那麼,讓我們久等了。「在假日出勤的TGD8中發現的——窺視日常的“裂縫”的三款遊戲【前篇】」接下來將為您帶來【後篇】。一如既往,鍵盤旁邊擺著的,是早已熟悉的冷卻咖啡,來自SKOOTAGAMES的Negolove團隊,Mob。 在【前篇】中,我們介紹了三款作品,這些作品從日常中潛藏的“裂縫”中,帶來了一絲背脊發涼的感覺,或者強烈激發了好奇心。雖然試玩時間都很短,但它們無疑留下了深刻的影響和令人深思的問題。 在這個【後篇】中,我們將聚焦於那些無法僅用「有趣」一詞來概括的遊戲標題,它們在遊玩後讓人不禁反思自己的內心。比如,描繪末世世界的點陣畫故事。或者,在深夜的食堂中與“非人類”進行的對話。還有,讓人不禁重新開始的某款遊戲……這些體驗為何如此深深吸引了我的心,並讓我感受到「不僅僅是有趣」,我想稍微解釋一下這些原因。 每一款作品都在那個黃金週的喧囂中,作為參展者,以及作為一名遊戲愛好者,留下了我難以忘懷的“心靈動作”。那麼,讓我們立即從【後篇】的第一款作品開始,探索其「理由」。 在無人之境:在寂靜的世界中收集一小時的「密度」所蘊含的詩 作為【後篇】的開場作品,是我在此次東京遊戲地牢8中不禁驚呼「這是…!」的一款作品,『在無人之境』。這款遊戲是由個人開發的,試玩時間僅約5分鐘。然而,在這短短的時間裡,我所體驗到的世界片段,無疑向我提出了「不僅僅是有趣」的某種挑戰。 本作是一款以略帶悲傷的點陣畫風格描繪的後末日世界為背景的冒險遊戲。在試玩中操作的是一個頭部像舊電腦的人型角色。她(他?)將從與自己相似的電腦中回收失去的記憶數據,並重溫曾經與人類共度的日子片段。在演示版中,僅在回收一個記憶的地方顯示了「這次到此為止」,故事的僅僅是序章。 然而,這款遊戲讓我深深吸引的原因在於其壓倒性的「遊玩密度」。角色的細膩動作、畫面切換的精緻、UI的佈局和操作感,每一個構成遊戲的最小單位都給人一種驚人的誠實和堅固的印象。毫不誇張地說,甚至可以讓人相信「這已經是完成的產品版的前五分鐘特別遊玩」。試玩後,我不由自主地問開發者「(失禮了)您是專業人士吧…?」但聽說這是由一個人開發的時候,我記得我驚訝了兩次。 ゲムダンで好評だった、メニュー画面を開く演出#人のいない世界に pic.twitter.com/6lSH6IDDVp — ゆーじ / 夜路地 (@yuji_ap) May 9, 2025 而更讓我驚訝的是,這款遊戲的「總遊玩時間預計約為1小時」的說法。目標在Steam上發行的獨立遊戲,將1小時的遊玩時間作為目標。這一事實可能會被解讀為「內容不足」,但在體驗過那濃密的五分鐘後,這句話反而讓人期待這1小時內將會壓縮多少情景和情感。 近年來,許多獨立遊戲將遊玩時間的長短作為一個賣點,而本作卻選擇以「每小時的體驗密度」來勝負,這種姿態非常乾脆,並且最重要的是讓人感受到創作者強烈的意志。這不僅僅是一個冗長的故事,而是每一句都刻印在心中的詩,這樣濃密的1小時希望能夠傳遞給玩家,這是靜謐而堅定的熱情的表現。在這短暫的相遇中,我確實感受到開發者的「想法」。 下班後在那家店:深夜的櫃檯,與非人類者交談的“一杯”對話 接下來要介紹的是,由からすまぐろ製作的小說遊戲『下班後在那家店』。如同標題所示,疲憊不堪的主角在深夜隨意造訪的最愛店裡,遇見了個性獨特的「非人類」客人,並與他們交流……這是一部可以享受這種獨特溝通的作品。在試玩中,我可以從五位攻略對象角色中選擇一位,度過約10分鐘的時光。 我選擇的是一位名叫『奧魯尼』的角色,他深深地戴著斗篷。黑色球體般的臉上有一隻眼睛,像鳥爪一樣的手,給人留下了深刻的印象。官方表示他是「對你特別關心的可疑常客」,這正是如此。還有許多其他迷人的非人類角色,選擇與誰同桌雖然令人高興,但也相當困難。奧魯尼對於有些警惕的主角(就是我)積極地搭話,但他過於親密的態度讓我不禁懷疑「他是不是有什麼陰謀……」,因此我拼命想要探究奧魯尼話語的真意。或許,最可疑的其實是我自己(苦笑)。 透過這款遊戲,我第一次真正接觸到「人外」這個類別,確實感受到其獨特的魅力。這是因為它讓我們暫時擺脫在觀看角色時無意識中施加的性別和年齡等人類過濾器,能夠直接面對其存在本身。