024年公開の作品に向けて頑張ってます

#02が始まります


今敏監督にズバッと言われたこと

迫田

この『寄生獣』の話とか、『AKIRA』の話だけでも何時間もいけちゃうような感じだと思うので、そっちに行きつつもやっぱ戻って松浦ワークスの話をしましょう、っていうようなところではあるんですけども。ここでエピソード1で話したいなと思ってたことに入っていければって思うんですが、現時点だと大学卒業されて、様々な会社で様々なポジションをやられて、今、アニメ監督として、最新だと2024年公開の映画の監督をやられている松浦さんなんですが、その過程において本当に様々な場所で様々な人に出会われてきたと思うんですね。

という中でいただいたネタメモの中にやっぱり様々な人との出会いと、その方からもらった言葉というか、松浦さんがその方が喋っていた言葉で印象に残ったワードみたいなものをこう書いていただいている中で、「これどういう意味なんだろう?」「松浦さんはどう解釈されたんだろう?」っていうのを聞いてみたいのが、いくつもあるんですよ。いくつもあって、あれなんですけど。これ、一語一句違わずにこの通りに言われたわけではないと思うんですけど、ちなみにこれって読み上げてみても大丈夫ですか?

松浦

大丈夫ですよ、全然。

迫田

このメモは松浦さんが記憶されている言葉ということなのですが「日本のアニメが培ってきたものが何も生かされてねえよ」っていう話だったり「やらなきゃいけないことを好きになればいい」っていうのを、今敏さんとのお話の中で出てきた、という風な松浦さんの記憶なんですが、これはどういう文脈だったり、どういう話だったんですか?

松浦

まず一つ目は、僕が直接言われたことで、2つ目は、今敏さんがムサビ(武蔵野美術大学)で教えているときがあったんですけど、その時のウェブサイトに今敏さんが綴っていた言葉だったんですよね。

一つ目の方から話すと、I.Gで僕が最後、制作進行としてやってたのが、『ホッタラケの島』っていうフル3Dの作品だったんですね。その仕事が終わって僕は会社辞めて転職活動をして、この先どうしようかなと思って。で、今敏さん好きだったから、ホームページからメールしたら「遊びおいでよ」って。今敏さんは当時マッドハウスに席があって『夢みる機械』の制作中だったんですよ。で、そのときに『ホッタラケの島』のチラシを持ってって「あ、これやってました。よかったら」って言ったら、その開口一番のセリフがそれだったんですよ。

でそれで何に対して言ったかっていうと、主人公の女の子のキャラクターのCGのモデルに結構黒い影が入ってて、で、それについて今敏さんがそのチラシ持った開口一番「なんでキャラクターの影が黒なんだ」って。「日本のアニメが培ってきたものがなんにも生かされてないじゃないか」ってちょっと苦笑いしながら。

迫田

キービジュアルの絵みたいな感じなんですか?

松浦

そうですね。で、当時、CGの人たちと一生懸命作ったんですけど、開口一番それ言われて「あぁ、ガビーン」でしたけど、「でも確かにそうだな、なるほどなるほど」と思って。

迫田

それが、すごく印象残ってるんですね。

松浦

パッと見た瞬間、それをスパッという速さで言われて、びっくりしましたよね。僕だったら「ああ、これやってたんだ、お疲れ様~、劇場見に行くね」みたいな感じだと思うのですが、そういう社交辞令一切なく。(笑)僕は、I.G辞めて、どうしようかなと思ってふらふら転職活動してて、で、まあ人生相談を今敏さんにして。で、その後「じゃあ飲み行こうぜ」って言って、近くの居酒屋連れてってもらって、色々話したら「君面白いね。また来なよ」みたいな事言ってくれて。

迫田

今敏さんは漫画からスタートしてアニメって形ですよね。なんかやっぱその辺も根っからのアニメっ子っていうより、松浦さんもそうですけど漫画好きでそういったSFだったり、まあ何かそういうものが好きで、なんか波長が合う部分があったりしたんでしょうね。

松浦

だからほんとあの訃報を聞いたときは本当にショックで。そのご飯に行ったときに携帯電話の番号を交換してくれたんで、今も残ってるんですよね、今敏さんの電話番号。もう消せないですよね。まあ、形見だと思って。まあでも一番接近してお話したのはその時ぐらいで。

