各自的“靈魂”所講述的遊戲們―東京遊戲展2025 獨立遊戲探訪記【後篇】

那麼,在【前篇】的熱情尚未消退之際,報告將繼續進入【後篇】。接下來,讓我,莫布,來談談在幕張展覽館的喧囂中發現的三顆閃亮的寶石。 在【前篇】中,我們介紹了揭示現代社會不合理的中國遊戲、跨越語言障礙散發強烈氛圍的俄羅斯遊戲,以及超越理論的壓倒性“體驗”本身的德國遊戲,這些作品各自展現了不同的哲學。正因為是這樣一個巨大的盛會,角落裡遇到的個性更加突出。 而在【後篇】中介紹的,則是來自其他同樣充滿強烈能量的國家的遊戲。那裡存在著無法用理論或精緻來解釋的,類似於創作者初衝動的純粹“熱量”。或者,喚起曾經沉迷的記憶的舒適“懷舊感”。還有,在追逐獨立遊戲的過程中才能體驗到的,超越時間的“重逢的喜悅”。 那麼,讓我們立即從一款感受南美熱情的遊戲開始吧。 Lucha Masters: Mighty Lucha:無法理解,但能感受到的“熱量” 那麼,在【後篇】中首先介紹的是來自墨西哥的『Lucha Masters: Mighty Lucha』。與這款遊戲的相遇,始於一段奇怪的介紹影片。影片中,一名男子美味地咬著塔可,而在他身後悄悄靠近的阿霍羅特(美洲大蜥蜴)則奪走了塔可並逃跑……老實說,從那段影片中完全無法窺探遊戲內容,但卻有足夠的衝擊力讓人產生“這到底是什麼?”的強烈好奇心。 實際在展位上玩過之後,那種「這到底是什麼?」的感覺會更加深刻。本作是一款最多可供四人遊玩的動作冒險遊戲,採用懷舊的8bit風格圖形。在當今的獨立遊戲界中,許多作品以獨創的點子和新穎的系統為賣點,而像本作這樣擁有古老的街機遊戲靈魂,某種程度上非常“愚直”的作品,反而讓人感到新鮮,強烈吸引了我的注意。 然而,與那懷舊的外觀相反,難度卻相當高。接連出現的敵人,讓人難以應對的機關…。我在同一個地方耗盡力氣多次,最終在第三次挑戰後,不得不含淚放下控制器。 通常情況下,我可能會在這裡說「這遊戲對我來說不太合適」就結束了。然而,這款遊戲卻有一種超越這種理論的神秘“熱量”,吸引著玩家,讓人想要了解它的真實面貌。後來我查了一下,似乎稍微理解了這種熱量的來源。本作的故事是關於阿霍羅特爾的「魯喬」為了打敗墨西哥傳統傳說和神話中,特別是阿茲特克神話中的死神「米克特蘭特克特利」而戰鬥。 原來如此,我不禁拍了拍膝蓋。我從這款遊戲中感受到的那種難以理解的能量,或許是開發者們對自己國家文化(摔角、阿茲特克神話)的深厚愛情和尊重,以及「我們要把認為有趣的東西全部放進去」的初衷,混合而成的純粹結晶。這是獨立遊戲特有的光輝,絕非僅靠洗練或計算所能產生。 順便提一下,儘管我重複了那麼多次遊戲結束,但在展位上設置的扭蛋箱中,我還是得到了小小的角色手辦。這份微小的溫情,讓我的心情稍微得到了些許安慰,這是只有在這裡才能說的話。 深 四的目 -陰陽的巫女-:懷舊與“和”的恐懼交織的神秘地牢 接下來要介紹的是此次報告中唯一來自日本的作品、『深 四的目 -陰陽的巫女-』。這款在KADOKAWA Game Linkage攤位展示的和風潛行地牢探索遊戲,對於20歲以上的人來說,可能會讓人想起曾經由Chunsoft創造的「不思議的地牢」系列。我自己是透過寶可夢系列接觸這個類型的世代,因此能夠懷著一種懷舊的心情來遊玩。 故事開始於主角「ヨノ」作為巫女,為了尋找失踪的哥哥而踏入充滿物怪的宅邸。在每次進入時結構都會改變的詭異宅邸中,玩家將操作ヨノ,逃避或對抗襲來的妖怪,並朝著宅邸更深處前進。 這款遊戲有趣的地方在於,主角ヨノ基本上是一個沒有攻擊手段的弱小存在。因此,玩家不僅僅是擊敗敵人前進,而是需要利用道具設置陷阱,或是掌握敵人的位置以避開,始終需要動腦筋進行應對。這種「脆弱感」與和風恐怖的世界觀相結合,產生了獨特的緊張感。 而令我個人最驚訝的是,音效的高品質。雖然是體驗版,但角色的台詞竟然是全語音,這讓我感到驚訝。更重要的是,環境音和聲音的音量平衡調整得非常舒適,巧妙地營造出靜謐的恐懼感。順便提一下,當我確認門後是否有妖怪時,聽到的「申し申し」的聲音,對我來說非常可愛,讓我印象深刻。 