開發者提到「我喜歡人外」的話語也讓我印象深刻,那種純粹的「喜歡」的感情,讓我這個對這個類別並不熟悉的人,也能感受到其趣味,並激起了我「想要了解更多」的心情。 此外,本作的音效設計也非常用心,完美地營造了深夜商店的寧靜氛圍。特別是當服務生端上菜時,對面和自己這邊的盤子放下的聲音聽起來微妙地不同,讓我感到驚訝。對細節的堅持,無疑提升了作品世界的真實感,是一個很好的例子。 這部『工作結束後在那家店』,其實已經在Booth上免費公開了。「雖然有些不安但又迷人的」與非人類的存在共度一夜的故事,對此感興趣的朋友,不妨在這個週末體驗一下。 孩子們的庭院:在賽的河原邂逅的“重逢”與 獨立遊戲的熱情 那麼,作為【後篇】的結尾,將帶來一個特別的重逢故事,讓我重新思考這個「東京遊戲地牢8」活動意義的作品『孩子們的庭院』。其實這款遊戲,我之前在我的報告中介紹過一次,這次帶著更多的魅力,進一步升級再次回到這個地方。試玩時間約為10分鐘。除了之前的內容,還增加了更多的關卡和能深入了解遊戲背景的信息。 對這款作品感興趣的朋友,請務必去尋找一下,但再次告訴大家,這是一部以「賽的河原」的傳說為主題,借用無邪的教育玩具的形象描繪“地獄”本身的強烈且充滿諷刺的作品。可愛的視覺與主題形成鮮明對比,讓人在遊玩過程中始終感受到一種難以言喻的“毛骨悚然”,這種感覺在此次似乎更加尖銳了。 這次,我再次提筆寫下『孩子們的花園』,不僅僅是因為能夠重逢於曾經介紹過的遊戲的喜悅。經過幾個月的時間,這款遊戲穩步充實內容,朝著即將到來的發行大步邁進。而當我接觸到背後開發者的熱情與努力時,我內心深處被強烈觸動。在獨立遊戲的世界裡,遺憾的是並非所有作品都能順利完成。這是作為同樣努力創造“某種東西”的人,深刻理解的現實。 展位的景象與幾個月前並沒有太大變化,但遊戲的內容卻有著驚人的進化。 正因如此,像本作這樣克服困難、變得更加吸引人的作品的重逢,讓我感到格外的感慨。主辦方所稱的“向開發者出售截止日期的活動”的東京遊戲地牢,成為創作者們堅實的推動力,產生了將作品推向市場的美好循環。我感覺這部《孩子們的花園》正是這一美好實例之一。這不僅僅是某款遊戲接近完成的故事,而是對於在獨立遊戲世界中每天奮鬥的所有創作者來說,都是一束小而確實的希望之光。 當然,遊戲本身的完成度也比我之前體驗時更加精緻。孩子們天真的聲音與不協和音交織的獨特聲音,更深刻地印象了本作所擁有的諷刺。在這個可愛與殘酷共存的世界裡,玩家最終會感受到什麼。能夠確認這個答案的產品版發行,讓我對重逢充滿期待,這樣的希望讓我感到無比期待。 東京遊戲地城8:祭典結束後,心中留下的“熱”與“問題” 果然,最後如果沒有這個會感到寂寞呢。 那麼,經過【前篇】和【後篇】兩次的報導,「東京遊戲地城8」的報告終於來到尾聲。第一次參展的經歷,讓我感受到連續的驚喜與感動,但那個會場的熱情和眾多獨特的遊戲所留下的印象,確實是特別的。 與【前篇】中介紹的遊戲不同,【後篇】中呈現的《在無人世界中》、《工作結束後在那家店》,以及《孩子們的花園》,各自深深觸動了我的心,給了我「不僅僅是有趣」的確實感受和許多思考的線索。創作者的「喜愛」這種純粹的能量、交流的溫暖,以及一個作品持續成長的樣子所帶來的希望……這些都是我在此次遊戲地城8中所獲得的最珍貴的“紀念品”。 作為參展者在會場中走動,與許多來賓和開發者進行短暫的交流中,我感受到獨立遊戲世界所擁有的無限可能性和聚集在那裡人們的純粹熱情。這個「東京遊戲地城」的場所,將這種熱情轉化為更大的波瀾,創造出一個將新人才推向世界的美好循環,這次我再次深刻體會到了這一點。 懷著許多的啟發和一些個人的作業(主要是關於NegoLove的進展……那是另一個故事),我回顧這兩天如同祭典般的經歷。下次當我再次接觸到這股熱情時,我將會遇到什麼樣的遊戲,又會心中懷抱什麼樣的新“問題”呢? 期待著,我該回家了,因為快到下班時間了。那麼,再見。
休日出勤のゲムダン8で見つけたのは―日常の“裂け目”を覗く三つのゲーム【前編】