で、まあ聞くところによると、やっぱそうやって若い子たちに話したりするのが好きだった人で、自分の周りのそのアニメやってる連中もよく遊びいったとか絵教えてもらってるとか、よく聞きますよね。今敏さんね、すごい下の人たちに面倒見が良くて、慕われていた人でしたよね。

迫田

そうですよね。なんか僕も『夢みる機械』が途中になっているっていうのを知って、全然違う職業で働いていた時に、『夢みる機械』っていうのは出来ないものなのかっていうのを考えてたりして、プロデューサーの方にご連絡とったりしたのを今思い出しましたね。今は映画や、いくつかの作品を作ってみて、やっぱり核になる人がいないと作品はできないものだっていうのがわかりました。

その時もプロデューサーの方と話したんですけど、「やっぱりこれは今敏さんがいないとできない作品なんですよ」っていう話もあって、それはそうだろうなっていうことは今はわかります。誰がやっても同じようにはできないし、同じようにする真似することが果たして良いことなのか、求められていることなのかっていうのも、まあ誰かの影を追うけどその誰かがいない状態で誰かに成り代わって何かをやるってできないから。っていうのが、すごく今はわかるっていう感じがしますね。技術的にもやっぱり全然、違いますもんね。コンテ見てもやっぱりものすごいですし。松浦さんの中にその歴史があるのは羨ましいですね。

松浦

本当、その時だけだったんですけどね、一番近くでお話してご飯食べ行って。本当一回ご飯食べに行ったってだけなんですけど。

迫田

なんかそれで言うと、その数々の出会いがあるっていう中で言うと、広島国際アニメーションフェスティバルの時の相原さん。

松浦

相原さんもね~。

迫田

ここで「音楽を感じるね」と言ってくれたエピソードがあって、やっぱこれは先ほどの話にも通底するところですよね。

松浦

メモに書かせてもらった通りまだ大学1年の時に、そのサークルの先輩とかと一緒に行って、見せたのはデザインの課題で作った作品を撮った写真だったんですけど。僕その時、日常的に着ていた服を自分と同じぐらいのサイズの人形にくくりつけて、服をグチャグチャグチャってこう紐で縛ってって、まあオブジェ作ったんですよね、自分等身大の。それを自分の分身だみたいな。そういうコンセプトでその作品を作って、それを撮った写真だったんですけど、まあ、それを見て相原さんが「お、音楽感じるね~」って言ってくださって、それはすごい嬉しかったですよね。

で、相原先生の作品もその映画祭とかで見て、「あ、すげぇなぁ」と思って。あ、こういう表現もあるんだっていうのがやっぱこう深淵な世界に触れたというか。で、僕が行った年はたくさんそこでそういう海外のアニメーションがあって、まあこういう世界もあるんだってもう一気にやっぱ広がって、やっぱそれまではもうテレビとか映画でやってるようなアニメ、いわゆる日本のアニメしかなかったんですけど。でもあの書かせてもらった通り、僕あのラウル・セルヴェさんがすごい好きで。

あと、そのネタメモにも書きましたけど、ライアン・ラーキンの『ウォーキング』とか。「すごいこれ、なんだこれ」っていうのがあってただ、こうすごくずっと見てられるというか。やっぱ大学入ってそういうまあ、主にヨーロッパをね、いわゆる「アートアニメーション」というものに触れて。この「アートアニメーション」という言葉もまあ、賛否ありますよね。あのあんまり今わかりやすく言いましたけど。まああんまり自分では使わないようにしてて。まあ海外のそういう短編アニメーションの作品とかをたくさん見るようになってっていうところですよね。それで自分の作品も「じゃあこういうの作ろう、ああいうの作ろう」って考えるようになってですね。

「楽しい」や「わかりやすい」だけじゃない価値があっていいと思う

迫田

以前出演いただいた水江未来さんの回でも同じような話が出ましたけど、まず大学に進学されてから、そこで作品を作って、何かフェスティバルに出したりすることの行為を通じて、初めて抽象アニメーションとか実験アニメーションみたいなカテゴライズのものがあることを知り、そういったアニメーションの幅の広さみたいなものとか、器の広さみたいなものとかっていうのを気づかれるなっていうところがあるんだろうなって思いますし、日本は日本でやっぱ特異なアニメーション映像の環境だなあと思って。今、アニメーション映像って敢えて言いましたけど、記号的に言うとやっぱ”アニメ”ですよね。このアニメというものが、やっぱ日本はあって。で、僕の解釈なんですけどやっぱ意味内容が濃いですよね、日本のアニメって。つまり、意味が分かることが前提だし、意味は伝えなきゃいけないものになっていますよね。意味がわからないっていうことで、切られてもいいような媒体になっているっていうか。