當然,設置陷阱或攻擊特定範圍的系統本身,在這個類型的遊戲中並不罕見。然而,看到這些在「和」的世界觀中被重新詮釋為平時不太接觸的物件和設定,對我來說是一種微小但愉快的體驗。 遺憾的是,在這次的體驗版中,我無法體驗到預告片中看到的多樣敵人和機關,以及在危機時出現的另一個人格的部分,這些都是故事的核心。然而,這也反過來說明了我對產品版的期待更高了。我期待著揭開這個既懷舊又新穎的「不思議的地下城」的全貌。 Reverie:反轉空間與記憶的重聚拼圖 那麼,這次的東京遊戲展探訪記,最後要介紹的是來自韓國的拼圖冒險遊戲『Reverie』。這部作品位於Selected Indie區域,以其獨創的系統吸引了我的注意。 本作的核心在於「埋藏的空間」與「開放的空間」的反轉,這是一個非常獨特的規則。玩家可以站立的黑色方塊空間,以及可以自由移動的空無一物的空間。這兩種特性可以通過特定操作進行互換。曾經是牆壁的地方變成道路,而曾經是道路的地方變成牆壁。這個簡單規則的轉換,產生了驚人而深刻的拼圖。 每當我接觸到許多拼圖遊戲時,我總是會想,「究竟是怎麼想到這樣的發想呢?」這種純粹的驚訝和敬意。對於不太擅長拼圖遊戲的我來說,這也是理解和享受遊戲的第一步。《Reverie》同樣向我提出了這個問題。 然而,這次與這款遊戲的相遇之所以更加特別,是因為這並不是第一次的相遇。事實上,我之前在另一個活動中接觸過這款《Reverie》的早期版本。確實是去年與哈娜前輩一起參加的「Burning Beaver」吧。根據當時的記憶,這款作品似乎是一個更為嚴謹、純粹的拼圖遊戲。雖然被獨創的藝術和世界觀所吸引,但對於其難度的高低,我有些感到不安。 大約過了10個月。在這個世界上最大的遊戲盛典上偶然重逢的《Reverie》,從我記憶中的樣子中,確實有了明顯的進化。這次的體驗版,雖然遊玩時間比以前短了,但故事的引入、角色和世界觀的解釋則更加細緻地添加了進來。 追逐獨立遊戲的時候,有時會遇到這樣令人高興的重逢。曾經稍微感到遺憾的部分,或心中默默希望「如果這樣就更好了」的部分,隨著時間的推移,完美地得到了補充,並以更能觸及更多人的形式展現在眼前。這對於獨立遊戲的粉絲來說,是無法替代的喜悅之一。 曾經可能只會吸引純粹的謎題愛好者的《Reverie》,如今已經成長為一部能夠溫柔迎接被其獨特氛圍吸引的玩家的深厚作品。正因為能夠親眼見證這一喜人的變化,我才想將這款遊戲選為此次長篇報告的結尾。 報告的結尾 那麼,關於【前篇】和【後篇】中介紹的六款來自不同國家的獨立遊戲,您覺得怎麼樣呢? 中國的《感謝您的申請》所揭示的現代社會的不合理。俄羅斯的《SOBAKISTAN》所描繪的跨越語言障礙的氛圍。德國的《PVKK》所展示的超越理性的體驗力量。來自墨西哥的《Lucha Masters》所散發的難以理解的熱情。日本的《深 四的目 -陰陽的巫女-》所喚醒的懷舊與新的恐懼。以及韓國的《Reverie》所展現的愉快重逢與確實成長的故事。 這六部作品的共同點在於,即使在東京遊戲展這個巨大慶典的喧囂中,創作者堅定的“靈魂”始終存在於其中心,絕不會被埋沒。 大型標題的華麗也非常出色。然而,在這樣的不同國家和文化中,各自的創作者堅持追求自己所相信的“有趣”,所產生的多樣性,有時扭曲,但正因如此才顯得可愛的光輝,能夠接觸到這些,或許就是走在東京遊戲展獨立遊戲區的最大樂趣,我再次感受到這一點。 他們提出的六個不同的“問題”,再次給了我許多啟發和一些作業。那麼,我的“答案”將會是什麼樣的呢?這又是另一個故事。 那麼,我們下次報告再見。

休日出勤のゲムダン8で見つけたのは―日常の“裂け目”を覗く三つのゲーム【前編】

