「あなたは地雷を踏みました。どう対処しますか?」

2024年の東京ゲームショウ(TGS2024)で、最も注目を集めたインディーゲームの一つ「피아(PIA)」はこの質問をユーザーに投げかけていた。「爆発物処理班」と名乗るチームが、たった3週間で完成させたというこのゲームは、その独特な操作方式と歴史的なメッセージで来場者の目を惹いたのである。「地雷を踏んでしまった兵士は地雷を解体し、生き残れるのか」という緊迫した状況を描きながら、戦争の傷跡が現在まで続いているという重みのあるメッセージまで示している。

3週間という極めて短い期間で、なぜ「地雷除去」というテーマを選び、どのようにして独特なゲームを作り上げたのか。開発の裏側にある思いと苦労、そして彼らが伝えたかったメッセージについて、SKOOTAでは今回チーム「爆発物処理班」に韓国語でのインタビューを行いました。

インタビュイー:
爆発物処理班(ゲーム人材院5期)

  • キム・テックン:
    チームリーダー(企画者)
  • キム・テウック:|
    企画、プログラミング担当
  • チャン・ソウン:
    アート総括担当(背景)
  • パク・ウンヒ:
    アート担当(オブジェクト)

制作でもっとも大事にしたこと「緊張感と没入感のあるゲームを作りたかった」

ゲームの参考にしたと思われる映画『MINE』(2016)

――「地雷を除去する」という経験自体も特殊な上に、朝鮮戦争をテーマにしているところが印象的です。まずはこのゲームを作られた最初のインスピレーション、すなわち最初のアイデアについてお聞かせいただけますでしょうか。

キム・テックン:まず私たちは緊張感と没入感のあるゲームを作りたかったです。その中で最も重視したのは没入感でした。ゲームでどうすれば没入感を与えられるかを考えた時に、ゲーム内のキャラクターの状況とプレイヤーが経験する行動を一致させれば、より没入感を高められるのではないかと思いました。ゲーム内で地雷を解体する時の苦しさを、プレイ操作として表現しようと考えたのが、PIA피아というゲームの制作につながりました。

――ほかのゲームにおいても緊張感・没入感は大事だと思います。その中で「行動を一致させる」という方向性を選ばれたのが印象的ですね。なぜ「地雷除去」という経験をユーザーに体験していただきたいと思われたのでしょうか。

キム・テックン:ゲームのコンセプトを決める中で、チームメンバーの一人が家族の話をしてくれました。そのメンバーの祖父である故パク・ジョンソプ中士*が、1966年9月6日、15師団で朝鮮戦争時に使用された地雷を除去する作業中に殉職され、現在は顕忠院に安置されているのです。私たちが地雷ゲームを作ろうとした時、そのメンバーから『私がこのチームに参加したのは運命かもしれない』という話を聞きました。地雷ゲームを作ることで祖父のことを広めたいと言ったので、そういう方向性でコンセプトを決めることになりました。

*自衛隊の二曹に値する。
**国立ソウル顕忠院は、大韓民国ソウル特別市銅雀区にある国立墓地である。

――地雷ゲームというアイデアが先にあって、その後で開発メンバーの方のお話が重なったということですね。

キム・テックン:はい。地雷という素材は映画などでも緊張感をもたらす要素として活用されますよね。私たちも緊張感のあるゲームを作るために地雷という素材を使用して、より直接的に緊迫感を伝えられるのではないかと思いました。

――韓国では映画でもよく扱われる題材ですね。参考にされた作品などはございますか?

キム・テックン:はい。タイトルは全て覚えていないのですが、砂漠で地雷を踏んでしまって幻影を見るという内容の映画もありましたし、地雷以外にも止められない運転中での誘拐事件を扱った映画なども参考にしました。

――「止められない」という要素は非常に重要ですね。PIAでも体力が徐々に減少することでプレイヤーを焦らせる仕組みがありますが、実際にはそこまで急ぐ必要がないように思います。(笑)このゲームの本当の敵は、イノシシや敵軍ではなく、自分自身なのではないかと感じるほど、緊張感がうまく表現されていましたね。

キム・テックン:ありがとうございます。

終わらない戦争を取り扱うということ「現在進行形の危険」

2015年度にあった、北朝鮮の地雷によって韓国の兵士が両足を失った事件。

――先ほども言った通り、このゲームは朝鮮戦争をテーマにしていますね。実際の歴史を扱うというのは、かなりデリケートだと思うのですが、ゲーム制作において、歴史の取り扱いについてどんな難しさがありましたか?