松浦

それも多分語りだすと根深いと思うんですけど、必ずしもこうわかりやすいこととか、その楽しいことだけじゃないじゃないですか。で、僕が『AKIRA』を見てショックでピザ食べなくなったみたいに、「なんだこれ」って本当気持ち悪くなったり、イライラしたり、こうなんか気持ち悪いってなったり、なんだこれってこう戸惑ったりするっていうことがあっていいのに、なんか、こうどんどん関わる人が多くなったり、動かすお金が多くなってくると、公共性というかね。怒られないように怒られないようにってなっていく、まあ、こうやっぱSNSが出てそういうまあキャンセルカルチャーみたいなものなんかこう強くなってきちゃってるから、余計に気にする人も増えてきて。

大学の時なんてめちゃくちゃな作品、その学園祭とかに流れてる作品めちゃくちゃなのいっぱいありましたからね。とてもこれはテレビで放送できない、今ここでもなんか言葉にできないぐらいえぐいやつとか、たくさんあったんで。あとそういう抽象表現してる人もたくさんいたから。まあでもそのなんかわけわかんないものに自分の体と時間をこう向かわせて、そこでちゃんとこう感じたり、考えたりするっていうのはやっぱ大事なんだなってやっぱ思いますよね。

迫田

そう思います。なんかこの後の話にも出てくるキーワードかなと思ったのが、「身体性」っていう部分で、松浦さんの中にも結構身体性というものがキーワードとしてあると思いますし、僕もずっと近年は身体性をすごく考えているんですよね。

別にこれみんなに当てはまる話じゃないと思うんですけど、アニメーションという表現を用いた時に伝えれるものって限りなく身体性に近いものだなっていうのはあって、さっきの気持ち悪いとか、柔らかそうとか、結構その形容する言葉がそのすごく身体性に紐づいているものを伝える力はすごいあるなって思ってる。で、あとね、やっぱね記憶にずっと残っていくものって、これもみんなに適用される話じゃなくて、あくまで僕がっていう話なんですけど、記憶にずっと残りつづけていくものってやっぱ「意味内容」よりも「表現」なんですよね。身体性に紐づく表現というか。

ふわふわした、ネコバスなんかね、結構象徴的で。トトロというアニメーションが伝えた意味はあんまり誰も正直、深く記憶に残ってないと思うんですよ。実際あれが伝えたいシニフィエみたいなものはそんなに強くなくて、だけど、やっぱあのふわっとした感じとか、風が吹き抜けるあの爽快感みたいなものがずっときおくに残っているし、『もののけ姫』のなんかちょっとした気持ち悪さみたいなものとか、あれもやっぱずっと残り続けていく、記憶に残り続けていくものなんで。やっぱその『AKIRA』の気持ち悪さっていうのも、『AKIRA』のストーリーよりも気持ち悪かったっていう感触は松浦さんもずっと多分残っていると思うんですね。だから残していくことが別にすごいことかっていう話の軸ではないんですけど、やっぱ残っていくものは僕は表現だな。だし、その表現は身体性に紐づいていると、より良しだなっていうのなんかすごい思っていて。

松浦

『AKIRA』の話をすると、あれただ喧嘩してるだけじゃないですか。幼馴染が暴走族になって喧嘩してるだけですよね。

迫田

意味内容としてはね。「どんな話ですか?」っていうと幼馴染と喧嘩してる話です、っていう。

松浦

いろんな社会とか、軍とか国とかを巻き込んでって、喧嘩の規模が大きくなっていくだけで、それを圧倒的なディティールと解像度で描いてるっていうだけじゃないですか。だから、多分ストーリー的に何か高尚なことを伝えようとか多分、大友先生は考えてないと思うんですよね。ただただ現状を圧倒的なディティールで追っかけていくだけっていう。それが『ドラえもん』とかにどっぷり使っていたり仮面ライダーとかヒーローものが大好きな自分としては、世界征服を企む悪をやっつける正義ということじゃない、勧善懲悪の世界じゃない、もっとドロドロした世界とか感覚に引きずり込まれたんですよね。