こんにちは、SKOOTAGAMESのネゴラブチームに所属しております、モブです。キーボードを叩いたり、たまに代表のコーヒーを淹れたりしながら、日々ゲーム開発という大海を漂っております。 さて、先日5月4日、ゴールデンウィークの真っ只中に開催されたインディーゲームの祭典「東京ゲームダンジョン8」に、何を隠そうこの私、そして我らがSKOOTAGAMESが、なんと初めて「出展者」として参加してまいりました。これまで二度ほど、いち来場者としてレポートを書かせていただいたこのイベントに、まさか自分たちのブースを構える側になるとは…。正直なところ、カレンダーの赤い日に会場へ向かう自分の背中を見ながら、「なぜ私は連休に働いているのだろう…」という哲学的な問いが、ほんの少し、ほんの少しだけ頭をよぎらなかったと言えば嘘になります(苦笑)。 しかし、ご安心ください。結論から申し上げますと、そんな些細な心の声などあっという間に吹き飛んでしまうほど、今回の東京ゲームダンジョン8は、熱気に満ち溢れた素晴らしい一日でした。3100人もの方が来場されたという会場は、連休中ということもあってか、ユーザーの方々はもちろん、開発者同士の交流もかつてなく活発だったように感じます。まあ、私たちが初出展だったから、そう見えただけかもしれませんが…。それでも、普段とは違う「作り手」としての視点でイベントの空気に触れ、たくさんの刺激的なゲームやクリエイターの方々と出会えたのは、本当に貴重な体験でした。 というわけで、今回のレポート【前編】では、そんな初出展のドタバタ 속(?)で、私モブのアンテナに特に強く引っかかった、独特の雰囲気を纏う三つの作品をご紹介したいと思います。ジメジメとした梅雨、そしてその先に待つ蒸し暑い夏を前に、ちょっと背筋が涼しくなるような、あるいは心がザワつくような、そんな個性的なゲームたちです。 Machico:モノクロ洋館で出会った、奇妙な“強烈さ” さて、今回の東京ゲームダンジョン8で、私が最初に足を踏み入れたのは、どこか懐かしい雰囲気と強烈な個性が共存するブースでした。スタジオジョニーさんが制作中という、『Machico』。ジャンルとしては2Dのホラー探索アドベンチャーゲームとのことですが、試遊台で体験できたのは、そのほんの入り口、ほんの10分にも満たない短い時間でした。 物語は、急に姿を消した友人を探し、古びた洋館へと足を踏み入れた主人公が、そこで不可解な出来事に巻き込まれていく…という、ホラーゲームの王道とも言える導入部から始まります。薄暗い洋館の中を一人、手探りで進んでいく感覚は、かつて夢中になった『青鬼』のような、あの頃のヒリヒリとした緊張感を思い出させてくれましたね。 しかし、この『Machico』が単なる懐古趣味に留まらないのは、その独特なアートスタイルと雰囲気作りにあると感じました。画面全体を覆うのは、 まるで古いモノクロ映画か、あるいは往年の恐怖マンガの一場面を切り取ったかのような、ざらついた質感の白と黒の世界。キャラクターも背景も、そのほとんどが陰影と黒い線で描かれており、見慣れない洋館の不気味さを一層際立たせています。このビジュアルが、探索という行為そのものに言いようのない不安感を付与し、「何かが出てくるんじゃないか」という原始的なホラー感をじわじわと煽ってくるんです。 そして、その予感は的中し、探索を進めるうち、突如として現れる異形の追跡者…。動物のような頭部を持ち、車椅子に乗りながら、その車輪にはなんとチェーンソーが取り付けられているという、一度見たら忘れられない強烈なデザインの“何か”が、こちらを執拗に追いかけてくるのです。その姿を目撃した瞬間、かつてインディーゲームシーンで話題を呼んだ『Year of the Ladybug』の、あのコンセプトアート群が脳裏をよぎりました。生理的な違和感と、どこか目を離せないような倒錯的な魅力が混じり合った、あの衝撃に近いものを感じたのです。 実はこの『Machico』、今回ご紹介する中でも特に、私自身が今後の展開に大きな期待を寄せている一本でもあります。というのも、制作されているスタジオジョニーさん、実は普段アニメーションを手掛けていらっしゃるチームだそうです。公式サイトで拝見した彼らの他のアートワークは、本作とはまた趣の異なる、温かみのある繊細なタッチで描かれたものが多かったのですが、その中にもどこか共通する“寂しさ”や“切なさ”のようなものが感じられ、それがこの『Machico』のミステリアスな雰囲気と不思議と響き合っているように思えたのです。 