こんにちは、SKOOTAGAMESのネゴラブチームに所属しております、モブです。キーボードを叩いたり、たまに代表のコーヒーを淹れたりしながら、日々ゲーム開発という大海を漂っております。 さて、先日5月4日、ゴールデンウィークの真っ只中に開催されたインディーゲームの祭典「東京ゲームダンジョン8」に、何を隠そうこの私、そして我らがSKOOTAGAMESが、なんと初めて「出展者」として参加してまいりました。これまで二度ほど、いち来場者としてレポートを書かせていただいたこのイベントに、まさか自分たちのブースを構える側になるとは…。正直なところ、カレンダーの赤い日に会場へ向かう自分の背中を見ながら、「なぜ私は連休に働いているのだろう…」という哲学的な問いが、ほんの少し、ほんの少しだけ頭をよぎらなかったと言えば嘘になります(苦笑)。 しかし、ご安心ください。結論から申し上げますと、そんな些細な心の声などあっという間に吹き飛んでしまうほど、今回の東京ゲームダンジョン8は、熱気に満ち溢れた素晴らしい一日でした。3100人もの方が来場されたという会場は、連休中ということもあってか、ユーザーの方々はもちろん、開発者同士の交流もかつてなく活発だったように感じます。まあ、私たちが初出展だったから、そう見えただけかもしれませんが…。それでも、普段とは違う「作り手」としての視点でイベントの空気に触れ、たくさんの刺激的なゲームやクリエイターの方々と出会えたのは、本当に貴重な体験でした。 というわけで、今回のレポート【前編】では、そんな初出展のドタバタ 속(?)で、私モブのアンテナに特に強く引っかかった、独特の雰囲気を纏う三つの作品をご紹介したいと思います。ジメジメとした梅雨、そしてその先に待つ蒸し暑い夏を前に、ちょっと背筋が涼しくなるような、あるいは心がザワつくような、そんな個性的なゲームたちです。 Machico:モノクロ洋館で出会った、奇妙な“強烈さ” さて、今回の東京ゲームダンジョン8で、私が最初に足を踏み入れたのは、どこか懐かしい雰囲気と強烈な個性が共存するブースでした。スタジオジョニーさんが制作中という、『Machico』。ジャンルとしては2Dのホラー探索アドベンチャーゲームとのことですが、試遊台で体験できたのは、そのほんの入り口、ほんの10分にも満たない短い時間でした。 物語は、急に姿を消した友人を探し、古びた洋館へと足を踏み入れた主人公が、そこで不可解な出来事に巻き込まれていく…という、ホラーゲームの王道とも言える導入部から始まります。薄暗い洋館の中を一人、手探りで進んでいく感覚は、かつて夢中になった『青鬼』のような、あの頃のヒリヒリとした緊張感を思い出させてくれましたね。 しかし、この『Machico』が単なる懐古趣味に留まらないのは、その独特なアートスタイルと雰囲気作りにあると感じました。画面全体を覆うのは、 まるで古いモノクロ映画か、あるいは往年の恐怖マンガの一場面を切り取ったかのような、ざらついた質感の白と黒の世界。キャラクターも背景も、そのほとんどが陰影と黒い線で描かれており、見慣れない洋館の不気味さを一層際立たせています。このビジュアルが、探索という行為そのものに言いようのない不安感を付与し、「何かが出てくるんじゃないか」という原始的なホラー感をじわじわと煽ってくるんです。 そして、その予感は的中し、探索を進めるうち、突如として現れる異形の追跡者…。動物のような頭部を持ち、車椅子に乗りながら、その車輪にはなんとチェーンソーが取り付けられているという、一度見たら忘れられない強烈なデザインの“何か”が、こちらを執拗に追いかけてくるのです。その姿を目撃した瞬間、かつてインディーゲームシーンで話題を呼んだ『Year of the Ladybug』の、あのコンセプトアート群が脳裏をよぎりました。生理的な違和感と、どこか目を離せないような倒錯的な魅力が混じり合った、あの衝撃に近いものを感じたのです。 実はこの『Machico』、今回ご紹介する中でも特に、私自身が今後の展開に大きな期待を寄せている一本でもあります。というのも、制作されているスタジオジョニーさん、実は普段アニメーションを手掛けていらっしゃるチームだそうです。