だから翻っていうと本当に僕も今戦隊も仮面ライダーも好きで、本編は追っかけてないんですけど、デザインだけこうファーっと見てるんですよ。毎年毎年、設定とかシチュエーション見てて、やっぱマーベルもそうですけど、やっぱ悪役を描きずらい時代になりましたよねすごく。世界征服とか人類を滅ぼすみたいなものが悪じゃなくなっちゃってる。要はそういう動機を掲げた集団が悪役として描けなくなっちゃってるじゃないですか。

直近でいうと、いつだっけな、マーベルの『ドクターストレンジ』が好きで、続編のマルチバースでしたっけ、それを観たんですけど、あれもドラマの方は見てないんですが、要はスカーレットさんが半ば敵役になって、あれも結果世界を滅ぼすってことになってるけど、悪役のスカーレットさんの動機ってただ家族と一緒にいたいとか、子供と時を過ごしたいっていうだけじゃないですか。それが悪になっちゃうってすごい皮肉ですよね。僕それ見て、「ほんとマーベルですら世界を滅ぼすとか人類を滅ぼすっていうことが悪に扱えなくなってきたな」ってすげえしみじみ感じたんですよね。

迫田

まあ、ディズニー傘下は今、なかなかそこが描けないですよね。やっぱり多様性があって、すべての人にはやっぱり正義があるし、他視点で様々な観点があるからこの人はこういう判断に至ってるんだよっていうものがね、描かないとっていうのがあって。まあ、これは全体のトレンドとしてあるなあっていうのはすごく今エンタメ見てて思いますよね。

でもいい描き方も結構出てきているし、日本のアニメで言うと、ガンダムはずっとそれやってるじゃないですか。それぞれの人にそれぞれの事情があって、もしかするとある側面から見ると悲惨な結末だったり、非情な決断がなされたかもしれないが、別の角度から見るとそれはその人なりの本当の正義とその人なりの非常に頑張った意思決定があったんだっていうのを描く方向に、今世の中は向かっているなという。だからガンダムがまた来たっていう感じがしますね。

松浦

そうですね。

迫田

そんな中でここで一曲、曲の方ご紹介できればと思うのですが、何かおすすめで聴いていただきたい曲ございますか?

松浦

ちょっとまた、時代は遡るのですが、ボブディランの「フォーエバーヤング」を紹介したいと思います。

『コングレス未来学会議』は視聴者に考えることを要求する映画だった

迫田

はい。お聴きいただきましたのはボブディランの「フォーエバーヤング」でございましたが、これ、この曲はどういった経緯ですか?

松浦

全然リアルタイムではないんですが、『コングレス未来学会議』っていうちょっと変わった変な映画があって、それがとても大好きで。

迫田

観れてないけど概要だけ見たら面白そうでした。

松浦

いや~、やばいですよ。いつだっけ、2015年か2016年ぐらいですかね。さっきお話しした正義と悪の話にも通じるかもしれないんですけど、僕、もうハンマーで頭叩かれたみたいな衝撃で。アニメーションを使ってアニメーションを批判するんですよね、新しいですよね、あれは。ぜひ、本編観ていただきたいですね。それの主題歌というか最後に流れる、僕も詳しくはないんですけどその主演の方が歌ってたのが、ちょっと間違ってたらすいません。女性ボーカルで反映されて流れるんですけど、「あれ、ボブディランの曲なんだ」って知って、歌詞とか経緯をこうファーって調べると「あぁ~なるほどだからこれ最後に流したんだな~」っていうのがすごく腑に落ちる曲でしたね。

迫田

いや~、なんか『コングレス未来学会議』でもそうですけど、松浦さんからメモもらったものの中で観たことのないものがたくさんあったので、観れるものは観てきたんですがまだ観れてないものもあるので、また見たときにちょっと色々語ってみたいなって思って。

松浦

『コングレス未来学会議』はすごいですよね。まあ多分まだ何時間でも喋れると思いますけど。(笑)

迫田

さっきの話に一瞬戻るんですけど、この『コングレス未来学会議』を観ていないのであくまでもめちゃくちゃ当てずっぽうなんですけど。多分伝えたいメッセージってあるじゃないですか、この手のタイプの作品って。表現の形も多分面白くはしてるんでしょうけど、やっぱり意味内容が強いというか、伝えたいものがあって、結構リアルな話をメタファー的に扱っているものなのかなと思ったときに、やっぱこういう意味内容がすごく際立っているものってすごく話しやすいんですよね