キム・テックン:最初に「このゲームに登場する地雷は架空の地雷であり,実際の地雷は圧力を受けるとすぐに爆発します」という注意書きを入れたんですが、これも歴史的事実を扱うことを意識してのことでした。誤った情報や表現で誤解が生まれないようにしたかったんです。それに、朝鮮戦争の重みを感じつつも、ゲームとしての面白さを失わないバランスを取るのが難しかったですね。

――確かに、バランスをとることは大事ですね。ではアートのほうで難しいと思ったところがあればお聞きしたいです。

パク・ウンヒ:背景を作るときに朝鮮戦争を表せることって何があるだろうと考えた時に、鉄条網を入れようかなという意見もありました。でも制作期間が短すぎたんです。なので入れられる要素が少なくなってしまい、今更残念だなと思っています。地雷もリーダーのテックンさんから頂いた地雷のモデルをできるだけそっくりのものにしたいと思ってましたし、キャラ以外は表現できたところが少ない気がしてちょっと惜しい気持ちもあります。

チャン・ソウン:朝鮮戦争を背景にしているので、できるだけ厳粛とした雰囲気を出そうとしていました。なので環境設定にはすごく悩みましたし、当時使われていたような小道具もかなり調べましたね。例えば地雷を解除するときに現代のものは使えないので、当時っぽい木製の道具を作ったりしていました。

――主人公が地雷解除に使っていた道具もそういう工夫に含まれていたんですね。

チャン・ソウン:はい。アートのチーム全員がレファレンスを調べていたときに、現代の小道具は使わないようにしていて、わざと昔使ってそうなイメージを主に検索していました。チョコレートなんかも「当時だったらもっと素朴な感じだったのかな」という意見を交わしていた覚えがあります。

――戦争時代を再現するために工夫を重ねてきたわけですね。それがTGSでも評価されたポイントだと思うんですが、そうやって表現しようとした「戦争」と、実際にユーザーが体験した「戦争」との間に、何か違いを感じましたか?

キム・テックン:まず、私はこの戦争という言葉自体を口にするのが重いということを常に意識しています。私も兵役を終えましたけど、今この瞬間も国を守っている国軍将兵の方々のおかげで、私たちの日常の平和が保たれていると思うんです。だから常に感謝の気持ちを持っています。でも、韓国はまだ戦争が終わっていない国なんですよ。最近の国際情勢を見ても色々な問題が起きていて、平和の重要性が改めて浮き彫りになってきていると感じます。

ミニプロジェクトの最優秀賞を取ったときの写真。チームリーダーのテックンさんが制服を着ている。

キム・テックン:私たちのゲームがその戦争という現実の重みをすべてユーザー側に伝えるのは難しいと思います。でも、ユーザーの皆さんにはゲームとして楽しんでもらいながら、私たちが伝えたかったメッセージも感じ取ってほしかったんです。休戦後も地雷がたくさん残っていて、単なる戦いで終わらない、その痛みが今も続いているということ。それに、国内のユーザーには国軍への感謝の気持ちも考えてもらえたらと。実際、プレイしてくれた方から「意味のあるゲームだった」という言葉をもらえて、私たちの思いが少しは伝わったのかなと感じています。

――これに関してプログラマーのテウックさんはどう思われましたか?

キム・テウック:「まだ戦争は終わっていない」というところは私もこのゲームを通して伝えたかったポイントですね。それと、最近韓国では「軍人に対する認識があまりよくない」という話題もあるんですが、私たちの平和は国軍の努力で守られているということを、社会的なメッセージとして伝えたかったんです。

――韓国での軍人への認識という問題は、TGSで初めてゲームに触れた海外のユーザーにとっては、なかなか分かりにくい部分かもしれませんね。そういった背景も今回の取材で触れられてよかったと思います。

ゲーム人材院で結成された開発チーム 「企画発表を聞いた瞬間 ”これだ” 」

ブレストを行ったように見えるホワイトボードの写真。
当初のタイトルだった「지해시ジヘシ」(地雷解体シミュレーション)という文字も見える。

――先ほども触れたとおり、このゲームは3週間で作られたと聞きました。短い期間ではありますが、初期の企画と最終的に作られたゲームの中で何か違いはありましたでしょうか?

