#01 ・キャリアを積みながら徐々にクリエイティブに吸い込まれていった人生・小学生の頃に映画業界に入りたいと思った・大きなきっかけは「バック・トゥー・ザ・フューチャー」・「いまを生きる」に衝撃を受けた・映画は色んな人の人生に影響を与えるメディアだなと強く感じる・ジャッキー・チェンよりもジェット・リーが好き・映画の買い付けをやりたくてギャガを目指し、最終的に東宝に入る・通訳することとプロデュースすることの共通点・アメリカ留学で感じたアジア人マイノリティ・台湾の映像業界の今 西本有里霹靂社 布袋劇プロデューサー1991年より1992年まで交換留学生として、アメリカテキサス州Plano senior high schoolに留学、学校新聞の映画欄の執筆を担当。1996年、早稲田大学 教育学部 英語英文学科を卒業し、東宝株式会社に入社。大阪支社にて映画館勤務の後、東京本社に戻り、映像事業部にてパンフレット及び商品開発の担当を務める。結婚し、2001年に台湾へ移住。2002年、エドワード・ヤン監督が設立したアニメ会社「鎧甲娛樂(milk.com)」にて、社長アシスタントを担当、日本のアニメ会社との交渉及び映画祭関連業務を担当。2007年に映画『闘茶』にて、初めてCo-producerを務め、同時に撮影現場の通訳及び監督通訳を務める。その後様々な通訳、翻訳業務に携わるようになる。2013年より霹靂国際マルチメディアに入社し、霹靂社初の3Dパペットアニメーション映画『古代ロボットの秘密』の海外セールス、映画祭業務、国内外ライセンス業務を担当。同時に、日台(にったい)合作シリーズ『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀(サンダーボルトファンタジー トウリケンユウキ)』のプロデューサーを務め、日台間の調整及び映像制作の統括を務めている。 西本有里さんのまとめはこちら
【すがやみつるの旅】 総集編#03
#03 ・Macで8ページの漫画をマウスだけで描く・生成AIとラッダイト運動・デジタルのお陰で漫画制作に戻ってくることができた・長い時間をかけた身体的な体験をぴょんと飛び越えてしまうAI・トキワ荘効果。やる気を出させる為のメソッドについて すがやみつる漫画家1950年、静岡県富士市生まれ。73歳。小学6年生のときからマンガを描きはじめる。1969年、高校卒業と同時にマンガ家をめざして上京。マンガ家アシスタント、編集プロ勤務を経て、1971年、『仮面ライダー』(原作・石森章太郎)でデビュー。1983年、代表作『ゲームセンターあらし』『こんにちはマイコン』で小学館漫画賞受賞。1994年、娯楽小説家として再デビュー。60冊以上の小説を刊行。2005年、早稲田大学人間科学部eスクールに入学。2011年、早稲田大学大学院 人間科学研究科 修士課程修了(60歳)。2013~21年、京都精華大学マンガ学部教授。2024年より日本マンガ学会会長。 すがやみつるさんのまとめはこちら
【すがやみつるの旅】 総集編#02
#02 ・22歳までに漫画家でデビューできないと田舎に帰らなければならないという切実さ・冬は高校の物理部ではんだごてを握り、夏は水泳部で体を鍛える・アマチュア無線の経験が活きて思わぬ収入が入る・コンピューターは効率化させるための道具・最初に作ったプログラムは確定申告のソフトだった・「こんにちはマイコン」の企画の立ち上がり秘話・経費で遊ぼうの精神 すがやみつる漫画家1950年、静岡県富士市生まれ。73歳。小学6年生のときからマンガを描きはじめる。1969年、高校卒業と同時にマンガ家をめざして上京。マンガ家アシスタント、編集プロ勤務を経て、1971年、『仮面ライダー』(原作・石森章太郎)でデビュー。1983年、代表作『ゲームセンターあらし』『こんにちはマイコン』で小学館漫画賞受賞。1994年、娯楽小説家として再デビュー。60冊以上の小説を刊行。2005年、早稲田大学人間科学部eスクールに入学。2011年、早稲田大学大学院 人間科学研究科 修士課程修了(60歳)。2013~21年、京都精華大学マンガ学部教授。2024年より日本マンガ学会会長。 すがやみつるさんのまとめはこちら