話しやすいというか、めちゃくちゃ考察しがいがあるし、色んな人と話のネタになりやすいじゃないですか。で、なんか結局話のネタになりやすいことがコンテンツの良し悪しになってしまっている風潮も若干あって、すごくグッときたけど言葉にできないものとか意味がわからないものは、一瞬で話終わっちゃうじゃないですか、「よかったね」で終わっちゃうっていう。

これがまたある種SNS文化と相性がいい気もするし悪い気もするしっていう。コントロバーシャルにはならないですよね、言葉では語れないから。だけど、「これいいよね」「いいね」っていうのでまわりやすい気もするし、議論にならない気もするし。その辺りが僕がものをつくっていくうえで、意味内容を強化することが結構わかりやすいから伝えたいものをどのようにして伝えるかっていうことよりも、伝えたいものが何かっていうほうに結構考えが行くことが多いんですよ。でも、どう伝えるかっていうのはかなり大事なとこだなって思っていて。同じメッセージを、歌うのか、しゃべるのか、講談するのか、など様々あるし。

松浦

この『コングレス未来学会議』という映画単体で言うと、僕が感じたのはすごくやっぱ観てる側に考えることを要求する映画だったんですよね。「で、あなたどうします?」って聞かれてるような感じがして、「どうしようかな」ってそっからずっと考えてるっていう。

迫田

そのメッセージを受け取って、それで考え続けている最中なんですね、今も。

松浦

そういうような作品だと思ってて、ただ一方で見方によっては、こういうテーマというか、まあ批判性だったりっていうのは、すごく読み取れる作品でもあるんですよ。ただそういうもの全部取っ払って、「最後あなたはどうしますか?」ってこう聞かれているような余韻があって。で、たぶんそれは『寄生獣』に近かったんですよね。『寄生獣』の原作読み終わった後の、「あ、終わっちゃった。でも、俺どうしよう」みたいな。まあ「いい話だったね、チャンチャン!ハッピーエンド」では決してないんですけど、なんかまあ大きく言うと「人類はこれからどうするか」とか、そういう風な視点でも言えるし、まあ家族愛の話でもあるし、科学技術の問題でもあるし、社会のシステムとかの問題でもあるし。で、すごいいろんな含蓄があるというか。なんか不思議な映画ですよね本当。

迫田

『ファイブスター物語』にハマったっていうこと仰ってたじゃないですか。なんかやっぱ通底しているのが、この多層的で多面的で重層的な物語が松浦さんは好きっていうことですね。

松浦

そうですね。ファイブスターもすごいですよね、いまだにずっと半ば神話みたいになっていますけど。まぁ要は年表で結末は決まってるんですよね。で、その何千年っていう歴史をずっと永野さんが描かれてて、でいまだにそれが続いてて、いつ終わるかわかんないですけど。

迫田

まさに神話ですよね、本当。なんかこう人が生きてきた歴史を全部なぞっていきながら、ちゃんと物語るっていう。神話ってそうじゃないですか、世の人々の行いをそのまま伝えても誰も伝承しないから、面白おかしく伝えていくっていうことだと思うんですけど。様々なものが物語って乗っかりますよね、言いずらいこととか、伝えられないこととか。

ちょっと話が戻っていくんですが、松浦さんが現在もクライアントワークも手掛けられながら、自主作品も作られていく中でやっぱこのアニメという映像表現を使われているのは様々な音楽も含めてですけど、色々な情報が乗ることで伝えたいメッセージもあるし伝え方も色々あると思うんですけど、自分の感覚に一番近いメディア選定なんだろうなと思うところですね。

大学出たての時期に体験した押井守監督とのエピソード

迫田

様々な会社、様々なプロジェクトで様々な人に会ってきた松浦さんの会ってきたシリーズの方に戻ると、『スカイ・クロラ』の時の押井守監督のエピソードがありましてですね。これなんかも面白いっていうか、松浦さんからいただいている言葉で言うと、押井さんが「フォトショップなんて何年も起動してねえよ」っていうことが来てるんですが、これがもうこの文章、このダイアログだけだと僕にはどういった文脈なのかわからないんですが。

松浦

なんか打ち合わせの帰りにプロデューサーとタクシー待ってる時なのかな、まあフォトショップがどうのこうのみたいな話をしてて、で、押井さんが苦笑いしながら言ったんですよね。当時まだ僕、大学出てまだ1、2年でしたから。