『Year of the Ladybug』が、いくつかのコンセプトアートだけで多くのゲーマーの想像力を掻き立てたように、現在進行形で制作が進んでいるこの『Machico』が、一体どんな完成形となって私たちの前に姿を現すのか…それを考えると、今から楽しみで仕方ありません。短い試遊時間ではありましたが、そんな未来への期待を抱かせるには十分すぎるほどの、“何か”を感じさせてくれる作品でした。 The Doppel:二色の悪夢で響く、己と向き合う“逃走劇” 『Machico』のブースを後にして、次に向かったのは、どこかミニマルながらも強烈な個性を放つ一角でした。こちらの作品は『The Doppel』。白と黒、わずか二色だけで構成された悪夢の世界を舞台に、自分自身を模した存在「ドッペル」からひたすら逃げ続けるという、シンプルなルールの2Dアクションゲームです。 主人公は、締め切りとプレッシャーに追われる小説家。そんな彼が、けたたましく鳴り響く出版社からの電話を取った瞬間、悪夢の世界へと引きずり込まれるところから物語は始まります。この導入だけでも、なんだかこう…記事を書いている人間にとっては、他人事とは思えないような妙な感覚を覚えましたね(苦笑)。 悪夢の中の主人公は、その名の通り自らの動きを忠実に模倣して追いかけてくる「ドッペル」から逃れるため、前へ前へと進まなければなりません。面白いのは、このゲームにおける光と闇の扱いです。暗闇の中にいる間は「ドッペル」もプレイヤーの前に出てこず、プレイヤーは完全にセーフ状態。しかし、一歩でも明るい場所へ踏み出せば、どこからともなく「ドッペル」が現れ、執拗な追跡が始まるです。そして、「ドッペル」との距離が縮まるにつれて、まるで主人公の気力そのものが吸い取られていくかのように、じわじわと体力が削られていくのです。 マップには様々なギミックも配置されており、ただ闇雲に突っ走るだけではすぐに「ドッペル」の餌食。試遊では、まず暗闇で安全を確保しつつマップの構造やギミックの動きを観察し、タイミングを見計らって一気に駆け抜ける…という、さながら往年の『バーガータイム』や『ロードランナー』のような、古き良きアーケードゲームを彷彿とさせる歯ごたえのあるアクションを体験できました。このシンプルながらも奥深いゲーム性には、思わず唸らされましたね。 しかし、この『The Doppel』が私の心に深く刻まれたのは、単にゲームとしての面白さだけではありませんでした。むしろ、プレイを終えて会場を後にした後に、じわじわとそのテーマ性が反芻された、とでも言うべきでしょうか。考えてみれば、このゲーム、別に無理して光の中へ進む必要はないんです。暗闇にさえいれば、少なくとも「ドッペル」に襲われる心配はなく、安全は保障されている。それでも、物語を進めるためには、光の中へ飛び出し、自分自身の影とも言える「ドッペル」と対峙しなくてはならない…。 この構造が、締め切りというプレッシャー、そしてそこから逃れたいという小説家の心理状況と、あまりにも見事にリンクしているように感じられたのです。すべてが二色だけで表現された世界もまた、安全な暗闇に留まるか、それとも困難に満ちた光の中へ進むかという、二者択一の厳しい現実を象徴しているかのようでした。逃げているようでいて、実は自分自身の内面と向き合わされているような、そんな不思議な感覚。短い試遊時間でしたが、このゲームが投げかける問いは、私の心に深い余韻を残してくれました。 新宿異変:夜の街角、一枚の写真に刻まれる複数の“結末” さて、今回のレポート【前編】でご紹介する最後の作品は、その強烈なキービジュアルに吸い寄せられるように足を運んだ『新宿異変』です。こちらは、夜の新宿を舞台に、街に潜む様々な怪異現象を写真に収めていくという、ホラーテイストの短編ビジュアルノベルといった趣の作品でした。試遊時間はわずか5分から10分ほど。しかし、その短い時間の中に、このゲームならではの個性がギュッと凝縮されていましたね。 