キム・テックン:まず、私たちは韓国コンテンツ振興院のゲーム人材院という教育機関で学んでいる学生のチームです。PIAの開発は、ゲーム人材院で3週間行われるプロジェクトでした。制限時間が3週間しかなかったため、追加するより削る要素の方が多くなりましたね。例えば、最初は今よりも地雷の解体過程をもっと複雑にしようと考えていて。軍用シャベルにベルトを結んでフックを作り、遠くのものを取ってくるとか、今ある道具を組み合わせて新しい道具を作るような要素も考えていたんです。

ほかにも入れたら面白そうなアイデアがいくつかあったんですが、スケジュール的に全部は無理でした。でも、そのアイデアは今追加開発を進めているところなので、これからの開発の良い材料になると思っています。

――あ、すみません。順番的にはまず「ゲーム人材院」について説明していただいた方が分かりやすいかもしれません。

キム・テックン:そうですね。ゲーム人材院は韓国コンテンツ振興院という文化体育観光部所属の教育機関なんです。企画・アート・プログラミングの三つの班があって、1年目は授業を受けて、残りの1年で卒業プロジェクトをやる、という感じです。PIAは1年生の時の学期ごとのミニプロジェクトで作ったゲームですね。今は2年生になって卒業プロジェクトに参加していて、PIAの追加作業は各自のプロジェクトの合間を見てやっています。

――教育機関で今のメンバーが揃ったわけですね。どういう都合でこの4人が集まったのかもお聞きしたいです。

キム・テックン:先ほども話したように、毎学期ごとにプロジェクトを進めるんです。私たちは3クォーターの時だったんですが、この時は少し特殊で、プログラミング班なしで企画班とアート班だけが参加する形でした。企画者が企画案を持ち込んで、アート班の人たちが気に入った企画を選ぶ、そんな流れでした。

キム・テックン:その中でテウックさんは同じ企画班の同期で、企画班なのにプログラミングも得意な人だったんです。毎回夜遅くまで勉強と課題をしていて、一緒にチームを組みたいって言ってくれました。テウックさんも「没入感のある、独特なゲームを作りたい」という思いがあったので、プログラマ兼企画者として参加してくれたんです。それでこの二人で最初にいろんなアイデアを出し合って、企画案を作って発表したら、アートの人たちが興味を持ってくれて。そうしてチームができ上がったんです。

――最初に企画があって、それを見たアーティストがチームに加わる。そういう仕組みだったんですね。

キム・テックン:はい。

――なら、アートの方々にも当時のことをお聞きしたいのですが。なぜPIAのチームに加わろうと思ったんでしょうか?

パク・ウンヒ:私はテックンさんの企画発表を聞いた瞬間「これだ」と思いました。すごく面白そうだなって。地雷を解除する不便さと不安、それを操作で再現するというのが斬新でクリエイティブだなと思いました。だから、他の企画は見ずに、すぐテックンさんのところに行って「チームに入れてください」ってお願いしちゃいました。(笑)

それと、最初のタイトルがPIAじゃなくて地雷解体シミュレーション、韓国語で「ジヘシ 지해시」だったんですよ。

――変わった方が個人的にはいいですね。(笑)もう一人のソウンさんはどうでしたか?

チャン・ソウン:私もウンヒさんとほぼ同じ理由でした。ちょっと違うのは、私がもともと「変わったもの」が好きで。企画発表の時にPIAが難しい操作を取り上げながら、手の動きまで見せてくれていたので。それを見た時点でもう惹かれちゃいましたね。(笑) それに、私はシミュレーションゲームをよくプレイする方なので、無理に操作を複雑にするんじゃなくて、いいなって思いました。コンセプトも爆弾解体はよく見るけど地雷は初めてだなって。あと、テックンさんとは前のプロジェクトで一緒に作業した経験があって、チームワークもよかったので。そういう理由でこのチームを選びました。

――話を聞く感じ、ゲーム人材院でアートの方が人数少ない気がしますが割合はどんな感じでしょうか?

キム・テックン:人数の割合でいうと……

キム・テウック:企画が20人いるとすればプログラミングが20人、アートは20人にも満たない感じですよね。

パク・ウンヒ:アート班は他の班の半分くらいの人数ですね。

――そうなると、選択の余地がないというか。そんな少ない中でPIAに最初から2人も参加したということですか?