公式サイトで拝見した彼らの他のアートワークは、本作とはまた趣の異なる、温かみのある繊細なタッチで描かれたものが多かったのですが、その中にもどこか共通する“寂しさ”や“切なさ”のようなものが感じられ、それがこの『Machico』のミステリアスな雰囲気と不思議と響き合っているように思えたのです。 『Year of the Ladybug』が、いくつかのコンセプトアートだけで多くのゲーマーの想像力を掻き立てたように、現在進行形で制作が進んでいるこの『Machico』が、一体どんな完成形となって私たちの前に姿を現すのか…それを考えると、今から楽しみで仕方ありません。短い試遊時間ではありましたが、そんな未来への期待を抱かせるには十分すぎるほどの、“何か”を感じさせてくれる作品でした。 The Doppel:二色の悪夢で響く、己と向き合う“逃走劇” 『Machico』のブースを後にして、次に向かったのは、どこかミニマルながらも強烈な個性を放つ一角でした。こちらの作品は『The Doppel』。白と黒、わずか二色だけで構成された悪夢の世界を舞台に、自分自身を模した存在「ドッペル」からひたすら逃げ続けるという、シンプルなルールの2Dアクションゲームです。 主人公は、締め切りとプレッシャーに追われる小説家。そんな彼が、けたたましく鳴り響く出版社からの電話を取った瞬間、悪夢の世界へと引きずり込まれるところから物語は始まります。この導入だけでも、なんだかこう…記事を書いている人間にとっては、他人事とは思えないような妙な感覚を覚えましたね(苦笑)。 悪夢の中の主人公は、その名の通り自らの動きを忠実に模倣して追いかけてくる「ドッペル」から逃れるため、前へ前へと進まなければなりません。面白いのは、このゲームにおける光と闇の扱いです。暗闇の中にいる間は「ドッペル」もプレイヤーの前に出てこず、プレイヤーは完全にセーフ状態。しかし、一歩でも明るい場所へ踏み出せば、どこからともなく「ドッペル」が現れ、執拗な追跡が始まるです。そして、「ドッペル」との距離が縮まるにつれて、まるで主人公の気力そのものが吸い取られていくかのように、じわじわと体力が削られていくのです。 マップには様々なギミックも配置されており、ただ闇雲に突っ走るだけではすぐに「ドッペル」の餌食。試遊では、まず暗闇で安全を確保しつつマップの構造やギミックの動きを観察し、タイミングを見計らって一気に駆け抜ける…という、さながら往年の『バーガータイム』や『ロードランナー』のような、古き良きアーケードゲームを彷彿とさせる歯ごたえのあるアクションを体験できました。このシンプルながらも奥深いゲーム性には、思わず唸らされましたね。 しかし、この『The Doppel』が私の心に深く刻まれたのは、単にゲームとしての面白さだけではありませんでした。むしろ、プレイを終えて会場を後にした後に、じわじわとそのテーマ性が反芻された、とでも言うべきでしょうか。考えてみれば、このゲーム、別に無理して光の中へ進む必要はないんです。暗闇にさえいれば、少なくとも「ドッペル」に襲われる心配はなく、安全は保障されている。それでも、物語を進めるためには、光の中へ飛び出し、自分自身の影とも言える「ドッペル」と対峙しなくてはならない…。 この構造が、締め切りというプレッシャー、そしてそこから逃れたいという小説家の心理状況と、あまりにも見事にリンクしているように感じられたのです。すべてが二色だけで表現された世界もまた、安全な暗闇に留まるか、それとも困難に満ちた光の中へ進むかという、二者択一の厳しい現実を象徴しているかのようでした。逃げているようでいて、実は自分自身の内面と向き合わされているような、そんな不思議な感覚。短い試遊時間でしたが、このゲームが投げかける問いは、私の心に深い余韻を残してくれました。 新宿異変:夜の街角、一枚の写真に刻まれる複数の“結末” さて、今回のレポート【前編】でご紹介する最後の作品は、その強烈なキービジュアルに吸い寄せられるように足を運んだ『新宿異変』です。こちらは、夜の新宿を舞台に、街に潜む様々な怪異現象を写真に収めていくという、ホラーテイストの短編ビジュアルノベルといった趣の作品でした。試遊時間はわずか5分から10分ほど。