迫田

あ、その時期か。

松浦

結構びっくりしたんですよ。「あ、映画監督ってフォトショップ使わなくていいんだ。」っていう(笑)フォトショップ使わなくても監督ってやれるんだ~っていう。で、要は自分で大学入って、もうAdobeの奴隷になってフォトショップ、アフターエフェクトをゴリゴリ使い方を覚えて、自分で色塗って動かして「おら~!」っていって、それで「監督をやりました!」ってこうやってたけど、押井さんはそうなんだって。

まあ元々ね、絵描きさんじゃないから、そういうスタンスなんでしょうけど。その宮崎さんをね、結構神聖視している自分にとってはその要は「絵を描かない」とか、画像処理とか、絵を描くことだけが監督じゃないんだなっていうすごく深い気づきになった一言だったんですよね。押井さんは別に何か俺に教えようと思って言ったわけじゃないんですけど、あのただ雑談の中で、「いや俺はもうフォトショップなんて何年も使ってねえよ」ってふっと言っただけなんですけど、当時の僕にとっては、さっき言ったようにもう「あぁ、監督は別にフォトショップ使わなくても仕事できるんだ。」っていう結構びっくりした一言だったんですよね。

迫田

でもそれって松浦さんを結構動かした言葉ですよね。というのも、仮に宮崎駿さんを神聖視してい続けたとしたならば、あれぐらい描けないと監督はやれないのであるって、思っちゃうので。

松浦

そうなんですよ。だから僕一応美大出てるとはいえ、絵はずっと我流だったし、映像化はデッサン、まあ一応イメージイラストみたいなことは描く試験はあるんですけどデザイン化とかいわゆる油絵とか日本画みたいなデッサンを求められる学科ではないので、なんとなく絵は描けるけど、そんなガチでやってる人の画力ではないんですよね。

で、まあでもやっぱアニメやりたいなと思った時に、じゃあ「アニメ会社どこ?」みたいなことを考えたときに、制作進行とアニメーターってやって。で、まあこれは掘っていくと世知辛くなっちゃいますけど、まあアニメーターさんだとやっぱ単価でやっていくしかないから、「あぁ、自分の給料だけでは飯食えないなってな」ってなって、「じゃあもう制作進行っていう部分からまあ入ってみるか」っていうちょっとまあ消去法だったんですよね。

迫田

そこでそういう選択をした中で、やっぱ制作進行側でプロデュースサイドも見れたことによって、今のこの松浦さんの独自のポジションみたいなものの足がかりにもなったっていう感覚なんですか?

松浦

いやぁ、制作やっててよかったですね。(笑)

迫田

その話、聞きたい人多い気がします。僕も学生の話を聞くと、やっぱり皆めちゃくちゃ描けないと無理なんだろうなって思っているところだけど、なんとかアニメを作りたいっていう中で、めちゃくちゃ描けるわけじゃないけどアニメ業界に行きたい、だから制作進行にっていうマインドの人もまあまあいるじゃないですか。それを先輩としてやられていて、今は監督もやられている松浦さんなんで、結構松浦さんの意見聞きたい方が多そうな気がしました。

松浦

まあ、最後は自分が良ければいいんじゃないんですか?ってところで落ち着くんですけど。まあ、僕の場合は、こういう性格で人と喋ったりとか、ちょっと遡って言うとやっぱ高校の時は演劇とかやってたんで、なんかこう人前に出てなんかわちゃわちゃやったり、人としゃべるのが好きだったんで、全然抵抗なかったんですよね。

ただやっぱそもそもまずそれが得意じゃないっていう人は、やっぱ絵描きで極めていったほうがいいと思うし、まあ僕みたいに人と喋ったり、人の予定に合わせたりとか、まあ、その打ち合わせ段取って、打ち合わせ仕切ったりっていうのが別に嫌じゃない人は今やってみるといいんじゃないですかね。まあでも結局参入障壁低いじゃないですか。車の免許はいるけど、その資格とかね、免許があるわけじゃないから。

迫田

まあ、今でこそもしかすると車の免許もいらないってとこ結構ある気がしますね。

松浦

そっかそっか、今はそうですよね。制作の時はね、「監督志望です」って言ってたけど、どうやったらなれるかって悶々としてたんですが、一番本当にお世話になったプロデューサーさんがIG辞める時に2人で飯行ったんです。その時の話なんですが、テレビシリーズの演出さんでまあちょっと個人名は伏せますが、まあとにかく仕事をしない人がいて。ダラダラしてて、あげるって言った日にあげないし、すぐ体調悪いって言って帰っちゃったりとか。そのコンテとか演出やってるベテランの方がいたんですよね。