キム・テックン:いや、最初の時は4人でした。それが一番多いケースでしたね。もともと2人が定員なので。

――ずいぶん期待された企画だったんですね。

限られた制作期間、各々のモチベーションとは 「3週間で10時間も寝ていない」

――3週間という短い開発期間の中で、チームメンバー一人一人がどのようにモチベーションを保っていたのか気になります。まずはアートのウンヒさんからお聞きできますか?

パク・ウンヒ:私は最初、ゲーム人材院に来てモデリングを学び始めたばかりで、他の人より少し遅れを取っていたんです。「どうしよう」って思っている間にも、作らなきゃいけないものがいっぱいあって。その時にテックンさんが地雷のデザインを持ってきたんですが、それがすごく複雑なものだったんです。しかも架空の地雷で、世の中に存在しないものらしく。「これどうしよう」って思いながらも、やるしかないと覚悟を決めて引き受けました。

――勉強と作業を並行して行ったということですね。ソウンさんはいかがでしたか?

チャン・ソウン:私たちはUnrealエンジンの使い方は学んでいたのですが、Unityの使い方は全く学んでいませんでした。でもプロジェクトに入ったら突然Unityを使えって言われて。実際、ゲームエンジンにリソースを入れる作業自体が初めてだった上に、慣れているUnrealじゃなくて初めてのUnityでやれって言われたので…本当にあの3週間は作業よりも、勉強の方が多かった気がします。

――わりと絶望というよりも、「やってやるぞ」的な刺激として受け止めたんでしょうか。

チャン・ソウン:最初はファイルの開き方すら分からなかったんですが、YouTubeの講座を見ているうちに何故か自信がついちゃって。背景や煙なんかを配置してみたら「意外と簡単かも」って思い始めたんです。それで「もっと上手くなりたい」という気持ちが湧いてきて、それがモチベーションになったのかもしれません。

――実際勉強と作業を並行することで、得られた達成感が自分を突き動かすモチベーションになったわけですね。アートのお二人がどれだけ孤軍奮闘しながらこのプロジェクトを進めてきたのか、よく分かります。

チャン・ソウン:実は最初、Unityが使えないって言ったら、企画側が「リソースだけ作って、配置はやらなくていい」って言ってくれたんです。でも企画側が作った最初の環境配置を見た時、「これは本当にダサい」って思っちゃって。(笑)このままゲームを出したら、プレイヤーが起動した瞬間に「これはクソゲーだ」って思って捨てちゃうかもしれないって。そこから環境デザインを自分で勉強しようと決意して、もっと頑張るようになりました。

――チームを救うために覚醒したんですね。(笑)テウックさんは今の話を踏まえて、どういうモチベーションを持たれていたんですか?

キム・テウック:まずチームを結成したときの話をすると、もともとテックンさんと同じプロジェクトをやりたいという気持ちがずっとある状態でした。でも、人材院のシステム上、企画が通っちゃうと同じチームになれない仕組みになっているんですよ。私とテックンさんは毎回頑張って企画が通っていたので同じチームにはなれませんでした。

テックンさんを見ていて思ったのは、コンセプトとアイデアの強い企画を持ってくることが多いとと。その企画をもとにもっと面白いゲームを作るのは私の方が得意な気がして、一緒にチームを組めたら何かすごいものができるんじゃないかって思ったんです。でも、なかなか一緒のチームになれなくて。お互い強みがあるから、それぞれの企画が通っちゃうんです。 しかも私のチームにはプログラミングの人が2~3人付いて、テックンさんのチームはアートが2~3人付いてきて。

キム・テウック:しかし3クォーターの時、自分は先生から企画じゃなくてプログラマーとして指定されていました。だから企画発表ができない中で「今がチャンスだ」って思ってテックンさんに声をかけて、企画段階から参加することになったんです。最初からずっと関わっていたから「これは私のゲームだ」という意識が強くて、3週間頑張れましたね。3週間でおそらく10時間も寝ていないんじゃないかな。週末含めて不眠状態でずっとゲームを作っていました。

――めっちゃくちゃ大変でしたね。

キム・テウック:一番大変だったのは私がもともと企画者のポジションだったということでした。9ヶ月間企画者として教育を受けて、6ヶ月までは2Dのアートとプログラミングを学びました。あとは3学期の3ヶ月間は週に1、2回ほど3Dモデリングとアニメーション、3Dユニティゲームの作り方を若干学んだだけで。それなのに突然3週間でゲームを完成させなければならなくなったんです。「本当にヤバい」って思いながらGoogleやYouTube、ChatGPTを使って、なんとかスケジュールを合わせられました。

それでいうとプログラマー兼企画者だったことが時間内にゲームを完成できた要因かもしれません。演出周りで何かあるとき、予めロールを教えてもらって企画者を通さず自分がパラメーターを調整できたので、短い中でも効率良く動けたと思います。そうやって成果が出て、自分のゲームが形になっていくのを見るのがモチベーションにもなりましたね。

――すごい熱量を感じます。この話を踏まえて、チームリーダーかつ企画者のテックンさんはどう制作に向き合っていたでしょうか?