ゲームが始まると、プレイヤーは簡単な状況説明と共に、どこか静かな夜の新宿の街へと放り出されます。そこで遭遇する、人ならざる“何か”の気配…。プレイヤーの目的は、これらの怪異現象をカメラで撮影すること。ただし、ここがこのゲームのキモでして、「適切な距離を保って」シャッターを切らなければなりません。対象に近づきすぎれば、正体不明の恐怖に呑み込まれてゲームオーバー。かといって、遠すぎれば何も写せず、成果もなし。まさに一瞬の判断と度胸が試される、緊張感あふれるシステムです。 私がこのゲームに強く惹かれたのは、何を隠そう、ブースで目にした一枚のキービジュアルでした。人型ではあるものの、明らかに“こちら側”の存在ではない、形容しがたい違和感を纏ったその姿…。どこかで見たような…そう、昨年デモが公開され、大きな注目を集めた『No, I’m not a Human』の、あの不気味ながらもどこか目を離せない魅力を持ったビジュアルに通じるものを感じたのです。こういう、一目見ただけで「何かヤバそうだ」と思わせるセンス、個人的にとても好みです。 そして、この『新宿異変』を語る上で外せないのが、「マルチエンディング」という要素でしょう。驚いたことに、この短い試遊版ですら、その片鱗を十分に味わうことができたのです。実は私、自分のプレイ前に、偶然お二方ほど他の方のプレイを後ろから拝見する機会があったのですが、なんと私を含めた三人の結末が、それぞれ全く異なっていたんですよ。もちろん、先ほども触れたように、このゲームは一歩間違えれば即ゲームオーバーという、いわゆる「死にゲー」的な側面も持っているので、それも多様な結末に繋がりやすい一因だとは思います。ですが、それにしたって、この短時間でこれだけ体験の幅を持たせているのは、単純にすごいな、と。 イベント会場で気になるゲームの試遊待ちをしていると、前の人のプレイで内容が分かってしまって、自分の番が来た時には少し興味が薄れてしまった…なんて経験、ありませんか? 特にストーリー重視のノベルゲームでは、それが致命的になることも少なくないと思うんです。その点、この『新宿異変』は、短い試遊の中に多様なエンディングを用意することで、何度見ても新しい発見があり、むしろ「他のエンディングも見てみたい」と思わせる。これは非常にクレバーな作りだと感じましたし、実を言うと、我々ネゴラブチームのゲーム制作においても、大いに参考にすべき点ではないかと、一人静かにメモを取った次第です。 日常の裂け目から垣間見た、三者三様の“気配”と次なる予感 というわけで、ゴールデンウィークの中、初めての出展という慣れない体験の合間を縫って巡り合った、私モブの心を特に強く捉えた三つのゲーム、『Machico』、『The Doppel』、そして『新宿異変』をご紹介してまいりました。 モノクロームの悪夢の中でアニメーションスタジオの新たな挑戦と未来への期待を感じさせてくれた『Machico』。二色だけで描かれた世界で、自分自身の影と向き合う逃走劇を強いた『The Doppel』。そして、夜の新宿という日常のすぐ隣で、無数の怪異と幾通りもの結末を突きつけてきた『新宿異変』。 どれも、日常に潜む「裂け目」から、得体の知れない「何か」が顔を覗かせているような、そんなヒリヒリとした感覚を呼び覚ます、個性的な作品たちでしたね。もちろん、初出展の身としては自分のブースのことで手一杯だったため、全てのゲームをじっくり堪能できたわけではありませんが、それでも作り手として参加したからこそ得られた刺激は、確かにあったように思います。 まあ、お世辞にも「最高な休日」とは言えませんでしたが、それでもこうして心に残る作品たちと出会えたのですから、結果オーライ、ということにしておきましょう。きっとそうです。 さて、この東京ゲームダンジョン8のレポートは、まだまだ終わりません。【後編】では、また少し毛色の異なる、しかしながら同様に強烈な個性を放つゲームたちをご紹介する予定です。果たして、次にお届けするのはどんな“裂け目”からの誘いなのか…。 ラブコメ X