それで、そのプロデューサーと最後辞めるとき飯行って「お前はあの時、Aさん、仮にAさんって言いますね。Aさんがコンテあげないときにお前描いて監督に見せればよかったんだよ」って言ってくれたんですよ。「別にそれが使われる使われないは別で、お前はあの時、そういう風にやっていたら良かったと思うよ。」って言われて、それも結構本当に稲妻落ちたぐらいのショックで。「あ、そっか、それやってよかったんだな」っていうか。要はその人から仕事を取っちゃえばよかったんだと思って、要は「コンテ描く人がコンテあげない、じゃあ俺、描いちゃえ」って描いて、監督に「ちょっと僕描いてみたんですけど、どうですか?」って見せちゃえばよかったんだよって。

「ああ、なるほどな」と思って。全然やっぱそういうのが許されるじゃないですか。まあ業界的にも。来るもの拒まずだから。「あ、なるほどなあ」と思って。だから、それぐらいなんかこうがっつかないとチャンスなんてこないなと思って。で、ほんとそれはすごく今でもよく覚えてるお話ですよね。で、そのプロデューサーさんもうたまにメールで連絡取るぐらいですけど、そのクラウドファンディングの時も支援して下さって、今もIG勤めていらっしゃいますけど、また飯とか行きたいな、お元気かしらっていう。

迫田

押井さんが喋ってた言葉から監督ということを自分の中でまた新しい像に書き換えたり、様々なプロデューサーの方と話す中で、制作進行をやっていく中で、それを極めるというよりも監督としてやっていきたいという思いが松浦さんの中でどんどん芽生えた四年間だったのかなって思う中で、「監督やりたいんだ」っていう思いがこう溢れたときに石川さんと話してっていうことだったんですよね?

松浦

年に一回、社長面談っていうのがあるんですけど、その時にもうズバッと「お前制作向いてないな。」と言われて。それで「まあですよね、アハハ~」とか言ってたんですよね。で、「監督やりたいんですよ、なりたいです~」って言って。石川社長からは「監督やりたければ、外出て頑張って来いよ」みたいな。

大前提として、僕は今でもIG大好きですし、石川社長も今いるお世話になった方々も深く尊敬していますが、要は制作進行として僕は正社員だったんですけど、残るんだったら給料下げるって言われたんですよ。で、あと一年後に辞めるんだったら給料上げてあげるって言われて。で、どうするって言われて、「あ、じゃあもうやめます」って言って、一年後に辞めるんですけど。まあ、ちょうど会社もちょっと業績が危うい時だったみたいで、そうやって背中を押されて辞めることになり、でもその選択肢出されて、僕即答してたんで。まあ長くいないほうがいいなというか。

結局その後も一本だけですけど、演出で呼んでくれて、お手伝いはできたんで。石川社長ね、面白い人ですよね。あ、でもなんか誰かに「石川さんにお前似てるな」って言われたこともありましたね。それは僭越ながらというか、自分なんかがですけど、やっぱどっかネジ外れてるけどなんかブレてないんですよね~。

「やりたいことは次にとっておけばいいじゃない」

松浦

もう一個でお話ししたかったのが、押井さんの言葉で、竹内敦志さんとの話があるんですけど、竹内敦志さんっていう、監督もやってらっしゃいますが、メカデザインが超得意な人で『スカイ・クロラ』の時に、僕が一応、竹内さんの担当の制作って感じだったんですよ。竹内さんはメカが出てくるカットいくつかレイアウトを担当されてて、で、まあなかなか上がんないんですよね。まあ、あの筆が遅い方なんで。もうちょっとこれ以上伸ばせないっていうスケジュールの時に、その時のプロデューサーと押井さんと僕と竹内さんで、ちょっと会議があったんです。結構深刻な会議があって、その時に押井さんが竹内さんに言ったのが「一つの作品でやりたいこと全部できるわけないじゃん、そういうやりたいことはね、次にちょっと取っておきなよ」みたいな。