しかし、その短い時間の中に、このゲームならではの個性がギュッと凝縮されていましたね。 ゲームが始まると、プレイヤーは簡単な状況説明と共に、どこか静かな夜の新宿の街へと放り出されます。そこで遭遇する、人ならざる“何か”の気配…。プレイヤーの目的は、これらの怪異現象をカメラで撮影すること。ただし、ここがこのゲームのキモでして、「適切な距離を保って」シャッターを切らなければなりません。対象に近づきすぎれば、正体不明の恐怖に呑み込まれてゲームオーバー。かといって、遠すぎれば何も写せず、成果もなし。まさに一瞬の判断と度胸が試される、緊張感あふれるシステムです。 私がこのゲームに強く惹かれたのは、何を隠そう、ブースで目にした一枚のキービジュアルでした。人型ではあるものの、明らかに“こちら側”の存在ではない、形容しがたい違和感を纏ったその姿…。どこかで見たような…そう、昨年デモが公開され、大きな注目を集めた『No, I’m not a Human』の、あの不気味ながらもどこか目を離せない魅力を持ったビジュアルに通じるものを感じたのです。こういう、一目見ただけで「何かヤバそうだ」と思わせるセンス、個人的にとても好みです。 そして、この『新宿異変』を語る上で外せないのが、「マルチエンディング」という要素でしょう。驚いたことに、この短い試遊版ですら、その片鱗を十分に味わうことができたのです。実は私、自分のプレイ前に、偶然お二方ほど他の方のプレイを後ろから拝見する機会があったのですが、なんと私を含めた三人の結末が、それぞれ全く異なっていたんですよ。もちろん、先ほども触れたように、このゲームは一歩間違えれば即ゲームオーバーという、いわゆる「死にゲー」的な側面も持っているので、それも多様な結末に繋がりやすい一因だとは思います。ですが、それにしたって、この短時間でこれだけ体験の幅を持たせているのは、単純にすごいな、と。 イベント会場で気になるゲームの試遊待ちをしていると、前の人のプレイで内容が分かってしまって、自分の番が来た時には少し興味が薄れてしまった…なんて経験、ありませんか? 特にストーリー重視のノベルゲームでは、それが致命的になることも少なくないと思うんです。その点、この『新宿異変』は、短い試遊の中に多様なエンディングを用意することで、何度見ても新しい発見があり、むしろ「他のエンディングも見てみたい」と思わせる。これは非常にクレバーな作りだと感じましたし、実を言うと、我々ネゴラブチームのゲーム制作においても、大いに参考にすべき点ではないかと、一人静かにメモを取った次第です。 日常の裂け目から垣間見た、三者三様の“気配”と次なる予感 というわけで、ゴールデンウィークの中、初めての出展という慣れない体験の合間を縫って巡り合った、私モブの心を特に強く捉えた三つのゲーム、『Machico』、『The Doppel』、そして『新宿異変』をご紹介してまいりました。 モノクロームの悪夢の中でアニメーションスタジオの新たな挑戦と未来への期待を感じさせてくれた『Machico』。二色だけで描かれた世界で、自分自身の影と向き合う逃走劇を強いた『The Doppel』。そして、夜の新宿という日常のすぐ隣で、無数の怪異と幾通りもの結末を突きつけてきた『新宿異変』。 どれも、日常に潜む「裂け目」から、得体の知れない「何か」が顔を覗かせているような、そんなヒリヒリとした感覚を呼び覚ます、個性的な作品たちでしたね。もちろん、初出展の身としては自分のブースのことで手一杯だったため、全てのゲームをじっくり堪能できたわけではありませんが、それでも作り手として参加したからこそ得られた刺激は、確かにあったように思います。 まあ、お世辞にも「最高な休日」とは言えませんでしたが、それでもこうして心に残る作品たちと出会えたのですから、結果オーライ、ということにしておきましょう。きっとそうです。 さて、この東京ゲームダンジョン8のレポートは、まだまだ終わりません。【後編】では、また少し毛色の異なる、しかしながら同様に強烈な個性を放つゲームたちをご紹介する予定です。果たして、次にお届けするのはどんな“裂け目”からの誘いなのか…。 ラブコメ X