キム・テックン:まず動機はたくさんありました。私が企画したゲームでもありますし、チームリーダーとして、このように優秀なチームメンバーを率いてゲームを開発しているのに、失敗するわけにはいかないという気持ちがありました。3週間という短い時間の中で面白いゲームを作らなければならないというプレッシャーが、私にとってはモチベーションになりましたね。

制作のビハインドストーリー「これ本当に作っているんですか?」

ゲーム人材院の内部風景、授業のカリキュラムを紹介しているニュース。(2021)

――3週間という短い開発期間の中で、どのような問題が発生し、それをどのように解決されたのか。少しデリケートな質問かもしれませんが、お聞きしたいと思います。

キム・テックン:実は3週間というスケジュールがタイトだったことが最大の問題でしたが、大きなトラブルは特にありませんでした。チームメンバー同士で何か気になる部分があれば、すぐに話し合って、納得できれば修正する、そういう形で進めていったので。

――これはリーダー以外の意見も聞いてみたいですね。(笑)制作中の話について、何かエピソードを教えていただける方はいらっしゃいませんか?

キム・テウック:まあ、トラブルというより…私はゲームの面白い部分と面白くない部分が見分けられる方で、他の同期よりも少し得意だと思っています。ところである日、ゲームで気になるところがあるのにテックンさんは「大丈夫」しか言ってない時があって。アートの方々がそのリソースを作っている最中に、私が入っていって「これ本当に作っているんですか?」と聞いたこともありました。それで一度私が全部作り直したこともありましたね。ただ、テックンさんはそういった提案をよく受け入れてくれたので、結果的にトラブルにはなりませんでした。

――テウックさんの話を聞いた時、アート班の方々はいかがでしたか?別にトラブルとは感じなかったんでしょうか?

チャン・ソウン:チーム内での不和はなくて、それぞれが担当している部分をしっかりやっていました。ただ、エンジンに3Dリソースを直接載せるのが初めてだったので、試行錯誤が本当に多かったんですね。それで個人的なストレスがたまったときはありました。

それと…3週間のプロジェクトが終わった最終日に、アートチーム同士で「やっと終わった!」って喜んで食事をしていたんです。そしたら突然企画側からリソースをもっと作ってくれないかという連絡が届いて。他のメンバーは楽しそうにしているのに、私だけ落ち込んで「家に帰って作業します…」って。(笑)その時は若干憎らしかったです。

パク・ウンヒ:そうなんです。私も同じ経験をしました。リソースをもっと早く、早く作ってほしいって…(笑)

――確かに、それはトラブルというよりも裏話に近いですね。ではその話の延長線で今回は、各メンバーの長所についてもお聞きしたいと思います。テウックさんが先説明してくださったように、テックンさんとは互いの長所を活かしたいという思いでチームを組まれたとのことですが、アートチームの中でも、それぞれ得意分野が違うと思うんですが、その点についてソウンさんからお聞かせいただけますか?

チャン・ソウン:(笑)今回は褒め合いタイムですね。当時、今ここにいない2人を含めてアートチームは全員4人でした。一人はキャラクターを作りたがっていたので、その願望に合わせて作業を分担しました。その人にはパク下士官の手足が出るアセットを任せました。もう一人の方はまだ自分の得意分野を模索している時期でしたが、とにかく手が早かったので、できるだけ多くの細かい作業を任せました。ウンヒさんの場合は…これは悪い意味ではないんですが、作業は少し遅いものの、その分細部の作業が非常に丁寧なんです。なので、このゲームの核となる地雷のような複雑なデザインは、ディテールを活かせると思ってウンヒさんに任せました。

――話を聞いていると、ソウンさんはアートチームのタスク担当というか、全体的な作業配分をされていた立場だったように聞こえますが。

チャン・ソウン:はい、当時はそうでした。今はチームメンバーが少なくなって、そこまでの分担は必要なくなりましたが。

――ウンヒさんは、チームの他のメンバーの長所をどのように見ていましたか?