で、最後ちょっと苦笑いしながら、「いや、竹ちゃんさぁ、最近大人になったって聞くけど、俺からしたらまだまだ子供だよ」って言って。「やりたいことは一回でできないんだからまた、次にとっとけばいいじゃない?」って言ってまあそうやって、ちょっと相手を励ましながら。竹内さんはだんまりで聞いてたんですけど、翌週に全部上がったんですよ、レイアウトが。

やっぱそれ聞いた「すげえなあ」と思って。「ほら、やれやれ」とか、「なんかなんか金払うから」とか、なんかこう逆に下手に出るわけでもなく、こう上から押しつぶすわけでもなく、こうなんか同じ目線で肩ポンポンって叩いて一緒に歩いていく感じっていうか、あの時の押井さんの話しぶりがすごく僕なんかよく覚えてて。で、まだまだ子供だよって言いながらもちょっとやりたいことは、まあ次に残しておきなっていう、こうちょっと未来のことも話したりして、で、それでこう竹内さんは、まあ、そこで火がついたと思うんですけど。

その時、竹内さんがどういう気持ちだったかって知る由もないですが、「なにくそ、この野郎」と思ったかもしれないし、でもやっぱ上がりはちゃんと出せたってことは、気持ちが入ったってことだと思うんですよ。やっぱ押井さんは人たらしってよく言われますけど、そういうスタッフを巻き込んで話したり、励ましたりする様子を見たりとかしたり。あとやっぱメインスタッフはみんな押井さんのこと好きなんですよね。で、やっぱね、どのセクションの人とも話してても、「俺がやってやらないと押井がさんがさ」みたいな感じで、「まったく押井さんたらしょうがないな」「僕がやってあげるよ」みたいな感じで、みんなこう集まってるですよ。みんなすごい楽しそうで。大変な時もありましたけど、「全くしょうがないなあ」みたいな、「俺がやってやるよ」みたいな感じで、やっぱ集まってきてるんですよね、スタッフが。やっぱ、そういうのを見て、「ああ、やっぱこういうところが大事なんだな」っていうか、宮崎さんみたいに超絶でアニメーターとしてスーパーな腕が燦然と輝いていて、それに惹かれてっていう場もありますけど、僕は押井さんと制作としてやらせてもらって、押井さんのそうやって周りの人たちとの関わりとか話し方を見て、すごくこういうのが大事だなって学びましたよね。

迫田

押井さんとのご一緒した期間に松浦さんの監督像の理想のイメージみたいなものが醸成されたのかもしれないですね。

松浦

そうですね、話しながら思い出してきて、作品もともと好きで入ってますし、やっぱこういう普段のちょっとした話し方とか仕事ぶりを見てても学ぶこと多かったですよね。

迫田

その現場にいた人だから語れるある種の一つの歴史の一ページだったと思うんですけど、なんかそれがこう記録できたのはすごく良かったです。

松浦

そうですね、竹内さんがこれを聞いたら怒るかもしれないけど笑。

迫田

竹内さんの気持ちがわかるとか軽率に言えないところかもしれないですけど、やっぱやるからには全てをつぎ込みたいって思うのは絶対そうだと思うし、それが故の良いクリエーターの方だと思うので。やっぱ外から見てる押井さんの像っていうのはメディアから伝え聞くところしかないのであまり深くフォローはしてなくて分からないんですけど、ただ今の話聞くと、非常に調整型の監督なんだなと。

松浦

いや、本当そうですよ。御本人のメディア出てる時の喋り口とかだけ見ると、すごく堅物で、なんかなんか難しいことボソボソとしゃべって、いつも不機嫌そうみたいな人に見えるかもしれないですが、全く逆ですね。すごく愛嬌はあるし、よく笑うし、よく喋るし、うん、あと、あの本当に威張らないっていうか。

迫田

押井さんもなかなか作品が作れない時期とかもあったというお話を聞いたんですけど、やっぱそういうところで、「人との繋がりによって作品があるんだ」っいうのを感覚的に理解されてたんでしょうね。やっぱ四面楚歌になっちゃうというかね、偉ぶったりすると。とたんに次の作品とかなかなかチャンスが来なかったりとか。やっぱ人と人とですからね、うん。

松浦さんもIG時代や、またそこでいろいろ経験したことを経て、いろいろ間でもあったと思うんですが、まあこの『火づくり』という作品について、先ほどね、クラファンの話もされてましたけど、クラファンも一つの契機にして『火づくり』という作品に着手されて今に至ってるていう話を、また今度エピソード3で聞いていければと思います。

#03に続く