パク・ウンヒ:私は少し手が遅い方なので、私の基準だと他のチームメンバーは皆手が早い方でした。キャラクターを担当していた人も手が早かったですし、今はいない人も素早く仕事ができる人でした。ソウンさんの場合は、初めて使うプログラムでも自分で調べながらすごく上手に習得できる人だったので、とにかく周りが心強かったですね。

――チームリーダーとして、テックンさんはメンバーの長所をどのように認識して、また活用されましたか?

キム・テックン:テウックさんの場合は、問題が見えると直感的にフィードバックをしてくれるスタイルなので、私が足りないと感じている部分があれば相談していました。特にUIは最初、テウックさんの言葉を少し和らげて言うと「極めてシステム的なUI」と言われるくらいひどかったんですが、その指摘を受けて最新のゲームなども研究して、現在のUIが生まれました。

――テウックさんからどうでしょうか?

キム・テウック:私はテックンさんがリーダーなので、まずは言われた通りに一通りやってみるんです。でも作っていく中で気になる部分が見えてくる。その部分をテックンさんに話すと、すんなり受け入れてくれて。アートの方々もこっちの要求に嫌がることなく再依頼にも応じてくれて、すぐに確認も取れる。そういう形で互いの長所を活かすことができたからこそ、プロジェクトがうまくいったんだと思います。

これからのPIAについて「ストーリーモードは無料で、その後は純粋に面白さに注力したい」

――3週間という短期間で苦労して作られたゲームが、今後どのような形で私たちの元に届くのか気になります。今後のチームの発展方向性や新しいプロジェクト、あるいは現在のゲームをどのように発展させていくのか、その計画についてお聞かせください。

キム・テックン:現在公開されているデモバージョンのグラフィックをクオリティアップして、12月中にSteamでの公開を目標に作業を進めています。また現在は、ゲーム人材院の教育課程がまだ終わっていないので卒業プロジェクトを進めていますが、先ほどもお話しした通り、11月が終わったら事業化チームを結成して追加開発を進める予定です。現在までのプレイ内容はストーリーモードとして無料でプレイできるようにする予定です。その後は純粋に面白さに注力したDLCを開発して収益化を図りたいと考えています。

――DLCというのは、既存のPIAのIPというか、PIAの基本的な構造やゲームは残したまま、より娯楽性を重視した、よりエンターテインメント性の高い新しいコンテンツを出すという事でしょうか。

キム・テックン:はい、その通りです。ハードモードなども開発して、様々な挑戦をしていきたいと考えています。

――これまで歴史を扱うことの難しさや重さについても話してきましたが、今までの部分を無料開放するというのは、まさにこの部分が社会に伝えたいメッセージだからこそ、無料のままにしておきたいということですね。そこにプラスして、基本的な娯楽性、よりゲームとしての面白さを追求したものをこのプロジェクトチームの中で実現していくという理解でよろしいでしょうか。

キム・テックン:その通りです。

3週間という極めて短い開発期間。限られた人員とリソース。そして、デリケートな歴史的テーマの取り扱い。一見すると、これらの制約は作品の完成度を下げる要因になりかねない。しかし、ゲーム人材院第5期の「爆発物処理班」は、むしろこれらの制約を創造性の源として活用した。

メンバー一人一人の得意分野を最大限に活かしながら、互いの足りない部分を補い合う。そして何より、「伝えたいメッセージ」と「ゲームとしての面白さ」という、時として相反しかねない二つの要素のバランスを見事に取り切った。その結果として生まれたのが、TGS2024で我々含め全政界のユーザーを引き寄せた地雷解体ゲーム「PIA」である。

歴史的メッセージを含むストーリーモードを無料で提供し、その上でゲーム性を追求したDLCを展開するという今後の計画からも、彼らがゲーム制作に対してどれほど真摯に向き合っているのかを感じられる。韓国のインディーゲームシーンから生まれた、この新しい挑戦が、ゲーム業界に新たな可能性を示してくれることを期待したい。

なお、今回の記事で取り扱えなかった詳細の内容は、今後のオピニオン記事でさらに深く掘り下げていく予定だ。

  • インタビュアー:パク・ジュヒョン(SKOOTA編集部)